24.悪人
意識が朦朧とする。
遠くの方で声が聞こえる。
「まだ来ないんですか?
早くしないと、この子、起きちゃいますよ」
「ご主人さまはお忙しい方ですからな。
いっそ、起きたら誤解するような姿にしてしまうのも手ですね」
「ふーん。ひどいこと言うね。
お仕えしていたお嬢さまに対して。
それとも、わざとそうして、守ろうとしている?」
「いいえ。
暴れたり、抵抗されると面倒なだけです」
「おたくのご主人さまはそういうのが趣味かもしれないよ。
でも、ま、手っ取り早く、脱がしちゃう?」
不穏すぎる会話に、意識を手放したくなる自分を叱咤する。
起きなきゃ! 今すぐに!!!
無理やり起きると、吐き気がした。
霞む目で見ると、二人の男がこちらを見ていた。
元婚約者と元使用人だ。使用人の方は、なぜかビデオカメラを持っていた。
この吐き気は、嗅がされた薬物のせいだけではないと思う。
「ああ、起きちゃった」
残念そうに廉さんが言った。
穏やかで優しい兄さまだとばかり思っていた頃と同じ調子だ。
そのせいで、余計に薄気味悪く感じる。
「ここ……どこ……」
何度か目を瞬くと、ぼやけていた視界がはっきりしてくる。
と言っても、どこかの部屋ぐらいしか分からない。
立派な部屋だ。
骨董品が数多く飾られていて、家具も豪華だ。
私はソファーに寝かされ、一緒に連れてこられた福田さんは隅に転がされていた。
またひどく痛めつけられたようだ。
隣にはあの『兄貴』もいた。
二人とも目はしっかり見開いているけど、猿ぐつわをされていて、「んーんー」としか声を出さなかった。
それでも、身をよじり、声を上げているのは、私を助けようとしてくれている行動だ。
私が目を覚ましたと知ると、こんな状況だけど、目が嬉しそうに輝いた。
「ここはお嬢さまの新しいお家ですよ」
老庭師がにこやかに答えた。
みんな私に笑いかける。
でも、嘘くさい。
幸太郎さんの笑みが懐かしい。
「私、こんな所に居たくない」
「我儘を言わないで下さい。
ご主人さまが、お嬢さまを見初めて、奥さまにしてくれるそうですよ。
またお嬢さまにお仕え出来てうれしゅうございますなぁ」
すでに決まったことのように、彼は言う。
またなの? また私の知らない所で、婚約したり、破棄したり。
もううんざりだわ。
「私は嫌なの!
私は幸太郎さんのお嫁さんになるんだから!!!」
もう二度と、婚約を破棄なんかしないわ!
すると最初の婚約者がやれやれと肩をすくめた。
「すっかりあの男に騙されちゃったんだね。
好きになった?」
「あなたには関係ないです!」
私が幸太郎さんを好きですって?
たとえそうでも、かつての婚約者に言う義理はない。
「俺は嫌いだな……あの男。忌々しい」
ギリィっと歯が鳴った。
その時、私は初めて、廉さんの素顔を見た気がする。
ずるくて、卑怯で、最低な男。
「せっかく君を穏便に売り飛ばせるはずだったのに、あいつのせいで、こんな危ない橋を渡る羽目になった。
散々だよ。これじゃあ、私が無法者みたいだ」
みたいだ、ではなく、そうだ。
女の子を、しかも、一度は婚約までした人間を、薬を嗅がせて、連れ去るなんて。
「私も……廉さんがそんな人だとは思いませんでした」
「そう? 君の母上は私のこと、嫌いだったよ。
ずっと、婚約破棄したいと動いていた」
廉さんの言葉に、私は驚いた。
そうだろう。
婚約を一方的に破棄されたとばかり思っていたのが、まさか、こちらの母からの働きかけだったとは。
しかし、こうなってみれば、やはり『雪子さまの見る目』は間違いなく確かだったと言えよう。
もともと、囲碁友達だった祖父同士の口約束を真面目な父が本気にしてしまったのが間違いだったのだ。
「私は君みたいな小娘には興味はなかったけど、式部の家に遊びに行く度に、ちょっとずつ小さいものを失敬するだけでお金になったから、悪くない話だったのだけどね」
「―――!
信じられない! 泥棒!!!」
うちの管理が杜撰なのも悪いが、この廉さんの悪びれのなさはどういうことだろう。
価値観が全く違う。違いすぎる。
「そんな目で見ないでよ。
元はと言えば、君の父上のせいだ。
娘の婚約者だからって、美術品が好きに違いないと、いろいろ見せてくれて、それに調子を合わせてただけなのに、これもやる、あれもやるって……。
家に置いても邪魔だから、売ってみたら意外とお金になってさ。
それで味を占めちゃったんだよ。
どうせ結婚したらあの家のものは全部私のものになるんだから、別にいいだろう?
前借だよ、前借」
なんだろう、この論点のすり替え。
あくまで、自分は悪くない、という姿勢らしい。
でもこの口数の多さは、自分を必死に弁護しているからだ。
裏を返せば、後ろめたい思いが無い訳ではないらしい。
「私みたいな生まれの男はね、いろいろ入用なんだよ。
体面を保たないといけないし、慕ってくれる手下たちにもいい思いをさせてやらないといけない。
私って、優しい、いい男だろう?
それで式部邸を物色していたら、たまたまこの男と鉢合わせして。
知っていた? 雪花ちゃん?
こいつも大分、君の家からくすねていたんだよ」
廉さんが庭師の本庄さんを指差した。
久保田さんの言う通りだった。
もっと早く信じて、もっと気を付けるべきだった。
悔やんでも仕方がないが、己の見る目の無さに打ち震える。
何が優しい、いい男、だ。
上には身の丈に合わない真似をしないと相手にもされず、下にはおだてればすぐに財布の口を開く都合のいい男、と馬鹿にされているだけだわ。
そんな男に騙されたこんな無能な女。幸太郎さんは呆れて、助けになんか来てくれるはずがない。
そうでなくとも、随分な態度をとっていたと思う。
初対面の印象で、悪者と決めつけていた。
彼が悪者なら、目の前の男は極悪人以下の以下の以下の……ずっと下だ!
「だけど困ったことが起きてしまってね」
私が睨み付けているのを意に介さず、自分が『小娘』ごときの優位に立てて嬉しいのか、廉さんの顔にはうっすら笑みすら浮かんでいた。
「君の家のもの、偽物ばっかりなんだね」
彼の視線が、私から、この部屋のものをぐるっと一瞥した。
つまり、ここの家の『ご主人』が彼から式部邸のものを買っていた客なのだ。
そして……廉さんは『見る目』が無い。
玉石混合。
それが式部邸の中身だ。
ただし、『石』は代々伝えられてきた偽物か、両親が気に入ったものの世間的に評価が低いかの、どちらかなのだ。
父はたとえ偽物でも、物自体が気に入れば所持していたし、母は普段使いにちょうど良いと使ったり、飾ったりしていた。
だから、こそ泥が手に取り易い場所にあるのは、大体が『石』の方だったのだ。
『玉』の方も出ているけど、見る目がない廉さんには区別がつかなかったのだろう。磨けば『玉』になる『石』も……。
「そのせいで、ここの主人から怒られちゃって。
偽物を売った弁償をしろってすごまれたんだ」
「本当、散々だよ、君の家のせいで」と、さも嫌そうな顔で批判された。
これほどお門違いの非難は初めて受けた。
「ほぼ同時期に、ついに婚約破棄の申し出も受けて……ひどいよね、ちょっと金の無心をしたら、そんな男に娘は任せられないなんて。
ちょうどいいから破断の弁償を君の家に請求したって訳。
当然だよね、こっちは君と結婚するつもりだったんだから」
「財産目当てで?」
「そう。本物もあるんだろう?」
探るように見られる。
ここにきて、愛想良くニッコリ笑われてしまった。
馬鹿にしてる。
私のこと、簡単な女だと思っているのだ。
実際、コロッと騙されていたけど。
「父は破断の違約金を払ったんですね」
震える唇で聞いた。
式部の家が急激に傾いたのと、私の婚約破棄は時を前後している。
それが原因なら、納得がいく。
しかし、それだけではなかったらしい。
「払ったよ。こちらの言い分の額を、言う通りの方法でね。
いろんなものを売ってもらったよ、格安でね。
でも、ここのご主人、由来のあるものが好きらしくって。
式部で一番の宝物じゃないと納得しないと言ってきたんだ」
『式部で一番の宝物?』
福田さんもそう言っていた。
それはつまり私だ、とも。
「娘可愛さで、馬鹿みたいな違約金を払った人間に、娘を差し出せ、なんて言えないからさ、まずは多額の違約金で借金を作らせ、さらに追い打ちで、女かギャンブルでもっとお金を使わせようとしたんだけどね。
式部のご主人は真面目で、ちっとも乗ってこなかった」
不服そうだったけど、そんなものに騙されたのは廉さんだ。
父は惑わせない。
おそらく、この家の『ご主人』とやらは、いつもそうやって、いろんな人間を堕落させて、自分の意のままに操っていたのだろう。
庭師の本庄さんも。
「まぁ利子はたっぷりつけたから、段々、苦しくはなっていったけど、あの家には売るものがたくさんあるからね。
いくらごろつきで脅かそうと、顔なじみの骨董屋を脅して、売買拒否か、足元見るかさせても、手放す決意さえすれば、個人的なルートを使って、ちょっとの借金ではすぐに返されそうだ。
おまけに、あの新堂家が利子の件で言いがかりをつけてきて、借金を取りまとめた上に婚約?
しかも、雨宮の茶会で、散々、宣伝してきたんだって?
楽しそうで良かったね。
こっちはこんなに苦労してるのに。
ここの『ご主人』には『どういうことだ! 早くあの娘を連れてこい! なんの為にお前に金を出した! 代わりにお前を借金の形に売り飛ばすぞ!』って怒鳴られるし。
……君が婚約者だったせいだよ。
そのせいで私は目を付けられ、こんな風に人に顎でこき使われる目にあってあるんだ。
なにもかも、君と、君の両親と、君の家のせいだ。
と、言う訳で、雪花ちゃん。
私の為にも君がこの家の『ご主人』と結婚せざるをえない状況になってもらうことにしたから」
「心配することはございませんよ、お嬢さま。
ご主人さまは、独身でいらっしゃます。
息子さんや、お孫さんはいますが、奥さまとは離婚済ですからね。
ここだけの話、数年、我慢なされば、遺産はお嬢さまのものになるでしょう。
そうしたら、好き勝手できますよ。
由緒はありませんが、金だけはある家です。
子どもや孫にいいように財産を持って行かれないように、この私がご助力して差し上げましょう」
「私も助けてあげるよ。
爺さんの相手をするだけじゃ不満だろうから、代わりに相手になるよ。
それどころか、自由の身になったら、今度こそ、結婚してあげる。
爺さんのお下がりなんか勘弁して欲しいけど、特別だ。ありがたいね。
雪花ちゃん、私のこと、好きだったろう?
初恋の相手と結ばれるんだ。それを希望に、爺さんと結婚しなよ。
そして、しっかり財産を握っておくんだよ。
ああ、跡継ぎを生むのもいい考えだね。
年をとってから生まれた子どもは可愛いらしい。
私も協力してあげよう。
若い嫁さんに可愛い子ども。
喜んで遺言書を作ってくれるはずだ」
本庄さんが持っているビデオカメラのランプが赤く光った。
これは幸太郎さんと初めて会った時と同じ展開だ。
しかも選択の余地はない。
『偽装』だなんて、生易しい言葉は使ってくれない。
ここの『ご主人』こそ、私をお金で買おうとしていた調本人なのだ。
幸太郎さんは助けてくれるつもりだったに違いない。
だから『偽装』だったんだわ。
彼は私と結婚するつもりなんか、無い。端から無かったのだ。
顔も見たことがない、どう考えても卑怯で、父親よりも遥かに年上そうな男と結婚させられた挙句、元婚約者と使用人からは、遺産目当てでまとわりつかれる運命が目の前に迫っているというのに、私は、幸太郎さんが善意で自分と偽装婚約をしたにすぎない事実に打ちのめされていた。
もし、彼と一緒に居た時に、もっと素直に気持ちをぶつけていたら、幸太郎さんも少しは心を動かして、もしかしたら、好きになってくれたかもしれない。
無能で可愛くない小娘だから、無理だったかしら。
それでも、本当の気持ちは伝えたい。
私、式部雪花は、新堂幸太郎さんのことが好きなのだ。
大好きなのだ。




