3.成金
私の婚約は瞬く間に学校中に知れ渡った。
志桜館学園は名門名家と言われる家柄の子息が多い為だ。
小さい頃からの知人も何人も居て、それぞれが、新堂家について知っていることを囁いていく。
曰く、父親一代で成り上がった家。
もともとは不動産関係だったのが、投資で大成功して巨万の富を得た、成金。
わざわざ私の教室にやって来て、ひとしきり持ち上げてから、必ず『成金』と落としていく知人たちに、違和感を覚えた。
彼らは名声と資産とをバランス良く持っている。
だからこそ、いきなりのし上がってきた人間に対し、嫌悪感を抱いているかもしれないが、それにしたって、何もそこまで蔑まなくても。
貧乏元華族の身としては、名声よりも資産の方が欲しい。世の中、お金よ。
だってお金がないせいで、売られるのよ? あり得ない。
それに、元をただせば、初代の頃は成り上がりの家だって多いし、手元不如意になって資産家の令嬢と縁を結んだ家だって数ある存在だ。
なぜ、新堂の家ばかり、そんな風に言われないといけなのだろう。
相当あくどいことをしてのし上がってきたのか、と不安が加速する。
しかし、新堂を悪く言う傾向の真相について教えてくれたのは、幼馴染の六辺都子だった。
「あの円方時乃のせいよ。
新堂を成金だなんだって言ってる本人が、実は新堂幸太郎にお熱だったのよ。
それが、雪花と婚約したから、怒り狂ってるみたい。
愛は憎しみに変わって、絶賛、新堂家を悪しざまに言ってるわ」
なるほど。
時乃の取り巻きが、私の嫁ぐ家は大した家柄ではないと殊更強調して、せせら笑っていった訳だ。
円方時乃もまた、元華族の出身だ。
先祖が賢かったおかげで、安定の生活をしている。
子孫の一人は愚か者だけど、家を継ぐ兄は堅実で穏やかな人柄なので、今後も没落することはなさそうだ。
羨ましい。
新堂幸太郎の一人や二人、手に入らなくても、そんなに怒らなくてもいいじゃない。
あいつは見かけより、相当、性格が悪いわよ。
そう言ってあげたい所だけど、時乃と私は科が違う。教室の棟が違う。
一度だけ、偶然にもすれ違ったが、一方的に睨み付けられるだけだった。
ただでさえ落ち込んでいるのに、短絡的に婚約を祝って向けられる羨望の視線と、件の憎悪の視線まで向けられる。
どちらも私にとっては不本意極まりない。
たった一日で疲れ果てた私は、とぼとぼと学校を後にして、家に向かった。
両親は今日も何か買っているかしら。
あの男の言うことが真実なら、借金取は待ってはいない。
それだけでも心が軽くなった。
その裏にある自分の犠牲は、とりあえず考えない様にしよう。
真っ直ぐ帰る気になれなかったので、いつもと違う道を歩く。
交差点に差し掛かった時、騒音に近い呼び声と、それに応えて並ぶ列に出くわした。
なんだろう? と思って目をやると、宝くじ売り場だった。
よく当たると有名な売り場らしい。
一等が出たことを宣伝する看板が何個も出ていた。
私はその金額に目が釘付けになる。
当たれば、借金が返せるかも。
財布の中身は乏しいけど、一枚くらいなら買えそう。
一発逆転なんて、あるはずないけど、抵抗しないと気が晴れない。
なぜか一つの窓口だけに人が集中していて、他の窓口は開いていたので、そこに小銭を差し出す。
「あの……一枚下さい」
ちょっと恥ずかしい。
隣の窓口の人は『連番』とか『バラ』とか言って何十枚も買っている。
すると、後ろから聞いたことがある声が聞こえた。
甘く蕩けるような声。
「連番で三十枚。バラで十枚下さい」
綺麗なお札が差し出された。
私は自分の分の宝くじを一枚を掴むと、走り出した。
真っ直ぐ家に帰らず、近所の小さな神社に駆け込む。
後ろを振り返ると人の気配はなかった。
「良かった……追ってこない」
いつからつけてきたのだろう。
鬼畜な上に、ストーカー気味の変態と、偽装でも結婚したくない。
たった一枚の宝くじを握りしめ、なけなしの小銭をさらにお賽銭箱に入れようとした。
「お嬢ちゃん。神様に払う前に、こっちに払ってもらわないと困るんだけど」
一人撒いたと思ったら、今度は別の人間に捕まってしまった。
「そのことなら、もうあなたたちに払う必要はないって聞きました。
全部、新堂……さんが取りまとめたって」
私に声を掛けたのは借金取りの二人だった。
派手な服装を着た、兄貴と弟分みたいな二人。
主に兄貴格が話し、弟分が合いの手を入れる。
「困るんだよね。勝手にそういうことされると。
こっちにも都合があるっつうのに」
「そうそう。
おかげで、俺らが怒られたんですけど」
「何のことですか?」
にじり寄ってくる男二人は何を怒っているのだろう。
お金さえ払ってくれればそれでいい、といつも言っていたくせに、そうなったらそうなったで、文句を言うなんて、おかしいわよ。
「だからさ、お嬢ちゃんの身売り先が……って、痛い! 痛い! 離して!!!」
「あ、兄貴ー」
いきなり兄貴格が身悶え始めたので、何事か、と思ったら、彼が居た。
新堂幸太郎。
腕を捻りあげられた借金取りはひどく痛そうだ。
そんなに力を入れているように見えないのに、大の男がなすすべなく転がされる。
昨日、私をベッドに押し倒した時もそうだけど、体術か何かを会得しているのかも。
油断のならない人。
「金は全部払った。
もうこの子には用が無いはずだ。
―――去れ」
自分に向けられた訳ではないのに、冷たい迫力に、背筋が凍る。
地面に倒れている兄貴格を抱き起した弟分が、「覚えてろよ!」という定型句を吐いて逃げて行った。
分かる。怖いもの。
その怖いまま、私の方に向き直る。
「寄り道するなんて悪い子だね。
言っただろう? いい子にしていなさいって」
手の中で宝くじがぐしゃぐしゃになった。
それに気が付いたのか、新堂幸太郎は笑って……この男はいつも笑う……財布からやっぱり綺麗なお札を出して、お賽銭箱に入れた。
「そんなに!」
驚くと、不機嫌そうな顔になった。
「神様だって、気持ちより、現金が欲しいと思うけど。
君も……そうだろう?」
無礼なくせに、作法に法ってお参りした男は、私に買ったばかりの宝くじの束を差し出した。
「雪花ちゃん、君は賢いけど、世間知らずだから教えてあげる。
あの窓口でよく当たると評判なのは、一番窓口だよ。
だから人が並んでいるんだ。
もっとも、出た数が多ければ、当たる数も多くなる。
単純な確率の問題だ。
それに仮にその一枚が当たったところで、君の借金は返せないよ。
前後賞まで当てないと。
だから、少なくとも連番で買う必要があるんだ。
バラはおまけ。
当たったら、お小遣いにするといいよ。
……当たるといいね」
からかわれている。
当たる訳ないじゃないの。
こんな紙切れに、僅かだけど大事なお金を費やしてしまった。
馬鹿みたい。
私は自分の分も捨ててしまいたい気持ちになったのに、新堂幸太郎から彼が買った分の宝くじを無理やり押し付けられてしまった。
仕方が無く通学かばんにそれをしまうと、代わりに腕を掴まれた。
「帰るよ」
「引っ張らないで下さい。痛いです」
「だったら歩くんだ。
明日からは迎えをよそこそう。
憧れの車通学だよ。
嬉しいだろう?」
一部のお金持ちの生徒は車での送迎を許されている。
でも、それを憧れたことなんかない。
うちの家はねぇ、学校に近いのが自慢なのよ!
「そんな必要はありません」
「君になくても俺にはある。
自暴自棄になられたら困るし、当てつけに浮気されたら適わない。
他の男の種なんか、うちの家に持ち込んで欲しくないからね」
「―――そんなこと! しません!!!
馬鹿にしないで下さい!
もう、嫌! 離して!!!」
手を外そうとしたのに、なぜか肩に手を回され、もっと密着する羽目になった。
グイグイと押されて、有無を言わさず歩かされる。
これからずっと、こんな風にこちらの意見も無視されて生きていくのかしら。
時乃はこの男のどこが気に入ったの?
やっぱり顔? うん、見上げてみてもいい顔をしている。
「あの……新堂さん」
「幸太郎でいいよ」
「幸太郎さん」
「―――何?」
痛っ。
なぜか幸太郎さんの手に力が入り、肩が痛みが走った。
でもそのことに抗議の声は上げなかった。
「どうして円方時乃さんじゃ駄目なんですか?」
一瞬、誰? と言う顔をされた。
「その円方コーポレーションの……」
「ああ、元男爵令嬢に興味はない」
立ち止まってしまった私を、彼は追い立てた。
成り上がり者は成り上がり者なりに、名門名家の人間を品定めしているのだ。
時乃が知ったら、ますます憎悪を募らせるだろう。
彼女は幸太郎さんのことがある以前から、事あるごとに、私や都子に突っかかって来た。
それは私たちの家が元伯爵家であることが気に入らないからだ。
自分がかつての階級で比べられるのが嫌なくせに、他人のことは没落華族だの、成金だなんだと見下す彼女と、私は何回か喧嘩したことがる。
そう言えば、いつだったか、どこかで取っ組み合いの喧嘩にまで発展したことがあった。
それ以来、両親は私をあまり連れださなくなったし、こちらも虚栄に満ちた世界はお断りの気分になった。
さらに十五歳の時の婚約破棄騒動で、ますます足が遠のく。
あれが婚約破棄された娘だ、と後ろ指をさされるのは嫌。
元の婚約者と顔を合わせるのも辛い。
円方家は成功している家に入る。大成功だ。
だから、没落した私のことなど忘れて欲しいのに。
「でも、円方家は金持ちです」
「そして付け入る隙がないね。
あの家が俺を受け入れると思うか?
娘は能天気だが、父親はしっかりものだ」
そうでした。
昨日言われたばかりじゃないの。
私が一番手っ取り早いって。
「だけど、娘さんはあなたが好きで……あなたもその気なら……」
「俺にその気はない。
円方家より式部家の方が家格が上だ。
折角手に入れるなら、より上級の、より……可愛い妻が欲しい。
―――聞いてる?」
「あんまり」
「……そうか」
だって、聞いても仕方がないじゃない。
何を言っても、もうこの男に嫁ぐことは決定なのだ。
それでも逃げ道を探してしまう自分が情けない。
それで本当に放り出されたらどうするのよ。
あの借金取りとまた顔を合わせる生活をするくらいなら、こっちのイケメンの顔の方が、まだマシのはずだ。
「あ……」
「今度は何?」
また私が虚しい抵抗をすると思ったのだろう。嫌そうな声がした。
「……りがとうございました。
その、さっきは助けてくれて……いっ……たぁい!」
この人、女の子を牛か馬と同じだと思っているんじゃないの。
さらに肩を掴む力が強まって、ついに私は根を上げた。
「離して下さい!!!」
訴えると、驚くほどあっさり離された。
「ごめん」
肩をさすっていると謝られた。
分かればいいのよ、と思っていたら、今度は手を出された。
手をつなぐってこと?
嫌だ、そんな恋人みたいな真似、したくない。
「逃げませんから……」
「本当に?」
「はい。ちゃんと家に帰ります。約束します」
幸太郎さんが微笑んだ。
それはこれまでよりも好意的に受け止められるものだった。
だけど私は、やっぱり騙されていた。
約束なんかしなければ良かった。
逃げ出したい。
家には新堂家の車が止まっていて、私の部屋から荷物が運びだされていた。
新堂幸太郎は言った。
「君は今日からうちの家で暮らすんだ」
「え……」
「早くうちの家風に馴染むようにね。
花嫁修業だよ」
私の運命が、勝手に決められていく。
にしたって、急展開すぎる。
眩暈がした私を、幸太郎さんが支えた。
「大丈夫。
いい子にしていれば、悪いようにはしないから。
約束だよ」
あの蕩けるような優しい声音で、昨日と同じ忠告を囁かれた。
この人、何なんだろう。