23.新旧
自宅から取り寄せた洋服を着て、幸太郎さんは帰って行った。
浴衣……似合っていたのに、残念。
もっとも、益子さんが預けてきたアロハシャツもツンドラ気候っぽい外見の割に似合っていたけど。
「あのぉ、先ほどはお邪魔してすみませんでしたねぇ」
幸太郎さんを見送って、食器をさげようと、先ほどまでいた部屋に戻ると、福田さんに言われた。
邪魔? なんのこと?
と、思ってから、顔がほてった。
「勘違いしないで下さい!
あれはそんなんじゃないの!
私、幸太郎さんと、そんなことする関係じゃない!!!」
力一杯否定したら、首を傾げられた。「婚約者でしょう?」と。
「でも、愛があるとは限らないわ。
少なくとも、幸太郎さんは私自身を好きな訳じゃないのよ……」
それなのに、こんなにも心動かされている私って、本当に馬鹿みたい。
「えっ……お嬢さん、そんな風に思っているんですか?」
福田さんは私の考えに疑問があるらしい。
首をしきりに捻っている。
「そうよ。
だって、借金の形だもの」
「―――そうかなぁ」
「そうなの! 両親が借金を作って、あなたたちが取り立てに来て、どうしようもなくなった時に、新堂の家が借金を肩代わりしてくれたのよ。
それで婚約って……どう考えても借金の形じゃないの!!!」
彼の口から直接聞いたのだ。
ただ、奇妙なことに、財政再建の手助けをしてくれるようだし、持って行った物も返してくれた。
そうだった、そのことを幸太郎さんに、ずっと聞こうとしていたのに、その機会を得られなかった。
上手くはぐらかされていたのかも。
奇妙だわ。
なぜ、そんなことをするのかしら?
もっと恩着せがましく率先して教えてくれてもいいのに。
「そりゃあ、幸太郎さんはお嬢さんのことがお好きなんですよ」
能天気な福田さんが、あんまり簡単に言うから、私はムッとしてしまった。
そんな簡単な話じゃないもの。
そんな簡単な話だったら……。
「ありえなーい!!!
絶対、絶対、そんなこと、あるはずないわ!」
妙な期待を持たされそうになったので、必死で打ち消したら、それが福田さんの気に障ったらしい。
そちらもムキになった。
「そうですよ!
だって、お嬢さんを助けたお礼と、これ以上、関わらないという約束で、お店の資金提供をしてもらうことになっ……」
語尾がしぼんだ。
それから、福田さんの顔が真っ青になった。
「こ、この話! お嬢さんには内緒だって……」
でしょうね。
人の事、『パトロン気分』となじったくせに、なによ、自分だって、同じじゃないの。
頭にくる!
そういう人なのよ、幸太郎さんって!!!
「本当に新堂の旦那には言わないで下さいよぉ。
ただでさえ、お嬢さんに近づくな、という約束を破ったせいで、ひどく怒っていたのに、これ以上は勘弁して欲しいです。
ホットケーキのお店も、資金を引き揚げられたら、駄目になってしまいます。
やっと兄貴がやる気を出して、真っ当な生活をしようとしているのに。
だから、お願いします!」
私の前で、また、福田さんは米つきバッタになった。
幸太郎さんを変に怒らせて、彼の夢とホットケーキを闇に葬りたくはない。
福田さんの一所懸命な気持ちは本物だ。
偽装なんかじゃない。
私はそう信じて、幸太郎さんには黙っていた。
努力する必要はなかった。彼は自分がホットケーキにさせられそうになったのを根にもって、式部家に顔を出さなかったからだ。
けれども、福田さんは私の信頼を裏切った。
夏休みも終わろうとしたある日、彼は私の所に訪れて、「お店は止めることにしました」と言い捨てて去ろうとした。
そんなの、納得できるはずがない。
思わず追いかけて、あの神社の所で追いついた。
「お嬢さん! もう俺たちのことは放っておいて下さい!
所詮、俺たちなんか、底辺をはいずり回っているのはお似合いの人間なんです。
調子に乗りすぎました」
「すみません」と福田さんは言った。
意味が分からない。
「何があったんですか? 理由を聞かせて下さい。
福田さんは調子に乗ってなんかいません。
きちんと地に足を付けて、経営について考えていました。
大丈夫ですよ。
上手くいきます!
私もいっぱい、宣伝しますから。
味は両親だってお墨付きなんですよ!」
その時は、福田さんがちょっと自信を失っただけ、くらいの気分だった。
マリッジブルーみたいなものよ。
結婚してみれば……お店を開いてしまえば、大丈夫だと。
しかし、福田さんは顔をゆがませた。
「無理なんです。
お店に使う車も、資金も、みんな借金の形に取られました」
借金取りが借金取りにあっていた。
私は唖然とした。
福田さんがどうしてそんな借金を作ることになったのだろう。
幸太郎さんの資金は潤沢だったし、中古車を改造したキッチンカーだって納入済み。
材料だって、問題ない。
毎日、まじめにホットケーキの研究をして、借金を作る暇はなかったはずだ。
「兄貴が……」
福田さんのうめき声で、彼が原因でないのは確定した。
兄貴分のくせに、弟を困らせるなんて!
「違うんですよ。
騙されたんです。
兄貴……あいつらにはめられたんです」
あくまで兄貴分を庇う福田さんに、もう縁を切ってしまえば、と言いかけた。
けれども、その前に、気のいい弟分の男が、顔面蒼白になった。
「いけません! お嬢さん!!!
あいつらは式部邸で一番の宝物を狙っているんです!」
うちで一番の宝物?
何かしら?
蔵の最奥にしまわれ、正月にしか出てこないあのご拝領の掛け軸? それとも、青磁の壺?
意外に、あの古文書かも!
私が頭に様々な文物を思い浮かべていると、福田さんは焦れたように叫んだ。
「式部邸で一番の宝物と言ったら、お嬢さんに決まっているでしょうがっ!
お嬢さんを連れて来れば、借金はチャラにすると言われたんです。
本当に狙われているのはお嬢さんなんですよ!
こんなところにいちゃだめです!
早く、早く式部邸に帰りましょう!!!」
「ええ?」
私が狙われている?
あの老庭師に? 本庄さんに?
一体、何のためによ?
福田さんが痛いほど手首を強く握り、大慌てて神社の敷地から出ようとした。
ジャリジャリと玉砂利を鳴らし、鳥居を潜り抜けた。
だが、遅かった。
参道の入り口に車が横付けにされて、中から出て来たのは、私の『婚約者』だった。
ただし、その男には『元』がつく。
「廉さん……」
一角廉。
私が小さい頃、『廉兄さま』と慕い、お嫁さんになると漠然と思い込んでいた男。
なのに、あっさり、私との婚約破棄に同意した男。
それがどうして、今更、私の前に現れるのかしら。
後ろに引っ張られる。
この人も危険なのね。
さらに逃げようとしたら、今度は老庭師に塞がれた。
前門の元・婚約者、後門の元・使用人。
絶体絶命の匂いがする。
「廉さん、そこをどいて下さい。
ご用なら、式部の家でお聞きします」
出来るだけ、毅然と言ってみたけど、鼻で笑われた。
「ごめんね、雪花ちゃん。
ここで悠長に話している暇はないんだよ。
人がくるといけないからね」
「お嬢さんに触るな!!!」
私を庇って、廉さんに立ち向かっていった福田さんは、脇から出てきた黒服の男に殴られ、蹴られ、取り押さえられた。
それを助けに入ろうとした私は、廉さんに捕まって、布で口をふさがれた。
頭がクラッとしたかな、と思った瞬間、私の意識は飛んだ―――。




