02/婚約者エリック様
エリック・ローランド。
当家の管理するイングリッド男爵領に隣接するローランド伯爵領――その領主の一人息子で、私の婚約者である人。
今の私の姿を一番見られたくなかった方。
「あ、あぁ……久しぶりだねアリシア」
戸惑うように、私の姿を頭から足先まで見てくるエリック様。
婚約者とはいえ、女性をじろじろと見るのは如何かと。
でも、大変気持ちは分かる。
自分の婚約者がメイド服で玄関先を掃除しているとか、意味が分からないを通り越して、夢かと疑うのが普通だ。
私もお父様と一緒の頃に、エリック様が執事服を着て掃除をしてたら、思わず同じ事をしたと思う。
「えぇっと……その、エリック様はどうして――」
なぜエリック様が来たのかを問おうとした時、後ろのドアベルが鳴り扉が開く。
中から出てきたのは、家令のグレゴリー。
ちらりと私を見てから彼はエリック様へとお辞儀をしました。
「おぉ。エリック様。お久しぶりでございます。
本日は遠くからご足労いただきありがとうございます」
そしてにこやかな笑みを浮かべてエリック様の来訪に対応を始めるグレゴリー。
スルーされてる……!
私は必死にどういうことなのかと、視線で訴えているのに、ちらりとこちらを見た後は、全くこちらを見やしない。
流石にエリック様の来訪予定があったら、私に教えてくれても良かったと思うのだけど!?
メイドのみんなの仕事を馬鹿にしているわけではない。
でも、流石に対外的に貴族子女である自分がメイド服を着ているというのは恥ずかしい。
見知らぬ誰かに見られる分にはいいけど、エリック様に見られてしまうのは本当に恥ずかしいの……!!
「あぁ、いや……大丈夫だ。
そんなことよりその……聞いていた以上なのだが」
「えぇ。本当にお労しいことです。それでお話の件ですが――」
「――分かっている。それで奥方は?」
「はい。奥様は本日も――」
恥ずかしさで頬が火照ってきた……。
多分鏡で見たら自分の顔は真っ赤だと思う。
もうやだ。早く部屋に行きたい。
さもなければ、早くエリック様をお屋敷の中に案内して欲しい。
というか、こんな所で長々と話してる場合じゃないでしょう!
お客様を早く案内するのが使用人の勤めだと思うのだけど……!?
もう二人の話の内容など頭に入ってはこない。
ひたすらグレゴリーを睨むように念を送ることしか出来ない自分が恥ずかしくて嫌になる。
せめて……せめて……そそくさと逃げだしたい……!
「――では、エリック様。中へどうぞ」
ようやく話が終わったのか、グレゴリーがエリック様を案内し始めた。
……これでようやっとエリック様から離れられる。
そう思って安堵したのもつかの間。
案内をしていたグレゴリーが振り返り、私に微笑んで言った。
「ささ、お嬢様も」
「え?」
「婚約者のエリック様のご来訪です。
お嬢様がお話の席に居ないのはおかしいでしょう?」
確かにその通りだと思う。
実際エリック様とお話ができるのは素直に嬉しい。
けれど――けれど。
「……身だしなみを整えてから参ります」
メイド服のままで行けるわけないでしょ!
グレゴリーの意地悪!!
むーっと睨みつけて言うと、彼は楽しげに微笑んで言いました。
「かしこまりました。お早くお願いします。メイドを向かわせますね」
やっぱり意地悪がすぎると思う!
* * *
長く、それでいて淡くコスモス色に見えるけれど真っ白な髪。
晴れた空のような碧い目。
それが鏡台に映る自分の姿。
……正直な所、私は己の容姿が好きではない。
真っ白な髪は継母様に、蔑むように見られるんですよね。何でだろう?
まぁ、確かに若いのにこんなに真っ白となると、老婆のようにも見えるから気持ちは分からないでもないけど。
そもそも癖が強すぎて切るに切れず、気がついたらずるずると長い髪は邪魔だ。
でも、長いからと切ろうとするとメイド達になぜか悲しそうな目で見られるから切れない……。
この髪、手入れが大変だというのに。
すぐにボサボサして大変なんだけどな。
三つ編みにしたら縄みたいになるんだもの、縄だよ、縄。
私の容姿で、唯一気に入ってるのはお母様と同じ碧い目くらい。
すぃ、すぃと髪を引っ掛けることのないように丁寧に梳いてくれるメイド達。
自分でやるとどうしても引っかかるのに、どうやったらこんなに綺麗にできるのか不思議。
メイド達に身を任せ、大人しくじっとしていると程なく身支度が整う。
自分だけでは、せいぜい軽く梳いて首の後でリボンを使って纏めるだけの髪。
けれど、多すぎる髪量をハーフアップかつお団子にすることで、ボリュームを減らす事に成功している。
丁寧に梳かれた髪は艶やかに、そして癖っ毛特有のハネを極力減らして整えられていた。
ついでとばかりに軽くお化粧をして、普段着とはいえ貴族用の服装。
鏡の中にいるのは、いっぱしの貴族令嬢でした。
驚きのビフォーアフター。
メイド達の技術とお化粧と衣装って偉大だなぁ……。
正直な所、お化粧は苦手なので早くも拭いたい気持ちがあるけど……。
流石に婚約者に会うのに、すっぴんというのも問題なのだと思う。多分。
継母様は礼儀だといって化粧をがっつりしてるし。
……あんなに一生懸命化粧に時間をかけなくても、継母様はとっても綺麗だと思うんだけどな。
「さぁ、お嬢様。これで完璧ですよ」
「久しぶりにお嬢様の身支度を整えられてとても嬉しいですわ」
「お嬢様、もっと丁寧に髪の手入れをしないといけませんよ」
口々にそんな事を言うメイド達。
この髪の量でちゃんと乾かすのは大変なんだよ……。
切りたくても、メイドが悲しむ上に、切ってしまうと寝起きが恐ろしいことになるみたいだし。
まぁ……ともあれこれでエリック様にお会いできる姿になった。
気合をいれてお会いしなければ。
……継母様も一緒だから、気が重いけど。
静かに深呼吸をしてから目を閉じて――目を開ける。
よし。気合は十分。頑張ろう。
「――みんな。身支度を手伝ってくれてありがとう」
「いえいえ。メイドの仕事ですもの」
「むしろもっと日頃からお手伝いしたいくらいですわ」
「本当に……シャロン様は何を考えて――」
継母様の名前を出したメイドの口を押さえて、自分の口元に人差し指を立てて止める。
この家で今一番権力があるのは継母様だ。
そんな方の悪口を仮に誰かに聞かれてしまったら、きっと仕事を失うような事になってしまう。
――そんな風に遠ざけられるのは彼女だけで十分なの。
はっとしてうろたえるメイドに微笑んで、私はエリック様の待つ応接間へと向かう。
ただの応接間だけど、なんだか中にいる人たちのことを考えると、すごい重苦しい門に見えてくるから不思議だ。
とはいえ、逃げれる相手ではないのだから、気合を入れて行くしかない。
ノックをして少しするとグレゴリーが扉を開けてくれた。
「エリック様。継母様。
随分とおまたせして申し訳ありませんでした」
淑女らしくドレスのスカートを摘み、一礼をして二人へ挨拶をしてから、私の席へと案内してくれるグレゴリーに静々と付いて行く。
久しぶりで正直礼儀作法を忘れてないか不安だけど、継母様もグレゴリーも何も言わない。
なんとか及第点という所だろうか。
少しだけホッとするけれど、まだ始まってもいないのだ。
ここで気を抜く訳にはいかない。
うぅ。緊張する。
こう……一挙一動を見張られている気分。
所でエリック様は一体何の用でこちらに来たのだろう?
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