つなげることば
眠ったままの兄の傍で時間が経つのを待っていた。
ただ時間が過ぎれば終わる、正直そう思ってしまう自分がいた。
僕は心のない人間だ。
兄はまだ明日を見ているのだろうか。
何も変わらない毎日が、とても辛く、長かった。
僕は兄に合わせるように息をした。
病室には兄に繋がっているあの嫌な機械の音だけが聞こえていた。
力強い鼓動は、またあの時と同じように、兄の横たわるベットを動かした。
多分、あの時と変わったのは僕の明日だけだろう。
そこにはもう明日はない気がしていた。
希望が無くなった訳ではない。
きっと今でも兄は信じているだろう。
そうでなければ、もっと前に終わっていたはずだ。
早く良くなって欲しい、また話をしたい、そう思っているのに。
あの時、僕が病室に戻って来た時から、僕は兄と一緒に過ごした昔の事ばかり考えていた。
その懐かしい思い出は、兄との明日を、更に少しずつ僕から奪っていった。
何度も、何度も、明日を見ようとしたが、僕には無理だった。
今でも何故かわからない。
ただ、懐かしい思い出はすべて涙に変わった。
今までの事は悲しみに、そして、これからの明日は見ることが出来ない。
兄に話し続けた頑張れという言葉は、さようならと言えない弱い自分に対してだったのだろうか。
そして、その時は突然やってきた。
あの嫌な機械の音が急に速度を変え、止まりそうになっては、また動き出した。
僕は兄のベットに座り、兄の身体を揺らした。
何日も前から、いつかこの時が来るとわかっていた。
兄との明日を見ることが出来ない僕が、何故そうしたのだろう。
静かだった病室には、看護師や医師達が、慌ただしく出入りし、治療を続けた。
治る事はない、延命だとわかっていた。
どのくらいの時間かわからないが、医師達が兄の回りを囲み、何か話をしていた。
その間、僕は ただ震えながら兄を見ていた。
暫くして、担当医師が振り返り何かを話したが、僕には聞こえなかった。
聞きたくなかったのだろう。
そして医師が時計を見て、時間を言った。
ただ涙が流れた。
何も考えられずただ泣いた。
兄の悲しみは、きっと僕のそれより深く、比べることなど出来ない。
僕は、涙を抑えることが出来なかった。
静かな真夜中の病院に、兄の名を呼ぶ声が響いた。
どのくらいの時間かわからない。
ただ、止められない時間の流れだけが悲しかった。
1時間が10秒と変わらない早さで過ぎていく。
勝手に時間がすぎていった。
兄のいなくなった部屋から離れたくなかったが、
僕は一人で先に家に戻らなければならなかった。
葬儀の手配をし、親戚や兄の友人に連絡しなければならなかったからだ。
少しだけ、ほんの少しだけ時間がゆっくり止まっていく気がしたが、気のせいだったのか、また早く進み始めた。
家に着き、連絡先を知るために兄の手帳を探していると、涙が止まらなくなった。
兄の部屋、兄の机、服、鞄、写真、手帳の文字。
兄との思い出はすべて涙に変わっていった。
昨日ま でと何も変わらないのに。
写真の中の笑っている自分が、なぜか悲しかった。
どれくらいの時間がたったのだろう。
気がつくと外が明るくなっていた。
今日は晴れている。
あの時と同じように。
最初に兄の友人に電話をかけた。
小さな頃から一緒に遊んでもらい、兄の事は一番理解していると思ったからだ。
声が似ていたのか、兄と間違えたその友人は、
「久しぶりだな元気か?
「こんなに早くどうした?」
と、そう僕に話した。
何も言い出す事が出来なくて、しばらく黙っていると
「何かあったのか?」
と、心配そうに言った。
僕は、
「和也です。兄が、」
とだけ話し、泣き出してしまった。
「本当なのか?どうして?そんなに悪かったのか。」
「すぐに行くから。大丈夫か?、今から行くから。」
兄は少し体調を崩し、入院するとだけ、話していたようだ。
まともに話せなくなっていた僕は、ただ
「ありがとうございます。」
とだけ話し電話を切った。