少年02
『見目の良い女は売るから見繕っておけ』
せっかく死人が出ないようにしたのに今度はこれだ。
積荷を奪われれば、商人は困るだろうし、護衛も評判が落ちるだろうが、それでも命が奪われるよりは良いと思って考えたのに。
いっそ該当する人物がいなければ良かった。
しかし、残念ながら一人だけ条件に当てはまる少女がいるのだ。
黒髪に、いつも帽子をかぶった少女。
年は自分と同じ位だろうか。良い所のメイドらしく、同乗した年かさのおばちゃん達とは違い、どことなく上品だった。
きっと彼女なら、買う人間が現れるだろう。
そして高値がつくだろう彼女を見逃したと分かれば、自分はともかく見せしめに路地裏の子供たちに何をするか分からない。
――彼は従うしかなかった。
幸運だったのは、彼女に渡す睡眠薬入りの食事を彼女の猫が落としてしまったことだ。
眠っている人間を逃がすのは難しいが、起きてる人間ならば勝手に動いてくれる。
それだけは幸いだったかもしれない。
実際にこっそりとそんな事が出来るかは分からないが。
その後も、彼女は自分を信じてくれた。
不安と恐怖を感じてるだろうに。
彼女が魔力持ちだという事に、彼は気づいていた。
だから、こっそりと彼女を連れて行く時羅喉石のペンダントを外してポケットにしまっておいた。
羅喉石がかなり豪華なものだったから、自分の分と合わせて外せば絶対に魔物は来るだろう。
ちなみに彼の羅喉石は、魔術師の所で手に入れた最低品質の物だ。幾つかあるそれをいつも一つだけ身につけている。
いつか、盗賊団に報復する時の切り札になるよう、彼は常に自分の血で魔物を呼んでいた。
――だから魔物を呼んだとしても、怪我をしてない自分が犯人だとすぐには連想出来ない――といいなと甘いことを考えながら。
やがて予想通り、魔物がやってきた。
余程彼女と自分の魔力が魅力的なのか、普段呼び寄せる時よりも、興奮している気がする。
少女は積荷として荷台に乗せられた。
自分の腕に抱えられた少女は、小刻に震えている。
恐らく怖いのだろう。
当然だ。
盗賊に襲われたと思ったら、今度は魔物に襲われているのだから。
「……ごめん……ごめんな……俺……」
ふいに、溢れた。
ずっとずっと後悔していた。
逃げ出すと、路地裏の子供たちがどんな目に合わされるか分からなくて、悪いことをしている自分に目を背けていた。
だけど今彼の腕にいるのは、路地裏の子供たちと同じ生きた人間だ。
よしんばこのまま魔物から逃げ切れたとしても、彼女は売られる。
見目の良い彼女の事だ。
きっとスケベ野郎に買われて――。
未来を想像するだけで吐き気がする。
だけど、逃げれなければ生きたまま魔物に食われるだろう。
どちらがマシなのか、よく分からない。
どうするべきかと彼が悩んでいると彼女が声をかけてきた。
「……大丈夫?」
(この状況が大丈夫だとしたら、こいつは生まれてずっと温室みたいな場所で生きてたんだな)
つい、そんな悪態を胸の内で呟きながら彼は周囲を伺う。
幸いなことに、車輪の音やら馬のいななき、同僚の怒声で聞こえてないみたいだった。
「……大丈夫に見えるか?」
「見えないから心配してるの」
「……悪い」
どうやら、自分に対して心配してくれていただけらしい。
そんな言葉をくれたのは、此処最近じゃ路地裏の子供たちだけだ。
どうにか彼女だけでも逃がせないだろうか。
再度強くそう思う。
こんな状況でも他者を気遣えるような人間が、不幸になる未来は見たくない。
いや、多分彼自身思ってるのだろう。
清く正しければ救われる世界であって欲しい、と。
すでに自分は悪事に手を染めているから、清くも正しくもないけど。
それでも、夢物語みたいな希望位はまだ持っている。
彼女がこんな状況でも、自分がどうにかして無事に平和な世界に戻せたならば。
――自分にも救いがあるんじゃないか。
彼自身、無茶なことを言ってるなと思うけど、そんな風に考えてしまう。
「……逃げれないかな」
「……あいつらからか? ……それとも俺達からか?」
皮肉めいた口調になったのは仕方ないだろう。
実際には、彼は少し傷ついただけなのだが。
「貴方は逃げないの?」
「……逃げれるかよ」
逃げれば路地裏の子供たちが危うい。
助けてくれて、慕ってくれた彼等は彼にとって、初めての家族らしい家族だ。
例え血が繋がってなくても、見捨てられたものじゃない。
ガタガタと揺れる荷台の上で彼は必死に考える。
どうすれば、彼女を逃がすことが出来るだろう?
どうすれば、自分の責任だとしても路地裏の子供たちに危害が及ばないように出来る?
視界に映る魔物の群れはだんだんと増えて、大きくなってきている。
――この調子ならそのうち囮として捨てられるな。
呼ぶ力があるのだ。
その後餌になって囮くらいの役には立つ、と考える奴が出てくるだろう。
そして、事実その考えは当たっていた。
もとより身内というよりも下っ端の召使みたいな立ち位置の彼は、能力は重視されていても、命までは重視されていない。
今も周囲ではひそひそと「アイツのせいだ」という視線と声が交わされている。
すこぶる性能の良い耳がこんな時は悲しい。
彼女にまで届いてなければ良いなと思いつつ、彼はふと思った。
そして、それが今出来る唯一の正解だと思ったのだ。
だから彼は問う。
「なぁ……真綿でゆっくり苦しめられて死ぬのとさ。
運がすげー良ければ……生き残れるけど、多分食われて死ぬの。どっちが良い?」
彼女を手放す。
それが彼の出した答えだ。
こんな速度で落とされればそれだけで大怪我をする。
しかも、追ってくる魔物たちは彼と彼女の魔力に惹かれているのだ。
落ちた後どうなるかは想像に難くない。
それでも。
彼女よりも彼の魔力のが魔物にとって興味の対象だったならば。
もしかしたら彼女は、魔物たちからスルーされてこっちに来るかもしれない。
其の場合、自分は死ぬかもしれないが他の盗賊団も道連れに出来るならそれもいい。
だから、賭けだ。
魔力の質や量とは関係なく、手近な獲物から狙う可能性のがずっと高いだろう。
でも、慰み者にされて辛い思いを抱えて生きるよりも、魔物に生きながら食われる方がマシだと思えた。
そして――ほんの少しだけ迷った後、彼女は賭けたいと答えた。
少年はタイミングを見計らって彼女を手放す。
彼は生涯忘れられないだろう。
こんな状況なのに、自分を心配する彼女の瞳を。
魔物は彼女を選んだ。
こちらを追いかけてくるものは一匹もいない。
* * *
魔物の群から逃げ切り、人心地ついた所でそれは始まった。
「このっ!! 大馬鹿野郎!! 絶対に積み荷を放すなと言っただろうが!!」
怒鳴り声と同時に彼は盗賊のボスに殴られて吹っ飛ぶ。
じわりと口の中に広がる血の味と、身体に鈍く響くような痛み。
(口の中、切れたみたいだな)
ぼんやりと自分の体だというのに他人事のように感想が浮かぶ。
怒り狂うボス――アロガンへの恐怖もない。
痛みを伴う暴力にも関心はない。
口に広がる血の味も、体中の痛みでさえどうだっていい。
――彼女を自分の手で殺してしまった胸の痛みに勝るものなど無いのだから。
その後も執拗に続く罰と言う名の八つ当たり。
アロガン以外の面々は下手に擁護すれば、それが自分に向くと知っている。
だから、気が済むまで彼という生贄が痛めつけられるのを眺めているだけ。
そこに良心の呵責などなく、あるのはただただ、自分でなくてよかったという安堵だ。
しかし、アロガンが武器を取り出した所で、流石に止めにはいった。
無論、血で魔物を呼ぶ少年を傷つけたら、魔物に襲われるからという理由だが。
それでも興奮収まらないアロガンに、手下の一人が首輪のような物を取り出した。
黒い金属で作られたそれは魔術具だという。
「ボス、これなら呪いをかけられますぜ。
もう二度と反抗的な態度が出来ないようにこいつを縛り付けやしょう。
そうですねぇ。”盗賊団とボスを裏切らない”なんてどうでしょう?」
媚びた声音でアロガンに進言し――少年はそれを受け入れた。
呪いをかけられれば、まっとうな道になど戻れないだろう。
其れくらいは彼も分かってる。
だが、どうせ拒否しても殴られるだけだし、子供たちの事もある。
――何よりどうだって良かった。
……あんな魔物に囲まれては、きっと彼女は生きていないだろうから。
自分を責めたい気分だったのだ。
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