祟り神と『ヤオヨロズ』③
崇志は夢の中を彷徨い、かつての記憶を見つめ返していた。
崇志の母である麻美の話はいつも難しかった。そして非現実的であった。
母の話を崇志はいつも聞き流していた。だけど、そのいくつかは今でも崇志の中に残っている。
「反射させればいいの。崇志はただ反射させるだけでいいの」
一度だけ、麻美は赤井神社の古臭い倉庫に連れて行って息子にそう言った。倉庫には様々なものがある。
「祟り神の魔法は大して強くは無い。本当に弱いもの。でも貴方が望めば、もっと凄い魔法を使うことができるわ」
悲しそうな麻美の声が倉庫の中に満ちた。
麻美は埃かぶっていた一つの剣に手を伸ばす。
「この倉庫にあるものはきっと貴方を受け入れてくれる。いいえ、赤井の神社はきっと貴方を受け入れてくれるわ。だってこの神社は祟り神のものだもの」
ずっと昔に麻美は崇志に言った。だけど、赤井神社で暮らしてみたが神社が彼を歓迎してくれているか崇志には分からない。もしも本当にこの神社が力を貸してくれるのなら、今だけでも力を貸してはくれないだろうか。せめて彼女を助ける力を。
「どうして、そんなことを思うのですか?貴方だってもう、人間にうんざりしているはずでしょう?本心では人間なんて止めてしまいたいと思っているのでしょう?」
「そんなことは無いよ」
崇志が答えた時には、彼の前には赤い着物の悪霊少女が浮かんでいた。暗い空間に、桜の木。お馴染みの場所だ。
少女は首を傾げながら尋ねてきた。
「どうして、そんなに人間であろうとするのですか?理解できません」
「理解されなくもいいさ。俺の心が壊れているのは知っているから。理解できないだろ?俺は人間が羨ましくて、人間になりたいと思ってしまったんだ」
「まったく、本当に貴方はお馬鹿です。人間のどこが羨ましいのですか?人間なんて自分のことしか考えてないんです。友情も愛情も全ては「自分のため」に帰属するのです」
「それも知っている。それを知ってなお、俺も、『祟り神』も人間と一緒にいたいと思っているんだ」
「その理由は何ですか?」
少女の問いかけに、崇志の顔が苦々しく歪む。
「理由なんて呼べるものじゃないさ。ただ、俺は人間を尊敬しているんだよ。俺が祟りで造る赤い鳥をいくら放っても、人間達は自分達で青い鳥を呼びよせて、俺の鳥を払い取ってしまう。凄いよね」
「青い鳥って、幸せの青い鳥ですか?」
「そうだよ。その青い鳥だ。どうだ?くだらない理由だろ?俺の前世の祟り神は死ぬ瞬間後悔したんだ。青い鳥に愛される人間を見て後悔したんだ。『俺もできることなら、青い鳥を捕まえてみたかった』って。この思いが、赤井崇志の中に時折チラつくんだ」
「青い鳥を見たいがために、神が人間として生きているのですか?それは茶番ですよ?」
「茶番だよね。でもね、俺は知っているよ。分かっているよ。自嘲しているよ。祟り神の俺が人並みの幸せを得ることは間違っているって。何せ、俺の前の祟り神は最低な奴だった」
大声を上げてそう言い放った。
実のところ、崇志の記憶の奥底には前世の祟り神が何をしてきたのか蓄積されていた。
祟り神はとある人間の女と恋に落ちた。しかし、神であると彼と女が恋に落ちることは許されることではない。神と恋したと理由で女は殺された。
それから彼は本当の『祟り神』となり、人間も妖怪も神も無差別に殺し、世界に不幸をばら撒くようになってしまった。たくさん暴れて、たくさん悲鳴を聞いても彼の心は晴れず、彼は死ぬときになって己の罪を深く、深く後悔した。
崇志は眼の前の少女へと叫んだ。
「別段、俺は幸せになりたいと思っているわけじゃないよ。でもな、せめてアイツに、かつての俺に、後悔して死んでいった『祟り神』に青い鳥を見せてやりたいんだよ」
「人間でいたいことと、エリカさんを助けに行きたいと思うのは何故ですか?」
「ははは。俺は青い鳥の美しさを知っていてね。できることなら、大切な人にはその美しさを知ってほしいと思っているんだ。最低な俺だけど、近しい人のために、青い鳥に近付く手伝いをするくらいは許されて良いはずだろ」
「まったくもってくだらないことを言いますね」
「はは。そうだな。どうせお前も『祟り神』に理不尽な祟りを受けたんだろ?それで俺を恨んでいるんだろ?あぁ、上等だ。それならいつか、お前にも青い鳥の美しさを理解させてやるよ。覚えておけ」
崇志は勢いよく、啖呵を切った。もはや自分が赤井崇志として叫んでいるのか、『祟り神』として言っているのか分からなかった。
少女は呆れた、と言わんばかりにため息を吐いた。彼女は彼に顔をぐいっと近づけ、説教するような口調で言った。
「本当に、貴方は何を言っているのですか?貴方は幸せになってはいけない?馬鹿を言わないで下さい。貴方は幸せになるべきなんです。でも人間のままじゃ、きっと貴方は幸せになんか、なれっこありません。自分の幸せを求めるなら、青い鳥なんて放っておいて、祟り神になって、この土地から離れてくださいと言っているのに」
「悪いが、それだけは譲れない。少なくとも、俺はこの神社から出て行くことはできない」
「本当に残念です。貴方の心は壊れすぎています。貴方は幸せを求める癖に、「幸せ」というものを理解していない。やっぱり祟り神が普通の人間になるなんて無謀だったのです。可哀そうなご主人様」
少女の腕が崇志の身体に回る。抱きしめられたのだ。
「え?」
「しかしながら、貴方が祟り神になる気がなく、そして貴方が力を望むことは理解しました。いいでしょう。貴方に教えましょう、この神社の魔法を」
崇志から離れ、少女は告げた。
円治は優しい男を装った笑みを浮かべ、崇志の家と赤井神社を物色した。しかし件の少女の姿は無かった。
「この神社に、見慣れない少女を見かけているという情報が出てきているが、それは何者だ」
穏やかな調子で円治が後ろに控えるエリカに聞いた。
「分かりません」
彼女は人形のような無表情で言った。
円治は肩を竦めた。エリカは己の感情を魔術で制限しているため、それが嘘か本当か分からない。同じ理由でエリカには拷問も効かない。魔術の力が弱い彼女だったが、円治はこの少女との駆け引きだけは本当に苦手だった。
別の方向から試してみるしかないようだ。
「それはそうと、あの崇志って子はどうしようか」
「どうするとは?」
「どうするって魔法のことを、ひいては僕らのことを知っているんだよ。口止めしないと」
「あの程度の人間が私たちのことを知っているからと言って問題は無いと思いますが」
妹が珍しく、彼に反論をした。円治の中でどす黒い愉悦が広がっていく。同時に、円治の口にいやらしい笑みが広がった。
「いや、そうでもないだろ。彼は僕の魔術を視た。僕としては大問題だ。だからいっそのこと殺してしまおう」
「そうですか」
エリカは静かに言った。
その表情から何も読むことはできない。円治は彼女があの少年に情を移していると期待していたのだが、やはり彼女にとってはどうでもよい存在なのかもしれない。
いずれにしろ、少し様子をみる必要があるだろう。妹が何かを隠している可能性は高いのだ。どうすれば上手に情報をかすめ取れるだろうか。円治はそのことをずっと考えていた。
「とりあえず、彼を僕らの家に連れて行こうか」
あの崇志という少年が何かを知っている可能性もある。
円治はこの神社に何かあることには半信半疑ではあった。むしろ、この気に食わない妹の心を踏みにじる方法を思考していた。
「そうだ。いいことを思いついた。この神社を燃やして崇志君が焼け死んだことにしようか。焼死体の替わりは後で持ってくればいいしね」
そう言って円治は神社に向かって手を伸ばした。
彼の掌から火が造られる。幼いころから、彼は呼吸をするのと同じように火を造ることができた。
蛇のような細長い炎が蛇行して、神社に飛びかかる。
その様子を見ても、エリカの表情には変化が無い。円治は軽く舌打ちしながらも更に大量の炎を作りだした。
(エリカの出方を見ようと思って神社を燃やしたのは、さすがにやりすぎたかな)
円治の苦々しい思いが膨れ上がるのに比例して、炎も膨れ上がっていく。




