祟り神と少女
崇志が見るかぎり、天竜寺エリカは浮いていた。もちろん崇志より浮いているわけではないのだが、彼女はいつも一人だ。というよりも人を近づけさせない雰囲気があった。
容姿も勉学も運動も家柄も完璧というだけあってなのか、それとも遺伝子教育者という立場の所為か、彼女と生徒達の間には距離があった。
遺伝子教育には多大なお金が掛るため、ほとんどの一般家庭から、それを行う者はいない。
そもそも遺伝子教育と言っても、部分的な遺伝子操作だけを行うことが一般的だ。計算能力に特化していたり、暗記能力に特化していたり、部分的な能力を高めることが普通なのだ。ところが天竜寺はほとんど全ての分野で優秀だった。
その反面、彼女の性格や言動にもかなりの問題があった。
いつも嘲笑しているかのような笑みを浮かべて、時には明らかに侮蔑したことを平気で口にする。
そんな人物に好き好んで近付く人間は少ない。遺伝子教育者専用の学校に行けばいいのにという陰口を崇志は何回か聞いたこともある。
とはいえ、天竜寺の父親の天竜寺財団が非常に強い権力を持っている。結果、天竜寺に媚びへつらう生徒は多い。
そんなこんなで、彼女の周りには取り巻きがいることが多く、簡単には携帯を返すことが出来ない。それなら仕方がないとあきらめて職員室にでも届けよう、崇志はため息をつきながら思った。
しかし、鬼姫はそんな崇志の気持ちを見透かすように言う。
「大丈夫だよ。内気な崇志のために、天竜寺エリカを体育館倉庫に彼女を呼んであるから」
鬼姫は楽しそうにそう告げてきた。
ありとあらゆる資質は設計図である遺伝子によって決まる。だから血というものを大切にしなくてはいけない。母である麻美は崇志にそう言い聞かせた。
「努力しても、設計図に入ってないものは出来ないの。人間は空を飛べないし、海で生きることは出来ない。同じように遺伝子の設計図の中に、幽霊が視える要素を持っていない人には幽霊は視えないの。遺伝子の中に魔法を操る要素が無い人には魔法は操れない。それならば、遺伝子の中にこれらの要素を無理やり付加すれば魔法を使うこともできるし、幽霊だって視えるようになる。これはすごいことだと思うわ。でもね、問題はその貴重な遺伝子の設計図がどこにあるかよね。彼らはずっと探し続けているの。私たちのように、神の血を引く異形の遺伝子を」
麻美は疲れた口調でそう言っていたが、幼い崇志には理解できなかった。
ただ、自分の設計図は人見知りで頭の回転が悪くなるように造られているのだろうなと思ったのだった。
できないことなら、しない方が利口だ。ましてや祟り神である彼が人と恋愛ができるはずがない。それなのに。
「何してんだろ、俺?」
放課後の倉庫の扉の前で赤井崇志は固まっていた。
鬼姫の作戦に嫌々ながら崇志は参加することにした。鬼姫に言い包められた気もしないでもないが、「他人の携帯をいつまでも持っているわけにはいかない」と自分に言い聞かせた。しかし、崇志には直接学校で渡す勇気はなかった。
本来ならばこっそり下駄箱にでも入れておきたいところだが、鬼姫曰く「大丈夫だって。今日の所は直接渡すだけでフラグが建つし。そんな睨みつけるなよ。独断でことを進めたのは悪かったよ。でも安心しな。後で天竜寺の下駄箱に『体育館倉庫の中で待ってるよハート』って文を送っておくから。いや、冗談だって。ちゃんと『携帯拾ったので倉庫に来て下さい』って書いておくから」そんなことを自信満々に言い残し、どこかに消えてしまった。
放課後になった今、崇志は予定通り倉庫にやってきたのだ。気だるそうな表情だが、彼の心臓は様々な思考で早鐘のように脈打っていた。というか頭が真っ白。
(彼女はきちんとした手紙を送ったのだろうか。何か妙に楽しそうだったし、変なことを書いてないだろうか。というか放課後に呼び出しなんてまるで告白みたいじゃないかな。やっぱり帰ろうかなぁ。でも携帯どうしよう)
色々な不安はあったのだが、「とりあえず今日は携帯を返すだけでいい」と彼女も言っていた。つまりこれはただの親切。
ようやく気持ちを割りきり、倉庫の扉を開いた。
あまり使われていない倉庫の所為か、埃が舞うのがはっきりと見えた。天竜寺エリカはまだ来ていないみたいだった。考えてみれば特に時間を決めていたわけでもない。
(もしかして鬼姫に遊ばれただけかも)
実は携帯を盗んだというのは嘘で、倉庫に入ったらドッキリとか書いてある可能性を考慮すると、一寸前まで緊張が嘘のように溶けていく。
埃が収まるのを待ち、中に踏み込む。誰かがいる様子も、何か細工をしている様子もない。
倉庫の中はじめじめとしていて暑苦しかった。
(考えてみれば、仮に天竜寺が手紙を見てもここに来るとは考えにくいな)
冷静になって考えてみると、こんなところに呼び出されて来るような人間はいないかもしれない。おまけにあの天竜寺なら無視する可能性のほうが高い。後ろ向きの思考を重ね、ホッと胸を撫で下ろしたくなるような気持になった時だった。
後ろから差し込んでいた日の光がスッと消えた。
ガシャン、と鍵を閉める音が暗くなった部屋に響く。開けっぱなしにしていたドアが突如閉められたことに気が付き、はっと後を振り向こうとした。しかし、背後から力強く両腕を回された。がっちりと崇志の身体は固められて身動きがとれない。
押さえつけられた腕の力は強く、どうしようもない痛みを崇志は感じた。しかし痛みを忘れるくらい、崇志は頭に血が上っていた。
(鬼姫の奴、何がしたいんだ)
イラつく頭の中で崇志は理解した。
崇志を押さえつけている腕は予想していたよりも細かった。それなのに人間離れした握力があった。こんなことをする奴は、そしてこんなことが出来るのは一人しかいない。自分は鬼姫にいいように遊ばれていたのだと確信した。
「遊ぶのもいい加減にしろ。クソ女。祟るぞ」
崇志は首を後に反らせてから持ち前の、低い、自分ですら寒気のするような声で囁いた。
力の強い神であり、優勢な立場の鬼姫が怯えてくれるとは思わなかった。
ただ彼は一度沸点を超えてしまうと黙っていられなかったのだ。内公的な人間ほど沸点は低い時が多い。
意外にも後ろからは「ひっ」と息を呑む音が漏れ、一瞬だけ腕から力が抜ける。
刹那、崇志は弾かれたように身体を捻りながら飛びあがり、身体を回転させた。小柄な人影が視界に入る。
(鬼姫にしては小さくないか?)
湧き上がった疑問を振り払い、相手に反応させる暇を与えず、崇志は至近距離から蹴りを放った。
蹴りを放ってから、小柄な影の動作は素早かった。余裕をもって蹴りを両腕でガードされた。崇志は蹴りの反動で影から飛びあがるように離れる。空中で態勢を整え、地面で受け身をとった。
埃を舞いあがらせながら床を転がり、真横にあった細長いポールを抜いた。子どもの頃から祖父に剣術を習っていたので多少の心得はあったりもするので獲物が手元にあると妙に自信が湧いてくる。
「もう許さねぇ。本当に祟るぞ」
少し強気になりどこかチンピラの如くドスを効かせる。埃も次第に収まり薄暗かった倉庫にも眼が慣れてきていた。対峙する人物の輪郭が確認できるようになってきた。
よく見ると頭から矢が生えている。
「何を今さら、白々しいわね」
不機嫌そうな声を聞いて崇志は間の抜けた声が喉から出た。
「天竜寺?」
崇志の眼の前に立つのは、崇志と同じくらいの身長で、毅然とした顔付きをした少女だった。
崇志はポールを握る手から力を抜いた。
ところが天竜寺はただならぬ形相のままだ。
「貴方が倉庫に来いって手紙で書いてきたわよね」
瞳を剣呑に細め、天竜寺エリカは崇志を睨んできた。とてもじゃないが、「落ちていた携帯を返しにもらいに来ました」という軽い雰囲気は欠片もない。
もしや鬼姫があらぬことを書いたのではという不安が崇志の心で膨らむ。つい先ほど背後から襲われたことを考えると、「果たし状」的な手紙を入れたのではなかろうかとすら思えてしまう。はたまた「オマエノ携帯ヲ盗ンダ。返シテ欲シクバ体育館倉庫ニ来イ」的な脅迫文かもしれない、と崇志の顔は青白くなる。
(何が恋愛成就だ。縁結びの神だ。やっぱりあんな得体のしれない奴の言うことなんて聞かなければ良かった。というか手紙の内容を確認しておけば良かった)
崇志は今さら悔やんだ。
「天竜寺の携帯が落ちていたのをたまたま見つけてね。アンタに返そうと思ってここに呼んだんだ」
咄嗟に鬼姫と打ち合わせした通りの言葉が口から出ていた。今さらどうしていいか分からない。半ばやけになってポケットから天竜寺の携帯を取り出した。
「これ、だろ?」
天竜寺は頷いた。その瞳はしっかりと崇志を見据えている。
「よく落ちていた携帯が私のって分かったわねぇ」
からかうような口調に崇志は内心動揺するも、憮然とした表情は崩さない。
「それは、携帯のプロフィールのとこに名前が書いてあったからね。本当はすぐに返してあげたかったんだけど、天竜寺の周りにはいつも人が集まっているから声を掛けるのは躊躇われてね。ここで渡すことになってしまったんだ」
アンタは目立つから俺みたいのは近づきがたい、と崇志は呟いた。
天竜寺は相変わらず意地の悪い笑みを浮かべながら口を開く。
「あらあら。私は携帯のプロフィールに自分の名前なんて書いて無いんだけど」
さすがに崇志は顔を引きつらせた。「騙されたと思って」とぬかしていた鬼姫の優しげな顔が浮かぶ。
恐る恐る携帯のプロフィールを確認したが、確かに天竜寺の名前は書かれていなかった。
(マジかよ。本当に騙しやがって。祟ってやる)
「ちょっと待て。本当のことを言うと、この携帯は」
動揺する崇志の言い訳を天竜寺は遮るように言う。
「ふん、分かっているわよ。貴方が盗ったんでしょ。本当、最低な奴。その携帯を買うのに私がどれだけ努力したかも知らない癖に」
天竜寺の瞳から燃えるような傲慢さが消えた。
彼女は懐に手を突っ込み、刃渡り20センチくらいのナイフを取り出した。
獲物を追い詰める獣のような、隙の無い眼差しが崇志に注がれる。
「さぁ、始めましょうよ。互いの未来を賭けて。古き世の魔物さま。私は『ヤオヨロズ』直属の魔人狩り部隊の天竜寺エリカと申します」
歌うように口ずさみ、表情を歪めた。
右手に収めたナイフを真横に空を切った。刀身に小さな電光が走り、青色に染まっていく。
(って、何で盗みだけでナイフを出すんだ?)
崇志は尋常でない殺気を受け、手にしていたパイプに力を込める。
天竜寺は獰猛な殺気を放ちながら態勢を低くした。天竜寺の全身、頭から足先まで薄い青色の光の膜に覆われる。その姿は暗い部屋の中で光り、神秘的だった。
天竜寺の髪から静電気が弾ける音がした。それを合図としたのか、彼女は一直線に崇志に向かって突っ込む。
霞んでしまうほどに天竜寺の動きは速く、およそ9歩はあった距離が一瞬で縮まる。崇志は驚愕としながらも天竜寺の右手に握られたナイフの軌道を先読みし、パイプで受けの型を作る。
天竜寺から振られたナイフの蒼い閃光。いとも簡単に、鉄のパイプがそれこそ古枝のように両断された。
勢いを失うことなく、美しい弧を描いていたナイフは崇志の喉元に迫り、直前で止まった。
「油断したわね。馬鹿な奴」
天竜寺の嘲笑の言葉と同時に、崇志の左手に冷たい感触が伝わってきた。鈍い音を立てて左手に何かが掛けられた。崇志は首にナイフを突きたてられているため、何が起こったのか確認できない。
茫然と立っていると、天竜寺は意外にもあっさりとナイフを離した。
崇志が未だに背筋を伸ばして立っていると天竜寺がにやけながら、左手を掲げた。ジャラっと音を立てて崇志の左手も持ちあがる。不思議に思って腕を見るといつの間にか左手首に手錠がかけられていた。手錠には黒い鎖で天竜寺の腕の手錠と繋がっていた。
「お前、何がしたいの?」
崇志が聞くと、エリカはニンマリと笑みを深めた。
「これは封魔の手錠。もうお前のチカラは使えないわ」
「意味分からないんだけど」
「しらばくれても無駄って言っているでしょう。前から怪しいと思っていたのよ。貴方の周りで珍妙なことがたくさん起きている。何より私のポケットから携帯を取ったのが証拠よ」
先ほどの騒動でいつの間にか投げ捨ててしまった携帯を一瞥し、断言した。当の崇志は失礼にも「何を言っているんだ?コイツ」といった印象を抱いてしまう。
天竜寺は黙り込む崇志を勝ち誇った顔で眺める。
「私の遺伝子に設計された刻印はね、小さな雷を造ることしか出来ない。それこそちょっと強い静電気くらいの。でもね、電気を身体中に流して神経を刺激させれば身体能力は格段に上がるわけ。それに、特注性のこのナイフに私の電気を与えて振動させれば、鉄も簡単に一刀両断の武器の完成ってわけね」
見せびらかすように、青く放電しているナイフを持ち上げ、話を続けた。
「そんでもって私は学校ではいつも周囲に微弱な地場を張っているわ。私の身体のおよそ半径1メートルくらいに誰かが近づけば嫌でも気が付いちゃうように。でも私の胸ポケットに入れていた携帯は気が付かない間に抜き取られていた。ってことは私から携帯を盗んだやつは奇妙なチカラがあるって分かるの」
天竜寺の頬は、崇志を捕まえられてよほど嬉しいのか、上気して赤く染まっている。と、ここまでの説明を聞いて崇志は、ようやく勘違いの原因を理解した。
「言っておくがアンタの携帯を取ったのは俺じゃないぞ」
崇志がげんなりとして言うと、今度は天竜寺が呆ける番だった。
天竜寺の話から考えると、彼女が魔人というものを捕まえようとしていることが推測できる。そして天竜寺が探している魔人というのが、鬼姫であることが推測出来た。
「ちょっと、下手な嘘は止めなさいよ。貴方以外の誰が私のチカラを相殺しったって言うのよ。って何で溜息付いてんのよ」
天竜寺が怒鳴りながら、崇志に詰め寄ってきた。
その時、うす暗かった倉庫に一筋の光が差し込んだ。
「予想の斜め上をいっているな」
突如、倉庫の扉が開く。底抜けに楽しげな声が響いた。
「お前ら、本当に最高に愉快な阿呆だ。私の目論見とはまた違ったが、これはこれで面白い結果だ。まさか早速『ヤオヨロズ』のメンバーを確保できるとは思はなかった」
けらけらと鬼姫は腹を抱えて笑っていた。




