祟り神と鬼姫②
「鬼姫。それが私の名前だ。赤井神社に祀られた祟り神の名前だ。まぁ、私は祟り神と呼ばれるのは嫌いだが」
女の赤い瞳が妖しく光った。
魅入ったように崇志はその瞳を見つめた。
鬼姫。それは赤井神社の文献に伝わる、井戸に封じられた鬼の名前である。
「それで?お前は誰だ?」
女、鬼姫が崇志に尋ねてきた。
崇志は頭を掻く。
「赤井崇志」
崇志が名乗った途端、鬼姫が目を見開いた。
「お前が新しい祟り神で、赤井家の当主。やっぱり死ね」
「何で死ななくちゃいけないんだ。俺が何をした」
鬼姫の罵詈雑言に崇志も声を荒げた。
崇志は怒っていた。先ほどから聞いていると、彼が特に悪いことをしたわけではないのに鬼姫の崇志に対する態度は厳しく、彼の癇に障る。もはや崇志の中では先ほど彼女の顔を足蹴にしたことは忘れている。
憤る崇志に対して鬼姫は彼から視線を外しながら口を開いた。視線の先には赤井神社の本殿がある。
「何で私の神社がボロボロなのか知っているか?」
崇志の顔が再び青褪める。彼女の怒りの理由は理解出来た。
鬼姫は彼を睨む。
「答えを教えてやるよ。お前が神社の手入れを怠ったからだ。せめて一年に一回くらいは掃除をしろよ、ボケ。神社がボロいと私も気持ちが悪くなるんだよ」
鬼姫の目にはうっすらと涙が浮かんでいるような気がした。罪の意識を感じた崇志は鬼姫から逃げるように目を逸らしながら言い訳を考えた。
「というか、お前は鬼で、この神社の神様じゃないだろう?」
「私は鬼だが、この神社の神様だよ」
「へ、へぇ。どうやら少しだけ勘違いをしていたようだ。俺はてっきり、この神社には神様はいないと思っていたから」
「何だ?言い訳か?」
「ちょっ、ちょっと待った。そ、そもそも祟り神に神社の運営を任せること事態間違ってるんだよ」
「あぁ?」
地から響いたかと思うほど、鬼姫から低い声が響いた。
「お前ら祟り神が私に神様になるように頼んだのだろう?お前らが神社を祀るのが常識だ」
「えっと、いや、そんな昔のこと言われても」
「『私達は人間と共に暮らし、人間として生きたい。私達の不幸と厄災を鎮めるために力の強い私にここで眠ってくれ』って滅茶苦茶理不尽なことを言って私をこの神社に封じたのを忘れたのか?」
「いや、あの、知っているような、知らなかったような」
「ふ、ふっざけんなぁああああああああああ」
鬼による鬼のような形相で雄叫びを上げる。
鬼姫の話聞いていると、さすがに気の毒になってきた。
「あっでも、考えてみたら当主は俺じゃなくて年配であるじいさんじゃん」
(つまりじいさんの所為)
心の中で祖父に責任を押しつけてから真っ直ぐに鬼姫を見つめた。
「俺は悪くない」
堂々とした崇志の態度に鬼姫の眉間に皺が寄る。
「赤井智樹は赤井家に婿に来たわけだから当主の資格はない。そもそも智和は祟り神では無く、普通の人間だろう?覚えておけ。私の神主として必要なのは祟り神の血筋だ。つまりお前が犯人だ。償え」
鬼姫はどこかのドラマの主役のように、人差し指を突き立てて崇志に向けてきた。
(人に人差し指を向けるな)
気分を害しながらも崇志は背中に引汗が流れるのを感じた。どうやら悪いのは崇志という流れになってきている。智樹はほとんど家に居ないため、神社の管理をしなくてはいけないのは崇志であり、責任の多くも彼にあるのは確かなのだ。
「償うって何を?」
崇志が恐る恐る聞くと、鬼姫は顔に手を当てた。
「無論、神社の復興だ。今や私の神社は誰ひとり参拝に来ないどころか、ホラースポットとして名を馳せている。そのことが前々から気になっていたのだ」
「言っておくが参拝者がほとんどいないのはずっと前からだぞ。俺の所為じゃない」
「それは知っている。故に私の封が解けたことを機に再興していこうと思っている」
「それを俺に手伝えと?」
「そうだな。私の神社の神主に手伝ってもらいたいのだが」
明らかに嫌々な顔をする崇志を鬼姫は上から下まで不躾に観察した。それからため息を吐いた。
「チェンジで」
「は?」
鬼姫の脈絡を得ない発言に、崇志は間の抜けた声を出す。すると、「こんな簡単なことも分からないのか」と鬼姫は出来の悪い生徒を前にしたように声を強める。
「お前じゃ私の神社の神主として相応しくない。すぐに私の神社の神主としての地位を誰かに譲れ。早くチェンジしろ」
失礼な物言いに当然ながら崇志は機嫌を悪くする。鬼とやらが外来語を使うことも少しショックを受けた。
「何で初対面のお前にそんなことを言われないといけないんだ。祟るぞ?」
別段神主の地位がほしいわけではなかったが、誰だって面と向かって否定されるのは苛立たしい。彼の怒った態度を気にも留めず鬼姫は堂々と答える。
「私はお前とは格の違う神だからな。あらゆるものが視え、分かるのだ。お前は神主としては良くない」
「だから、そもそも祟り神を神主にするってことが変なんだよ」
「ふん。私にとって、貴様のような祟り神の力くらいどうってことないさ。第一、人間如きに私を祀る役目が務まるものか。しかしなぁ、お前は良くないものを憑けているから苦手だ」
鬼姫にきっぱりと断言された。
崇志は納得がいかなった。
「いったい何が視えるんだ?」
「そうだな。色々視えるが」
鬼姫は考え事をするように、少し間を置いた。真剣な目付きで鬼姫が崇志を見つめる。
「まず魔法の文字である『魔名』が視えるな」
「何だ、それ?」
胡散臭い視線を向ける。魔法の文字なんて聞いたことはなかった。しかしながら先ほど見せられた金色の文字が脳裏を過った。あれのことだろうか。
鬼姫がさっと手を払った。
先ほど視た光を放つ文字が、火の粉のように飛び散った。
「こういう文字のことだが、まあ、深く考える必要はない。要は、その人物の特性が分かるとでも思ってくれ」
説明を受けたが未だ納得は出来なかった。
「その『魔名』が視えるからって、俺の何が分かるんだ?」
「だから言っているだろ。お前の特性が分かると」
「つまり、俺の特性は良くないと」
今まで様々なところで祟られている等と言われてきただけあって、崇志に驚きはない。確かに呪われているような人間が神主というのは不吉だろう。ところが鬼姫は曖昧な表情を浮かべる。
「まあ、そうだが、注目すべきはお前に憑いている悪霊のことだ」
「悪霊?」
「今はいないが、赤い着物を着た少女の霊だ。あの娘はこの土地でかなりの問題児の霊だが、どうやらよほどお前が気に入ったらしい。本来なら祟り神に守護霊など憑かないのだが、もはやお前の守護霊的立ち位置になってしまった」
「ああ、あの子か。なんかこの神社に来てからずっと憑きまとわれているんだよね」
げんなりと崇志が言った。あの少女とは長い付き合いだ。まさか彼女が彼の守護霊として働いているとは知らなかった。
「本来なら宿主の周りの『魔名』を良くすることが守護霊の日々の職務なのだが、あの悪霊娘はむしろ悪くしている。言いかえればお前は呪われているわけだ」
少しだけ同情するような表情で崇志を視る。
一方で崇志はやはりなあと頷く。生まれてから16年、本当に不幸続きだった。祟り神だからしょうが無いとも思っていたが、実際そうではないようだ。いずれにしろこのままでは普通の人間になっても青い鳥を捕まえることはできない。
「俺が呪われているのは了解した。それで悪霊である彼女をどうにかすることは出来るのか?」
自分でも馬鹿げたことを聞いていると思いながらも尋ねずにはいられなかった。一応目の前の女は井戸から出てきた時にも、種も仕掛けもなさそうな光を出現させている。彼女の胡散臭い話を信じて良いと思うようになっていた。
しかし鬼姫は再びため息を吐いた。
「そんなことは出来ない。そんなことよりも大切なのは次の神主のことだ」
薄情にも聞える答えに崇志は思わず泣きつきそうになる。
「おい、本当に方法はないのか?」
思わず鬼姫の角を掴む。さすがに呪われていると分かると気分が悪い。前後に角を動かした。
鬼姫は迷惑そうに顔を顰めて崇志を引き離そうとした。ところが崇志の力が意外に強くなかなか放れない。
「分かった。私が後であの悪霊娘に悪さをしないようにかけ合ってやるから、角から手を放せ」
鬼姫が先に折れた。
崇志は名残惜しそうに手から力を抜く。いつのまにか角で遊ぶことに夢中になっていた。
「話を戻すが、お前に神主を続けてもらうのは困るのだ。早急に次に役目を引き継いでもらいたい」
崇志は素直に頷いた。拒まれていた理由が分かり、崇志自身ではどうしようもないので鬼姫に抵抗しようとは思わなかった。むしろ不幸な体質が直るかもしれないため、珍しく胸を躍らせていた。
これで正真正銘普通の人間になれるかもしれないと意気込む。
「そうか、良かった。それならば早く相手を見つけなければな」
「そうだな」
崇志は弾んだ声を出す。神主が何をするのか知らないが、とにかく暇な奴を身繕えば良いと意気込む。と、崇志は神主に必要なことを良く知らないことに気がついた。霊感みたいのが必要なのだろうか。
「それって誰でもいいのか」
崇志が聞くと鬼姫は眼を丸くした。
「いや、お前がいいならだれでもいいが」
「へえ、そうか」
崇志は満足そうに言う。次の神主を自分で決めていいならば適当に決めてしまおうと崇志は暇そうな知り合いを浮かべる。とは言っても崇志にとってこんなことを頼める友人はほとんどいない。とりあえず、一番仲が良い人物を思い浮かべた。
「よし決めた。有馬に決めた」
崇志が鬼姫に言うと彼女は訝しむような表情をし、わずかに崇志から身を引いた。
「有馬って有馬辰巳か?」
「そうだけど、なんで知っているんだ?」
「私は先ほどまでここらの土地と繋がっていたから、大かたの土地の情報は把握している。神主であるお前の身近な人物の情報は集めやすかった」
鬼姫の話を聞きながら、崇志は感心する。
一方、鬼姫は軽蔑したような視線を送っていた。何か顔に憑いているのかと顔に手を当てて血が付いていることを思い出した。それほど深くはないがこちらも早く手当しなければいけないであろう。
「とりあえず明日ぐらいに有馬に頼めばいいか?」
「いや、ダメだろ」
鬼姫は反対した。
「何故だ?」
「なんで?有馬辰巳は男だぞ?」
「普通は男が神主だろ」
それを聞いて鬼姫は今までで、一番大きなため息を吐いた。訳が分からないと言った表情で崇志は鬼姫に文句を言う。
「何だよ。それならお前が決めればいいだろ。だいたい俺は」
不満を口にしていると、鬼姫は疲れたように目を閉じながら崇志との間に右手を出して彼を制した。
「お前は勘違いをしている。神主は赤井の血を継いでいないとなれない」
鬼姫に言われて崇志は首を傾げた。混乱している崇志に鬼姫は説明を続ける。
「現在、赤井の血筋を継いでいるのは崇志、お前だけだ。しかし、お前は絶望的なほど神主として向いていない。よって」
ここで鬼姫は真剣な面持ちで言った。
「今すぐにでも崇志には嫁を貰って子どもをつくってもらわないといけないんだよ」
崇志は小首を傾げた。今言われたことが頭の中で上手く変換出来ないのか、呆けた顔を見せる。相変わらず鈍くさい奴だ、と鬼姫は空を見上げながら呟いた。




