ふぃにっしゅ
目立つ筈の姿を探すが、予想に反し直ぐには見つからなかった。
しばらく近場をぐるりと回ってみたけれど飛び出た白い耳はどこを探しても確認出来ず、もしかしたらあの被り物は脱ぎ去ってしまったのかもしれないと踵を返した。
馬鹿ウサギ。
私の知ってるあんたの顔は、ちょっぴりフワフワであんまり可愛くない造形の白い兎なんだよ。
それが無かったら人波に埋もれて絶対見つけられないんだから。
ぶすりと悪態をつきながら帰路を歩く私の横を、小学生くらいの子供たちが通り過ぎた。
さっきでけーウサギ野郎みたぜ!あれ変態だよ、かあちゃん言ってるもん。警察か?警察だ!お巡りさんに変質者いたって言いに行かなきゃ!
一人の男の子の肩を思わず鷲掴む。驚いて動きを止めた彼らに向けていつもの営業スマイルを貼り付け、変質者が何処にいるのか尋ねれば若干引き気味に教えてもらえた。
「行かないほうがいいよ!危ないよ!」と心配されたので、これでもお姉さんそのウサギ男を逃げ帰らせた事あるから大丈夫だよ、と言えば少年達の柔軟な脳内処理の元、最後にはキラキラした眼差しで見送られた。
キーコキーコ。
寂しげな音を鳴らすブランコに座る姿にどっと脱力した。
ウサギの頭部は健在であった。図体のデカいウサギ男が公園のブランコに乗りながら哀愁を漂わせている姿は、ずいぶん近寄り難いものがあった。
さっきもベビーカーを押した若いお母さんが私の横で同じ光景を見た後、すぐに回れ右をして去って行った。
とりあえず横に立ってみたが、奴が気づく気配は無い。
同じように隣のブランコに座ってみる。聞こえた軋む音にようやく私の存在に気がついたウサギは、動揺したのか自分のブランコをガッチャガッチャ鳴らしていた。
「約束のこれ」
DVDの袋をウサギに向けて突き出した。受け取るそぶりを見せなかった為、無理矢理押し付ける。
「意外と面白かったよ。私だったら絶対自分から見ないようなやつだから、何だか新鮮だった。でも一つ言わせてもらえば、そんなに好きだったら全部かなぐり捨ててぶつかって行けばよかったのよ、ヒロイン達はさ」
つぶらな瞳は感情を隠して私を見返していた。
被り物の下の顔は今、どんな表情を貼り付けているのだろうが。
人の感情が分からない事が、こんなにも自分の中の苛立ちを生むのだと思ってもみなかった。
「好きならさ、自分をさらけ出して想いを全力で伝えてみなきゃ分からない事だってあるんだよ。結局、ヴァンパイアの彼は彼女を信じきれなくて想いを隠したまま元の世界に戻って行ったんでしょ。もちろん、そこで追いかけなかったヒロインにも問題があるけどね。でもそんなの、私から言わせれば臆病者の自己満足だよ」
ウサギの中から僅かに息を飲む音が聞こえた。
初夏の暑さがじんわりと染み渡り、彼の首筋に一筋の汗が流れるのを見つめた。
「ねえ、ウサギ。あなたはどう思ったの?」
返答次第では、私は彼に言わなければならないことがある。
今までの不毛なやり取りも今日で終わりにする。彼に対して無関心ではいられなくなってしまっている私は、今後の身の振り方を考えなければならないのだ。
「…………僕は、」
いつもの様子から想像もつかない程小さな声は、心地良い静かな重低音であった。
「……僕も……映画の彼はずるい奴だと思います」
言葉を選ぶように話す姿は、私の知らない彼。ようやく彼の本質を少し垣間見れた気がする。
「……自分自身では何一つ彼女のために行動を起こせないのに受身の愛ばかりを強請って、そしてとうとう逃げ出してしまった」
キィ。小さく軋むブランコは彼のようだと、らしくもない事が頭を過ぎった。
「美しいヴァンパイアの青年の脆さと儚さを美学としたストーリーなんでしょうけど……でも、」
「でもあなたは、それを私に勧めたのよね?」
皺になる程自分のズボンを握りしめる彼は次の言葉を選びかねている。
ウサギの頭部は徐々に俯いていった。
「……同じなんです、僕も。ずるいんです。自分を偽るばかりで僕自身は何一つさらけ出せていない」
本当そうね。と同意すれば目に見えてウサギは落ち込んでゆく。
「正直困ったわよ。さっき追いかけた時その頭の取っ払ってたらどうしようかと思った。顔も知らないって何よ」
「……はい」
「叫んで呼んで見つけてやろうと思っても名前知らないし」
「…………すみません」
「しかも何、その哀愁。その頭つけてても、そもそも中身合ってんのって話。すり替わってても分かんないわ」
「…………」
もうぐうの音も出ない様で、ウサギはひたすら重苦しい陰を背負った。
以前は話を聞かない猪突猛進の面倒臭い奴という認識であったが、これはこれで先が思いやられるかもしれないと溜息が漏れた。
するとウサギの中からズルズルと鼻をすする音が聞こえた。よく見れば僅かに肩が震えている。
「……ちょっと、もしかして泣いてんの?」
問えば、ううっ……。とくぐもった声が聞こた。
やだ、ちょっと待って。メンタル豆腐並なの?それとも私の口が爆弾投下してたの!?
「……ずびばぜんっ」
もうどうすれば……!
予想外の出来事に弱い私は現在アホ面を晒している事だろう。脳内に住まうもう一人の私はあたふたと忙しなく動いている。
とりあえず落ち着かせようと彼の背中をポンと叩けば、大袈裟なほどビクリと体を震わせた。
「ちょっと私、言い過ぎたかもしれない……」
猛烈に反省する横で、ウサギは頭がもげるのではというほど首を横に振った。
「違いますっ。全部僕が悪いんです。……言われた事が全て的を得ていて……本当、その通りだと思います。こんなんで、僕の何を貴女に知ってもらおうと思っていたのか。今なら全てが間違っていたんだと分かります。自信がないのと、まともに話せないのを言い訳に僕は貴女に甘えていたんです」
ズビズビと鼻をすすりながら話すのはいいが、中の顔は大丈夫なのか。ぬぐう様子は見せておらず、汗と涙と鼻水のオンパレードは凄そうだ。
「どうしてそうなっちゃったのか教えてもらっていい?」
「……劇団員仕込みの振る舞いの事ですか?これはリア王の……」
「そうじゃない。いや、そこも含めて頭の被り物とか全部だよ」
白い耳が一度うなずいた。
「これは、友人たちがアドバイスしてくれて……。お近づきになりたい女性がいるけれど、恥ずかしくて上手く話せないし、顔もまともに見れないと言ったら色々と教えてくれたんです」
「被り物は」
「これ、遊園地でアルバイトした事がある友人が貸してくれたんです。被ってれば赤面してるとこも半べそかいてるところもバレないぞって」
「芝居掛かったキャラクターは」
「……芝居掛かった……。劇団員の友人がいて、上手く話せないなら台詞として身につけておけって、とっておきと言っていたのを教えてもらいました」
ああ、だから会話が一方通行だったのね。
というか彼含めて本気でそれで大丈夫だと思っていたのか。むしろこのウサギが友人たちにからかわれていただけのようで、何だか不憫に思えてきた。
お近づきになりたい女性、のくだりは言った本人も気付いていないようなのでとりあえずスルーする事にした。
「まあ、記憶に植え付ける、という意味では斬新で正解ではあったよね」
「こ、これでも最初はこんなの付けずに話しかけようとしてたんですけど失敗ばかりで……」
「え?素の状態で来てたことあるの?」
「もちろんです。これでも二年以上は通っています」
「二年!」
あまりの長さにクワッと顔が強張る。
「うちのコンビニの近くに住んでらっしゃるんですか?」
「自宅は最寄りの駅から三駅ほど先にあります」
「お仕事は……」
「変則的に依頼の入ってくる仕事をしていますが、活動の拠点は東京になります」
隣県……!
ますますうちのコンビニから遠のく。
「また、遠路はるばる。ご苦労様です」
「好きな人に会うためには大した事ではないです」
ちゅどーん。私の背後が空爆により砂煙を巻き上げた。
とんでもない事になっている私の顔を見て、彼も同様に動きを止めた。
ウサギの頭部から覗く首元が瞬時に真っ赤に染まりそのまま沸騰してしまいそうだ。
「あああ、ああの、あのっ!」
「待て、たんま、ステイ。自滅するな」
「あのぼぼぼぼく、いまっ……!」
「うん、分かってるよ、分かってるから。とりあえず今のは忘れるべき?胸に刻むべき?」
「むねにきざむ……!」
「ああ、うんごめん。言い方悪かったわ。だから身悶えないで」
ウサギはあわあわと白い顔を手で覆っている。
どんどん収集がつかなくなってきた。どうしようかと少し遠い目をしていた所に、ガッチャンというブランコの音が聞こえた。
ウサギは固く拳を握り、こちらを見下ろしている。
相変わらず大きいなぁと私は見上げた。
「……刈谷さん、貴女に聞いてもらいたい事があります」
鈍い動作でウサギはその頭部に手をかけた。
ためらう遅さで少し持ち上げると、最後は勢い良くウサギの被り物を取り去った。
さらりと柔らかそうな髪が舞う。
目元を赤く染めた憂い顔が私を見つめていた。
「貴女の感じている通り、僕は臆病で、ずるくて、自分からは何ひとつ上手に行動できない人間です。こうやって顔を晒して、ありのままの自分でお話しできたのは今日が初めてです」
形の良い眉がキュッと歪んだ。
「貴女に好かれる要素など何も無い事は重々承知しています。それでも僕は、貴女の事が頭から離れないのです」
長い睫毛に覆われた澄んだ瞳は静かに私を映している。
一度だけ彼は口を引き結ぶと、意を決したように口を開いた。
「申し遅れました。僕の名前は良知優介といいます。貴女のことが好きです」
とても緊張している事が分かるその姿を、ただ呆然と見上げた。
私も何か言わなくては。上手く働かない頭を何とか起動させようともがいたが、このポンコツ頭はプシューと煙を出している。
というか、告白とかそんなものの前に一つ突っ込ませてほしい。
「二年以上の片想いですが、この想いは色褪せるどころか膨れ上がるばかりです。今は断られてしまうことは目に見えていますのでお返事はいりません。本当の僕を知っていただいて、いつか……。いつか、答えを聞かせてください」
僅かに残る涙の跡が見えた。
顔面成功者はそんなものも彼を輝かせる材料の一つとなるらしい。
「それはあなたの言葉ですか?」
わなわな震える口を動かす。
あんたは……、あんたは……。
「はい!……嘘偽りない僕の言葉です」
少しすっきりした面持ちを、ほんのりピンク色に染め上げる彼に絶句した。
何であんたが、私に告白をするのだ。
ようやくウサギは戦闘力ゼロの甲冑を脱ぎ捨て、本来の姿である神の申し子へと戻ったのであった。
《補足》
神の申し子は一話目にちょろっと出てきます。