9.茶会
母の娘時代の着物を着て、久保田さんに手伝って貰って、髪を結いあげた。
涼しげな流水の柄に合わせて、蛙の帯留めとかんざしをつける。
鼈甲を岩に見立て、そこに翡翠で出来た蛙と珊瑚の小さな蟹が遊ぶ、ちょっと可愛い意匠のものだ。
私のお気に入りで、小さい頃、母に欲しいとねだった記憶があったので、無くなった時にすぐに分かった。
「あなたが大きくなったらね」と言われたその品まで、新堂家に持ち込まれた荷物の中から見つけた。
念願の帯留めとかんざしで着飾ったのに、ため息が出る。
これから新堂家の婚約者として、珍獣のように連れて歩かれると思うと、心が重くなる。
準備が出来て、幸太郎さんの待つ居間に向かう。
源一郎さんは益子さんの動揺を抑えるために大好きなハワイアンカフェとフラダンスショーへと外出していた。
つくづく夫婦仲の良い二人だ。
一体、誰が益子さんに酷いことをしたのだろう。
それが無かったら、巡り巡って私がこんな目に会わずに済んだのに。
私の訪れを知って、偽りの婚約者が読んでいた新聞を下げる前に、行動した。
「見ないでください」
「なんで?」
「ジロジロ見て、笑われるの、嫌なんです」
きっと今日もそうなるに違いない。
苛立つ気持ちが、私を後押しした。
「……そんなこと、しないよ」
高そうなスーツを着た幸太郎さんが心外そうに答えた。
「いいえ、してます。
初めて会った時から、いつも人のこと見て、笑うじゃないですか」
私は扇子を広げて顔を隠した。同時に目の前の男の人の不愉快そうな表情も見ずに済むだろう。
借金取りと対峙した時に分かった。
この人は冷たい顔が出来る。そして、それはとても怖い。
しばし沈黙が流れた。
金で買った偽装嫁が生意気を言ったのだもの。
扇子の向こう側は、その顔になっているだろう。
「雪花お嬢さまったら、お恥ずかしいのですね」
久保田さんがまったく私の気持ちを反映していない弁護をした。
すると幸太郎さんの笑い声が聞こえた。
手から扇子を奪い取られた。
ちょっと下がって、やっぱり上から下まで見られて笑われる。
「―――よく出来たね」
「ええ、幸太郎さま。
とてもお綺麗です。
まるで日本人形のようですわ。
雨宮家のお茶会といえども恐れるものではありません。
会場中の注目を集めることでしょう!」
今日の久保田さんの言葉はことごとく的外れだった。
雨宮家のお茶会で注目の的だったのは、私ではなく、そこのご令嬢の一人、雨宮真白だった。
幸太郎さんも彼女の方をチラチラと見る。
それはそうだろう。
家柄も美貌も私より上級品だ。
望むなら彼女の方と結婚したかっただろう。
残念ながら、新堂家では高嶺の花すぎる。
「俺、あの人、尊敬しているんだよね」
「へっ?」
不意に耳元で囁かれた。
いつもの甘いものではなく、やや緊張の籠った声。
珍しい。
そして、誰のこと?
よくよく見ると、美しいお嬢さまの隣に、やたらデカくてゴツクで怖い顔の男が立っていた。
ボディガードかと思った。しかし、それにしてはお嬢さまとくっつきすぎている。
イチャイチャという擬音と、いくつものハートが飛んでいるのが見えそうだ。
「あの人!?」
「そう、小野寺冬馬。
小野寺家の御曹司だよ。
彼はね、後妻の連れ子だけど、その経営手腕は見事なもので、小野寺の業績を上げまくっている。
それに何と言っても婚約者が……あっ、いや、なんでもない」
はいはい、分かってますよ。
婚約者が雨宮家のご令嬢なんでしょう。
すみませんね。没落式部家の娘で。
お宅のお金じゃ、それが限界ですよ。
本当に苛々する。
にしても、あれほどの美しさを誇るお嬢さまが、すご腕とは言え、あんなクマみたいな男と、よく婚約しようと思ったわね。
偽装結婚? と疑いたくなったけど、二人の様子は熱烈恋愛結婚そのものだ。
う、羨ましい。
こっちが誇れることと言ったら、婚約者の顔が美形だということくらいだ。
あと若い。
小野寺家の御曹司は、三十は越えているように見える。
それに比べて、相手のお嬢さまは二十歳そこそこ。
何歳差なのだろう?
私と幸太郎さんよりも差がありそう。
年齢的にも、外見的にも幸太郎さんとの方がふさわしそうだ。
なぜか、心に棘が刺さったみたいにチクリと痛んだ。
あまりに幸せそうな婚約期間の二人を見たせいだ、と自分に言い訳した。
「挨拶したいんだけど、いい?」
何が? と聞こうとして止めた。
彼が雨宮のお嬢さまを実力で籠絡する努力よりも、式部家の娘を金で買うような真似をしたのは、ただ一つ、利用する為だからだ。
私はここに来るまで、自分が珍獣のように連れまわされる、と思ったけど、実際は違う。
私程度なんて、珍しくもなんともない。この華やかな場では、ただの女の子。道端にいる雀と変わらない。
対して雨宮真白は違う。
彼女は特別な女の子だ。いうなれば鴇だ。
誰もが彼女と話して、面識を得たいと躍起になっていた。
その人間をかき分けた幸太郎さんの持つ武器は、『式部家出身の婚約者』だった。
「式部のお嬢さんですの?」
武器は十分、お嬢さまの気を引いたようだ。
それにしても、近くに寄ると、美貌もさることながら、背の高さに驚く。
只でさえ高いのに、八センチはあるんじゃないかというヒールを履いているせいで、幸太郎さんと同じくらいの身長になっている。
隣のクマみたいな婚約者はさらに大きいので、バランスは悪くない。まさか背の高さで婚約を決めた?
ガリバーになった気分で見上げる。
余計なお世話だけど、これでは着物を仕立てるのも丈が足りなくなって大変そうだ。
それに、そのメリハリの激しい身体では、補正をいっぱいに効かせないと綺麗に着こなせない。
補正知らずの自分のスタイルに絶望しそうになる。
私が日本人形ならば、彼女はバービー人形だ。
シンプルなワンピースに、アクセサリーは一粒だけの真珠のネックレスだけしか身に着けていないのに、とてもゴージャスに見える。
素材がいいから、飾り立てる必要はないってことね。
何もかも極上のお嬢さまを前に、時乃がいたらいいのに、とまで思った。
時乃と一緒に、彼女に毒づきたい。
人の気も知らずに、真白お嬢さまに幸太郎さんは「彼女も志桜館学園高等部特進科の特待生なんです」と紹介しはじめた。
源一郎さんは私を才色兼備の嫁と自慢したかったらしいが、残念ながらその夢は潰えたようだ。
「まぁ! 私と一緒ね」
いかにも共感したように微笑まれた。
志桜館の特進科はそれなりの偏差値があるのに……この人、頭までいいの?
これはことあるごとに、彼女と比較され、貶められそうだ。
私は益子さんの気持ちになってきた。
全てを兼ね備えて、愛する婚約者までいる女性の幸福に、羨ましさを通り越して、憎しみすら湧いてくる。
婚約者はクマみたいだけど、幸太郎さんより優しい性格をしている。
「これから顔を合わせることも多いだろう。
雪花さん、真白と仲よくしてやってもらえると、嬉しいよ」
「よろしくね、雪花さん」
どう考えてもそちらの方が格上なのに、なんのてらいもなく、手を差し出してくる。
益子さん……時乃……これが真のお嬢さまというものなのよ。きっと。
私の手を握ると、そのままの体勢で、真正お嬢さまは愛する婚約者に拗ねたように言った。
「ほら、別に高校生だってかまわないのよ。
私も早く婚約したかった……羨ましい」
どこが?
何が羨ましいのか、さっぱり分からないんですけど!!!




