18.選択
老庭師を見て、借金取りが私の服を警告するように引っ張った。
「雪花お嬢さま! このような所でお会いできるとは!!!
うれしゅうございますなぁ。
またお綺麗になられて」
満面の笑みに、なぜか寒気がした。
小さい頃に、庭の花の名前を教えてくれたり、鯉に餌をあげたり、いつも楽しく遊んでくれた時に見せたのと同じ、優しい微笑なのに。
「お久しぶりです。
お元気でしたか?」
疑念を抱いていると、悟られないように対応した。
借金取りの話と態度から、本庄さんは私の知っている人とは、もう違う人らしい。
「おかげさまで、と言いたいところですが、残念ながら、いろいろと支障がありましてね。
そうそう、お嬢さまに是非、会って頂きたい人がいるのですよ。
式部の家を追い出されて、路頭に迷いかけた私を救ってくれた恩人なのです
雪花お嬢さまのことをお話したら、そのようにお優しくて可愛らしいお嬢さまなら、是非、会って話してみたいと申しております」
暗に『式部を追い出された賠償』を求められた気分がした。
でも、もし、彼がうちの家のものを盗んでいたのならば、追い出されて当然だし、式部の没落に一枚噛んでいる。
長年親しんできた老庭師を信じるか、知り合いでもないレベルの、自分を売り飛ばそうとした借金取りを信じるか、私は二者択一を迫られることになった。
老人の皺はあるけど艶やかな顔を見、鼻血と涙まみれの若者の顔を見た。
私に見る目はあるかしら?
「ごめんなさい。
これからこの人を病院に連れていかないといけないの。
ひどい怪我をしているから。
またの機会にお会い出来たらよろしいですわね、とその方に申し上げて下さい」
借金取りの顔が歪んだ。
立ち上がったから足が痛むのだ。
手を貸すと、必死で支えて歩かせた。
「お待ち下さい!」「そんな男を信じてはいけません!」という声を振り切って、公園の出口まで小走りになった。
この選択が間違っていたら、私はひどい目に合うかもしれない。
だけど、今すぐは大丈夫だろう、という気持ちもあった。
なにせ相手は手傷を負っているわけだし。
偽装を恐れて、わざと足を蹴ってみたら、悶絶して転びそうになっていたし、器用そうなタイプでもないし……大丈夫だろう。
ちょうどタクシーが通りかかったので、止める。
仲間だったら罠にかかった所だったが、止められた運転手は血まみれの男に、あからさまに嫌な顔をした。
「ごめんなさい。ごめんなさい。どうしても乗せて欲しいんです。お願いします」
乗車拒否寸前のところを拝み倒した。
はて、どこに行こうか? と迷ったら、借金取りが幸太郎さんの会社の名前を告げた。
「ええ?」
「タクシーに乗ったら料金を支払うんですよ、お嬢さん。
誰がお金を払うんですか?」
タクシーの運転手に聞こえない様に囁かれた。
借金取りはお金を持っていないらしい。
私も先ほどのお水で、残金はもうない。
だったら、新堂の家でも……と、思ったが、信じられないことに住所が分からなかった。
道もあやふやだ。
これでは、新堂家にたどりつけない。
ここでも私の無能っぷりが祟った。
こんなこと知られたら、幸太郎さんに迷子札を付けられそうだ。
一方、会社の方は有名なので、名前だけ伝えればそれで済みそうだ。
結果、タクシーは渋滞を縫って、新堂の会社についた。
このところずっと仕事が忙しいだとかで、会社に遅くまでいるらしいから、居るとは思うけど……私がこの会社の息子の婚約者だと分かってもらえるかしら?
今日に限って、幸太郎さんが家に帰っていたらどうしよう。
「私、新堂幸太郎の婚約者の式部雪花と申しますが……あの、幸太郎さん、いらっしゃいますか?」
恐れは現実になって、帰りかけた受付の女性にあやしまれながら取り次いでもらったというのに、幸太郎さんはとっくに退社していた。
タクシーは借金取りを乗せたまま、会社の前に止まっていた。
新堂の家に行こうか、それとも、式部?
あそこにタクシー代があるとは思えない。
とにかくタクシーに戻ろうとした私を、会社の人が呼びとめた。
幸太郎さんの部下の人らしい。
事情を説明すると、頷いて、私にその場にいるように言うと、タクシーに向かっていった。
それから、会社のロビーで、待たされた。
受付の女性は退勤の時間だと取り次ぎを渋ったくせに、ずっとその場に留まって、私を眺めていた。
上司に似て、人を不躾に見るのが好きなようだ。
その上司に、またお金を払ってもらうことになるんだけどね……はぁ。
背筋を伸ばして、毅然と座っていると、ようやく玄関の自動ドアが開いて、青ざめた顔の幸太郎さんが入って来た。
私はその顔を見て、心底、それこそ泣きたくなるほど安心したと言うのに、彼は違うようで、いきなり怒鳴られた。
右手がきつく握られているのを見ると、私を叩きたい気分なのかもしれない。
「何やってるんだ! この馬鹿娘!!!」
決して被虐性がある訳じゃないけど、『雪花お嬢さま』よりも『馬鹿娘』の方が親しみが籠っている気がする。
「何が可笑しいの? わざとやっている訳?
俺を心配させて楽しんでいるの!?」
今度は私が気に障るような笑い方をしてしまったらしい。
そうね、この状況は笑うようなものじゃない。
「迎えの車がこなかったんですもの」
そう弁解すると、口を噤んだ。
幸太郎さんの握られた拳が、ゆっくりとほどかれる。
「じゃあ、どうして連絡を寄越さなかったんだよ!」
口調は相変わらずキツイけど、なんだか駄々っ子みたいだ。
「―――怒っていると思って」
「はぁ?」
「幸太郎さん、ずっと怒ってるじゃないですか。
だから怖くて……お仕事の邪魔するなって言われたら……」
傷つくもの。
小さく付け足した。
不意に抱きしめられ、同じくらいの勢いで、すぐさま引き離された。
私の両肩に手を置き、がっくりと項垂れた。
『痛っ!』
また力一杯、肩を掴まれた。
「幸太郎さん! 痛いです!」
抗議すると、「やっぱり? どこ? どこを怪我したの? 病院に行かないと!」と、検討違いの反応をされた。
「違います!」
少々、乱暴に手を振り払う。
「幸太郎さんの握力が強すぎすぎるんですの!」
「え?」
「え?」じゃないわよ、と怒っていたら、彼は私のスカートを見ていた。
「でも、血がついているよ?」
「へ?」
今度は私が間抜けな声を出した。
幸太郎さんの視線を辿ると、なるほど、血がべったりついている。
怪我をした借金取りを支えた時についてしまったのだろう。
この姿で、タクシーに乗って、幸太郎さんの会社に押しかけたのだ。
受付の女の人に不審がられ、ジロジロ見られても仕方が無かった。
「これは、違います。怪我の血じゃありませんから」
借金取りの話をするか迷っていたら、さっきの社員さんが寄ってきて、私に憚ったのか、幸太郎さんを遠くに連れていって、長々と話始めた。
座って待ってると、やっと帰る気になったのか、受付の女子社員が立ち上がった。
わざとらしく、私の前を通り、一瞥すると、制服を着替えるためにか、戻って行った。
その後、彼女が同僚の一団を引き連れて、私のことを「ほら、あの子よ」みたいに、言いながら前を通り過ぎても、幸太郎さんは戻ってこなかった。
あの借金取りはどうなったのかしら?
待ちくたびれて、うとうとし始めた頃、肩を揺さぶられた。
「待たせてごめんね。事情は大体分かった……から、帰ろうか?」
「どこに?」
「君の家にだよ」
そうか、新堂家に帰るのね。
私はそう思った。
けれども、幸太郎さんの言う『私の家』は『式部家』だった。
車が式部の家に着いた時、思わず「えっ?」という声がでた。
「帰りたかったんだろう?
帰ればいいよ」
そうだけど……なぜだろう、こうなってくると新堂の家が懐かしい。
車を降りると、母が飛び出してきて抱きついた。
父も続いて、私の無事を喜んだ。
寄り道しただけで、こんな大袈裟なことになるなんて、やっぱり『奇妙』だ。
母の「どうぞ上がって行ってください」という誘いも断って、幸太郎さんは一人で新堂の家に帰ってしまった。
明日の朝早く、制服の着替えとかを持ってきてくれるらしい。
後ろ姿と、車を見送って、式部の家に上がった途端、その変わり様への驚きが勝った。
私が出て行った時と、全然、違う。
建物は綺麗に修繕してあるし、庭も手が入っている。
蔵にしまい込んでいた美術品は出され、立派な展示ケースに収まっているものもあれば、むき出しのものもある。
それを守るかのように、監視カメラと警備会社のシステムが入っている目印のマークがあった。
「お母さまどうなさったの? これは一体何事なの?」
これもまた私の代金で整えたの? と聞きたかったが、この様相はとても幸太郎さんから聞いた私の値段では支払えない。
また借金?
問い詰めたいが、両親のテンションに付け入る隙が見つからない。
その前にお腹が鳴った。
そう言えば、夕飯はまだだった。
益子さんだったら、熱々の料理だったろうが、冷えた夕食の残りが出てきた。
台所を覗くと、良かった、お味噌汁が鍋に残っている。
自分で温めると、これまたお櫃に残っていたご飯で食事にした。
疑問がありすぎて、頭の中が大混乱だったけど、久しぶりに飲む白味噌のお味噌汁は格別な味がした。
これだけは、式部の家に戻って来たことを後悔させない味だった。




