祟り神と少女②
麻美は時折、『神の島』と呼ばれる、空飛ぶ島の話を崇志に聞かせた。
「その島はかつて、凄く偉くて、力のある神様が住んでいた土地。島自体は普通の人間には視えないような魔法が掛けられているけれど、とても豊かで美しいらしいわ。残念ながら今ではその神様は去って、人間たちが『神の島』を手に入れてしまった。そこで暮らしている人間たちはとても汚い人ばかり。彼らは日々、神様を研究しながら、良好な『魔術師の遺伝子』を造っている。『魔術師の遺伝子』を造って自分達が神様に近付くためなら、何でもしてしまう人達なのよ。今までも、彼らは地上でたくさんの妖怪や神様を捕まえてきた。だから、崇志も気をつけるのよ。彼ら『ヤオヨロズ』に見つからないように」
「おい、これはどういうことなんだ?」
険しい声音で崇志は尋ねた。鬼姫は崇志と天竜寺となら仲良くやれる、と言っておきながら事態はその間逆の結果を生んでいる。
鬼姫に騙されて、面倒なことに巻き込まれていることに崇志は気が付き始めていた。別段、鬼姫の「崇志に嫁を探してあげよう」という言葉を鵜呑みにしていたわけではない。それでも、利用されるような形で裏切られるのは、さすがに傷つくというか腹が立つ。
「いやいや。別に崇志を騙したわけじゃないぞ」
崇志の険しい表情を見て鬼姫は笑うのを止め、真顔で答える。
「性格的にはけっこう相性がいいんだよ。お前達は」
鬼姫は嫌らしい笑みを浮かべた。
「こいつは誰なのよ」
天竜寺は鬼姫に値踏みするような視線を向けている。
鬼姫は軽く頭を下げた。
「初めまして、新しき時代の魔術師。私は古き世に守巣の山で懲伏された鬼の姫。そして守巣に祀られた祟り神。まぁ、祟り神と呼ばれるのは嫌だけど」
「何が神よ。ただ人間達から怖がられているだけの存在の癖に。貴方なんか魔人で十分よ」
天竜寺は瞳を細めた。彼女から殺気が再び溢れる。
「となると、貴方が魔人狩りである私の標的ってことね」
「そうなるな」
鬼姫は首肯してから、醒めた声で断言した。
「でも、お前じゃ私には勝てないよ」
「そんなの、やってみないと分からないわ!」
ヒステリックにも聞える声が天竜寺から上がった。
鬼姫は意にも介さず、右手を上げて細長い銀色のカギを取り出した。すると天竜寺の顔色が変わる。
「ちょっと、それって私の手錠のカギじゃない。返しなさいよ。この泥棒」
「泥棒とは心外だな。私はこの土地の神様だから、この土地にある物は全部私の物。その約束こそ、私がこの土地で大人しくしている変わりに決められた条件」
澄ました顔で嘘か真か分からぬことを言う。
天竜寺はわなわなと震えていた。
「ど、どうして貴方がそれを持っているのよ。肌身放さず持っていたはずなのに」
「ふふふ。私の力を持ってすれば、どんな力でも無効化できるのさ」
「何よ、適当なことを言って。いいから、それを返しなさいよ。じゃないとこの手錠が外せないのよ」
天竜寺からの話を聞いて、崇志も自分に掛けられた手錠を眺める。いつまでもこんなものをしているわけにはいかない。第一動きにくい。
「とりあえずその鍵は返しくれ。俺も困る」
崇志も願いでるが鬼姫はゆっくりと首を振る。
「残念ながらこれを返すわけにはいかない」
「おい、調子に乗るなよ。クソ鬼。お前の角を引っこ抜いてから祟ってやるぞ」
「そ、そうよ。早く返しなさいよ」
崇志は我慢出来ずにドスの効いた調子で、天竜寺は彼の声に驚いたのか、少し勢いを失うも文句を言う。
困ったように鬼姫は呟いた。
「この鍵を返せば、私はそこのヒステリック女に狙われてしまう」
「誰がヒステリック女よ」
「それが何だ。俺は一向に構わない」
「うわ、私の神主兼下僕の癖に最低なことを言うのな」
「言っておくが下僕になったつもりはないぞ」
まぁそれは置いといて、と言って鬼姫が咳払いをした。
「私としてはこの土地で神様を続けたいと思っている」
「そんなこと言われても、私は貴方を『ヤオヨロズ』の本部に連れて行って報酬を貰いたいのだけど」
「ああ、新しい導き手がこんなに貪欲な奴で、世界も可哀そう」
嘆くように、鬼姫はよよよよと泣きまねをした。
「言っておくけどね。私の他にも『ヤオヨロズ』はいるのよ。どうせいつか誰かに捕まるんだから、今のうちに私に捕まっちゃいなさいよ」
「それは大丈夫。私には考えがある」
鬼姫は強い口調に戻り、天竜寺エリカに真剣な表情を向けた。
「私はお前と取引がしたい。それに応じてくれれば、この鍵を返してもいい」
「取引?」
「そう、私にとってもお前にとっても利益のある取引」
鬼姫は告げる。
「へぇ、どんな条件なのかしら」
「お前には私の存在を『ヤオヨロズ』から隠すために動いてほしい」
「はあ?そんなの私に利益が無いじゃない。それなら私は貴方を捕まえたほうがいいわ」
顰め面で天竜寺は言ったが、鬼姫は頭を振る。
「その変わり、私がお前に、私以外の魔人を捕まえる手伝いをする」
天竜寺は少し黙り込んだ。崇志には、鬼姫が天竜寺にスパイになれと言っているように聞えた。彼にとってはとにかく早く手錠を外してほしかったため、特に横やりを入れずに静観を決め込む。
「お前のチカラはさっき見せてもらった。とても小さな雷を応用して身体のチカラを高めた技術は見事だった。でも、私達異常な存在はそこらの人間よりも強い程度じゃ敵わないのは、お前も分かっているはず。つまり、お前のチカラじゃ妖怪一匹捕まえることは出来ない。でも私が協力すれば、あるいは」
そこで言葉を止めて、天竜寺を伺う。憮然とした表情を崩し、彼女は口元を吊り上げた。
「それは、面白そうね」
「それでは取引成立ということで、停戦条約の成立だ」
二人は顔を見合わせて狡猾な笑みを浮かべた。
日が沈み込んだ夕刻、街を崇志と鬼姫は歩いていた。今月の花火大会のためか道に沿って提灯が飾られている。所々に巨大な提灯も飾ってあった。
「結局、お前は何がしたいんだ?」
錠が外れた手首を回しながら、崇志は聞く。
「それは、決まっている。崇志の嫁さんを探すためだ」
「嘘つけ。お前を狙っている天竜寺を出し抜きたかったんだろ」
げんなりとした調子で言った。今日一日散々振り回されて、もはや怒るのも面倒だった。
意外なことに、鬼姫からため息が漏れた。
「正直なところ、私も困っている。まさか、『ヤオヨロズ』のメンバーと崇志が最もお似合いだとは思わなかった。これも全ては、あのチビの所為だろう。あのチビは私の予想を超えるほどにしぶとい」
あのチビといのは崇志にとり憑いている悪霊のことだろう。
鬼姫の話を聞いて、崇志はようやく彼女の行動の真意が見えてきたような気がした。考えてみれば、敵である『ヤオヨロズ』のメンバーと崇志が恋仲になるのは、かなり危険なことなのだ。自分だって祟り神なのだから。
「なるほど。それで、まずは敵である『ヤオヨロズ』から身を隠すことに専念することに決めたのか」
「いいや。違うよ」
鬼姫はきっぱりと否定した。
予想に反した鬼姫の答えに、崇志はきょとんとした顔を向ける。
「私としては崇志と天竜寺エリカが結ばれることを望んでいる。今回だけは天竜寺エリカが遺伝子教育者ということには目を瞑ろう。だからお前は天竜寺エリカと恋仲になることだけを考えろ。私とお前の未来のためにも」
鬼姫の表情に起伏はなく、本心かどうか分からなかったが、最後の言葉は力強いものだった。
「彼女は『ヤオヨロズ』なんだろ?彼女と仲良くするのは、一応祟り神の俺としても少し怖いんだけど」
「安心しろ。彼女と私達は共犯者だ。それに、人間の血を濃く受け継いだお前は一見、普通の人間と変わらない。正体がばれることも無いだろう」
「うーん。それでも天竜寺と仲良くするのは難しいと思うぞ」
気位の高そうな彼女の表情を思い出す。
自信の無い崇志に対して、鬼姫は強気だった。
「そうでもない。私には縁結びの神としての自信がある。私を信じな」
胸を張り、根拠のない自信を鬼姫が口にした。崇志はうんざりとした気分だった。
「どっかの誰かさんを信じて、俺は今日酷い目に遭ったけどな」
「遺伝子教育者の『魔名』は少し読みにくくて、行動を予想するのが難しいんだ。だけど、お前とあの娘の相性が良いことは確かだ。つまり崇志は私の言うことを聞いていればいいのさ」
「人ごとだと思って随分と無茶なこと言うな」
「ぶっちゃけると、崇志がどうなろうと私には構わないからな」
「お前なぁ」
疲れた様子で鬼姫を見る。彼女は真剣な表情で崇志を見つめていた。
「正直な話、私にとって崇志が不幸になろうが、幸せになろうが、心の底からどうでもいいと思っちまうような心のつくりになってるのさ。でも崇志がいつまでも私の神主でいると本当に困るのは事実。そういう訳で私はお前を全力でサポートする。お前も明日から必死にアプローチしていくことを勧めるよ」
「アプローチって天竜寺のことか。上手くいくとは思えないんだよなぁ」
鬼姫は天竜寺に、異形の居場所を教えるという理由で、明日神社に来ることを伝えていた。
「いずれにしろ、崇志はもっと人と接するべきなのさ。そうしないといつまでたっても結婚できないし、普通の人間にもなれない」
高校生で結婚のことを言われてもなぁ、と崇志は思った。それでも社交性が無いのは事実である。普通の人間ならもっとたくさんの人と絆を築くものだと思う時は頻繁にある。
周囲には、まばらではあるが屋台も並んでいる。心なしか人通りも多い。
「天竜寺のグループに俺とお前は狙われているんだろ?下手したら、天竜寺が仲間にお前のことを報告しているんじゃないのか?」
「それはないよ。彼女達の組織は、基本的に個人プレー。最初に異形を捕まえた者に報酬が渡される。だから誰もが、他人を出し抜くことに必死で、あの娘は意外とそんな世界で苦しんでいる」
鬼姫の言葉に、崇志は目を丸めた。あの自信過剰な少女が苦しんでいることがあるというのが信じられなかったのだ。
「人間ってのは、誰も彼も苦労していて大変なんだねぇ」
崇志は呟いた。




