01/日常が変わる日
私、アリシア・イングリッドの毎日は変わらない。
カーテンの隙間から差し込んできた光に眩しさを覚え、朝が来たのを悟り目を覚ます。
「――んぁ……」
眠い目を少し手で擦って、ぐぃーっと寝台の上で体を伸ばしてぼーっとすることしばし。
ぼんやりと天井を見上げている間も、カーテンの隙間から太陽が朝だと主張をしてるのを認識して、ようやくまどろんだ気持ちを切り替える。
「んっ……んんー……!」
体を起して、もう一度腕を伸ばして寝台から降り、昨夜用意しておいた水差しと桶を使って顔を洗う。
そろそろ冬が近づく秋だからか、一晩放置しておいた水は冷たい。けどその冷たさが逆にしゃきっと起してくれるから割と好き。
顔が洗い終わったら顔を拭いて着替えた。
今日の気分は……どれだろう?
……少し寒いみたいだから暖かめの格好にしておこうかな。
軽く身支度が整ったら、厨房へと顔を出す。
そんな大きなお屋敷ではないけれど、二人の料理人がせわしなく朝食の準備を整えていた。
「おはよう。マーサ。カクル」
「ああ、お嬢様。おはようございます」
「おはようございます! お嬢様!」
肝っ玉母さん(と誰かが言っていた)なマーサとその息子カクルはにこやかに私に挨拶をしてくれる。
今日も朝から気分が良い。
二人の笑顔につられるように私も笑顔になっちゃう。
「今日の朝食はいつも通り卵とパンとハムになりますけど、卵はどうしますかぃ?」
「そうね……今日はスクランブルエッグでお願い」
「わかりましたお嬢様! では自分が腕によりをかけて作ります!」
はきはきと言ってくれるカクルに「よろしくね」とお願いしてから、私は厨房を出る。
そのあとは家令に今日の予定を確認した。
継母様と弟と共に朝食をとってから、メイド達と一緒に屋敷の掃除との事。
私の掃除の速度は早くないから、早めに朝食を終えないといけないな。
メイドのみんなは私に掃除なんてさせられないと最初は言っていた。
けれど、今では慣れたものだ。
自分の手を見てみれば、メイドのみんなほどじゃないけど、私の手は”働く手”になってきたと思う。
たった四年位しかしてないけれど、それが誇りのようで――ちょっと寂しかった。
我が家は貴族だ。
貴族といってもピン切りからある身分の中での最下層の男爵――下級貴族と呼べる類のものなので、あんまり偉くはない。
しかし、辺境ながら肥沃な領地を治める貴族でもある。
国家の食料庫として繁栄してきたので、多分豊かな方だと思う。
権力は乏しいけれど、お金はある。――そんな一族。
「領民と共に暮らし、手を取り合って、私たちはお互いに繁栄していくんだよ」
小さな頃にお父様がそう言って領民たちと一緒に笑いあうのを見て、とても素敵な光景だなと思った。
私もいつか領民達と一緒にあんな風に笑えるのかなと期待したものだ。
しかし、そんな風に思った数年後。
お母様は死んでしまった。
はやり病だった。
そして――それは領民達から流行ったものが感染ったのだろうと言われていた。
それからお父様は変わってしまった。
領主としての仕事は果たしているけれど、昔みたいに私を連れて領民達に会いに行こうとしなくなった。
ほとんど書面ですましてしまい、領地の現状視察をしなくなり、ひきこもるようになってしまった。
さらに数年後、お父様は再婚をした。
それが今の継母様だ。
最初は優しかった継母様だけれど、弟を産んでからは弟に付きっきりになった。
でも、気持ちはよくわかる。
弟はものすごく可愛いんだもの。
もちもちした肌にちっちゃな手足――あれは愛さずにはいられない。
十歳の時、継母様の要望で私はお嫁にいくことが決まった。
家督を継げる弟がいる以上前妻の子であり、女である私が居るのはお家騒動に繋がるからという理由らしい。
私としても弟と争いなんてしたくもないので、素直に了承した。
婚約者は何度か会ったことのある、隣領地の息子さん。
私より三歳年上で一緒に本を読んでくれたりする優しいお兄様という感じの方。
親に決められた結婚だけれど嫌ではなかった。
ただ、お母様との思い出の残る家から出る事が少し寂しいとは感じたけど。
何かが変わり始めたのは、その頃からだろうか。
「嫁ぎ先の隣領地は代々続く由緒ある貴族だけれど、先代が失敗をして没落しかけています。
人を雇う余裕は無い筈だから、貴方が家の仕事をしなさい」
継母様は私にそう言って、私にいろいろな仕事を命じるようになった。
領主の子としての勉強よりも、それらを優先することになる。
初めは自分の部屋の掃除をするように言われた。
これは苦じゃなかった。
自分で部屋を綺麗にしたり整頓をすると達成感みたいな物があって、結構好き。……大掃除しないといけないような場所はちょっと面倒だからなかなかやる気になれないんだけど。
次にメイドが居なくても身なりを整え生活できるようになりなさいと、幼馴染だったメイドを遠ざけられた。
彼女はクビになった訳じゃない。――けど一緒にいると彼女が注意を受ける。
なので、私の方から出来るだけ近寄らないようにした。
十二歳の頃お父様がこの世を去ってしまい、家は継母様が仕切るようになる。
――結局、幼馴染は辞めさせられてしまった。
……継母様は私の大切だと思ってる人を奪いたいのだろうか、とその頃はよく思ったものだ。
お父様がいなくなって財政が不安になり始めたから、人員削減は必要だったのけれど。
泣きながら、私との別れを惜しんでくれた彼女は元気かな。
手紙をくれると言ってたのに届かないのは……なぜだろう?
便りがないのは元気な証拠と言うし、そうであって欲しい。
寒くなってきた秋空を見上げてぼんやりそんな事を考えていると、冷たい北風が吹いた。
――なんだか、感傷に浸ってないでさっさと仕事しろと言われた気分。
……まぁ、このままぼんやりと玄関先の掃除を続けて風邪をひくのも馬鹿らしいので、ちゃっちゃと終わらせますか。
ざっざと落ち葉を掃いていると、門の方から馬の嘶きと車輪の音が聞こえてくる。
今日は誰か来るなんて聞いてないけど……。
――掃除は途中だけど、この場から早く離れた方がいいのかな。
仮にも貴族の子女が玄関先を掃除しているとか、流石に変な噂が立っちゃうかもしれないし。
でも、まだ落ち葉の山を取りきれてない。
これはこれで玄関先が汚れているのは、貴族の屋敷としてメイドの仕事がなってないとか、メイドのみんなが怒られてしまうかも……。
どうするべきかと悩みながらも、とりあえず掃除を優先させる。
よく考えたら今の私はメイド服を着ているので、どう考えても貴族の娘には見えないし。
知り合いじゃなければ私が誰なんて気づかないと思う。……多分。
しばらくすると門が開いて誰かやって来た。
私は掃除の手を止めて顔を伏せて頭を下げる。
これなら私が誰だなんて気づかないでしょ。
メイドのフリをして流したほうが問題は少ないと思うし。
それに、私に連絡が来てないということは継母様のお客様だということだ。
つまりは私の顔を知ってる人である可能性はとても低いということ。
そう思っていたのに、足音は私の前で立ち止まった。
どうしたのだろう。
何か粗相をしちゃった……?
あ、それともここは顔をあげて笑顔で挨拶する方がよかった?
慌てて顔をあげてにこやかな笑みを浮かべて挨拶をしようとした所で思わず息を飲む。
さらりとした黄土色の髪の男性がそこに居た。
本来なら優しげな黒い眼は、驚きを隠せぬまま痛ましそうに私を見ている。
見知った人物に戸惑いながらも、私は淑女らしい笑みを浮かべて彼に挨拶をした。
「――お久しぶりです。エリック様」
あぁ。なんてことだろう。
――婚約者のエリック様にこんな姿を見られるなんて。
お読みになって頂きありがとうございました。