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祟り神の少年  作者: 如月
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祟り神と悪霊

 またこの夢だと彼は苦笑した。

夢の中で彼は、血のように赤い桜の下で座っていた。

 彼の視線の先では、散りゆく桜に紛れ、赤い着物姿の少女が舞いを踊っている。

 少女の頭は深紅の薄絹を被っており、その顔付きはよく見えない。時々見え隠れする口元は本当に楽しそうな笑みを浮かべていた。

少女が手を広げて何かを言った。

「ねぇ、ご主人様。遊びましょうよ。たくさんの人を祟って、不幸にしましょうよ。人間だって神様だって悪霊だって楽しい遊びをすることが、生きていく上で一番大切なんですよ」

鈴の音が鳴るような美しい声で、不吉なことを口にする。

彼は肩を竦めて少女に言った。

「俺は普通に人間として生活したいんだ。普通の人間にとって一番大切なのは真面目に精一杯生きていくことなんだよ。誰かを不幸にして遊ぶなんてしてはいけないことだ」

「そう言うと思いました。ご主人様は本当にお馬鹿さんですね。私、そんなご主人様がすごく大嫌いですよ!」

嬉しそうに、楽しそうに少女は踊り続ける。

「私と遊んでくれないなら、ご主人様を不幸にして遊ぶことにします。不幸な姿をたくさん私に見せてください。そして貴方が人間であろうとすることを悔やんで下さいね」

 そんな弾んだ可愛らしい声が聞えた。

そして彼の視界が霞む。彼の瞳に直接墨汁を垂らされたかのように、少女も桜も消えて、彼の眼の前は真っ暗になった。

唐突に意識が浮上していく感覚を受けて、彼は夢から覚めた。


パコン、と頭の上に衝撃が走る。

 はっきりとしない頭で周囲を見渡すと、丸めたテキストを構えた教師が彼を見下ろしていた。

「たるんでいるぞぉ、赤井」

担任でもある教師はやれやれといった様子で、教壇に戻って行く。

 今日の講義の内容は、あまりに簡単なところだった。少しだけ、と油断して机に伏せたのが間違いだった。

彼は小さく舌打ちした。

(あーあ、またあの悪霊娘か。あの娘が来ると大抵良いことが、ないんだよなぁ)

 嫌な気分を紛らわせるために窓の外に視線を向ける。そのまま退屈な授業を無視して、呑気に夏めいた景色を眺めることにした。

 灰色の雲が空を満たし、出し惜しみするように雨を落とす。

 教室の窓から少年は空を見上げた。雨が緑色の葉を揺らしている。そんな些細な光景に少年は魅いってしまう。

 少年の名前は赤井崇志。顔立ちは整っているが、身長は平均以下。漆黒の髪は男にしては長めで、その姿は女子のようでもある。実際のところ男子用の学生服を着ていなかったならば、一目で彼が男かどうか見抜くことは難しいかもしれない。

 彼は学園で何かと有名な存在である。

今も授業中、数人の生徒達が声を抑えて、彼の噂をしているのが聞えてきた。

「ほら、あそこで赤井君が窓を見ているよ」

「ホントだ。やっぱ赤井の周りって何か淀んでいるよな」

「窓の外に幽霊でも居るんじゃない?」

「おい、もっと音量を下げろ。赤井に聞えるよ」

(まったく、うるさいなぁ。祟るよ?)

 不快な小声に崇志の表情は険を増す。

崇志は声が聞えていないかのように振る舞い、窓を見る。窓に拡がる緑色の景色ではなく、窓に写る己の姿をただ眺める。

 ガラスの中にいる己の姿を見て崇志は呆れていた。

 不気味なほど黒い前髪の中から覗く、濁った目付き。その瞳を見て昨日スーパーで売っていた魚を思い出した。墨汁を垂らしたかのような暗い眼。幼馴染には、「崇志の眼を見ていると崇志の後に死に神がいるような錯覚すら覚えるんだけど」と引かれたこともある。その瞳も原因の一つとなり、昔から崇志は悪霊憑きだのと、不愉快な噂を流されることがある。彼はただ普通に生きたいだけなのに。

 高校に入ってからは、気味の悪い目を隠すために髪を伸ばしてみた。しかし、事態は好転することはなかった。むしろ髪を長くした所為で、以前よりも更に陰鬱な気配が溢れていた。

(まぁ、今さらこの目付きを気にしても仕方が無いことだ。大事なのは、人間中身って言うしね)

 ふと、窓に映る己の姿が紅くぼやけた。

崇志はため息を吐きたくなった。ガラスに薄い朱色の水をぶちまければ、こんな感じなのかもしれないと思いながら、窓の外に浮かんだ赤い影を睨む。

 崇志の視線の先で、赤い着物の少女が浮いていた。小さな身体を視ると十歳にも満ちていないかもしれない。頭から胸のあたりまで深紅の薄衣が覆われていて、少女の顔が見えることはない。

 

 いつも夢の中で会う少女。

 幽霊の如く静止する女の表情は視えなかったが、何かを伝えたいことがあるのか、右手を突き出して、崇志に向かってV字を作っている。

(何がしたいんだ、あの悪霊は)

 両の目に力を入れてから、強く心の中で毒づいた。

 幸か不幸か、教室の外で薄笑いを浮かべる少女に崇志以外は気が付かない。

スーッ。

と滑るようにして、悪霊は足も動かさず、移動する。

 窓をすり抜け、崇志のとこまでやって来て顔を近づけてくる。薄絹の向こうでニンマリと笑うのを感じた。

「ねえ、ねえ、いいこと教えてあげますね」

 少女が無邪気に笑った。少女の声も、崇志以外には聞こえない。

 教室では教師がディスプレイの横で喋っている。生徒達は各々好きなことをしていて、集中して耳を傾けていたり、寝ていたり、喋っていたり。

崇志は真横に浮かんでいる少女へ視線だけ向ける。

「ほら、ご主人様ってばお財布どこかで落しましたよねー?」

 薄絹の上から口元に手を当てて、不注意ですねえと呟く。崇志は白けた様子で少女を眺めた。

(どうせ、お前が手引きしたのだろ)

「言っておきますけど、私が盗んだわけじゃないですよ。私には盗みをする趣味はないのです。それに、そんなに直接的に行動するのは悪霊としてルール違反ですから」

 少女は崇志の疑う視線に気分を害したのか、少し怒ったような口調で言った。それから右手で崇志の頭をペシペシと叩いてきた。

「そう落ち込むことはないですよぉ」

 少女は愉快に微笑み、崇志を覗き込む。

「実は、一寸前に食堂で、お財布が落ちているのを見ましたから」

 薄絹の上で右手をピシリと伸ばし、敬礼のポーズを作った。

 崇志は胡乱気に見つめる。

「感謝の言葉とかはないのですかぁ」

 少女が尖った口調で不平を漏らした。崇志は頭を抱えたくなった。


 憂鬱な気分で窓を眺めていると、いつしか授業の終わりを告げるチャイムが教室に響いた。チャイムの音を聞くや否や、崇志は即座に立ち上がり、教室を出た。

「どうした、崇志。そんなに慌てて」

声に振り向くと、クラスメイトの有馬辰巳だった。

「ちょっと、忘れ物を取りに行くんだよ」

ため息混じりに崇志が言う。

彼はニヤニヤとした笑みを浮かべて彼の隣に並んだ。

「それにしても珍しいよな。お前が居眠りなんて」

「あぁ。少し気がたるんでいたな。今度から気を付けるよ」

「いいんじゃないの?居眠りくらい。俺なんて毎日だし。怠けることは人生において一番重要なことだ。昔話でも怠け者が成功していく話もたくさんあるぜ。『ものぐさ太郎』とか知っているか?ストレスフルの今の世の中、あんな大らかさが必要なんだよ」

「阿呆が。普通に真面目に生きることが人間には一番大切なんだよ」

 崇志は厳しい口調で言う。「相変わらず真面目だねぇ」と辰巳は慣れた様子で返した。

「そんで、どこ行くの?」

「食堂に財布を忘れたんだよ」

「うわぁ。馬鹿だなぁ」

「うるさい。祟るぞ」

「また『祟る』って言ったな。そんなことばっかり口にするから、こういうことになるんだよ」

それから辰巳は、周囲に視線を巡らせた。

 辰巳の言わんとすることを察して、崇志の顔が曇る。

廊下で生徒にすれ違う度に、彼らは好奇心丸出しの視線を向けてきていた。

「見て、赤井崇志君よ。どこに行くのかしら?何?何か様子が変じゃない?」

「きっと何か幽霊の気配を感じたのよ」

「そういえば赤井さんの家って神社なんでしょう?確か赤井神社とかいうボロ神社。きっとお祓いとか失敗したから憔悴しているのかも」

「ああ、きっといろんなものが憑いているんだよ」

「見た?赤井君のあの目付き。ホントに何か濁っているっていうか、背中に悪霊とか死神とか背負ってそう」

(何か憑いているというのは、正解だけどね)

崇志はため息を吐いた。

「俺は、普通に生きていたいだけなんだけどなぁ」

「まぁ、ドンマイ」

辰巳が崇志の肩を叩いてきた。

 生徒達は崇志に触れると呪われると言わんばかりに、彼から避けるように道を空けて行く。傍から見れば崇志はヤクザのようだ。

ヤクザといっても小柄で、そこらで怯える女子生徒達と、それほど格好に大差はないけれども。それでも、暗い瞳と雰囲気だけで周囲を怯えさせてしまうらしい。



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