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奇蹟の一球

作者: 青空

あなたは、当然のように明日が来ると思っていませんか?一日一日大切にしていますか?

 俺は、普通に野球ができていればそれでよかった。だけど、病はそれを邪魔をする。俺は何のために生きて、何のために野球をすればいいのか迷っていた。

「あなたは、筋萎縮性側索硬化症です」この日から、俺の中では時間が止まった。その病の異変に気付いたのは、2日前です。あれは、俺が野球部に所属して半年が過ぎていた頃、その日は先輩とキャッチボールをしていました。先輩とのキャッチボールは最初は緊張してうまく投げられませんでしたが、今はここ最近、慣れてきて、うまく投げられるようになりました。ですが、この日だけはなんだかうまく投げられなかったのです。というか、投げたいのに体が動かなかったのです。「どうした?」と先輩が心配そうに声かけてくれました。「なんだか、投げたいのに投げられないんですよ」といったら、「病院にいってきな」と言ってくれました。それから部活が終わって、徒歩で家に帰る途中になんもないところで、転んでしまった。そこから、体の異変に気が付きました。それから、異変に気付いてから1日を置いて、病院に受診したがすぐに大学病院の神経科に行くように言われ、大学病院にいった。そして、最初に戻るが告知をされた。ちなみに、筋萎縮性側索硬化症という病気は、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。簡単にいうと運動神経が障害される病気ですね。治療は、治す薬はなく進行を遅らせる薬ならあるらしい。余命は2~5年とスマホに書いてあった。俺はまだ16なのに、まだ野球もしたいのにどうしたらいいのか、頭の中が真っ白になった。隣にいた母もなんだか寂しい顔になっていた。

 それから帰って両親と話した。学校はこのままでいいのかとか、部活は続けるのかとか話した。その結果、学校はそのまま、部活もそのまま継続となるが、病気の進行具合を考えてまた考えることにしました。なぜ俺は、こんな病気にかかってしまったのか考えてしまった。そして部活には迷惑かけられないので、監督と部員には告知をした。みんなの顔は、暗い表情になった。でも、俺は病気なんかに負けるわけにはいかない、甲子園に行きたい。夏悔しい思いをしたから春の甲子園には出たい。投げたいと願って今日から必死で部活に打ち込んだ。だが、病気は俺の夢を邪魔をする。病気の宣告を受けた二週間後には、歩けなくなってしまった。そう、車いすの生活になってしまった。部活は、上半身はまだ動けるので、キャッチボールをやっていた。試合には当然出れない。でも、みんなが頑張ってくれる姿は俺が一番わかっている。試合の時は、応援に回って皆をサポートしている。この幸せな時間が続けばいいなと思っていたが、ここから俺の体は猛スピードで症状が進行していく。

ある日、「うわ~!!俺の体が!!」突然、俺は動けなくなってしまった。そう、病気のせいでその日から寝たきりが始まった。昼間は、ヘルパーさんがきてくれて、夜は、両親がみてくれる。運動神経が壊れる病気なので、感覚は障害されないので、尿とか便とか感じる。もちろん、熱い、冷たいもわかる。それから、俺は、テレビを見ているだけになった。自由が利かないため、ボールを投げることも学校に行くこともできない。たまに、部員は顔出してくれるけど、練習で疲れている中来てくれる。なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 俺は、ヘルパーの人にこんなことを聞いてみた。「山本さんは、生きているときってどんなときですか?」っと聞くと、「仕事をしているときですかね?」って答えた。たしかに、人間は動いていることが奇蹟であって、当たり前に明日があって、当たり前に動いて、当たり前に学校や会社にいけて、そんな当たり前の生活を奪われた俺は、何のために生きているのかわからなくなってしまった。

 そしてそんなある日、病院の先生が来てくれたので、聞いてみました。

「先生、俺って何のために生きているの?」っと、すると先生は「野球をするために生きているんじゃないの?」と笑って答えた。「でも、こんな体になっちゃったし、野球なんてできないよ!!」って俺はいった。先生は、「病気になっても、野球できる方法を一緒に考えようよ!!先生は、野球めっちゃ下手だけどね」っと答えた。俺は、少しずつであるが生きる希望を取り戻した。

 それから、俺は一生懸命野球をできる方法を考えた。部員も一緒に考えてくれた。どうしたら、投げられるようになるか、そういっているうちに、病気は進行し、とうとう人工呼吸器をつけるかつけないか判断しなくてはいけない時期になってしまった。両親とも相談した。

「あなたには長く生きてほしい」「でも、俺はやだ」

 俺がなぜ、呼吸器をつけたくない理由としては皆に迷惑がかかるからで、精いっぱい生きたからである。もちろん大好きな野球が最後までできなかったのは悔しいけど、人生に悔いはないと思いました。そして、両親と再度話した結果、人工呼吸器なしという選択をした。

 俺は残り少ない時間で、手紙を書いた。部員、先生、両親にあてました。そして、市町村にも手紙を出しました。

「市長様へ、僕は、青木大輔です。ALSという病気にかかっています。市長さんにお願いしたいことは、障害者の人に住みやすい市にしてくれると嬉しいです。点字ブロックを多く使用したり、スロープを作ったりしてほしい。僕からのお願いです。どうか、明日しか生きられないかもしれない、明日を大切に生きたい人のためにどうか、そういう市にしてください。お願いします。」っと送った。さっそく、市は動き出した。駅前やコンビニ、ファミレスには点字ブロックを使用し、スロープも建物全体に設置してくれるようになった。よりよい市へと移り変わっていった。

そして、俺は病気を発症して一年、天国へと旅立ちました。


「お~い!!皆行くよ!!甲子園!!」

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