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4.母親

新堂家に向かう車で、またまた衝撃の事実を聞かされた。


「えっ……お母さま……いらっしゃらないのですか?」


「うん。今日の朝からハワイに遊びに行ってる」


「うちの妻はハワイが大好きなんだ。

しょっちゅう行っているんだよ」


 ハンドルを握るのは父親の方だ。

 息子の方は私が逃げられない様に後部座席に一緒に座っている。


 走行中にも関わらず、ドアを開けたくなった私を、やんわりと制した。


「住み込みのお手伝いさんいるから」


 語尾に押し殺した笑い声が重なっていた。

 何度されても、この人を馬鹿にしたような笑い方に腹が立つ。


 こっちは、男二人所帯に連れて行かれるのか、と本気で怖かったのに。

 なんで笑うのよ。

 

 それは新堂家に着いてからも終わらなかった。


 新堂家は私の家とはかなり趣が異なっていた。

 打ちっぱなしの鉄筋コンクリート作り。

 開けっぴろげな我が家とは違って、高い塀と厚い壁に守られた堅固な城壁のようだ。

 ううん、違う。

 これは牢獄だ。

 私はここで一生、過ごすのだ……。


 悲観的な気分で見上げていたら、また後ろから堪え切れない笑い声が漏れた。

 

「何が可笑しいんですか?」


 ムッとして振り返ったら、ニヤニヤした口を耳元に寄せて囁かれた。

 

 私が自分の囁きに弱い、と気が付いたようだ。

 ―――悔しいけど、いい声しているのだもの。


「うちの母はハワイ好きなんだよ」


「へっ?」


 何のこと?


 灰色の建物の入り口を開けたら、そこは南国ハワイだった。


 いくらハワイ好きだって、過剰すぎる。

 本場ハワイだって、ここまでハワイハワイはしていないんじゃないかと思うくらいのアロハっぷりだった。

 

 どちらかと言うとツンドラ気候っぽい雰囲気の幸太郎さんがその中に立っていると、ものすごい違和感を覚える。


 玄関先でこうなら、中はもっとハワイなんだろうか。

 それとも、人を迎える場所だけがこうで、家族が生活する空間は落ち着いたインテリアなのだろうか。


 靴を脱いであがろうとしたら、止められた。


 何? この家、土足?

 インテリアだけでなく、生活までハワイ化しちゃってる訳?


 これが嫁ぐということなのかしら。

 他人の家の一員になるということは、思ったよりも大変そうだ。

 それだって愛する人と一緒ならば妥協したり我慢したり……進んで溶け込む気になったかもしれない。


 愛しているどことか、好きでもない男とそんなことが出来るのか。


 側に立つ『婚約者』の顔を見上げると、笑い顔が引っ込み、なぜだか困った顔をしていた。

 その視線の方を見ると、そこに一人の女性が立っていた。


 ムームーでも着ていたら、この家の雰囲気にも体型にも合っていたかもしれないが、生憎、彼女はサイズが一回り小さい上に、季節外れな厚手のピンク色のツイードスーツを着ていた。

 そのせいか窮屈そうに身をすくめている。

 手には外したばかりのエプロンを握りしめ、額には汗をかき、怯えた様子でこちらを見ている。


「母さん……今日からハワイじゃなかったのかよ」


 後ろから車を車庫に置いてきた新堂家の主人も入って来た。


「なんと! 母さんや、ハワイはどうしたんだ?」


「ご、ごめんなさい。ごめんなさいね」


 女性があまりにビクビクしているので、この男たちに家庭内暴力でも受けているのではないかと怖くなった。

 顔にあざはないし、頬は熱いせいかもしれないけどピンク色だし、ふっくらとしているので、身体的な暴力ではないよう。


 幸太郎さんはハワイ好きなのは母親だと言っていた。

 それを裏付けるようにこの家はハワイで溢れている。ハワイに行かせても、もらえるらしい。

 着ている服も季節外れでサイズが合ってはいないけど、買った当初は、そのどちらにも相応しかったのだろう上質のものに見える。

 となると、経済的な暴力でもない。


 かと言って、言葉の暴力……とも思われなかった。


「幸ちゃんが、お嫁さんを連れてくると聞いて、お母さん、お迎えしないといけないと思って―――」


 新堂父が、妻の元に駆け寄って、震えるその手を慈しむように包み込んだ。


「それでハワイ行きを止めたのか?

あんなに楽しみにしていたのに」


「でも、でもね……幸ちゃんが……」


「そうだな。幸太郎が嫁を連れてくると聞いて、留守には出来ないな。

お前にそんな真似、出来るはずがなかったな。

分かってやれなくてごめんなぁ」


「それで……」


「そうだ、あの子が……幸太郎のお嫁さんになってくれる……」


 私の顔色をうかがうように、女性の視線が彷徨った。

 もしかしら、怖がられているの、私?


 初対面の人に、こんなに怯えられることなんて、していない。

 あなたの息子さんこそ、初めて会った女の子をベッドに押し倒した鬼畜ですよ、と教えてあげたい。

 

 昨日の怒りが顔に出たのか、表情が険しくなってしまったらしい。

 「ひっ」と小さく声を上げて、未来の姑は舅の陰に隠れてしまった。


 いけない。

 私はこの家に嫁ぐのだ。

 ずっといる不幸なことになるのか、飽きて離婚される幸福なことが起きるかは分からないが、初っ端から波風を立てるべきではない。

 

「ご挨拶が遅れまして……あの、式部雪花しきぶせつかと申します」


 それから少し考えて、靴を脱いで上がった。

 脱いだ靴を揃えてから、その場で正座した。

 うちの家で教わった礼法では、この形の方が慣れているからだ。


「いたらぬ点がたくさんあるとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します」


 新堂家の人間に頭を下げるのに抵抗はあったが、『嫁』というのはそういうものだろう。

 まして金で買われた身で偉そうには出来ない。


 長く伸ばした髪の毛が、ハワイアン調のラグに垂れた。

 畳じゃないのが不思議な感覚だ。 


「ちょっ……」


 幸太郎さんが戸惑いの声を上げ、その父親もうろたえた。

 母親の方は私に倣って正座してひたすらお辞儀し始めた。


「奥様、大丈夫ですよ。

雪花お嬢さまはお優しいお方ですから」


 また新たな登場人物が増えた。

 けれども私にとっては初めて見る顔ではない。


「久保田さん?……やっぱり! 久保田さんではなくって?」


 昔、式部の家に居た使用人の一人だ。

 この人がさっき聞いた『住み込みの家政婦さん』?


「はい。ご無沙汰いたしております雪花お嬢さま!

ご無事でなによりでございます」


 涙ぐみながら無事を寿がれたけど、そうかしら?

 私の身の安全の九割を握っている男が、腕を掴んで立ち上がらせた。


「そんなこと大袈裟なこと、しなくてもいいよ」


 こちらとしては精一杯、丁寧な対応をしたつもりなのに、怒らせてしまったようだ。

 声が不機嫌でガッカリする。

 聞くならあの、甘く蕩ける声音の方がずっといい。


「……不作法でごめんなさい」


「そんなことは言ってないよ」


 ますます不機嫌さに拍車がかかる。

 もう、どうしたらいいの!?


「ほら、雪花さんはいいお嬢さんだろう?

お前ともきっとうまくやっていけるよ。

さあ、立って」


 新堂父の方も妻を立ち上がらせる。

 でも、声の調子は息子とは全然、違う。

 とても優しくて羨ましくすらなる。


「旦那さま、奥さまがたくさんお料理を作ってお待ちしていました。

冷めないうちにお食事にいたしましょう」


 久保田さんの声に幸太郎さんが反応した。


「そうだね。そうしよう。

母さん、大丈夫?」


「ええ、大丈夫よ。

ねぇ、幸ちゃん?

この服おかしくない?

式部家のお嬢さまがいらっしゃると聞いて、何を着ていいのか分からなくて。

あなたに買って貰ったのを着てみたのだけど、大丈夫だった?」


「そうですね……とてもいいと思います。

ただ、最近はオレンジ色が流行っているそうですから、今度はそちらの色をプレゼントしますよ。

母さんは明るい色が似合いますから、そちらも似合うでしょう」


 夫に支えられた母親に、息子が限りない愛情を込めて対応した。

 客観的に見て、洋服は似合ってない。

 息子の嫁に会うのに、上質なツイードのスーツは悪くない。

 けれども、季節外れの生地だし、何よりサイズが合っていない。

 色こそ問題が無い方だ。

 それなのに、息子はそれに対して責めなかったどころか、それとなく、母親にちゃんとした洋服を用意しようとしている。

 

 私の扱いと差がありすぎる。

 そりゃあ、生みの母親と、金で買った妻とは違うだろうけど。

 その優しさの百分の一でも、向けてくれたらいいのに。


「良かった……ありがとう。

幸ちゃんは本当に優しい子ね。

あなたが選んだお嫁さんだものね、きっと素敵なお嬢さんなんでしょうね」


 幸せそうな『お嫁』さんが、買われた『お嫁』さんに微笑んだ。


 私はそれに精一杯、応えた。


 でもきっと、口の端が震えていたと思う。


 この家は奇妙だ。

 跡取り息子の嫁を金で買うような家のなのに、とても温かい雰囲気がする。

 それは別に、南国のインテリアだからではない。

 家族みんな、久保田さんも含めて、気取らず、仲よく暮らしていることが分かった。


 そんな中、丁寧と言えば聞こえはいいが、腫物を扱うように接せられる私は、とても居心地が悪い気分になっていた。

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