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26.訪問

 今日は私が浴衣姿で縁側で涼んでいた。

 藍色の有松雪花絞りの浴衣だ。私の名前と同じなので、母が好んで仕立てる。

 

 体調はなかなか回復しなかった。

 精神的な疲れと夏バテとが重なっているのだろうとお医者さま診断してくれたが、本当の病名は自分が知っている。


 恋煩いだ。


 寝ても覚めても幸太郎さんのことを考えてしまう。

 事件のせいで、みんなが優しくしてくれるのをいいことに、毎日、物思いにふけって過ごしてしまっていた。

 都子や真白嬢もお見舞いに来てくれた。

 真白嬢は似たような目にあったことがあるらしい。私のふぬけた様子に、それはそれは心配させてしまったので、本当のことを話しておいた。

 当の幸太郎さんは、事件の後始末が忙しいとかで、顔を見せてくれない。

 そのせいで、私の恋しい気持ちは募るばかりだ。



 水うちわでゆったりと仰ぐと、気化熱も加勢して涼しい風がおこる。


 その風が……幸太郎さんを呼んでくれた。


「やぁ、こんにちは。どう?」


 白いシャツが夏の日を反射して眩しい。

 いいえ、眩しいのはその笑顔かも。


 自然と自分も笑みがこぼれた。


「元気です」


「本当に?」


 疑わしげな幸太郎さんは、私の手から水うちわを受け取ると、代わりに扇いでくれた。


「―――そうですね、まだ、あんまり」


「クーラーがある部屋にいけばいいのに」

 

 なんと式部邸にも空調設備が入った。

 もっとも、大半は美術品の為のもので、設定は人間向けではない。

 気温も低いが、湿度も低いのだ。乾燥しちゃう。

 それでも、この部屋よりはマシなのは確かだ。


「ここがいいんです」


 小麦粉騒動の時の幸太郎さんと同じ場所に座っているのは、気づかれないだろう。

 そんな些細なこと、この人は覚えていないはずだ。


 浴衣の襟をそれとなく直す。

 初めて会った時と同じくらい、強い視線を感じた。


「あいつらは全員、捕まったよ。

恐喝とか詐欺とか窃盗とか、インサイダー取引とか、元から悪事をしていた上に、誘拐、監禁、婦女……あ、ごめん」


 うちわを仰ぐ手が止まった。


「嫌なこと思い出させたね」


「―――大丈夫です」


「本当に?」


 二度目の確認に、悪戯に反抗心が湧く。


「信じてくれなんですか?」


 困った。なかなか素直になれない。

 今更、好きだなんて、この人に言えるのかしら?


 幸太郎さんも神妙な顔をしているし、事件が解決したし、婚約解消の話かしら。

 自然と頭が項垂れる。


「だって、元気ないよ。熱でもある?」


 俯いた顔を上げるように、額に手を当てられた。

 目の前に幸太郎さんの顔があった。


「やっぱり、顔、赤いし、熱いよ」


「やっ……!!!」


 押しやると、クスクスと笑われた。

 ―――この人!


「ひどい!!! わざとそうやって!!!」


「何を?」


 笑いが消えて、真剣な顔で聞き返された。


 また水うちわが動き出した。

 火照った顔に、風が余計に涼しく感じる。


「婚約……解消ですか?」


「どうして……そんなことを言うの?」


「もう、私と婚約する理由がなくなったから」


「なくなった?」


 仰ぐ速度が変わらない。

 つまり、彼にとっては意外な話ではないようだ。


「俺は好きだよ……君のこと。

これが理由じゃ駄目?」


「う……嘘です! 嘘だわ!」


 こちらから告白しようと思っていたのに、幸太郎さんからそんなことを言われた。

 信じられるはずがない。

 私がこんなに苦労しているのに、そんなあっさり告白なんか出来る訳ない。 


「なんでそう思うの?」


「私みたいな無能な女、好きなはずありません!

今度も私を騙そうとしているでしょう!!!」


「むのう???」


「そうです! 卵焼きは不格好だし、皿を拭かせれば割るし、洗濯すれば色移り、アイロンを掛ければ焦がすし、トイレは詰まらせるし、なんにも出来ないのに……人にすぐ騙される世間知らずのお嬢さまなんて……」


「雪花ちゃん……」


 幸太郎さんの声が震えた。

 これは笑いを堪えているのだ。

 それは分かるようになった。


「それ以上、俺の好きな女の子の悪口を言ったら、君でも許さないよ」


「わ、私のことですよ!」


「君は母に言ってくれたじゃないか。

父や俺が母を大切にするのは、それだけの魅力があるからだって。

俺は雪花ちゃんを大切にしてるよ。

それは、君がそれだけの魅力があるからだ。

そうだろう?

俺の前で、もう二度と、自分のことを卑下しないで」


 水うちわからの風は涼しくなる一方だ。

 私は今、好きな相手から、想像以上の告白を受けている。

 でも信じられない。


「呆れられていると思いました。

私のこと、『雪花お嬢さま』なんて呼ぶし」


「それは、正真正銘のお嬢さまなんだなぁ、と思って。

それが金はそこそこあるけど、一般家庭に嫁いで、家事をさせられるなんて、嫌だろう。

調子に乗ってネクタイなんか結ばせちゃってたし。

俺だけでもきちんとお嬢さまとして接してあげないといけない、と―――」


「はぁ?」


 お互い顔を見合わせた。


「なんだか、誤解があるようだね。

俺は……それを解消したいけど……」


 探るようにお伺いを立てられたけど、答えは一つだ。


「勿論です! 聞きたいこと、いっぱいあります!」


 力んで言うと、やけに嬉しそうな笑みが帰って来た。


「良かった。雪花ちゃん、俺の話に興味ある?」


 ありますとも!

 頷いた。



 まずは『偽装結婚』の提案よね。

 これは、狙われている私を助ける為にしてくれたことと思って構わないのかしら?


 そう聞くと、一番、嫌なことを聞かれた、という顔をされた。


「違う。

初めは父から、式部の家が困っているから手助けしたい、と相談されたんだ。

とにかく、あいつらが君の家のものをこれ以上、盗まないように、めぼしいものを新堂の家に避難させることにしたんだ。

そうしたら、雪子さまが、自分たちのものはいいから、娘のものを―――と」


 だから、新堂の家にあの蛙の帯留めや、流水紋柄の着物、そしてこの有松雪花絞りの浴衣があったのか。

 母親の心遣いに、涙が出そうになる。


「それなのに、君ときたら、式部の家でも一級品ばかりを蔵にしまって、おまけに鍵を隠してしまった。

君自身が狙われているのに、その鍵まで身に付けちゃって……もう、どれだけ狙って下さいと言いたいのか―――」


 幸太郎さんは水うちわを扇ぐのをやめ、その柄を鑑賞し始めた。

 その姿は、最初に会った時、私の描いた日本画を熱心に見ているのと同じで、偶然にもどちらも朝顔の絵だった。

 

「知らなかったんですもの!」


「そうだね。君には知らせないでおきたかったよ。

怖がらせたくなかった。

そこで、問題になったのは、君の身の取り扱いだ。

式部の家は、開けっぴろげで危なっかしい。

雪子さまが自分の近くに君の部屋を移したけど、まだ心配だった。

いつ、元の使用人の手引きで、襲われるか分からなかった。

あのころは、すでにそれほど切羽詰まった状況だったんだ」


 今度はうちわの柄を持ってクルクル回し始めた。

 落ち着きのない人。

 そういう私も、まとめ髪から落ちてきた髪の毛をもてあそんでいたけど。


 話はいよいよ、核心に辿りつこうとしていた。

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