祟り神と『ヤオヨロズ』②
エリカの身体の不調は次の日には治り、それから彼女は頻繁に赤井家に遊びに行くようになった。用も無いのに、赤井神社に来てしまう自分にエリカは内心驚いていた。正直なところ、赤井神社にはできるだけ近づきたくないと思っていた。この神社はとにかく、不気味で得体が知れない雰囲気を漂わせている。未だにこの神社に来るたびに空恐ろしさを感じている。
「おい、勝手に人の写真を見るなよ」
そんな奇妙な神社に住んでいる赤井崇志が悲鳴を上げた。アルバムをエリカから取り上げようとしているのだ。しかし途中で鬼姫に足を掛けられて転倒した。その隙にエリカはアルバムを開いた。
アルバムの最初には五歳くらいの崇志と彼と瓜二つの顔立ちをした女性が映っていた。崇志の母親であるその人は、色白の崇志と違って健康的な肌色をしている。何よりいつも不機嫌そうな崇志と違い、目元に優しげな雰囲気を帯びている。
「やめろ。見るな。祟るぞ」
騒ぐ崇志は鬼姫に羽交い締めにされていた。エリカにはこの二人の関係が良く分からなかった。本来なら敵である彼女を家に招き入れ、警戒の一つもしない。いつしか彼女は警戒するのが馬鹿らしくなっていた。
崇志の説明によると彼は一応神主で、鬼姫は神様らしい。もちろん彼女はそれを信用していないが。少なくとも、鬼姫は味方ではない。
(でも、崇志は何なのかしら?)
崇志と一緒にいると、少しだけホッとする。どうしてか彼のことを信用出来ると確信していた。彼女にとって、利害関係以外で他人を信じたいと思ったのは初めてかもしれない。
エリカは二人から視線を逸らし、アルバムのページを捲っていく。主に崇志の祖父が嬉しそうに崇志を構っている写真が多い。祖父のほうも表情が柔らかい。祖父と一緒に遊ぶ、目付きの悪い子どもが崇志だ。
顔立ちもそれほど今の崇志と変わっていない。昔の方がより、女の子に見えなくもないが。何にせよ、幸せな家族だったのだろうと醒めた気持ちでページを捲る。
「おい、角を触るな、変態」
鬼姫の珍しく慌てたような声にエリカはアルバムから顔を上げる。
仕返しだと言わんばかりにドヤ顔の崇志が、彼女の角を握っていた。鬼姫は顔を真っ赤にして崇志を突き飛ばそうとしている。呑気な奴らだ、と呆れた。
アルバムに視線を落とすと、次第に写真に写っている少年が変化していくように感じた。小学生の半ばくらいになると、その違和感が明確なものになっていく。
少年の瞳から光が消えて人形の如くぼんやりとしている。
(まるで魂が抜けたような眼ね)
何故かエリカは背中に冷たい物を感じた。今でも学園で崇志は呪われた男など、奇怪な名前を付けられ、仏頂面で日々を過ごしている。しかし、今の彼には少なくとも表情がある。
ところが写真の彼は、操り人形のようで何を考えているか分からない。そういう顔をする人々をエリカは見たことがあった。
「今にも増して暗い顔をしているだろ?この頃の俺は少し荒れていた、というより色々なことに悩んでいたらなぁ」
崇志がアルバムを苦々しく見つめながら正面に腰を下ろした。彼は苦笑いをして、写真の自分を眺めて呟いた。
「何て言うか、俺にも『昔のこと』で悩んでいる時期があったんだ。この神社に居ても俺が欲しいものは手に入らないんじゃないか、とか。俺みたいなのが安穏と生きていていいのか、とか」
「ふん。何が『昔のこと』だ。そんなものをウジウジ引きずっているからそんな暗い性格になるんだ」
と言いながら、鬼姫もアルバムが広げられた机の前にやって来て、崇志の隣で胡坐をかいた。
「居るわよね。内向的で教室の隅に一人で居る奴。学園でもほとんど一人だし、昔から友達が少ないのね。可哀そう」
エリカは心の中の動揺を隠すように高飛車な口調でまくし立てた。崇志が鼻を鳴らしてページを捲る。
しばらくして少年に表情が浮かんできたことにエリカは気がついた。暗い雰囲気は変わらない。不機嫌そうだが、呆れるような感情のある視線を周囲に向けている。少し安心したような気持をエリカは感じた。
中学の頃になると、おそらくクラスメイトであろう数人に肩を組まれている写真もあった。友達も少しは居たのか、と多少の驚きと共に、こんな無愛想な奴とよくもまあ付き合えたなぁと関心すらした。
「根暗にも一応は友達もいたのねえ」
少し意地悪な気持ちで言ってやると、「まあね」少し抑えた声音で答えた。
どこか恥ずかしそうに視線をさ迷わせている。崇志の態度に疑問を感じたエリカはもう少し質問をしてみることにした。
「中学の友達と一緒の高校に行けばよかったじゃない。そういえばここから聖葉学園ってけっこう遠いでしょう?」
「いや、それは、聖葉学園がここらでは一番評価がいいし」
崇志が説明すると、隣で鬼姫が噴き出した。
「こいつはねえ、中学で女に振られたショックで、誰も知り合いが行かないとこを選んだわけ」
「何で知っているんだ?」
疲れ気味に崇志が尋ねると、にんまりと笑って鬼姫は続けた。
「前に言っただろ。私はここの土地神だって。この土地のだいたいの人間共の思考が私に流れてくるわけよ。特に赤井家の当主の崇志の思考は駄々漏れよ」
鬼姫が笑うのを聞きながら崇志はまた不機嫌になっていくのが分かった。どうやら鬼姫が言ったことは本当であるようだった。エリカはにやにやと不敵に笑っているだけだったが、心の中では戦慄していた。
実際に鬼姫に向かって、崇志や土地の人々の思考が流れてきたとすれば、凄まじい魔人であることが想像できる。
エリカは鬼姫と崇志の前では己の不安を見せずに、自分でも嫌らしいほどの笑みを浮かべる。
「女に振られたから逃げるなんて最低じゃない」
さも偉そうな口調でエリカが言うと崇志は落胆したように、頭をがっくりと下げた。
「そうだね。俺は最低だよ。分かっているよ」
拗ねたような声が崇志から発せられた。彼の心は見かけよりもずっと繊細であるようだった。少し可笑しかった。
「ふふ。ごめんなさい。少しからかい過ぎたわ。でも、やっぱり貴方にも人間らしいところがあるのねぇ」
「人間らしい?」
怪訝な顔付きで崇志がエリカを見つめてきた。それにエリカはクスリと笑って答えた。
「ええ。貴方ってけっこう無表情だし、何て言うか最初はロボットみたいと思っていたのよね」
「ロ、ロボット?」
「ええ。笑ったり、泣いたり、喜んだりはしないのかな、とか」
「そ、そんなことはない」
「そのようね」
エリカはにやけながら戸惑う崇志を見つめた。本当のところ、つい最近まではこの少年を人外な何かだと思っていたが、実際に彼と接して見ると存外普通の人物である。
(まぁ、ずれているところはたくさんあるけれど)
それでも、そのずれは「個性」の中に入るだろうとエリカは思っている。もちろん、未だに彼が魔人である疑いが彼女の中で晴れてはいないけれど。
ある日のこと。
「来週、花火大会に行きましょうよ」
矢がささった頭のまま、天竜寺エリカは赤井神社に来るなりそんなことを言った。心なしか今日はなかなか機嫌が良いように見える。
「おお、それは面白そうなイベントね。ぜひ行ってみたいな」
鬼姫も、賛成した。
エリカが崇志へと聞く。
「崇志は?」
崇志はいつかの焼き肉屋の時も、同じような流れだったのを思い出した。
「別にいいぞ」
前髪を弄りながら答える。正直なところ凄く行きたいのだ。
「そう言えば、押し入れに浴衣があった」
鬼姫はそう言って居間から出ていった。
「へぇ、浴衣もいいわねぇ。私もどっかで買おうかしら」
さらりと呟くのを聞いて、金持ちは違うと感心する。
「崇志は何か着ないの?」
「ああ、着ないな」
同世代の女の子に面と向かって普通に接する機会がほとんどなかったため、片言で返事をしてしまう。といよりも、妃の部屋に看病に行って以来、彼女を少し意識してしまう自分がいた。話しかけられればもっと話せるのに、と思いながらエリカとの沈黙を息苦しく思ってしまう。
カラーン、という呼び鈴の音が響いた。
「このぼろ神社に人が尋ねてくるのは珍しいな」
崇志は玄関へと急いだ。正直ホッとしていた。
聞きたいことや、やらなくてはいけないことがあるならばともかく、意味もなくエリカと一緒にいるのは崇志にとっては間が持たない。今も客が来たことでほっとしている自分が情けなかった。こんなんじゃダメだなぁと思っていた。
がらら。崇志が触る前に扉が勝手に開き、一人の青年が現れた。金髪で長身の男だった。男は柔らかい笑みを向けてきた。
「突然訪れて失礼。僕は天竜寺円治っていうんだ。実は妹がここに居るって聞いてね」
崇志とは違う通りの良い優しそうな声。天竜寺を妹と言ったその男は色白で、エリカとは似ているところがない。
しかし遺伝子教育によって髪の色も肌の色も変えられる今日に於いて、容姿が似ていない家族もいることは確かだ。
「ええと、エリカさんですか。すぐに呼んできます」
「いや、それはどうでもいいんだ。今日は君に少し聞きたいことがあるんだよ。赤井君」
エリカを呼ぼうとした崇志を円治は制した。怪訝な顔をする崇志に微笑みながら続ける。
「あのエリカと仲良くなる男の子っていうのが、どんな子なのか気になってね。何でもエリカは頻繁に君の家を訪れているらしいじゃないか」
「いや、あの」
崇志は首をぶんぶんと振った。つまるところ妹に悪い虫が付いていないか確認しに来たのだろう。そう考えるとあまり良い気分はしない。
赤井崇志はぼろ神社の家系にして、祖父の大学教授としての安月給で日々を過ごしている根暗息子だ。
一方で天竜寺エリカは日本でも屈指の天竜寺財団のお嬢様である。普通に考えれば友達としても釣り合うわけがない。そんな男のところに妹が通っていると知ってどのように感じるかは想像に難くなかった。
別段、崇志自身はやましいことを考えているわけではないが、鬼姫は崇志とエリカをくっ付けたいとか言っているわけで。
(よくよく考えれば、家柄的にも無理だろ)
「少しだけ君のことを調べたんだ。君は祖父と二人暮らしのようだね。でも数日前から祖父は出張で出かけている。つまりエリカがここに来れば二人きりなわけだ」
予想道理というか、円治は詰め寄るように言ってきた。表情も僅かに険しくなったのを崇志は感じた。
「いえ、あの、別に変なことをしているわけじゃないです。ただ、その、成績優秀な天竜寺さんに勉強、そう勉強を教えてもらおうと思ったんです」
「二人っきりで勉強会ねぇ」
慌てて言った崇志を見て、円治は笑顔を消す。
鬼姫のことを円治も知らないことは明白だった。そして鬼姫からは、とにかく彼女の存在を黙っているように命じられている。表情の変化に乏しいはずの崇志の顔も引きつった。
すると円治が悪戯っ子を思わせる笑みを浮かべる。
「はは。冗談だよ。別に君とエリカとの関係を疑っているわけじゃないよ」
怖かったかい?と楽しそうに笑う円治を見て、崇志もほっと息を吐く。
円治はそんな崇志を優しげな瞳で観察している。
「いやいや、正直なところ心配していたんだよ。エリカは今まで自分から誰かと関わっていくことがなかったから。それにしても、君のような暗い子がエリカと仲良くなるなんてびっくりだなぁ」
「まあ、そうですね」
相槌を打つ。実際のところはエリカとそこまで仲良くはない。エリカの兄から見ても崇志とエリカのペアは意外らしい。やっぱり鬼姫の眼は節穴じゃないのかと疑いたくなる。
「少し興味が出てきたから家の中に上がっていいかな」
「は?別に構いませんけど」
崇志が許可すると円治は床に上がり、崇志の前に出て進みだした。
「おーい。エリカ」
あたかも自分の家の如く、ずかずかと進み、円治は大声でエリカを呼ぶ。おいてかれないように崇志も歩き出すと、居間からエリカが顔を出した。その時のエリカの表情は、崇志が初めて見る彼女の顔だった。
「やあ、エリカ。久しぶり。元気かい」
エリカは何も言わず、ただ頭を下げて挨拶をした。さきほどまでは笑みを浮かべていた顔が明らかに、固まっている。
顔を上げてからもエリカは兄に目を合わせずに、むしろ伏せるように下を見ている。そして何より、彼女の瞳から生気が抜けていた。
崇志が驚いていると、円治がこちらに振り向いてきた。
「赤井君、何か飲み物でも持ってきてくれないかな?喉が乾いてしまって」
崇志は頷き、台所の冷蔵庫で冷やしてあった茶を取り出し、持っていく。
兄妹は居間で対面して向かい合っている。兄はとてもにこやかだが、妹の方は人形のような虚ろな視線を眼の前の卓袱台に向けている。
とてもじゃないが、仲の良い兄妹には見えない。
ひとまず二人に茶を差し出し、自分は下がったほうがいいのかと空気を読んで下がろうとした。
円治は崇志に笑顔を向けてきた。
「驚いたよ」
「はい?」
何のことか分からずに呆けた声を出した。
「エリカのことだよ」
円治に言われて崇志はエリカを見つめる。話題に出されたエリカは反応すら示さない。
「さっき、外で聞いていたんだけど、エリカがあんな楽しそうな声を出すとは思わなかった。家ではこんな感じでいつも無表情だからね」
「はぁ、そうなんですか」
「ふふ。そうなんだよ。学園でも、エリカは高飛車な態度をとっていて、周囲と上手くいっていないって聞いていたから少し心配していたんだ。だけど、君のような友人がいるようで兄である僕も安心したよ」
「はぁ、いえ、そんな」
見かけによらず優しそうな兄だな、と崇志は思った。
ふと、かつてエリカが「家族なんてカモフラージュだ」と言っていた姿が頭に浮かんだ。
「ふふふ。君は素直だね」
穏やかな表情のまま、エリカへと視線を向けた。
「いやぁ。今日はここに来れてよかったよ。エリカにも本音が出せる場所が出来たって分かった。本当に、崇志君には感謝している。何せ」
バシン。
乱暴な音が鳴り響いた。
円治が机を叩いたのだ。
崇志は円治の瞳が嫌らしく吊りあがるのを確かに見た。
「まだまだエリカの心を壊せる部分があるって分かったからね」
円治は口元を歪めて言い放つ。そしてエリカを指差した。
「ねぇ、どうしてこいつが、僕達の前だと大人しくなるか分かるかい?」
「いえ」
何か狂気じみた気配を感じ、崇志は思わず一歩下がってしまう。
目の前の男は満足そうに頷いた。
「コレが欠陥品のクズだって知っていて、僕のような高貴な存在には口出ししてはいけないと知っているからだよ」
先ほどまでの笑顔が嘘のようだった。円治の顔に残忍な笑みが張り付く。一方、嘲笑を受けるエリカも普段、学校で見せている顔とは同一人物とは思えないほどに静かで人形のような顔をしていた。
「あの、どうしてまた欠陥品なんですか?エリカさんは学園ではほぼ全てにおいてトップです」
崇志は低い声にならないように気を付けた。心の平安を愛する崇志の本心としては、わざわざ崇志の家に来て兄弟喧嘩をするその神経が信じられない。
「君が言う優秀ってのは、普通の人間から見て、優れているという程度だよね?それくらいのことは僕達にとっては当たり前なんだよ。なんせそこらへんは君達とは比較にならないほどの精密な遺伝子教育をされているから。普通より普通に優れているだけでは僕達にとってはダメなんだよ。僕達にとって大切なのは、どれだけ凄い魔術が使えるかどうかなんだよね」
円治は諭すように言う。エリカの家族は魔術を使えることは聞いていたが、人間から面と向かって魔術という単語を使われると違和感がある。
「それなのに、コレの使える魔術は本当に矮小なもの。赤井君も知っているよね。何せ、学園で赤井君を魔人と勘違いして、襲いかかったって報告もあったし。視たんでしょう?コレの力を。静電気だよ、静電気。そんなの普通の人間でも起こせるよね」
「しかし、魔術が使えるからって別段、生活に支障が出るとは思えないんですけど。この時代に炎を出したりする魔術が使えても使いどころがありません」
崇志はついつい反論してしまった。
円治は呆れたように鼻を鳴らして、馬鹿にするような目付きで崇志を見た。
「確かに、地上では魔術なんて使い道はないよね。むしろ大勢に魔術を使っているところを見られたら殺されてしまう」
「それなら、エリカがクズということには、ならないですよね」
「だからそれは地上の話だよ。僕達が生まれた島では魔術が全てなんだ。魔術は科学なんて凌駕する。信じられるかな?誰にも知覚されることなく空を進む船と、島。正確には魔術を科学的な算段で活用しているわけなんだけど。より評価の高い魔術を持つ者は島から優遇される。もしくは魔術の研究に貢献したものが優遇される。まぁ魔術研究に対する研究者には、魔眼がないと大抵はなれないけどね」
想像を絶する話だった。崇志は円治の態度に苛立ちを覚えた。
「それで、どうしてエリカはクズなんですか?」
「それは、簡単だよ。コレは魔法もだめ。魔眼ももっていないから島では散々バカにされるし、チカラでも誰にも敵わない。そうなると島の人間には絶対に逆らわないようにしようと思ってしまうんだ。人形のように反応しなければ誰も面白がってからかうこともしないから。でも、地上の人間達なら魔術をもっていない。それに遺伝子教育も未完成だから、地上の人間になら、あらゆることでコレは簡単に勝てちゃうわけなんだよ。そんな環境なら、自らを人形だと言い聞かせながら我慢する必要はない。むしろ今度は今まで馬鹿にされた鬱憤を晴らすことが出来るわけなんだ」
醜いだろ?円治は楽しそうに言った。
それを聞いてから改めてエリカを見る。兄に馬鹿にされているというのに、悲しそうな顔も苛立つような顔も見せない。本当に人形のようだった。
「さて、そろそろ本題に入るぞ、欠陥品」
茶番は終わりだとでも言うように、遠慮のない声で今度はエリカに話しかける。呼ばれたエリカは顔を上げた。
「お前が見付けた化け狸についてなんだけど」
化け狸、つまり奈菜霧のことだろう。
「いったい、どうやって見付けたんだい?」
「たまたま、偶然です」
「いや、嘘はよくないな。あの狸はリストにものってなかった。それだけ隠れ上手な魔物が君如きに見付けられるはずがない。もう一度言うよ」
間を置いてから、険しい表情へと変わる。
「どんな手を使ったんだい?」
「いえ、本当に」
「本当に、ウザいよ。お前」
エリカが言い切る前に、円治が湯呑を投げつけた。
パリン、という音が響き、エリカの頭で湯呑が割れた。湯呑の茶が赤色を帯びてダラダラと流れ出す。痛々しい光景を見て崇志すら寒気を覚える。
「おい、アンタ何するんだ」
すかさず崇志は円治に掴みかかった。かかろうとした。
「炎の蛇よ」
崇志が動く前に、にやけた顔の円治が唱えた。円治の肌から赤い蟲を思わせる文字の羅列が浮きあがる。彼の掌から細長い炎が生じた。それを見て崇志の動きが止まる。
「僕の遺伝子に刻まれた刻印は炎を造ることに特化しているんだよ。凄いだろ?」
あざ笑う。火に手を突っ込む。崇志はそれを睨むように見ていた。
「それが何?アンタさぁ、馬鹿じゃねぇの。ちょっとした火の芸が出来るからなんだよ。クダらねぇ。祟るよ?」
崇志は低い声で吐き捨て、泰然とした態度を崩さなかった。しかし恐怖で足が竦んで動けない。
それでも頭に血が上っている所為か口だけは動く。弱い犬ほどよく吠える、という言葉が崇志の頭にチラつく。
崇志の挑発を受けて円治は瞳を険しくした。右手を優雅に動かすと火は激しさを増し崇志に襲いかかった。火は蛇のように崇志に迫り、彼の胸へと直撃した。
「っ」
胸に強い衝撃と熱が襲った。祟り神でもある崇志にはこの火が普通の火では無いことが分かった。火はすぐに崇志から離れ、蛇が様子を伺うように彼の周りをぐるりと取り巻く。あまりの痛みに崇志の足から力が抜けた。
「ふふふ。僕の遺伝子はかつて『神の島』に棲み、たった1人で『神律』を護ってきた火の魔人『ホムラ』のものを基にしているんだ。僕は『ホムラ』のクローンで、言いかえれば僕自身は火神そのものなんだよね」
「っ」
「あらら、やっぱ君は外れか。残念だなぁ。君は見込みがあると思ったのに」
無様に倒れていた崇志に円治のつまらなそうな声が届いた。
「このガキじゃないとすると、一体誰がエリカに入知恵したんだ」
意識がもうろうとする中、円治がエリカの髪を引っ張り、問い詰めている姿を見ていた。エリカの顔には変化はない。痛くないのかと崇志はぼんやりと思った。
「エリカは電気信号を送って、脳に送られる痛みの刺激を抑制しているわけ。ザコはザコなりに工夫しているんだよ。本当に下らない工夫だけど」
円治がそう言ってエリカを放した。
一方、崇志は息苦しさを感じ始めた。彼の周りで取り巻く炎が、周囲の酸素を奪っている。このままでは一酸化中毒になってしまう。立ち上がりたかったが、次第に彼の瞼が閉じていく。
「それでは、神社に棲む少女とやらを探させてもらうよ。おやすみなさい。崇志君」
最後に円治の、玄関で会った時のような柔らかい声が聞こえてきた。




