27.真相
幸太郎さんはうちわを回すのを止め、再び、私を扇ぎだした。
「君をうちで預かるのは躊躇した。
母はあんな風だったし、嫁入り前の娘さんを俺がいる家で預かるのは、君の名誉のためによくないと思ったんだ」
真面目な考え方だけど、そんな人が、あんな……人をベッドに押し倒すような真似、するのかしら?
「同時に、俺の中で……なんというか魔がさしたというか、この機会に、君のこと……」
風が止まった。
「借金を取りまとめた時に言うことじゃなかったんだ。
それじゃあ、お金と引き換えに、と思われても仕方が無い。
あいつらと同じだ。
でも、なぜか、俺は言ってしまったんだ。
『式部邸で一番の宝物を、私に預けて下さい』―――って」
「ごめん」、と頭を下げられた。
そのままの体勢で、幸太郎さんは続ける。
「口に出した瞬間、失敗したと思った。
下手をすると、新堂に対する信頼まで失って、助力すら断られるところだった。
そうしたら君の身はどうなる?
式部のご主人は、自家の困窮を肩代わりさせることを渋っていたんだ。
それをやっとのことで説得したというのに。
父は大それた申し出に、狼狽して、俺を殴ろうとした。
しかし、君のご両親は……」
「諸手を挙げて賛成した」
父も母も、私に知らせずにお金の工面に悩んでいたのだ。
知らずに非難してしまった。恥ずかしい。
本当になんにも知らない娘だ。
自分の気持ちすら把握できないほどの無知で無能な娘ですものね。
幸太郎さんみたいな素敵な人に求婚されたのは、渡りに船みたいなものだ。
「そう……なんだ。
うちの父は、とても誇らしかったけど、不安だとも言っていたよ」
新堂父子が戸惑うほど、両親は娘の婚約を喜んでいた。
「それは、母が幸太郎さんを気に入ったからですわ。
母は見る目があるんです。母が決めたことを、父は反対しません」
実際、その通りだったし、私は恋に落ちた。
その過程が自主的なものでなかったので、反発してしまうのだ。
「でもどうして?
幸太郎さん、私のこと、前から知っていたんですか?」
その質問に、幸太郎さんは笑った。
楽しそうではなく、寂しそうに。
「やっぱり、覚えてない」
「何をですか!」
言ってから思い出した。
そう言えば、幸太郎さんは私との出会いを話していた。
なんだったかしら、お琴の発表会?
そんな場所に最近、行ったかしら?
「君はとても可愛かったよ。
肩上げした赤い着物に、下ろした黒い髪の毛がかかって、日本人形みたいだった」
私を見ながら、幸太郎さんは目を細めた。
だから、いつの話! と怒りたくなった―――が。
肩上げ? 下ろした髪の毛が着物にかかっていた?
それってつまり子どもの頃の話よね。
よくて十一歳か十二歳あたりの恰好だ。
―――十二歳。
赤地に宝尽くしの着物。
乱れた着物。
めちゃくちゃになった髪の毛。
泣きわめく女の子。
「あああああああ!!! お琴の発表会!!!
円方時乃と取っ組み合いの喧嘩をした!!!」
驚きのあまり、立ち上がりかけて、眩暈がした。
畳に片手をついて、自分を支える。
よりにもよって、あの時? あの時、幸太郎さんが居たの!
「ようやく思い出した?
母が円方時乃に嫌味を言われていたのを、君は助けてくれたんだよ」
「へっ?」
あの喧嘩、そんな理由で起きたのか。
そこは全く覚えていなかった。
「その様子じゃ、喧嘩の原因や、俺たち母子のことまでは覚えてないか」
「ごめんなさい。興奮していて」
一角廉が忌避したあの喧嘩を、幸太郎さんが好ましく見ていてくれたとは。
「まぁ、円方時乃も覚えてなかったけどね。
自分が散々、罵倒した女の息子が俺だってこと。
なんで自分が嫌われているか理解していなかった。
そして、君はどうして自分が好かれているか理解していなかった」
拗ねたような、怒ったような口ぶりに、身が縮まる。
「ごめんなさい」
今度は私が謝った。
「いいよ。
そういう所が、雪花ちゃんらしいよ。
君は変わらず成長してくれていると思った。
なのに、君は、俺に言った―――」
声が低くなったので、顔を上げてみる。
「『いくらで買ったんですか』って。
その時、ああ、この子もやっぱり、俺の事、成金だと見下すんだと失望した。
こんなことなら、早まって君と婚約なんかするんじゃなかった。
俺の人生、棒に振ったな、と」
そうだ。
幸太郎さんが何か言う前に、私が決めつけたんだ!
なんてこと! ここまで感情がこじれたのは私のせいじゃないの!
馬鹿! 私の馬鹿!
「で、君にひどいことをした。
あの時は、怒っていたんだ。
だけど、近くで見るとやっぱり可愛くって。
それに、金で買ったと誤解されるようなことをしたのは俺だし」
落ち込む幸太郎さんに、私は「悪いのは私です! 私が馬鹿でした!」と言ったら、怒られた。
卑下禁止。
しかし、本当のことだ、謝りたい。
「勝手に決め付けていました。
ごめんなさい。
もし、幸太郎さんの気持ちを聞いていたら、もっと違った反応をしたはずなのに」
「本当に?」
今日、三度目の疑惑の目だ。
「そうですよ!」
『実は君のことを見初めて、借金を肩代わりしてもいいから結婚したいと思ったんだ』と言ってくれたら、前向きな気持ちになれたかも、と思ったのは覚えている。
「そうかな……じゃあ、聞くけど、あの時、『実は君がまだ十二歳の頃から気になっていて、まともに話もしたこともないのに、五年も想いを募らせていたんだ』と言われたら素直に嬉しいと思った?」
うっ……。
今だったら、嬉しい。
けれども、どうだろうか。
こちらとしては初対面の、だからこそ、そんな男にそんな事を告白されたら……はっきり言って、気持ち悪い。
いくら顔が良くても、変態の部類として拒絶してしまいそうだ。
「一応、誤解されたくないから言っておくけど、そこまで好きだった訳じゃないからね。
ただ、お嬢さまでも、こういう気性の女の子もいるんだ、と好ましく思っていた程度だから。
絶対に君と結婚するとは思ってなかった。君のような女の子と出来たら嬉しいな、ぐらいでさ。
そりゃあ、君の友人にそれとなく様子を伺ったりはしていたけど……まさか本人とこういうことになるとは……」
「そう……なんですか……」
「そう、なんだよ。
だから、君が誤解したようにお金で買ったことにしちゃったんだよね。
ロリコン疑惑より、そっちの方がまだありそうな事情かな、という消去法だった。
切っ掛けはどうであれ、俺のこと、知ってくれれば、その内、もしかしたら、好きになってくれるかもという希望もあった」
「それなのに」と言って、幸太郎さんは深いため息をついた。
「君が何を考えているか全然、分からなかった。
好きになってもらえたかな、と思ったら、嫌われているし。
もう、何が何だか、俺にはさっぱりだったよ」
―――でしょうね。
私、随分、幸太郎さんを振り回した気がする。




