序章
祟り神は人間達から畏怖され忌避される存在だ。しかし同時に、祟り神を手厚く祀りあげることで人々に恩恵を与えるとされ、守護神として信仰される存在でもある。
ところが、とある二柱の祟り神は誰かに祀られること無く、信仰されることも無く、自由気ままに人間が生きる世界を歩いていた。彼らは、とある坂道を上っていた。
彼らの右手には、見晴らしの良い光景が広がっていた。突き抜けるように青い空の下、中心には湖が輝き、湖の周りにはたくさんの人間達がそれぞれの感性で造った建物が並び立つ。この時代には珍しく、長閑で美しい景色だった。
「ふふふ。綺麗な景色ね。そう、これよ。私達、祟り神に必要なのは、自由の感覚!好きな時に、好きなところに行って、素敵なものを見る。人間達に手厚く祀られているだけ何てまっぴらごめんだわ。そう思わない?」
母親である祟り神は、息子である祟り神に声をかける。
幼い少年の姿をした祟り神は答えず、ただ自分の掌を見つめていた。目付きの悪い少年だった。生気の無い、濁った瞳をしている。
彼の掌から、血のような真赤な鳥が飛び出し、青い空へと飛び立った。
それを視て母親の祟り神が、クスリと笑った。
「この烏は貴方から生まれた赤い鳥」
少年の横で、彼の母親が赤い鳥を指差し、言った。母親と少年は瓜二つの顔をしている。
「赤い鳥は人々に不幸という祟りを運ぶ。貴方は不幸をばら撒く祟り神。人間から忌み嫌われる存在。でもね、貴方は自分のことを誇っていいの。だって、人間にとって一番大切なのは不幸という試練だもの。私達は人間にとって必要な神様なの。神様である貴方は好きなことを、したいようにすればいいの」
そう言って、母親は少年をそっと抱きしめた。
少年は無機質な瞳で青い空を見つめている。母親が何を言っているのか分からなかった。でも母親が不思議なことを話すのはいつものことで、少年はさして気にもとめない。
耳元で母親が続ける。
「貴方の好きなように生きなさい。祟り神になりたいなら、赤い鳥をばら撒く旅を続けなさい。私のように、誰にも頼らず、一人で延々と世界中を逃げなさい。人と共に生きたいのなら、貴方の力を抑えてくれる神様のところに行きなさい」
「俺は普通の人間として、普通に暮らしたいなぁ」
か細い声が少年から発せられた。
少年の答えに、母親は少しだけ悲しそうに笑う。
「そう。ならばここに来てよかったわ。貴方は私と違って優しい子ね。私は人間が嫌いで、嫌いで祟り神になってしまったけど、貴方は違うのね」
少年から離れ、母は立ち上がった。再びもとの陽気な口調に戻り、彼に言った。
「よし。人として生きたいなら、さっそく赤井神社に行きましょう」
「赤井神社?」
「ええ。私が育てられた神社でもあるわ。話したこと無かったかしら?」
少年は首を傾げた。聞いたことがあったかもしれないし、無かったかもしれない。母の話はいつも小難しいからあまり覚えていない。
明るい笑みを浮かべて母親は赤井神社について語りだした。
「赤井神社といのは祟り神達の、祟り神による、祟り神のために造られた施設の一つよ。人間に見つらないように。祟り神が人と共存できるように。そんな場所。昔もそうだったけど、祟り神は人間の世で居場所が無いの。特に、今の科学信仰の時代じゃ、新しい祟り神を祀ってくれることすらないしね」
まぁ私は祀られたくないけど、と笑いながら言った。それから咳払いをして、彼女は話を続ける。
「赤井神社は祟り神にとっても、他の異形にとっても安全な場所なの。今でもいろんな異形達が棲んでいて、悪霊の女の子や、化け狸とかも暮らしているの。貴方もそこで皆と仲良くやりなさい。あそこの神様は貴方が来るのを嫌がるかもしれないけど、きっと貴方の力を抑えてくれる。ねぇ、聞いている?」
聞いていなかった。少年はただ、ぼんやりと空を見上げていた。彼は空の青色が大好きだった。出来ることなら、祟りを運ぶ赤色の鳥では無く、爽やかで清々しこの空色の鳥を飛ばしてみたいとずっと思っていた。だから、聞いてみた。
「ねぇ、母さん。幸せの青い鳥ってどうやったら捕まえることができるの?俺はどうしてもあの鳥が欲しいんだ。あの鳥を捕まえて、鳥籠に入れて、それを見せてあげたい奴がいるんだ」
「え?青い鳥?アレを手に入れるのは無理よ。だってアレは人間に寄ってくるものだもの」
「やっぱりそうなんだ。普通の人間にならないと捕まえられないんだね」
小さな声で少年は呟いて、青空へと手を伸ばす。彼は幸せになりたいわけではない。ただ、青い鳥が欲しかった。幼い頃から、「青い鳥を捕まえろ」と急かされてきたから。
飛び立った赤い鳥は、遠くの空へと消え、少年の瞳にはもう映らない。
「そんなことより、これで貴方と私の旅はもう終わり。これから貴方は人の世で生きていく。いくつか、気をつけなければならないことがあるわ。まず、『ヤオヨロズ』には注意して。彼らは私達、神を捕まえようと躍起になっているの。あとは、それから、」
この後も、母親は長々と少年に注意事項を並べ立てながら歩いていく。少年はその話を黙って聞いていた。
母親と少年は、長い石段の前に到着した。石段の上には赤井神社と書かれた鳥居が立っていた。
『アア。早ク、早ク、私ニ青イ鳥ヲ見セテクレ。ソウジャナイト、私ハ』
ふと、少年の背後から男の声が聞こえた気がした。声の方を見るが、そこには誰も居ない。
少年はため息混じりに言った。
「あぁ。分かっている。すぐに青い鳥を見つけてやるよ」




