祟り神と赤蓮②
眼を開いて崇志は驚いた。彼は居間で寝ころんでいた。時間もさほど立っていない。
しかし今までと景色が違う。
赤色の砂が崇志の下にいつの間にあった。その赤い砂に崇志は浸っていた。そしてその赤いモノは崇志の周りにしかない。崇志が何歩か動くとそれは影のように憑き従う。そして動いた振動の所為か、赤色のモノが舞い上がった。それは水槽の中を揺らした時の砂のような光景で崇志は見とれる。
と、崇志はゆっくりと登ってくる赤色の砂を見て再び驚く。その赤色の砂は文字で構成されていた。小説の中の文字よりも小さく砂粒程度の文字の集団が崇志を取り巻いていた。
『視えましたか?その文字の集団が所謂、魔法の因子『魔名』です』
頭の中で赤蓮の声が届いた。崇志は驚き、首を回して辺りを確認する。
しかし当然の如く誰もいない。
『今は私が貴方の中に憑依して魔法が視える状態にしているんですよ。これはエリカさん達が言う魔眼と同じようなものです。しかしながら鬼姫の眼よりも高性能なものではなく、あくまで貴方の周りのモノしか見えません。本当でしたら、『祟り神』に目覚めてくださればこんな面倒なことしなくていいのですが』
最後はため息混じりの声音だった。
頭の中に直接響いてくるような声にも眼の前の光景にも、崇志は驚きは尽きない。
『いずれにしろ、これが貴方の魔法の元です。自分に取り巻く『魔名』の羅列を造って魔法が出来あがるんですよ』
その説明を唖然としながら聞き、崇志は目の前の『魔名』に手を伸ばす。少し触れただけで赤い『魔名』が煙の如く浮き上がる。しかしながら感触はない。
『『魔名』は貴方が命令すればその通りに動きますよぉ』
赤蓮に言われ、崇志は頭の中で赤い『魔名』に向かって「舞え」と念じる。すると瞬く間に崇志の足元にあった赤い『魔名』が噴き上がり崇志を取り巻く。なかなか面白いと思ったが、赤色の文字達が蠢く光景は若干不気味でもあった。さすがは魔と表現されるだけのことはある。
『それと、大抵の人の魔法の文字は、その所有者の性格というか縁に深く結びつきますからね』
楽しげな声を聞きながら、自分の文字を視て崇志は憂鬱な気分になっていくのを感じた。ほとんどは読めない漢字のような単語であったが、中には崇志にも読めるのもあり、アルファベットもちらほらとある。しかし。
「『呪』、『死』みたいな不吉な文字がけっこうな頻度であるんだけど」
『ああ、それは私が頑張って書き換えました。不幸になれって強い気持ちを込めて。その所為か『魔名』もこんなに汚れたんですよ』
満点のテストの自慢をするような赤蓮の声。
「俺って、いつもこんなの憑けて歩いているのかよ」
げんなりとした声を崇志は出した。とはいえ、崇志はいくつかの命令を赤い文字に出しながらそれらを躍らせる。
(これを上手く並び替えれば自分も魔法とやらが使えるのかな)
『ああ、それは無理ですよ』
頭の中を読んだかのような声だった。
『同化していますから、貴方の考えは何となくわかるんです。祟り神である貴方は本来ならば『祟る』以外の魔法は使えません。ですが道具を使えば、魔法を使うことができます。たとえば、かつて鬼姫を封印した剣とか』
言われて崇志は押し入れの戸を引き、奥にどっしりと居座っていた剣を手に取った。
しかしながら使い方が分からない。
『使い方は、簡単です。反射させればよいのです』
「そうだな」
自然と崇志は頷いた。
いつか、彼の母も言った。人を祟るにしても、魔法を使うにしてもいずれにしろ反射させればよいのだと。
反射とは、光や音などの波がある面で跳ね返る反応のことである。
反射とは、生物学では動物の生理作用のうち、特定の刺激に対する反応として意識されることなく起こるものを指す。
崇志はじっと剣を見つめてから、赤い文字を操作した。彼の『魔名』はあたかも新しい手足のように自由に動かせる。彼は、剣に特定の刺激を、『魔名』を打ち込む。
剣のツバの周りに赤い文字の羅列が大きな円を作った。その瞬間、剣から怪しい紋様が浮かび上がる。
紋様は鞘の先から、次第に刀身に伝わり、さらに彼の腕を通じて崇志の身体にまで広がっていく。
『その剣は、赤井神社第2位の魔法具『淵魔』です。』
「あぁ。知っているよ。これは祟り神が残した剣だ」
もともと祟り神は力のある神様では無かった。ただただ赤い烏を世界に羽ばたかせることしか能の無い存在だった。それ故、彼はたくさんの武器を、創ったのだ。
「さて、行こうか」
そう言って彼は剣を握りしめた。
崇志達が普段住む瓦葺の家の前で、エリカは神社が燃えていくのを茫然と見つめていた。その炎を見ているのは、辛かった。もう見たくない、そう思った時だ。
突如、燃え上がる神社から金色の光の粉が吹き荒れた。その光の粉の一つ一つは本で書かれているくらいの小さな文字だ。光は炎を取り囲み、雪のように降り積もり、炎は物質が分子と原子に分解されるように光に変化していく。
そして神社の正面のドアを突き破り、一つの人影が砲弾を連想させる轟音と速度を伴って飛び出してきた。
人影は金色の光をいくつも纏っていた。鬼姫は咆哮を上げて円治に突撃する。すぐ近くに居たエリカは咄嗟の判断で円治から距離を取った。
「私の神社を燃やすんじゃねぇええええ」
鬼姫の怒声に、円治は眼を見開きながらも鬼に反応した。鬼姫が一直線に飛来しながら彼の顔面に鉄拳を構える。円治も右手を突き出し、鬼姫との間に炎の壁を構成した。
しかし、鬼姫の振りあげた腕は炎の壁をぶち壊す。爆風が巻き起こった。
爆風の後、鬼姫が静止する一方、円治は爆風に吹き飛ばされ、背後の林の中に飛んでいった。
二人の激突からすぐさま離れたエリカは、鬼姫の圧倒的な強さに驚きを隠せなかった。
鬼姫はかつてないほど険しい瞳で、円治が飛んでいった方を見ていた。
エリカも鬼姫の視線の先を追う。彼女は知っていた。兄がこの程度で終わることが無いことを。
円治が吹き飛んだ先では森の木々が倒れ、暗い森に穴が空いているようだった。森に空いた穴の中から、青白い人魂のような炎が浮かび上がる。それを見てエリカは兄が再び炎を造り出したことを知った。
「『ヤオヨロズ』を甘く見ていたな。まさか『ホムラ』神の火をここまで再現できているとは。『ホムラ』神の高尚な性格までは真似できなかったみたいだけど」
鬼姫が唇を舐めながら言う。エリカは森の穴から猛獣が忍んでいるような錯覚を覚えていた。
人玉が膨れ上がり、膨れ上がり、膨れ上がるのをエリカは視た。
森から巨大な炎の蛇がアギトを開いて飛び出してきた。蛇がエリカと鬼姫を見下ろす。息をするのも忘れる一瞬。
ふわりと風に乗るように、波に乗るように光の文字を揺らし、人間離れした速度で鬼姫がエリカのもとに駆けつけ、抱きかかえて空を駆け上がった。
二人が居た場所に蛇のアギトが落ちた。
鬼姫の足が空を蹴る度に光の文字が舞い、波紋のように広がる。空に階段の様な波紋を残して二人は遥か空の上にいた。
それは一瞬のことで、エリカには何が起きたのかを把握することは出来なかった。気付いた時には眼の前に赤く燃える蛇の眼球があった。炎の蛇がここまで追ってきたのだ。
「マジかよ」
鬼姫が舌打ちをする。蛇の動きは鬼姫の予想よりも速く貪欲で、アギトを開いて二人を包みこもうとした。
鬼姫は光を纏った蹴りをアギトに向けて放つ。光の粉が舞い、蛇の動きが止まる。蛇に触れた瞬間、アギトを根こそぎ分解する。蛇の頭が消えて、「助かった」とエリカは漠然と思った。
ところが一瞬で蛇の頭が再生する。
「危ない」
エリカが叫ぶ。
「分かっている、ぼけ」
こわばった鬼姫の声。
鬼姫はすぐさま空を蹴った。空の上ではなく、その逆、下に。つまりは術者である円治に向かって。
「お前を潰せば、この魔法も壊れる」
鬼姫が笑った。だが、エリカは見てしまった。抱きかかえられている所為で、鬼姫の背後に居たモノと目が合ってしまった。
間近に迫りくる口を開いた炎の蛇を。
間後ろから殺気を感じ取ったのか、鬼姫はエリカを虚空に投げた。
次の瞬間、空を舞うエリカの瞳に、鬼姫が炎の蛇の口に包まれた光景が映った。
そして、そのまま蛇は地面へと、隕石の如く落下したのだ。
エリカは空中で必死に体勢を整え、地面で受け身を取ることに成功した。
だが、体の負担はとても大きい。それでも頭をあげて状況を確認しようとした。
炎の蛇が消え、真っ黒になった鬼姫が倒れていた。
「おやおや、これは大当たりのようだ」
円治が高い声を出して鬼姫に近づいていく。
「この子は魔法を分解する力があるようだね。こいつは珍しい『魔術師の遺伝子』をもっているようだ」
彼は明らかに興奮していた。その様子にエリカは下唇を噛みしめた。
地上に出てきている『ヤオヨロズ』のメンバーは簡単に言えば賞金稼ぎだ。珍しい獲物を捕まえればそれだけで報酬がもらえる。
「エリカ、君はこれを隠していたのか。でも残念これは僕のものだ」
「いや、違うな」
きっぱりとした低い声が響いた。
円治が眉をしかめて声の方を向く。無表情だったエリカの顔からは明らかに驚きが走った。
二人の視線の先に、赤井崇志の姿があった。彼はふらふらとした足取りで夢遊病のように二人に向かっていた。彼の右手には古臭い剣が握られている。
「鬼姫は、この土地のものだ。昔も今も遠い未来も。下衆はこの土地の外に消えてくれ」
「君は黙っていろ」
円治がぴしゃりと言って、再び炎を造る。
「止めてください。兄さん」
意識せずエリカの口から言葉が漏れた。
次に、体が勝手に崇志の前に走り出した。エリカの動揺した態度に円治が嬉しそうな笑みを浮かべる。
「どうして止めないといけないんだ?ひょっとして情でも湧いたか?」
「兄さんには、貴方には関係ありません。ただ、彼を傷つけるなら私も黙ってはいません」
崇志と円治の間でエリカは静かに言って、懐からナイフを取り出した。
呆れるような顔を円治は見せる。
「お前の考えていることは相変わらず分からないなぁ。この僕に刃を向ける気ならば容赦はしない。君たち二人とも消してあげるよ」
円治が炎を造り、エリカが体全身を緊張させた時。
「お前たちは分かっていない。魔法というものを。お前たちの魔法は原始的すぎて魔法と呼ぶにはあまりに幼稚だ」
崇志が静かな口調で言った。
それを聞いて円治の顔が歪む。
「どういう意味だ」
「説明は難しい。俺も詳しくは知らない。でも、とにかく反射させればいいんだ。そうすれば魔法が反応してくれる。それを教えてやりたいけど、ますはその前に言わせてもらうよ」
静かに、崇志が告げた。
赤井崇志の瞳が赤く輝く。
「ようこそ赤井の神社に」




