09/誘拐と選択
「へぇ。若くて良い女じゃねぇか」
なんというか……そう、品を感じない声。
そして周囲からは今の言葉に同意する声が複数聞こえた。
私は今、抱きかかえられて焚き火近くへと連れてこられた……んだと思う。
焚き火の音が近くになって、暖かさを感じるから多分あってるはず。
「こいつしかいなかったのか?」
「……あとは結構年齢いってるおばちゃんたちだった……です。ボス」
そう言いながら、彼は私を何かの上に降ろした。
地面みたいな感じはするけど、布の感触もするから何か引いた上に降ろされたんだと分かる。
「おい、積荷は詰め込んだのか?」
「へぇボス。あと少しかかります」
「大量ですぜ! 大儲けですわ!」
「ほぅ。そりゃ良かったぜ。手間かけた甲斐があるってもんだ」
……積荷ってもしかしてイングリッド領からの食料のこと?
それを盗むつもりなの!? ってことはこの人たち盗賊!?
どうする?
抗議するべきだろうか?
……いや、抗議した所で無駄か。
せめて兵士を連れているならまだしも、今の私は何の力もないただの小娘だもの。
そもそもそれで従う人が、人様の財産を勝手に奪う盗賊なんてやるはずがない。
護衛の人たちはなぜ動かない?
馬車で一緒に寝てた人たちはなぜ起きない?
少し考えるとすぐにその理由を察せられた。
きっと薬を盛られたんだろう。
商人や手伝いの者には睡眠薬を。
護衛の人たちにはきっと身体の自由を奪う物を。
それなら私だけ今起きてるのも理由に心当たりがあるし。
私だけはご飯を食べていなかったからだ。
ラフィークに落とされて、今もお腹が空腹をほんのり訴えてる。
……今お腹がなったらどうしよう。
寝てる時もお腹の音ってなるものなのかな……?
いや、そんな事より状況把握したんだから、打開策を考えないと!!!
って打開策って何が出来るのこの状況!?
目を開けてしまおうか?
開けた所でどうにもならない気がひしひしとするけども、何も見えない、動いちゃいけないって今の状況だと凄く怖い!!
私が寝ているフリに努めていると、誰かが寄ってきた。
お酒臭い匂いが近づいてくる。……ついでになんか臭います。これは……体臭? うぅ……なんか嫌。
「ほぅ。まだ子供みたいだが、なかなかの上玉じゃねぇか。
これなら高値で売れるぞ。よくやった」
そう言いながら、品のない笑いを上げて、周囲の人も同じような笑いを上げる。
子供子供と失礼なんですけど!
これでも、来年の春には成人なんですけど!!
心の中で猛烈抗議していると、ふいに、頬に手が触れた。
知らない誰かの手。
それはつぅーと首筋へと降りていく。
止めて! 触らないで!!
何とも言えない生理的嫌悪が走る。
多分鳥肌も立ってるだろう。
これでも動いちゃいけないの?
もう彼の忠告なんて知らないと動き出そうとした時。
「ボス!!」
彼の声が響く。
「あん? んだよ」
咎めるような彼の声に、苛ついた声が答える。
「……その、商品には傷をつけない方がいいと思います」
「あん? これは検品だってーの」
「……ですが、初物の方が高く売れるんでしょう?」
絞り出すように言う彼の言葉に、ボスと呼ばれた男は思案したようだ。
商品とか、検品だとか初物だとか。
意味はわからないけど、多分、私は彼に助けられてる。
それなら、彼の言う通り私は寝たふりを続けよう。
……打開する方法は分からないけど、少なくとも現状維持はできるみたいだから。
「――確かに。そうかもしれんなぁ」
「なら……!」
安堵した彼の声音に――しかし、男は言う。
「だが、俺に指図したのは気に食わねぇな。
おい、少し痛ぶっておけ」
「「「へぇ」」」
そして聞こえる、誰がが誰かを殴ったり、蹴ったりする音。
止めて。
お願いだから止めて。
なんでそんなことをするの?
正しいことを言ったなら褒められこそすれ、怒られる必要なんて無いじゃない。
殴られる度に呻き声が聞こえる。
私のせいだ。
私を守ろうとしてくれて、彼はこんなに痛い思いをしてる。
なんで。
なんでそんな事をするの?
助けなきゃ。
なにも出来なかったとしても。
私も痛い思いをするかもしれなくても。
――よし、動こう。
私が動きだそうとしたその時だった。
遠くで「あぉーーーーん」という無き声が聞こえる。
そして同時に遠くから何かが向かってくる音。
こ、今度はなにが起きたの?
「今のはファングウルフの鳴き声か!?」
「お、ボスまずいですぜ! 早くずらかりましょうや!!」
「ちぃっ! 仕方ねぇ。おい、お前はその女を連れて荷台に乗れ!」
「……わかり、ました……」
彼の苦しそうな了承した声。
少しだけ安心する。
大丈夫。動けて返事ができる程度には無事だ。
……かなり辛そうなのは気になるけど。
私は寝たふりをしたまま、彼に抱きかかえられ何かに乗った。
そして動き出す。
かなりスピードを出してるようでがごんがごんと揺れる揺れる。
彼が抱きとめてくれてるから良いけど、これ、普通の状態だと絶対に落ちる!!
「……ごめん……ごめんな……俺……」
彼の悔やむような声が耳元で聞こえる。
寝たふりをやめて、私はうっすらと薄目を開けて……彼を見た。
かなり間近にある彼の顔は、月明かりに照らされてる部分だけでも痛ましく腫れている。
……なんでこんなことができるの?
仲間なんでしょう?
集団のトップともあろう者が、あんな理由で体罰を与えて、どうして人が従うの?
理解ができない状況に、胸の辺りがムカムカする。
身体が熱い。多分これは怒りだ。
こんなに怒ったのは生まれて始めてだわ。
「……大丈夫?」
どう見ても大丈夫ではないけど。
問いかけずにはいられない。
私の声にびくっとして彼は私を抱きしめる腕に力を込めて周囲を目線だけで伺う。
だけど、夜の暗闇でしかも逃げている最中。こちらに注意を払ってる人はいないみたい。
少なくとも私にはそう見えた。
「……大丈夫に見えるか?」
「見えないから心配してるの」
「……悪い」
短く一言。
別に皮肉で言ったわけじゃないのに。
がんがらごろと荷台をつけた馬が疾走する。
狼の吠え声が近づく。
逃げ切れるのだろうか。
いや……逃げ切れても多分、私は商品らしいからどこかに売られてしまう。
そしたらせっかく、貴族を止めてシアとしての人生を歩もうと思っているのが水の泡だ。
「……逃げれないかな」
「……あいつらからか? ……それとも俺達からか?」
”俺達”という言葉に違和感を感じる。
いや……違和感はずっとあったのだ。
どうして彼は私を少しでも助けようとしてくれるのだろう?
道中の彼の様子は、そんな不審なものじゃなかった。
もちろん潜入するような人が、盗賊っぽい態度をするわけないけど。
でも、私には普通の男の子に見えた。
盗賊の一味だなんて、今も違和感しか無い。
……何か理由があるのだろうか。
「貴方は逃げないの?」
「……逃げれるかよ」
当たり前の事聞くな、と小さく付け足して言い放つ。
盗賊事情は知らないけど、多分抜けようとすれば仲間を売る可能性があるから制裁されるのかもしれない。
……そして、きっとまっとうな組織でない以上、その制裁は命を奪うことだろう。
それとも何か他に事情があるのだろうか。
「なぁ」
歯がゆい思いで彼を見てると、彼はぽつりと疲れたように呟く。
「……真綿でゆっくり苦しめられて死ぬのとさ。
運がすげー良ければ……生き残れるけど、多分食われて死ぬの。どっちが良い?」
それってどういう……?
も、もしかして、この荷馬車から降りろって事ですか?
「……早く、決めろ。タイミング図るから」
短く言い放つ。
ど、どっちがマシだろう。
あぉんあぉんと狼達の鳴き声が近づいて、もう視界に入る距離だ。
決断は迫ってる。
どくんどくん大きく早鐘のように鳴り響く心臓を抑えた。
私はどうしたい?
もちろん死にたくはない。
屋敷の皆が悲しむだろうし、私の我儘を聞いて送り出すんじゃなかったと、きっと凄く後悔をしてしまう。
それに、せっかく私は自分で決める権利を得たのだ。
その自由を失いたくない。
――あぁ。なんだ。決まってるじゃない。
真綿で首を締められるというのは、多分何の自由もないままに死ぬという意味だ。
それなら――それなら万が一の可能性にかけた方がずっと良い。
「……可能性にかける方が良い」
「――分かった」
彼の腕が震える。
バレればきっとまた仲間からの制裁が待ってるからだろう。
いや。もしかしたら――自分の手で私を殺すかもしれないことが怖いのかもしれない。
……やっぱりこの人が盗賊団にいるのは変。
こんなに優しい普通の感性の人が、あんな理不尽な命令を与える集団に居るなんて……絶対におかしいよ。
「くそっ!! 追いついてきたぞ!!!」
「暗くて馬がスピード出さねぇんだよ!」
「ムチを使って走らせろ!! おい、小僧! その積荷落とすんじゃねぇぞ!!」
「……へぇ。分かってます」
彼の担当してる積荷というのは当然私だ。
……私を逃がして彼は本当に大丈夫なの……?
――そう問いかけようとした時だった。
遠くで大気が震えるような大爆発が起きる。
そして同時に、その音に驚いた馬が暴走を初めて荷台が大きく揺れた。
がごんっ。
大きく荷台が跳ねる。
その瞬間――彼の手が私から放された。
彼は、どこか苦しそうな顔で笑ってる。
祈るような、期待するような、許しを請うような目。
けど、それを見たのは一瞬。
私は放り投げられる形で地面に落ちる。
ごろごろと転がって、ようやく止まった。
……凄く痛い。
もう泣きたくなるくらいに辛い。
――けど。
顔を上げ、彼の方を見る。
怒声が聞こえた。
でもまだ、暴力は振るわれていないようだ。
きっと逃げるのに必死なのだろう。
それだけは少し――ほっとする。
……私の今の状況は安心とは程遠いけど。
周囲を囲まれてるような感覚。
低い唸り声と、生き物特有の荒い呼吸。
……囲まれてる。
自分で選んでおいてなんですが、この状況で生き残るというのはなかなか絶望的では?
立ち上がり、周囲を見回す。
こういう時いきなり逃げ出すと、即座に襲われるらしい。
……じっとしてても襲われるのだから、時間の問題とも言うけど。
ファングウルフ。
盗賊たちはそう言っていた。
確か狼によく似た魔物で、特に特殊な能力はけど普通の狼よりも体が大きいと聞く。
それと、牙が特徴的で何度も生え変わり硬度もあるため、なかなか高値で売れるという。
……うん。最後の情報は今の私にはどうでもいいなぁ。
身体の節々が痛む。
けど幸いなことに動けないほどの痛みじゃない。
緊張で息は苦しいけど、まだ何か出来るはず。
街道から追いかけてきたファングウルフ以外に、左右の森からも見えてくる。
……逃げるのは無理だ。
なら、戦う? どうやって?
こういう時に、お母様みたいに魔術が使えたなら。
きっとどうにか出来るのに。
――仕方ないのかな。
自分の我儘を貫いた結果だ。
駄目でも無駄でも。
走って逃げてみよう。
もしかしたら万が一があるかもしれない。
よし。と気合を入れたその時だった。
ふいにがくんと膝が折れる。
力が抜けて、地面に倒れ込む。
――え、い、いきなりなんなの?
こんな状態じゃ逃げれない!!
せっかく覚悟を決めて走って逃げようと思ったのに!!
彼が私にくれた可能性なのに!!
しかも視界がかすみ始めた。
いよいよ拙い。私、このまま死んじゃうの?
くらくらする頭でせめて何か出来ないかと周囲を見る。
すると、何かがこっちに向かって来ていた。
……ってなんですかアレは。
頭がくらくらしていたのなんて、吹き飛ぶほどの珍妙なもの。
月明かりの中、爆走してくるのは――黒くて大きい何かに乗った……何か。
ディティールが近づく程にはっきりしてくる。
はっきりしてくるけど……私は余計に混乱した。
黒い何かは猫がそのまま大きくなったような感じで、口に見覚えのあるカバンの様な物を咥えている。
そしてその上に乗ってる何かはもっと理解し難いもの。
長いたれた耳をなびかせて。
お鼻とお口がとてもプリチー。
両手はもふもふしていて――それは、どうみてもウサギだった。
――なんであんなのが……。
私は訳の分からない状況にまた頭がくらくらしだす。
なんだろうこの感覚、どこかに自分の中の何かが抜け出ていくような……。
霞む視界。
誰かの声。
ファングウルフ達の悲鳴のような鳴き声。
そして――私の意識は暗転した。
お読み頂きありがとうございました。




