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03/エリック様の話

「ほほほ……申し訳ありませんね。エリック様。

 この通りアリシアは少々おっとりしているもので……大変お待たせいたしましたわ」


 ぴくり、と背後で何やら気配を感じる。

 多分グレゴリーが今の一言に反応したのだろう。

 普段なら使用人の鏡のごとく、微動だにしないというのに。珍しいな。


 けど、私が今継母様の隣に座ってるから背後でどんな顔をしていても継母様にも私にも見えない。

 それにしても、エリック様に不機嫌そうな顔が見られてもいいのかな。


 グレゴリーったら今日はどうして、意地悪だったり感情を表に出すのだろう?

 具合でも悪い? ……それともエリック様が嫌いなの?

 でもそれだと私に意地悪をした理由が分からない。


「いえ、急な来訪をこちらこそお詫び申し上げます」


 そう言って謝罪する姿は大変優雅。

 流石は由緒ある貴族の家系。


 私、そんなお家に嫁いで品格を落とさないようにできる……?


 近いようでまだ少し遠い未来。

 自分が結婚するという事がどうしても想像ができない。


 人というのはイメージが出来ない未来に対し、どうして不安になるのだろう。

 たとえ怖くても不安でも、その時が来れば絶対に逃れることはできないというのに。


 住み慣れた場所からの巣立ちによる寂しさ。

 新生活への期待と不安。


 ――これがマリッジブルーと言うものでしょうか。


 今から不安になっても仕方ない。

 心の中で頭を振って、気持ちを切り替える。


 そもそも礼儀作法であれば、勉強することで対応ができるのだ。

 ならば、そうするより他はない。

 対応可能な問題であるだ、ましと言うものです。


「それでエリック様、本日はどのようなご用件でございましょう?

 来年の輿入れについてのお話かしら?」


 継母様が優雅に首を傾げて問いかけた。

 来年――十五歳になれば私はエリック様の家、ローランド家へと嫁ぐことになる。


 この家に居られるのもあと一年。


 胸に再び訪れる不安と寂しさ。

 それを誤魔化すように他の事を考えることにした。


 私には一年後、どうなるのか不安な案件が一つだけある。


 私は脳裏にその子の事を思い浮かべた。

 真っ黒な毛並みなのにお腹だけ白い、小さな家族――猫のラフィークの事。


 あの子はお母様が連れてきた猫で、もう結構な年齢のはずだけれど、体が小さくて老いを感じさせない程に元気。

 今日も朝から見かけてないから、昨日出かけたまま戻ってきてないのだろう。


 時々外に遊びに行っては中々帰ってきてくれない事が昔からあった。


 小さい頃はあの子がいなくなったのが怖くてお母様によく泣いたっけ。

 お母様が「いつもの事だから」と慰めてくれたものだ。


 すっかり慣れたもの――というには少し心配だけど。

 今日も昼食の頃には戻ってきてくれるだろう。


 あの子は体が小さい。

 普通の猫はあれくらいの年だと結構な大きさになってるし、行動もゆったりとして寝たばかりになるという。


 けれど、あの子は小さいまま。


 それを一部の使用人や、継母様は不気味がっている。

 私がいなくなれば、ご飯ももらえなくなるかもしれない。


 小さいのは可愛いし、元気なのはいい事だと思うのだけど。


 まぁ……あの子、今では私位にしか懐いていないし、仕方ないのかも。

 嫁入りの時に連れて行っても怒られないかしら……?


 エリック様は基本的にお優しいし、許可はしてくれそう。

 けど、猫は家につくと聞くから、ラフィークが望むかしら?


 うーん。

 手元にいてくれた方が安心だし嬉しいのだけど。


「――アリシアに聞いてほしい話があるんだ」


 私が軽い現実逃避という名の心配をしていると、ふいに名前を呼ばれた。

 ニコりと微笑んで何事もなかったかのようにエリック様を見る。


 危ない危ない。

 実は聞いてなかったとバレてないといいけど。

 一応本題はこれからみたいだからなんとか。


 見つめていると、エリック様は大変言いにくそうに言い淀む。

 迷い、戸惑い。


 ――しかしその眼差しはとても真剣だった。


 エリック様のあんな目は初めて。

 知らずうちに、どくん、どくんと私の心臓が高鳴る。


 この方は何を私に話したいのだろう。


 心臓の音が周りの人にも聞こえるんじゃないか。

 そう不安になった時に、彼は言った。


「――アリシア。

 すまない。君との婚約を解消させて欲しい」


 バキ、と何かが折れた音が聞こえた。

 どすん、と誰かが尻もちをついたような音が聞こえた。


 どちらも割りと大きな音だったけれど、ちゃんとエリック様の言葉は聞こえている。


 この方は私との婚約を解消したいと――そう、言ったのだ。


 手が震える。

 私はこの人に嫌われるようなことをしてしまっていたのだろうか。


 胸がきゅぅと締め付けられるよう。

 呼吸が浅くなって息苦しい。


 ――怖い。


 誰かにいらないと思われるのは怖い。

 ましてそれを言うのがエリック様であるのならなおさらに。


 ――それでも聞かなくちゃ。


「……理由を、お聞かせ頂けますか?」


 極力彼を困らせないように、平静を装って問いかける。

 ……隣では、折れた扇子をわなわなと持っている継母様がいるし、できるだけどちらも刺激したくない。


 私の問いにエリック様はぽつぽつと……そしてだんだん情熱的に語り始める。


 彼の主張はこう。


 平たくいうと、真実の愛を見つけた。

 だから、私という別の女との婚約を解消したい。


「……婚約の破棄は絶対に必要なのでしょうか?」


 お父様には居なかったけれど、貴族が第二夫人、第三夫人を娶ることは一般的。

 愛人を囲う者も多く居ます。

 だから、婚約を維持したままでも妥協点はあると思う。

 少なくとも我が家には譲れる部分があった。


「愛する人を、彼女だけを、妻にしたいと思っている」


 第二夫人とするのではなく、愛人として傍に置くのでもなく、ただ一人の生涯の伴侶として置きたいと。

 彼はそう……決めたのだろう。


「……エリック様は……いえ、お家は……それで良いとされてるのですか?」


 彼の気持ちは理解した。

 しかし、その心一つでは片付かない問題もある。

 貴族の婚約はある種の取引だからだ。


 私達の場合はお金と権威だろうか。

 我が家は自慢ではないけど、お金だけはある。

 嫁入りする時に、結納金としていくらかの金額がローランド家へと動く予定だった。


 それは傾いたローランド家を立て直す為に必要な物。

 一方、我が家は名家に連なる一族という看板を得る筈だった。

 ……というのは建前で、私を追い出すのが本当の目的かもしれないけれど。


「あぁ。――もちろん反対はたくさんされたさ。

 けれど……大切な人ができた。

 説得をし続けて、ようやく受け入れてくれたよ。

 二人で領地を支えると父上には誓った」

「……本当に大丈夫、なのですか?」


 グレゴリーに聞いた話ではローランド家は貴族とは名ばかり。

 今では少々裕福な領民と大差がない暮らしだそうだ。

 それでも貴族は貴族、家が揺らげば領民への影響は出る。

 だというのに、ご実家も我が家からの支援は必要ないと言うの?


「ああ、何とかする」


 彼は力強く、僅かの迷いも無く、言い切った。


 本当に……この人は愚直だ。

 彼がこうあるのは親もそうであるから。

 だからこそ、彼の生家は没落してしまったのだと思う。


 貴族にとって婚姻ほどままならないものはない。


 だというのに、自分の意思で、愛する人を、未来を……選ぶなんて。

 自分にはできない事だし、貴族としては愚かな選択だ。


 ――でも、その生き様にどうしようもなく憧れる自分がいる。


 我が家からの資金援助という確実な道を棄てた以上、彼は家の立て直しに苦しむことになるだろう。


 でも……私はその言葉を信じたい。


 愛を貫く事と、領地を守る事。

 その両方をやり遂げると信じたい。


 少し胸が痛む。

 寂しいと、苦しいと私の心が彼に縋り付こうとしてる。


 けど、これは――きっと異性への情じゃない。

 だって……寂しいと思っていると同時に私は喜んでいる。


 そして――こんなにも彼が眩しい。


 なんて言えばいいのだろう。

 憧れ……に近いのかな。


 私には決して選ぶことのできないだろう選択を選べるこの人を祝福したい。

 どうか、幸せになって欲しい。


 緊張した面持ちで私の出方を見守るエリック様に私は微笑む。


 ――私の気持ちは決まった。

お読み頂きありがとうございます。


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 こちら『悪役令嬢転生物語~魅了能力なんて呪いはいりません!~』にて新連載を始めました。
 ゲームの悪役キャラ憑依物です。よろしければ、目を通してやって下さい。
 ……感想や、評価に飢えているので、何卒お願い致します。m(_ _)m
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