23/路地裏の逃走劇
ぐい、と首に腕を回され引き寄せられる。
それだけなのに、視界は一瞬で薄暗くなった。
そして、ずる、ずると後ろに引っ張られるように連れて行かれる。
一体何が起きたんだろう?
見るにここは建物と建物の間――路地だと思う。
そういえば、オズちゃんにも気をつけろって言われてた気がする。
こういう隙間は、人が隠れている事が多いからだ。確かに最初の聞き込みでも、こういう場所から人が出てきた。
でもなんでだろう?
ラフィークが珍しく戸惑ってる。
聞き込みの時には、敵意を向けて来た相手に威嚇したり、爪で攻撃してたのに。
それが気になって私は動けずに居た。
実際の所、逃げようと思えば多分逃げられる。
首に回ってる腕は、力を込めているようだけどそこまで強くないように思う。
もしこの人が加減をしてないなら、私よりも腕力がないのかもしれない。
これもお師匠様に冬の間、荷運び訓練をさせられてたせいかな。
……私はか弱い乙女ですよね……?
――今は忘れておこう。
犯人の要求はなんだろうか。
お腹が空いて、こんな事をしたと言われたら、腕の力もないし、納得が出来る。
それなら何か食べ物を渡した後で、兵士に明け渡せば良いんだけど……。
慈悲を与える事が悪いとは思わないけど、悪い事をすれば望みが叶うと考えるようになったら困るものね。
「あ、あの」
「――っ!」
声をかけたら息を飲んだ。
この状況に緊張してる……? なら、初犯? それならまぁ、厳重注意だけでも……。
「シアー? どこー?」
私が思案していると、微かに聞こえるオズちゃんの声。
そりゃそうだよね。普通探すよね。
私は此処だよ。――そう、叫ぼうとして思い留まる。
今の状況、助けを求めるのは間違ってないと思う。
けど、素直に大声で叫んだ場合、状況は悪化するのでは?
最悪人質立てこもり事件的な流れになってしまうんじゃ……。
……そういえば、この人なんで要求を出さないんだろう?
こう、か弱い女子を捕まえたなら、金銭なり食料なり要求する事位はする気がするけど……。
私はオズちゃんと違って魔術師っぽい装備品を持っていない。
だからこの地域で一人で私みたいなのが彷徨いてたら、悪い事考えてる人達にとって好都合な獲物だと思う。
でも、この人はさっきからだんだん拘束の手が緩んでる。
というかすでに、殆ど腕が置いてあるだけな状態だ。
振りほどくまでもなく、ちょっと私が動くだけで私はこの人から離れることが出来るだろう。
――どうして?
疑問がぐるぐると頭を巡る。
そして、突如目の前に閃光が走った。
ばぢぃっ!! と鈍く弾けるような音と共に、背後からのうめき声。
何が起きたかはよく分からない。
けど、其の原因は分かってる。
いつの間にか路地の入り口にいる人影と、その足元にいる猫の姿。
当然、オズちゃんとラフィークだ。
どうやらラフィークが、声を上げなかった私の代わりに彼女を迎えに行ってくれたらしい。
「そこのあんた! その子から離れなさい! さもないと次は警告レベルじゃ済まないわよ!」
杖を構えて怒鳴るオズちゃん。
その姿は小柄な彼女からは想像できない位、勇ましくて格好良い。
攻撃された後ろの人物は、恐ろしくも見えただろう。
「ちっ」
舌打ちと同時に前へ――オズちゃんの方へと突き飛ばされる私。
オズちゃんへの盾と障害物として私を採用したんだろう。
突き飛ばされながら、少しだけでもと振り返る。
見えたのは長い、黒髪が尻尾のように揺れて走る少年の姿。
「オズちゃんあの人捕まえて!!」
反射的に叫ぶ。
「え? ――わ、分かった!!」
倒れないよう踏み止まって、振り返って走り出す。
彼も足は早いみたいだけど、私だって森の中を修行で何度も走り回ったんだ。
絶対に追いついてみせる!
彼が曲がり角を曲がったら、私も曲がって。
狭い道も、負けじと追いかけて。
場合によっては、先を走ってるラフィークが彼を牽制して他の道を進ませて。
一心不乱に彼を追いかけていると、彼は道にあった木箱を投げつけてきた。
いや、投げたというよりは後ろ――私の方へ放り投げてきた。つまりは障害物だ。
普通なら避ければいいだけだろう。
だけど、今は狭い道の中。
障害物は”物”というより壁と言っていい。
腕を庇って頭を守る。
「――痛っ!!」
自分では小さい悲鳴のつもりだった。
だけど、彼の耳に届いたのか、彼の足音が止まる。
「オズ、ちゃん……!」
ずっと走り続けてきたから、息が苦しい。
それでも出来るだけ大きな声で叫ぶ。
きっと私の意を組んでくれると祈って。
ここまでずっとラフィークが誘導してくれていた。
オズちゃんの住んでる地域で、此処の存在に詳しかったから、きっと地理にも詳しいはず。
その祈りは届いたらしい。
微かに、オズちゃんの声がどこからか聞こえる。
私は彼を足止めすべく、そこへ崩れるように座り込む。
さっきの悲鳴で足を止めた彼なら。――私が想像した通りの”彼”ならば、きっと迷ってくれるはず。
数秒でいい。ほんの少しだけ足を止めれれば。
彼の方を見れないけど、私の演技は多少効果があったようだ。
走り出す音は聞こえない。
そして――ばぢぃと鈍く弾ける音がした。
遅れて聞こえてくるうめき声と誰かが倒れ込む音。
何事かと顔を上げて、彼の方を見てみれば。
ぐったりと倒れている彼の姿。
「はぁ……はぁ……つ、捕まえたわよ……」
杖を支えにして、ぐったりとしているオズちゃんの姿に私はため息を付いた。
確かに捕まえてと言った。
彼を追いかけるのを私が担当したとは言え、移動するオズちゃんに負担は掛かっただろう。
そのせいで、多分思考能力が落ちたんだろうな……。
私は急ぎ、彼のもとへ駆け寄って脈を図る。
……大丈夫。生きてる。
音からして、さっき私を助けてくれた時と同じく電撃魔術だろう。
とりあえず、軽く身体を起こして内傷回復用の水薬をちびちびと口に含ませる。
……一先ずこれで大丈夫だと思う。後はちゃんと静養はさせないといけないけど。
無造作に伸びた前髪を払うように、彼のおでこを撫でる。
意識を失っている彼の顔は、私の記憶を呼び覚ましてくれた。
短い期間だけど、毎日一緒に顔を合わせていた相手。
あの夜に、私を抱きかかえ――そして荷台から手を放して私を助けてくれた人。
――私の予想通り、逃げたこの人こそ、私の助けたい、恩返ししたい、その人だったのだ。
それにしても、なんで逃げたんだろう……?
私だと気づいたなら逃げなくてもいいと思うし……それとも私だって気づかなかったのかな。
そうだとしたらなんだか……凄くショックだ。
理由も分からないけど、本当に訳も分からず胸が締め付けられる。
……でもよく考えたらあの時、私は髪の毛の色を変えていたし、そのせいで気づかなかったなら……あ。なんだか胸が軽くなった。
そうだと良いな。
そして、私は彼を背負って帰路へとつく。
男の人だから重いと思ってたけど、予想より軽い。
健康状態があまり良くないのだろうか。
それとも男の人ってあんまり重くない?
……荷運び訓練してたからあんまり分からないや。
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