6.私室
ベルサイユな部屋の中で、久保田さんが弁明した。
「奥さまが、ご令嬢ならロココ調だろうと……お気に召しませんか?」
益子さんの『令嬢観』がうかがえた。
気を遣っているのは分かるが、私はそれこそ、幸太郎さんが『殺風景』と評した部屋に住んでいた。
本当はもっと奥の方の部屋を使っていて、そこはそれなりに素敵な部屋だったのだが、使用人が減り、掃除が行き届かなくなってきた時に、母から言われてより表の方に居を移すことになったのだ。
ただの襖で仕切られただけの和室に、必要な家具を持ち込んだだけだったので、寂しい部屋と化していた。
それに比べればどんな部屋だって、上等に見えただろう。
何もこんなピンクと金色のフリルにまみれた部屋じゃなくてもいい。
あと、並べられたビスクドールも怖い。
が、勿論、言えるはずが無い。
「ちょっと驚いただけです。
素敵な部屋をご用意して下さって、ありがとうございます、と益子さんに伝えて下さい」
そう言うと、久保田さんは目を潤ませた。
「お気づきかとは思いますが、奥さまはご自分の出自にひどい劣等感を抱いておいでなのです。
そうは言っても郷里に戻れば、土地持ちのお嬢さんだったとお聞きします。
その土地を足がかりに、新堂の旦那さまは事業を大きく出来たそうです。
ですが、そうやって新堂の家が大きくなり、上流階級の人たちと付き合うようになるにつけ、奥さまのことを表だって貶め、辱める人間たちに出会うようになって、それであんな風に……。
今ではもう、どうしても必要な時以外は社交の場には出ないで、お好きなハワイに行っては、ゆっくりとお過ごしになっています。
普段は朗らかで、大らかな優しい奥さまなんですよ」
「どうか分かってあげて下さい」と言い添えられた。
それで没落したとはいえ、元伯爵家『式部』の娘が嫁にくると聞いて、怯えていたのだ。
さぞ高慢で嫌味なご令嬢がくると思っていたのだろう。
同時に幸太郎さんほどの美形でまともそうな成人男子が、嫁を金で買うという行動に走ったことが理解できた。
彼だって母親と一緒に嫌な思いをしたこともあっただろう。
生まれるかもしれないその息子もまた、同じ目に合う可能性もある、
それを防ぎ、新堂の名を高めるためには、手っ取り早く、名門名家の娘を嫁にすればいいと考えたのだ。
そして私に白羽の矢が立ってしまった。
疲れたこともあって、手近にあった猫足のソファーに座る。
これからどうしようか。
事情を知った以上、飽きたからと言って簡単に手放してもらえる希望は薄くなった。
跡取りも作らないといけないようだ。
いやだ、そんなこと、私に出来るかしら。
でも、そうね、それこそ、『元』がつかない頃の式部伯爵家の娘たちは、顔も見たことのない男の家に嫁いでいったはずだ。
あの時代に恋愛結婚はまずなかっただろう。
そこで彼女たちは自分に折り合いを付けて生きて行った。
式部家に嫁いできた娘たちもそうだ。
母だって見合い結婚だったし、私も順当にいけば生まれる前から縁組されていた一角家に嫁いだろう。
こういう家に生まれた以上、そういう運命なのだ、と割り切ってしまえばいい。
「雪花お嬢さま……」
不安そうな久保田さんに微笑む。
「また、よろしくお願いしますね。
何も分からないことばかりなの。
教えて下さるとうれしいわ」
「はい! 勿論でございます。
再び雪花お嬢さまの元で働けて嬉しく存じます」
「そんな……あなたには満足な給金も払えず、放りだす結果になって申し訳ないと思っていたの」
久保田さんは息子さんを一人で育てていたはずだ。
その息子さんが海外に留学していて、仕送りをしないといけないから、と式部家を離れていった日のことを思い出した。
「いえ! 式部の旦那さまに新堂家をご紹介頂いて、私こそ、申し訳ないと思っていましたわ。
こんないい家……私一人ではとても探せずに、路頭に迷っていたはずです」
私は意外に思った。
お父さまと源一郎さんは長く付き合いがあるのね。
少なくとも三年はある。
もともと不健全気味だった財政状況が一気におかしくなったのはここ二年だ。
この縁組は前々から計画されていたことなのだろうか。
用意周到すぎる。
妻の作った料理を幸せそうにほおばる源一郎さんの顔は、そんなことをする人にはもう思えなかった。
脂ぎって小太りだけど、それは妻の手料理が詰まっているからなのだ。
「今、式部家には誰もいないのよ」
「存じてますわ。良かったです!」
「えっ?」
びっくりして久保田さんの顔を見た。
使用人が全員いなくなったことを喜ばれるなんて、ショックだった。
そんな私に彼女は怒りを隠しきれない様子でまくしたてた。
「雪花お嬢さまにこんなことを申し上げたくはないですが、式部家に最後まで残っていた人間ほど信用ならない者たちはいませんわ。
お給金が払えないことを気にする必要もありません。
やつらは旦那さまの持っている品々をこっそり盗んでいては売っていたんです!
そのうま味があればこそ、給金が足りなくても嬉々として働いていたのですよ」
「……そんな!」
泣きながら去って行った老庭師の本庄さんの顔を思い起こした。
「お嬢さまはあの老庭師のことを疑いもしていなかったでしょうが、あの人こそ、一番の悪です!
あの人は、小さい頃、式部の旦那さまが木の上から落ちたのを助けたことがあるそうです。
その恩があって、旦那さまはなかなか思い切れなかったのです。
ですが―――」
久保田さんがそこまで言った時、ドアがノックされた。
ハッとした住み込みの家政婦を、すでに開け放たれた戸口から、幸一郎さんが冷やかな目で見やった。
「旧交を深めているとこ悪いけど、お風呂の様子を見て来てくれない?
母さんがもう休みたいって」
「……はい、かしこまりました。
では、雪花お嬢さま、また参りますね」
そそくさと去っていく様子は彼女こそ悪いことをしているみたい。
状況に置いていかれている気分がして居心地が悪い。気分も悪い。ムカムカする。
「何、この部屋……すごいことになってるね」
どうやら母親が部屋を改造したことを初めて知ったらしい、唖然とした顔で見渡した後、私にトレイに乗った水と薬を差し出した。
「はい、これ飲んで」
「なんですか?」
まさか毒薬ではないとは思うけど、変な薬だったら嫌だわ。
昨日のこともあって、ベッドのある部屋でこの男と二人になりたくない。
今日のベッドは豪勢な天蓋付きだけど、それはなんの慰めにもならない。
クスっと笑ってから幸太郎さんは「消化剤だよ。君は食べ過ぎたみたいだから」と教えてくれた。
この胸やけは食べ過ぎだったのね。
妙な誤解をした自分が恥ずかしい。
大人しく薬を飲むと、今度は封筒を差し出された。
中は新品の綺麗なお札。
「これはお小遣い。
必要なものを買うといい。
高校在学中は一か月一万円あげるよ。
貯めてもいいし、使い切っても構わない。
なくなったら相談して。
くれぐれも変なところから借金をしたりしないように。
あと……宝くじも買わないように」
これをどう受け取ればいいのだろう。
この人からお金を貰ったら、もう引き返せなくなる。
私はこの男にこれからこうやって生活の面倒を見てもらうのだ。
「はぁ……そんな顔をすると、また二者択一させるよ」
「い、嫌!」
幸太郎さんの視線がベッドに向いたような気がした。
実際、そちらを見たのは私だ。
顔が熱くなった。
「最初の内はもっと金額を増やした方がいいかもね。
雪花ちゃん、とてもよく似合っているけど、家に帰ったら制服は着替えた方がいい。
夕飯の席でいつ、それにソースや醤油をこぼすか気が気じゃなかった」
言われてみて初めて、私は自分がまだ白いセーラー服を着たままなのに気がついた。
「部屋着を買うべきだよ。
式部の奥さまに荷造りを頼んだけど、部屋着らしきものは見えなかったんだけど……」
「見たんですか!!!」
「……必要なものがあったら用意しようかと思って」
最低! 最低! 最低!
女子の着替えを覗くなんて!
「そこに持ってきてから見てみるといい」
睨みつけたのにどこ吹く風で、部屋の片隅を指差された。
立派なブランドの旅行用トランクが積み上がっていた。
奇妙な家である式部家では洋服や部屋着は無かったので、私は主に浴衣や普段使いの着物を着て過ごしていた。
その旨を幸太郎さんに話すとさすがに驚かれた。
「週末は一緒に買い物に行くよ。
もし、母も行きたがったら、同行を許して欲しい。
……母は君となら仲良く出来そうだ」
最後のセリフはお得意の甘く蕩ける囁きだった。
座ったままの私に覆いかぶさるような体勢になったので、身をすくめた。
「お風呂、家族が使う大きな浴室もあるけど、嫌なら、この部屋のを使えばいい。
じゃ、おやすみ、雪花ちゃん。
明日もいい子にしているんだよ」
満足そうににっこり笑った顔は、望み通りの獲物を捕えた猟師のそれだった。
こうして、私は新堂家で生活することになった。