表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ずれ

作者: KARYU

 俺こと八幡誠は十八の時、異世界と思しき所に行った。

 誰かに呼び出されたとかではなく、次元の隙間的な物に入り込んだだけだった。


 その世界には、時々俺の様に、他の世界から訪れる者がいるらしい。

 『来訪者』と呼ばれ、どこからともなく現れたかと思うと、『遺跡』と呼ばれる施設から帰っていくらしい。


 人種は全然違う様に見えたが、言葉は通じた。現地の人から情報を集め、帰るためにどうすればいいか、知ることが出来たのは幸運だった。

 ただ、その『遺跡』とやらは結構遠くにあるらしく、またこの世界は人を襲う魔物が跋扈しているため、戦う力が必要だった。


 ここでは金もコネもないから、ハンターと呼ばれる連中の手伝いをして、日銭を稼いだ。

 武具が買えるほどの金は稼げなかったので、道具を買い、木の枝や石で武器を作り、戦った。


 理由は判らないが、何故か自分の運動能力が上がっている。そのおかげで、弱い魔物相手なら十分に戦えた。そして、魔物を倒すと、妙に力が湧いてくることに気付いた。

 自分だけで戦うようになってからは、稼ぎも増えた。その金で武具を買い、更に魔物を狩っていく。


 稼いだ金で長距離を旅するための装備を調達して、『遺跡』に向け出発した。

 日が暮れそうになり、キャンプを張ろうと適当な場所を探しているとき、森の中で中学生くらいの少女、林美咲と出会った。

 明らかに現地人とは違う人種。日本人と思しき顔で、セーラー服まで着ていた。

 日本人かと問うと、泣きながら抱き付かれた。

 事情を聴くと、いつの間にかこの森の中にいて、半日くらい彷徨っていたらしい。何の装備も無しに魔物と出くわさなかったのは単に運が良かったとしか言えない。

 キャンプを設営して色々話をすることにした。ちなみに、魔物避けの結界を張れば、見張り要らずだ。

 旅に出ようと決心したのは、この魔物避けの存在があったからだ。

 強力な魔物には効果が薄いが、街道から大きく離れなければ、それもあまり心配いらない。むしろ人間の方が危険かもしれないので、街道からは少し離れて移動する。


 自己紹介の後。俺がこっちに来てから集めた情報を説明し、一緒に『遺跡』へ向かうことになった。

 中古で買ったテントがそこそこ大きかったのも幸いした。


 美咲にも戦って貰うことにした。

 理由は判らないが、俺は魔物を倒すことで、急速に強くなれた。多分、美咲も同様に強くなれるだろう。


 初めは抱き付いて泣いてしまったことを恥ずかしがっていた美咲だったが、すぐに打ち解けた。

 もっとも、言葉は通じても現地の人間とは話が通じないので、自然俺しか話し相手も頼れる相手もいない。

 俺の事を兄の様に慕ってくれている感じだ。内心では見捨てられない様に必死なのかもしれないが。

 俺は俺で、もし妹がいたらこんな感じだったのかな、などと温いことを考えていた。


 道中魔物を狩りながら移動し、途中の町で換金、食料などを補充し、宿に泊まる。

 宿では別々の部屋にしようと思ったのだが、どうせ旅の間は同じテントで寝ていることもあり、同室でいいと言われた。

 ただ、頬を染めながら言わないで欲しい。妹みたいに思っていても、そんな風にされると意識してしまう。


 更に移動を続けていて、また日本人らしき女性と出会った。

 彼女は高校生で、水森桜と名乗った。

 桜の場合、現れた森の中でいきなり現地人に襲われそうになったのだが、ちょうどそこに魔物が通り掛かって現地人と殺し合いを始めたらしい。

 不意打ちを受けた現地人は殺されてしまったが、魔物の方も無傷では済まず、現地人が持っていた剣を使って無事魔物を倒し、強くなれた様だ。

 その件があって、現地人は信用せず、一人で魔物を狩っていたらしい。俺たちの話を聞いて、一緒に旅をすると言い出した。

 とても悪人には見えなかったので断る理由も無く、美咲も喜ぶと思って快諾したのだが、何故か美咲は不満そうにしていた。


 一緒に旅を続けていて、桜とも徐々に打ち解けていった。

 そして、この世界に来る前のプライベートな事柄を話し始めて、実はご近所さんらしいことが判った。

 ただ、何故か話がかみ合わない。

 住所から近所だと判るのに、周辺にある店舗や建築物が食い違っているのだ。

 暫く話をして。俺は、パラレルワールド説を唱えた。俺と桜は、別の地球から来たのではないか、と。

 桜もそれに異は唱えず、そうなってくると今度は何が違うかを確認するのが楽しくなってくる。

 一方、美咲は住んでいる県からして違うし、俺たちが住んでいる所は修学旅行などで来る様な場所でも無かったから話が通じず、不貞腐れて先に寝てしまうことが多くなった。

 申し訳ない気にもなったが、それでも桜との話は楽しく、また元の世界へ戻る気力も増してくるので話が止まらなかった。


 桜は十分に強く、魔物との戦いでも背中を預けるのに安心感があった。そして、俺と息も合った。

 美咲も強くなってはきているが、まだ中学生で体格差もあり、戦闘ではどうしても一歩引いてしまう。

 二人とも結構な美人さんなのだが、やはり年が近い桜の方に惹かれてしまう。それが美咲にはバレている様で、色々と俺の気を引こうとしてくれるのが、兄の恋人にやきもちを焼く妹の様で微笑ましい。実際には恋人でも妹でもないのだが。


 かなり『遺跡』まで近づいたところで、美咲が倒れた。

 近くの町の診療所へ駆け込む。

 どうやら風土病に罹ってしまったらしい。

 ただ、病名もハッキリしていて治療法も確立されており、十日ほどで完治すると判って安堵した。

 美咲は置いて行かれるんじゃないかと泣きそうな顔をしていたが、絶対にそんなことはしないからと、抱きしめて説明したら、顔を真っ赤にしてひっくり返ってしまった。


 治療費がそれなりに掛かるため、桜と二人、魔物を狩りに出ることにした。

 町の付近はあまり獲物がおらず、少し遠出する必要があった。

 それを告げると、美咲は悔しそうな顔をして不貞寝してしまった。


 獲物を求めて山を登っていると、いきなり土砂降りになった。

 大した雨具も持っておらず、途中で見かけた洞穴へ避難する事にした。

 辿り着いた頃にはすっかり下着までずぶ濡れ状態だった。

 幸い、以前この場所で休憩したらしい人が薪に使える木材を残してくれていた。

 火をおこし、服を乾かすことにしたのだが、日帰りの予定だったので着替えなど持っておらず。

 それでも着たまま乾かすには気温も低く、気まずいけど全裸になって服を紐で吊るした。

 桜も「仕方ないよね」と全裸になった。

 気になる相手の裸を見て、高校生の俺が反応しない訳もなく。

 ソレを見て、桜は真っ赤になって目を逸らした。尚更気まずい。

 気も無い相手の前で全裸になったりはしないよね、などと自分勝手な考えが頭を過ぎる。

 どうにか理性を奮い立たせていると、桜の方からそれを崩しにかかった。

 「誠は、あたしのことどう思っているの?」

 この状況下でそんなことを言われ、俄然期待してしまう。

 「……多分、惚れてるんだろうな」

 「ソレ、あたしに惚れてるからそうなっているの?」

 「……桜くらい綺麗なやつの裸を見たら、誰でもこうなる」

 「もう。そこは、惚れてるからって言ってよ」

 「桜に嘘を吐きたくないから」

 そんなことを言い合いながら、俺たちは結ばれた。


 雨が止むまで待っていたら、日が暮れてしまった。

 早く帰らないと美咲が心配するので、町へ急ぐ。

 またお互いの『地球』について話をしながらの移動。

 そう言えば、まだ誕生日を聞いていなかったなと確認する。

 返って来た答えを聞いて、笑ってしまった。聞いたことも無い元号。やはり、パラレルワールドなのだと再確認。

 俺の誕生日を教えると、桜も驚いていた。


 美咲の病気も治り、『遺跡』への旅を再開した。

 途中、何度か美咲の目を盗んで桜と二人きりになろうとしたのだが、美咲はそれを許してくれなかった。

 逆に、美咲は俺と二人きりになろうとしていた。どうやら、美咲には関係の変化を感づかれているみたいだ。


 あるとき、俺を残して桜と美咲の二人でどこかへ出かけて行った。

 戻ってくると、美咲がこれまで以上に俺にべたべたし始めた。

 ……どういう話し合いがあったのだろう?


 それから程なくして。

 ついに、『遺跡』に辿り着いた。

 中にある魔法陣らしき物に乗れば、元の世界に戻れるという話だが、真偽は不明だ。何せ、戻った後にまたこちらへ来た人間がいないのだ。

 この世界から消えるのは現地の人間が確認しているので間違いないのだろう。ただ、本当に元の世界に戻れるのか、それとも別の世界に行ってしまうのか。その辺りは不明だ。

 そんなことを考えていると。

 桜が涙を流していることに気付いた。

 別れを惜しんでくれているものと思っていたのだが。

 「誠……もう、あたしのことは忘れてちょうだい」

 どうして、そんなことを言い出したのか、判らなかった。

 別々の世界に戻るのだから、もう会うことはないだろう。

 だが、それでも。忘れる必要は無いだろう。

 呆然としていると、桜は美咲に目を向け、美咲は頷いて見せた。

 「誠さんの事は、私に任せてください」

 そんな事を言う美咲に押されて、俺たちは魔法陣に乗った。

 魔法陣が光を発した。

 我慢できなくなったのか、桜が俺に口づけをした。

 「……さよなら」

 桜の声を最後に、俺は闇に包まれた。


 そうして。

 俺は元の世界に戻った。



 ***



 異世界では半年くらい経っていた筈だが、戻って来たのは、こちらの時間で二日後だった。

 親は失踪の翌日には捜索願を出していたらしく、俺の目撃情報を元に警察が捜索していたのだが、俺は彼らの目の前に出現した。

 暫くは『神隠し』と騒がれ、オカルト系の雑誌だけでなく普通の週刊誌にも記事が載ったりした。

 さすがに高校生だったこともあって、氏名が記事に載ることは無かったのだが、どこから嗅ぎ付けたのか、直接俺に取材を敢行するやつらもいたりした。

 ただそれも、半年もすれば沈静化した。



 ***



 大学在学中、元号が変わった。

 それは、桜が誕生日として告げた『平成』だった。

 そこでようやく、俺は思い違いをしている可能性に気付いた。

 愕然とした。

 恐らく、桜は俺の誕生日が『昭和』であると告げた時点で、このことに気付いていたのだろう。

 美咲からは、誕生日を聞いていない。

 美咲が桜から俺を託された様なことを言っていたのは、ひょっとしたら俺とそこまで歳が離れていないのかもしれない。


 もちろん、本当にパラレルワールドであった可能性はある。

 だけどそれも、時間が進むにつれ、そうではないという思いが強くなっていった。


 時間と共に、街並みが変わっていった。

 桜が言っていた内容に、どんどん近付いていく。

 俺は目指していた職種に就くことをやめ、在宅で出来る仕事を始めた。

 収入は少なかったが、親から相続した家があったので、生活に支障はなかった。


 街並みがほぼ桜から聞いた形に変わり。自宅の正面に、夫婦連れが引っ越して来た。

 名字は『水森』と言うらしい。



 ***



 桜から聞いた誕生日が過ぎた。


 家の前で呆然としていると、向かいの水森夫妻が、ベビーカーを押している姿が見えた。

 挨拶しつつ、彼らに近づく。

 ベビーカーを覗き込んだ。

 「赤ちゃんが生まれたんですね。この子の名前は何て言うんですか?」

 期待しつつ、それを訊ねる。

 「先月生まれたんですよ。名前は桜にしました」

 やはり、そうなんだね。

 「桜ちゃんって言うんですね……いい……名前で……」

 涙が溢れ、それ以上言葉が続かない。

 やっと、会えた。

 やはり君は、俺の事に気付いたんだね。

 俺が独りぼっちで過ごすことを知っていたから、自分のことを忘れろなんて、言ったんだね。

 「ど、どうかなさったんですか?」

 桜の父親から、心配そうに声を掛けられる。

 「いえ……ちょっと、昔のことを思い出してしまいまして……すみません、失礼します」

 俺は自宅に逃げ帰った。

 これ以上、桜の傍に居たら、自分でも何を言い出すか判らない。


 若い頃から自宅に引きこもっていて、訪ねてくる人もあまりおらず、俺は近隣住民からは変人扱いされていた。

 一応在宅で仕事をしているのだが、周囲からは判る筈もない。

 桜のことが忘れられなかったから恋人とかも作らなかった。


 まだ老人というほどの歳でも無かったが、俺は隠居老人の様に、桜の成長を見守っていた。

 小さい頃の桜は普通に挨拶をしてくれていたが、水森夫妻は俺の事を気味悪がっているみたいだった。



 ***



 桜が大きくなるにつれ、顔を合わせるのが辛くなっていった。

 どんどん、俺と会ったあの桜に近付いていくのだ。当人なのだから、当たり前の話だが。


 家の前で顔を合わせる度に俺が涙目になるものだから、桜からも変な人扱いをされる様になった。

 物悲しくもなったが、涙を止められない俺が悪いのだから仕方が無い。



 ***



 桜が高校三年生になった。もうすぐ、桜は神隠しに遭う。

 桜から聞いた話では、夏休み中のことらしい。


 俺は、どうしようか。


 悩んでいるうちに、期日が迫る。

 仕事にも手が付かず、オロオロしていると。

 呼び鈴が鳴った。

 誰だろう?

 思考を放棄して玄関に出る。

 そこに居たのは、サングラスをかけた妙齢の女性だった。足元にはキャリーバッグ。旅行者だろうか?

 「お久しぶりです、誠さん」

 女性がサングラスと取ると、どこかで見た様な目が見えた。

 「……まさか、美咲、なのか?」

 「はい。来るのが遅くなって申し訳ありません」


 家に上がって貰い、話を聞いた。

 やはり、美咲は桜から詳細を聞いており、俺のことを託されたみたいだ。

 「もっと早く来ることも出来ましたが……桜さんに勝てる自信が付くのに時間が掛かってしまいました」

 言うだけあって、美咲は滅茶苦茶綺麗になっていた。

 年齢は恐らく三十手前くらいか。髪は、桜と同じくらいの長さ。当時はショートヘアで、それはそれで似合っていて可愛かったのだが。今は、美人という形容がしっくりくる。

 単純に、桜に勝ちたいのであれば。桜がもっと小さい頃に来れば済んだ話だろう。

 そうせずこのタイミングで来たのは、あの時の桜と真っ向から勝負したかったのか。

 俺なんかのために、そこまでしてくれることが嬉しくもあり、また申し訳なかった。

 「あの……ひょっとして、私の仕事、ご存知ないです?」

 「……え?」

 美咲が何を言っているのか、判らなかった。

 「はうぅ。有名人気取りでサングラスなんて掛けて来た私が馬鹿みたいじゃないですか……」

 ブツブツ言いながら、美咲はテーブルの上のリモコンを手に取った。

 「今の時間なら……と」

 美咲がTVを点け、チャンネルを変える。

 「あ……」

 ちょうどいいタイミングで、CMが流れたらしい。

 画面に、美咲が映っていた。

 「ひょっとして、女優か何か?」

 俺の答えに、美咲はがっかりした様子でため息を吐いた。

 「はうぅ。やっぱり知られてなかったのかぁ。これでも、最近売れて来たんですよ? 芸名は……勝手ながら、『八幡美咲』って名前でやらせていただいてます」

 美咲は頬を染め、そっぽを向いた。

 「八幡美咲って……」

 思わず俺まで照れてしまった。


 美咲は長期の休暇を貰っているらしい。というか、そう出来るようにずっと前から調整して来たと言っていた。

 泊めて欲しいと言われたが、断った。俺の中では、まだ桜への想いが大きい。あの世界から戻って来た桜と話をしてからでなければ諦め切れない。

 美咲もそれは判っていたようで、あっさりと引いた。というか、ちゃんとホテルは押さえていた。携帯の番号を交換した後、宿泊先を書いたメモを残してホテルへと引き上げて行った。



 ***



 桜が、居なくなった。神隠しに遭ったのだ。

 やはり俺は水森夫妻から不審者扱いされていて、怪しい人物として警察に告げたのだろう。

 桜が居なくなった現場はここから結構離れているにも関わらず、何故かうちに警察が来た。これには俺も苦笑いするしかなかった。

 俺が経験した神隠しの話をしてもよかったが、警察に当時の資料が残っているのかも判らないし、変に事情を知っているとまたあらぬ疑いを掛けられそうなので、やめておいた。

 そんなことがなかったら、気休め程度にでも水森夫妻に教えたかもしれないが、最早そんな気にはなれなかった。

 そのことを電話で美咲に話すと、笑われてしまった。

 「そんなことより。誠さんは、桜さんが戻ってくるまで待っているつもりですか? おそらく戻った直後の桜さんも冷静じゃいられないでしょうし、今の状態のご両親を相手にしたら、話がこじれそうじゃありません?」

 そう言われると、そんな気がして来た。

 桜も冷静に考えれば、こんな年寄りの相手なんてしようとは思わないだろうが、戻った直後だったら感情に突き動かされてしまいかねない。

 俺としてはそれでも嬉しいが、本意ではない。ここまで待ったのだ。そんな衝動的な気持ちではなく、しっかりと考えて、答えを出して欲しい。

 美咲には申し訳ないが、やはり俺は、桜のことが諦められないみたいだ。だから、桜に判断を委ねたいと思う。


 翌朝、俺は旅支度をして、駅へと向かった。美咲とは、駅のホームで待ち合わせだ。

 美咲は、明るい色合いのブラウスとロングスカートを着て、帽子とサングラスを身に着けていた。

 その立ち姿は若々しく、とても三十手前には見えない。

 美咲の方に歩くと、美咲も俺に気付いた様子で駆け寄って来た。

 「お待たせ」

 「ううん、私もついさっき来たところよ」

 まるでデートの待ち合わせみたいな会話をしていると。

 不意に、付近の人間が俺たちを囲む様に動いた。

 「警察だ! その場から動くな!」

 別に拳銃を向けられた訳では無かったが、その剣呑な空気に身を固くしてしまった。

 周囲の一般客がざわつく。

 「署までご同行願いたい」

 俺に近付いて来た警察官らしき男が、警察手帳を見せながらそう言った。

 「いったい何の容疑で?」

 俺ではなく、美咲がそれを訊ねた。

 「……あなたへの誘拐容疑です」

 目の前の男は、怪訝そうに美咲を見た。どうやら、美咲を桜と勘違いしているらしい。

 確かに、背格好も髪の長さも同じくらいだが。サングラスをしているとは言え、よく確認していれば違うと気付けた筈。

 ……どれだけ疑われているんだよ、俺。

 警察が確認を怠るくらいには疑われているんだろう。泣くぞ?

 「事務所から捜索願でも出されているんですの?」

 言いながら、美咲はサングラスを外してみせた。

 「……ええっ!?」

 ようやく、目の前の男も他の警察官たちも、美咲が桜ではないことに気付いたらしい。

 そして、周囲の一般客は更にざわついた。

 「おい、あれ、女優の八幡美咲じゃね?」

 「マジか! ひょっとして、ドラマか映画の撮影?」

 「でも、カメラとか何処よ?」

 「撮影じゃないとしたら、あの男はいったい」

 「ひょっとして、恋人か!?」

 「やべ、スクープじゃん!」

 喧噪はどんどん酷くなっていく。

 「女優のプライベートを暴き立て、交際相手の一般人に迷惑をかけることがお仕事ですか? 事務所から正式に抗議させていただきますわ」

 ちゃっかり俺を交際相手として喧伝する美咲。

 思わず笑ってしまいそうになったが、目の前で青くなっている警察官たちには笑えない話だろう。


 そのままでは目立ち過ぎて動けなくなりそうだったから、結局警察署まで連れて行って貰った。

 美咲は署に行っても怒りを露わにしていて、先ほどの警察官の上司と思われる人に文句を言っていた。

 そこへ。

 水森夫妻がやって来た。

 「桜を! 桜をどこへやったんですか!?」

 奥さんが俺に食って掛かろうとするのを、警察官が間に入って止めた。

 旦那さんの方は幾分落ち着いた様子で俺たちの傍まで歩いて来た。

 「……八幡さん。あなたは、うちの桜のことを随分と気に掛けていらしたと思います。桜の行方について、あなたなら何かご存知ではないかと、警察の方に相談していたのです。不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」

 一応、こちらの状況は聞いている様子だが。その言い方だと、俺が桜に危害を加えるとは思っていないが、ストーカーばりに桜の事をつけ回しているんじゃないかと思われているっぽいな。

 奥さんの方は、状況を確認した上でなお俺が桜をかどわかしたと決めつけているのか。

 この様子じゃ、仮に桜が今の俺とでも付き合うと言っても、絶対反対されるよな。

 「水森さん。桜さんが何処で姿を消したのか、俺は何も聞いていませんが……何事も無ければ、恐らく明日、消えた場所に戻ってくると思います」

 俺の言葉に、美咲以外は全員ポカンと呆けた。美咲は「それ今言っちゃうの?」って顔をしている。

 数舜の後。

 「なっ、何かご存知なんですね!?」

 美咲以外の全員に詰め寄られた。

 「県警に記録が残っているか判りませんが……今回の事は、三十年ほど前にあった神隠し事件と同じです」


 その場だけでなく、署内の他の部署にも、当時のことを覚えている人はいなかった。

 記録も、そういう事件があった、という事しか残っておらず。俺が口で説明しても信じて貰えないんじゃないかと思ったのだが、それでも説明を乞われた。

 向こうの世界の詳しい話は省いて説明した。

 俺と美咲が、いつ頃神隠しに遭ったということ。

 その神隠しでは、別の世界としか思えない所に行ったこと。

 神隠しに遭う時期は違うのに、何故か向こうで合流したこと。そしてそれには、桜も加わっていたこと。

 俺たち三人は、向こうから戻れるという場所まで辿り着いたこと。そして、無事に戻れたこと。

 戻った場所は、神隠しに遭った場所だったこと。

 向こうでは半年ほど経過していた筈なのだが、戻って来たら二日しか経っていなかったこと。

 それらの経験から、桜が消えた場所に、明日、桜が現れるだろうということ。

 それらを話した上で、俺は暫く桜とは会わない方がいいと思っていることを告げた。

 理由を問われ、

 「俺と桜は、向こうでは恋仲だった。そうなった後、桜は俺が誰であるか、気付いたみたいなんだ。そして戻る直前、あたしの事は忘れて、と。そう言っていたんだ。俺にとっては三十年くらい前の話だけど、桜にとっては、ついさっきの出来事だろう。だから、戻ってすぐに俺と再会したら、桜も冷静な判断が出来ないんじゃないかと」

 俺からの説明を受けて。

 水森夫妻は複雑そうな顔をしていた。

 「あなたは……生まれる前から、桜のことをずっと待っていたんですか」

 「ええ。俺はこっちに戻ってから、桜から聞いた話は未来の出来事なんだと気付きました。そして、あの家に住み続けていれば、いつかまた、桜に会えると思っていました」

 待ち続けた年月を思い出してしまい、思わず涙が溢れてしまった。

 「俺は……再び桜と結ばれようだなんて、思ってはいません。……だだ……会いたかった……愛した相手と……また会えることが分っているんですから」

 声が掠れてしまったが、それでも話を続けた。

 「一目、会いたかった……ただ、それだけでよかった。だから……生まれたばかりの桜を見て……俺の目的は果たされた。だけど……桜が大きくなっていくのを……見守っていたいとも思ってしまった。そんなんだから、ストーカーと思われていても仕方がないですよね」



 ***



 翌日。

 桜が無事に戻ったとの連絡を受け、俺は美咲と旅に出た。

 一応、まだ重要参考人的な扱いで、警察からの監視を受け入れていたのだ。

 移動中、桜の父親から、桜が俺に会いたがっていると連絡を受けた。

 ……忘れろ、なんて言ったくせに。

 そのことがやけに嬉しかった。

 美咲は、そうなることを予想していたみたいだが、それでもやきもちを焼いていた。

 今は、美咲の想いを受け止めようと思う。

 長年想いを募らせて来た心情は、俺にも痛いほどわかる。多少は報われて然るべきだ。


 最終的にどうするかはまだ決めていないが、俺もまだ冷静ではないことを自覚している。

 美咲からは、

 「私のことも愛してくれるのなら、正妻じゃなくても構わないから」

 なんてことを言われた。

 でも、さすがにそれは、不味い……よね?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ