ほっぷ
「いらっしゃいませ~」
コンビニと書いて〝変人が集まる場所〟と読む。
店内を見渡せる場所から、ぼんやりと佇みながら客を迎える台詞を発する。
その言葉に覇気がないのはご愛嬌だ。どうせ誰も聞いてなどいないのだ。
コンビニに訪れる様々な人種達は、今日も頭にカオスな思考を巡らせているのだろう。
ほら見ろ、おにぎりコーナーに新発売のいくらサーモンをスンスン臭いを嗅ぎ分けて選別している奴がいるじゃあないか。
帰れ。今すぐ握ったやつ全て買い取って帰れ。やたら滅多体温が移った握り飯なんか誰も望んじゃいない。
「刈谷さん、ただでさえあのおにぎり中身生物で出来てて腐りやすいのに、あれじゃあもう食べたら食中毒かもしれませんよ。注意してきてなんて言いませんから、奴の手にあるおにぎりをおにぎり煎餅にすり替えてきて下さいよ」
「嫌だよ。シンジ君がやってきてよ、それ」
改めて言う。
コンビニと書いて〝変人が集まる場所〟と私は読む。
毎日毎日、様々なおかしな客達が集う。
例えば、バナナ婆さん。
彼女は二日にいっぺん、食品コーナーの片隅にひっそり陳列するバナナのみを買い来る。
バナナなんぞ売っていたのか、すごいなコンビニと思ったものだ。
しかしバナナ婆さん、バナナが売り切れていると発狂し出す。
そりゃあもう、血管が切れて死んじゃうんじゃないかってくらい。
店長とたまたま居合わせたアルバイトの私とシンジ君(18歳)はそればかりが心配で、徒歩五分の距離にあるスーパーまでバナナを買い求めに男子高校生は走った。
彼は後に語る。
『ババア、スーパーのが品揃えがいいって何で気づかねーんだよ。うちは一本売りしかねえだろ。あっちのはなあ、一本なんてみみっちいもんじゃなくて大世帯のバナナ一家なんだよ。オレにバナナ家持たせて全力疾走さすんじゃねーよ!』
最後の一言が、一番の本音である。
その日からバナナは毎日店頭に並ぶよう店で徹底するようになり、他の従業員達にも再教育が行われた。
例えば、紅髪の怒れるケルベロスお兄さん。
こいつは、オレに触れたら2秒後にはその腕ピキーンって破裂するぜ、って奴だ。イメージは胸に七つの傷がある方じゃなく、馬で人間つぶせる奴の方。
何でも、高校生にして巷で有名な族の総長をしているらしく、指一本で人を殺せるだのとまことしやかに囁かれている。
そんな超人もここ、元気にニコニココンビニエンスストアの常連さんだから、世の中狭いなあと思う。
彼はいつも、沢山の小学生以下の子供達を連れながら来る。
それはもう、保母さんも舌を巻いて逃げるような誘導術を持ってしてだ。
兄ちゃ、兄ちゃ。子供達にそう呼ばれ、抱き付かれ、体を登られ、カゴの中を満ぱんにされ、急所にぶつかられ、それでも体操のお兄さんより素敵な笑顔を見せる彼を、恐れられている通り名をもじって“紅髪の怒れるケルベロスお兄さん”と呼んでも仕方のないことだと思う。
しかし彼も、レジでの僅かなやり取りの間だけは総長の顔に戻る。
その恐いの何のって。
お兄さん仕様しか見ていなかったシンジ君は調子に乗って『みんなかわいいですね』と言ってみた事がある。
あくまで軽い世間話的な台詞は、彼の中で誘拐寸前の幼児趣味のある変態の台詞に成り下がったらしい。
横で見てて死んじゃうかと思った。
その日より、シンジ君は殺傷能力のある『いてまうぞビーム』の餌食になっている。
例えば、貞子。
何故かいつも同じくすんだ白いワンピースを着、黒いしっとりとした長い髪で顔を覆っている。
彼女が来店すると、店内にいるだいたいの客は距離をとりながら逃げ去ってゆく。
誰だって、ビデオを回さなければ呪い殺される、なんて事にはなりたくない。
しかしここはお客様がいてなんぼのコンビニエンスストア。
店を無人にしたあげく、ナメクジのように店内を徘徊して眩しい日差しの中帰っていくだけの客に店長は頭を悩ませていた。
その時立ち上がったのが、ミサキちゃん(17歳)だった。
女には女の繊細な対応が良いのよ、と言いながら向かって行く彼女を、幽霊だけどね、と思いながら強い気持ちで見送った。
僅か一分後にはミサキちゃんの怒声が響き、心配になって駆けつけた店長と私が見たのは、貞子に掴みかかる(襲いかかる)ミサキちゃんの姿だった。
店長が走り寄り、女子高生は激情のまま貞子の服を引き裂き、貞子は恐怖におののいていた。
何かが床に落ち、私はそれを拾い上げる。胸の大きさを気にする女子が胸に当てるアレだ。
視線を上げると店長とミサキちゃんの動きが止まっており、貞子は真っ平らな胸を震わせいた。
『…男…?』
みんなの言葉だった。
映画リングのファンであろう仮装趣味のある女だと思っていた人間は、ファンであることはさながら、女装癖のある男でもあった。
貞子は今でも来る。
止めればいいのにと思うが、それが彼のアイデンティティかもしれないと皆で諦めた。
例えば、妖怪あたためて下さい。
奴の妖怪度は私が一番良く分かっている筈。
一見、エリート商社マンといった風貌だ。 綺麗に整えられた髪型に、趣味の良いスーツ姿。細身の眼鏡が知的な30歳前後の今流行りの雰囲気イケメン男だ。
妖怪は主に平日の、月曜と金曜を除いた日にやって来る。私のバイトのシフトは、火水木の17時半からと土日は入れる時にとなっていて、つまり妖怪は、会社帰りに私がいる日を狙って来店しているのだ。
妖怪はまず、珈琲一本とパンを一つ迷うことなく選んでレジへと来る。
バーコードを読みとらせている私を穴が開くほど見つめ、必ずお釣りが出るように支払う。
私がお釣りを渡そうとするときが奴の狙いらしい。妖怪は釣銭を持った手を厭らしく引っ付かんで『俺をあたためて下さい』と熱を籠もった目で見てくるのだ。
当初、うろたえる私に妖怪は舌なめずりしながら近づいて来るものだから、次からは即答で断る事を覚えた。
今では、お釣りは手で渡さずカウンターを滑らせている。
こうして店で妖怪は“刈谷さんのお客さん”として暗黙の了解が生まれた。
実はもう一人私の客なるものがいるが、カウンターにあるチュッパチャプスを相手の目と鼻と口に埋め込んでやりたいくらい、理不尽な事である。
例えば、神の申し子。
元気にニコニココンビニエンスストア一番の超絶男前客である。
神の申し子と言っても過言でない彼は、いたいけな小動物でもあった。
さながら仔ウサギ。
来なきゃあいいのに、ビクビクしながら勇気を振り絞って定期的にやって来るのだ。
入口の開閉の音に体を跳ねさせ、帰ったかと思えば僅かな物陰に隠れている。
しまいには、出て行く彼に『ありがとうございました』と言うとビクリと反応し、涙目のまま全身を真っ赤にさせて全力疾走で去って行った。
彼の男前度に目を付けたミサキちゃんが交流を試みようとした事が一度だけあった。
ナイーヴな面には目をつむるという彼女にしては非常に珍しい妥協だったが、神の域の美男を目の前にそんなものは鼻くそのようなものだと彼女は言った。
で、何があったかと言うと、泣かせた。彼女が神の申し子を、だ。
彼女が話しかけいるにも関わらず、申し子は彼女を通り越して潤んだ瞳で私を一心に見つめてきた。申し子を助けるべく彼女をたしなめる。
すると、ポロリポロリ。宝石のような涙を流し出した申し子に私たちは絶句し、雷で打たれたような激しい罪悪感にみまわれた。
あのミサキちゃんを素直に謝らせた強者が誕生した瞬間でもあった。
小動物は刺激しないよう気配を殺すべし。
当たり前な事を忘れていた私たちは、彼が来店する時は暖かい目で静かに見守るようになったのは言うまでもない。
前置きが随分長くなった。
本当なら1日かけても説明し足りないくらいのユーモア溢るるお客様達がいるが、ここでは割愛させていただく。
とにかく一番言いたいのは、誰でも気軽に来店できるコンビニという場所は、変人しかり、変態しかり、私たちのキャパを遥かに超えた方々に会えるのだ。
冒頭で述べた言葉に誤りがあった事を訂正しよう。
コンビニとは、変人が集まる場所の代名詞などではない。
コンビニとは、カオスなのである。
「刈谷さん、起きてます?刈谷さんのお客さん、今日も来たみたいですよ」
今日は土曜日。
平日以外に来店して“私の客”と呼ばれるのは、妖怪あたためて下さいの方じゃない。
土日のシフトは一律じゃないのに、どうしてか奴は私の出勤日時を把握しており、週一の割合で私の平穏を削げ落としにやって来る。
奴のあだ名は、爆走ラビット。
このコンビニ来店客の変人中の変人。むしろ人間なのかも危ぶまれる。
彼の格好はセンスの良い、それも一級品と思われる服装で身を包んでいる。スタイルも悪くはなく、服に着せられていることは一切ない。
問題はその“上”にある。
男はいつも頭に、ウサギの着ぐるみの頭部を被っているのだ。
「いらっしゃいませ〜」
そう言えば、レジに立つ私の元まで迷うことなく一直線。
身長が高いのはもちろん着ぐるみの頭部が邪魔をして入り口に引っかかりそうになるのを、その滑らかな身のこなしで優雅にかわしている。
彼が来る様になってからどれくらい経つのだろうと考えて、去年の冬にモコモコと暖かそうなダウンを着ていたオモロスタイルを思い出した。