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20.来客

 母の着物部屋に行くと、新堂家にあったものたちが戻っていた。

 まるで元からそこにあって、移動なんてしていないようだ。


 奇妙すぎる。


 私が見たのは幻?

 しかし、現に私が雨宮家のお茶会に着て行った波紋柄の着物もきちんと納まっていて、それを見た真白嬢が「この着物、本当に素敵よね」と評したところを見ると、着て行ったのは間違いない。

 

 私と一緒に返された……と考えるべきだろう。


 落ち込む私に真白嬢は「やっぱり自分のものを他人に貸すのは嫌よね」と勘違いした。

 

「いいえ……それにこれ、私のものではなく、母のものです」


 そう説明すると、彼女は驚いた。


「あら? 雪子先生は、この箪笥の中身は雪花さんのものだっておっしゃっていたわよ。

だから若くて華やかな柄のものが多いから、私にもどうかって。

ただ……」


 背の高い真白嬢が躊躇するのは、『私のものを借りる』だけではないのは分かった。


「丈……合いませんよね」


「どうかしら?

合うのがあればいいけど」


 小柄な母の着物は合わなそうだ。

 私用に仕立てられたものは、いけるかも。


「とりあえず、着てみましょう。

それに小物はサイズに関係ないですから」


 せっかくの『お客さん』を逃すのはいけないと思い、勧めてみると、ホッとしたように笑った。


「ありがとう!

雪子先生が選らんだものはどれも素敵だから、嬉しいわ。

気が早いようだけど、雨宮のお茶会、秋は紅葉狩りらしいの。

姫ちゃんったら……あ、私の友人で、雨宮家のご令嬢、そして、秋のお茶会の主催の子ね。

その子が、服装は着物でって、決めちゃって。

出来れば素敵に装いたいの。冬馬さんに褒められたいから」


 うっ……のろけられた。

 こっちは偽装婚約だと言うのに、本当の婚約期間を満喫している人間と関わり合いたくない。

 おまけに、結婚披露宴にまで呼ばれた。

 幸太郎さんと一緒に? ですって。

 ああ、今から欣喜雀躍する源一郎さんの姿が目に浮かぶ。

 でも、益子さんはもう動揺はしないだろう。

 幸太郎さんも……きっと喜ぶわね。

 もしかしたら、真白嬢が結婚するまでは、私との偽装婚約を解消しないでいてくれるかも。


「はい。 ご招待ありがとうございます」


 つい、返事をしてしまった。

 これで婚約が破棄されたら、針の筵だ。


 でも、大丈夫よね。

 雨宮家の結婚式なら、キャンセル待ちくらいありそう。

 直前の数合わせの招待だって、喜んで出席してくれる人がいるだろう。

 その代り、新堂家と式部家に対する心象は悪くなる。

 

 幸太郎さんは馬鹿じゃないもの。

 その結末は回避したいに違いない。

 

 二度も婚約を破棄されるのは嫌なの。

 婚約を解消したら、どうして婚約することになったか、探る術がなくなる。

 

 私が風前の灯の婚約を延長したいのは、以上の理由からです!

 幸太郎さんと結婚したい訳では……ない……。


 それなのに、真白お嬢さまが手伝ってくれたお礼と気分転換に、と連れて行ってくれたカフェでパンケーキを食べながら語られる結婚式のプランに聞き入ってしまう。


「ごめんなさい。

こんな話、つまらないわよね。

一人で盛り上がってしまって、恥ずかしいわ」


 あまりに熱心に頷き、合いの手を入れてしまったせいで、二時間近くも真白嬢に『私の憧れる結婚式・披露宴』について語らせてしまった。

 よほど興味があると思われていないか、こちらが恥ずかしいくらいだ。

 「雪花さんも婚約中ですものね」と言われたので、十中八九、誤解されている。


 しかし、脳内で花婿をついつい幸太郎さんに変換しては、打ち消す、というのを何十回もしたせいで、もういい加減、面倒になってきたので、もう、そういうことにしよう。今日だけは。

 真白お嬢さまのお出掛けについてきた運転手と、婚約者のクマ度をさらにアップしたような護衛に、「そろそろお戻りに」と促されるまで、話し続けた。

 パンケーキは大きくて、甘くて、たくさんのフルーツが載っていて美味しかった。


 すっかり気に入ったので、都子とも別なお店のパンケーキを食べに行くことになった。

 パンケーキの話をしたら「今頃!?」と呆れられて、都子お気に入りのお店に連れて行ってもらえることになったからだ。


 だが、外出に難色を示されたのには困った。

 以前は自由に出掛けられたのに、婚約した娘はフラフラと出歩いてはいけないって、いつ、誰が決めたの?


 真白嬢の時は、おっかなそうな護衛がついていたから良かったらしい。

 そうなると思い出されるのは、あの謎の運転手と、老庭師。

 あの問題は解決していないのだ。


 結局、清君も一緒に行くと言うことで、両親は納得した。

 幸太郎さんは「俺が送るから日曜日にして」と言って来た。

 申し訳ないけど断った。

 今、人気のパンケーキ屋さんなのだ。

 土・日では二時間近く並んでしまう。

 それでなくとも夏休みで人が多い時期だと言うのに。


 そう説明すると、渋々と幸太郎さんは引き下がったが、八平家にくれぐれも宜しく、送迎はして下さい、炎天下に並ぶので、熱中症にも気を付けて下さい、という連絡を入れたらしい。


 「雪花の婚約者は過保護ね」と都子にからかわれたじゃないの!

 偽装なら、偽装って、分かるように節度を持って行動して欲しい!

 私だって頑張っているんだから!!!



 都子おススメのパンケーキも美味しかった。

 真白嬢と行ったパンケーキ屋さんとはまた違った味、食感、大きさ、トッピングだった。

 面白い。

 もっと試しに食べ歩きたかったけど、いかんせん、資金が足りない。

 幸太郎さんから受け取ったお小遣いを、パンケーキの食べ歩きに費やして良いものか悩む。

 ドリンクも付ければ、一度行くだけで、軽く二千円は飛んでしまうのだ。

 益子さんが私がパンケーキにハマったと聞いて、自分のお勧めのお店のメモを息子経由で渡してくれた。

 毎日、それを眺めて、どこに行こうか検討していた。

 そう何度も行けない。ここぞ、というお店に行きたいからだ。


 



 私がパンケーキに飢え始めた頃、式部邸に思いもかけない珍客がやってきた。


 借金取りの弟分だ。


 門の辺りを掃除していたら手招きされたので無視をした。

 呼び出されてまた何かに巻きこまれたら、幸太郎さんに叱られちゃう……じゃなくってぇ……ああもう、面倒くさい!

 これ以上、幸太郎さんの私への評価を下げたくないの。


 無視無視。


「お嬢さん、怒らないで下さいよ」


 勝手に入って来たので、逆に招き入れた。

 こちらの領土に入れた方が安心だ。


 台所で冷たい緑茶を出す。


 さすがにこれ以上の侵入は許せない。


 広い土間のある台所で、奥の方では今日の料理人が汗をかきながらも昼ごはんの準備に励んでいた。

 何かあったら、この借金取りを三枚におろしてくれそうな頼もしい風体をしている。


「この間はありがとうございました」


「わざわざお礼に?」


「はい。おかげさまでなんとか運が向いてきました。

兄貴と一緒に、移動屋台でもしようか……という話になって。

今度こそ、真面目に働こうと思います」


 今まですっかり忘れていたけど、そういえば、気になっていたんだわ。

 怪我も治ったようだし、良かったわ。

 

 それにしても、移動屋台とは……何を売るのかしら?


「お好み焼きなんかどうかって。

粉ものは利益が出るらしいです」


 なんだか怪しくなってきた。

 せっかく向いてきた運が逃げて行きそうなざっくり感だ。


「お好み焼き、得意なんですの?」


「いいえ!

そっちの生まれでもないし、作ったこともあんまりないです」


 借金取りのくせに、無邪気な答えに、無能で世間知らずのお嬢さまな私だって、見通しの悪さに眩暈がしそうだ。

 しかし、次の言葉で暗雲立ち込める彼の未来に、わずかに光が差す。


「粉ものなら、どっちかと言うと、ホットケーキの方が得意です。

俺の母親、故郷で小さい喫茶店を経営していたんですが、そこで出していたもんで。

美味しいって、地元じゃ、結構、有名だったんですよ。

昔は手伝いで焼いて、こっちに出てからは、安く出来上がるから、兄貴と一緒に朝ごはん代わりに食べてました。

兄貴も、俺のホットケーキだけは『うまい』と褒めてくれました。

……お嬢さん? どうしました?」


 私はやおら立ち上がり、借金取りを台所の中央に連れて行った。

 突然の領域侵犯に、料理人は訝しげな顔をし、私の「今からパンケーキを焼いてもらうの」という台詞に、「もうすぐお昼ですよ」と難色を示した。


 申し訳ないが、なんと言われようと、今、ここで、借金取りのパンケーキとやらを食べてみたい。

 「パンケーキじゃありませんよ、ホットケーキですよ」と困惑する借金取りと料理人を余所に、冷蔵庫を物色する。

 小麦粉と、卵と、牛乳と、バターと、それから何?


「砂糖ですね。ふくらまし粉もかな」


 和食の料理人が戸棚から出して来てくれた。

 

「ありがとう」


「ガスは右側のを使って下さい。

天ぷらを揚げる時間までは終わらせて下さいね。

邪魔ですから」


 どうやら、とっととパンケーキを作らせてしまった方が良い、と判断されたようだ。

 それなのに、借金取りは一向にパンケーキを焼き始めなかった。


 「粉をふるう」とか、「澄ましバターが」とか、「メレンゲが」とか。

 私はいちいちそんなことしなくてもいいのに、と呆れ始めたのに対し、料理人は興味深そうに彼の手元に注目し始めた。


 ようやく焼き始めたと思ったら、今度は、せっかく温めたフライパンを冷やすような真似をする。

 うんうん、と頷く料理人に、借金取りは、緊張の面持ちで、鉄製のやたら重いフライパンに種を落とした。


 じゅうっと、いい音がする。

 甘い香りが立ち昇り、しばらくすると沸々と表面に気泡が出来てくる。

 それを見て、上手にパンケーキを返すと、綺麗な濃い目のきつね色の焼き色がついていた。


「すっごい! 上手!!!」


 感嘆の声が出る。

 お店で食べたのと同じくらい美味しそう!


「昔取った杵柄ってやつですよ」


 へへっと、人差し指で鼻の下をこする。

 それはやめて欲しい。料理人も同感らしく、厳しく注意が飛んだ。


 それに肩を竦めつつ、一枚目が焼き上がった。

 続いて二枚目、三枚目。

 冷めない様に布をかけておく。


 四枚目で皿に盛りつける。

 たっぷりのバターを載せると、熱さで蕩けたそれが、ついっと表面から滑り落ちそうになった。

 

「メープルシロップがあるといいんだけど」


「……蜂蜜ならあるぞ」


「ああ! いいですね!!!」


 キツネ色のパンケーキの上に、クリーム色のバター。黄金色のはちみつがたっぷり。

 渾然一体となってなんとも言えないマーブル模様を描いていた。


「美味しそう〜!!!」


 パンケーキ恋しさと、ちょっとした気まぐれで作ってもらったのに、想像もしていないレベルの出来上がりだった。


「美味しそうじゃないですよ。美味しいんです!」


 借金取りが自信を持って宣言する通り、どっしりとしたパンケーキの生地は美味しかった。

 周りがわずかにカリカリで、そこに蜂蜜とバターが染み込んでいるのがたまらない。


「ふむ、これは……なかなか」


 気難しげな料理人も味見とは思えないほど食べていた。


「俺も、こんなに美味しく出来るとは思わなかった!

作り方は一緒なのに、味は全然、違う!

バターはこんな味じゃなかったし、蜂蜜も……なんというか……よく分からないけど、旨いんだけど!」


 自画自賛しているようで、大いに戸惑っている借金取りに、料理人が言った。


「君が普段使っている材料と、ここにあるものは違うんだよ。

小麦粉も最高級品だし、卵も、牛乳も、拘って飼育されたものから作られた新鮮なもの。

このバターはフランス産の発酵バターだし、蜂蜜は……スペイン産のオレンジの花から採ったもののようだ。ほのかに花の香りがするだろう。

蜂蜜は蜂が採取する花によって風味が違ってくる。

私も料理に合わせて、使う蜂蜜を変えている」


「なるほど……そう言えば、おふくろも、卵と牛乳は毎日、新しいのを仕入れていた。

蜂蜜は近くに養蜂場があって、そこのを使ってた。

あれは百花蜜だったと思うけど、美味しかったですよ。

よくこっそり舐めて怒られてました」


「お料理って、素材が大事なんですね」


 お昼前に分厚いパンケーキを二枚も食べてしまったが、後悔はしていない。


「ねぇ、お好み焼きじゃなくって、パンケーキ屋さんにしてみたら?」


「ええ!? パンケーキってあれでしょう?

女子供が行列作って食べてるすかすかの食い物。

流行り物はすたれるのも早いですよ」


 今度は借金取りに私の見通しの甘さを突っ込まれてしまった。


「でも、まったく作れないお好み焼きよりマシじゃない!!!」


「そうですかねぇ」

 

 半信半疑の借金取りは、料理人に「兄貴」の為に天丼弁当を作ってもらって、帰って行った。

 天丼弁当の天ぷらは私の昼食用のものだったが、パンケーキでお腹いっぱいだったので、譲ったのだ。

 満腹だったけど……あのパンケーキ……いいえ、ホットケーキはもう一枚くらいならお腹に入りそう。

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