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17.逃走

 幸太郎さんとの関係がぎくしゃくしてから、さらに数日。

 そろそろ学校は夏休みに入ろうとしていた。


 そんなある日。

 迎えに来たハイヤーの運転手がこれまで見たことのない人だった。

 幸太郎さんから、最初に紹介された三人以外の人の誰が迎えに来ても車に乗ってはいけない、と言われていた私は戸惑った。

 人が変わったのかしら?

 それを教えて貰っていないだけかも。

 何しろ、幸太郎さんとの仲はあんな感じだし。


「お迎えにあがりました。

さぁ、帰りましょう」


 にこやかにほほ笑む運転手が扉を開けて促す。


 この二か月近く、幸太郎さんのいろんな笑顔を見て来たけど、目の前の運転手のそれは、なんだかわざとらしい。

 これ見よがしに、作っているみたい。


 いつまでも車に乗り込まない私に業を煮やしてか、運転手が強引に私の腕を掴んだ。

 ぞっとした。

 幸太郎さんに「雪花」と呼ばれたのとは、まったく違う感覚が、足元から頭の先に走る。


 咄嗟に振りほどいて校内に逃げ込んだ。

 志桜館学園には警備員も配置されているし、許可なく部外者は入れないので、追ってこられる心配はなかった。


 教室の窓から見ると、運転手の男は車の前でどこかに電話をしていた。

 もし彼が、正規に依頼された人ならば、誤解を解くべく、幸太郎さん……か、源一郎さんから連絡がくるだろう。

 しかし、三十分待っても、私の携帯は鳴らなかった。


 どうやって帰ればいいのか、困ってしまった。


 新堂の家は学校から遠い。

 車で四十分くらいだ。

 対して式部の家は、歩いて十分ほどの所にある。


 ……帰ろうか。家に。


 ここ数日のことで、すっかり居心地が悪くなってしまった新堂の家に、苦労して帰る気持ちは薄かった。


 裏口からこっそりと抜け、実家への道をひた走る。


 あの運転手が追いかけ来ても大丈夫なように、繁華街の道を選ぶ。

 少し遠くなるが、人目がある方がいい。

 それに車道はこの時間、帰宅の車で混雑し、渋滞が始まる。

 この道を通る時、いつもの運転手がそう愚痴っているのを覚えていたのだ。


 以前、宝くじを買った販売所の前を通りかかる。

 最近のことのはずなのに、懐かしい。


 あの時は幸太郎さんが後からつけていた。

 後ろを振り向いてみたが、誰もつけてくる人間は認めらず、ホッとしたような寂しいような。


 未練がましい気持ちを振り払って、前を向いて歩こうとしたら、路地の方から喧嘩の声が聞こえた。


 柄の悪い男たちが、一人の男の人を取り囲んで、殴ったり、蹴ったりしていた。

 もっと奥の方の人気のない場所で行っていだだろうその行為だったが、暴力を振るわれている方が助けを求めて、必死に這い出てきたようだ。

 

 けれども、誰も関わりたくないのか、視線を向けるものの、足早に去っていく。

 私もそうしたい。

 どう考えても、女一人で立ち向かうのは危険だ。


 でも……。


「止めて下さい!」


 思わず止めに入ってしまった私に、通行人が後ずさった。


「おう、姉ちゃん、威勢がいいな」


「お、この子、志桜館の生徒さんじゃないか。

いい所の嬢ちゃんか?」


「そうだな、止めてあげてもいいぜ。

代わりに可愛い子ちゃんが相手してくれるなら」


 ここでも笑われた。

 下卑た笑い声と視線に、私は果てしなく後悔した。


 こんなに人がたくさんいるのに、見て見ぬふりってどういうことよ!

 

 震える身体と気持ちを押し隠し、必死に男たちに対峙しようとしたら、足元から呻き混じりの声がした。


「こ、の人は……あの、しんどうこうたろうのこんやくしゃだぞ……へたにてを、だし、たら……ほう、ふく……されるんだ……からな」


 途切れ途切れの聞きにくい声だったが、『新堂幸太郎』の名は、その場にいた全員に伝わった。


「はぁ? 新堂幸太郎ぉ?」


 一番偉そうで、柄の悪い男にすごまれた。


「そ、そうよ! 私、新堂幸太郎さんの、婚約者です!」


 その場にいる人ではなく、いない人が私を助けてくれるとは。

 しかも、名前だけで。


 ……一体、何者? まさか、本当に阿漕な商売をしている訳じゃないわよね?


 『新堂幸太郎』の名を聞いた男たちは、半信半疑の様子だったが、もし真実だった場合の不利益の方が、ずっと恐ろしいものだったらしい、悪態をつきながら、去って行った。


 安堵でため息をついた私に、のされた男からのお礼があった。


「ありがとうございます、しきぶのおじょうさん……」


「……!?」


 さっきまで居た男たちよりはマシだけど、これまた品のなさそうな男に知り合いなんていない。

 と、思ったら、見た顔だった。


 「あなた、あの借金取り!!!」……の弟分の方!


 一体、どうしたのか聞こうとしたら、警官が走って来た。

 見捨てられた訳ではなかったらしい。

 通報はしてくれていたようだ。


 だが、警官の姿を見た借金取りは足を引きずりながら、逃げてしまった。


 警官に事情を少し聞かれ、学生証を確認された。

 「知り合いですか?」と聞かれたけど、「そんな訳ありません」と、さも侮辱をうけたように答えた。

 ええ、知り合いじゃないわ、あんな借金取り。

 私が喧嘩をしていた訳ではないのは一目瞭然だったし、落ちぶれたとは言え、この界隈では有名な式部家の名前のおかげで、すぐに解放された。


 これ以上、面倒に巻き込まれないように、早く帰ろうとしたが、どうしても気になり、周囲を探してしまった。


 公園のベンチで項垂れる男に、ペットボトルの水を差し出す。

 水を買う時、幸太郎さんから受け取ったお小遣いの入った封筒を二通とも新堂家に置いてきてしまったことに気が付いた。

 必要なものは結局、幸太郎さんがカードで払ってくれたので、ほとんど手つかずだったのに。

 宝くじを買った時のままの財布の中身に苦笑した。 

 

 一番安い小さいお水しか買えなかった。


「あ……お嬢さん」


 水を受け取ると、殴られたところが痛むのか、そこに当てた。


「仲間割れですか?」


 ついつい冷やかな口調になってしまった。

 借金取りは項垂れた、


「また失敗したんですよ。

俺、何やっても上手くいかない人間なんです」


 そこから、男は滔々と語り始めてしまった。

 関わるんじゃなかった……これは長くなりそう。


 借金取りは生まれつき、借金取りだった訳ではない。

 とりわけ田舎でもなく、かといって都会でもない地方都市の片隅で生まれた彼は、仕事を求めてこの都会に出てきた。

 初めて職についた工場は倒産し、そこから仕事を転々とする生活が始まった。

 困窮した彼は、偶然、同郷の先輩に出会う。

 それが、借金取りの兄貴分の男だ。


「二人で生きて来たんだよ。底辺なりにね。

だけど、うまい儲け話があるからって、兄貴が口車に乗っちゃって……それでお嬢さんの家に借金取りにいったんです。

そこからどんどん、悪い奴に関わっちゃって」


「え? 初めてだったの? 借金取り……」


「初めてですよぉ。

あんな豪邸に行くの、ビビりまくって行ってみたら、主人夫婦は訳わかんないし。

いきなり茶室でお茶とか振舞われても、どうしていいか……」


 すみません、それ、うちの両親です。


「でも、目的は金じゃなくて、お嬢さんだから、とにかく脅かしておけって言われて……あの時は、あいすみませんでしたね」


 借金取りの告白に、私は息を吸った。

 そして、吐いた。


「幸太郎さん! 新堂幸太郎に頼まれたの!!!」


 ほら、やっぱり騙されてた。

 宝くじの後の神社の一件も仕組まれていたことなんだ。

 ゴロツキを雇って襲わせて、自分が助けてみせて、信頼を得ようなんて、悪党のする手口じゃないの!!!


 私の怒りが傷に染みるとでもいうのか、借金取りは顔をゆがませて叫んだ。


「知りませんよぉ! 俺みたいな下っ端は、命令を受けて働くの。

大本が誰かなんか知るはずないですよ。

……ただ」


「ただ!?」


「その頃、なんか足が痛そうなじいさんと兄貴がよく話してた。

こっわいじいさんでさ、あんたの家の間取りに詳しいとかで、よくここにあるあれを持って来い〜とか言われるらしくって、探すんだけど、ねぇんですよ。

で、見つからないもんだから、兄貴はよく杖でしたたかに殴られてた。

兄貴が俺になんにも教えてくれなかったのは、兄貴なりの気遣いだったんだぁ……」


 借金取りは自分の痛みのように、首筋を撫でた。

 私は……久保田さんの話を思い出していた。

 うちに最後までいた、小さい頃から知っているあの老庭師が盗人だったという話。

 信じたくはない。

 たまたま似たような特徴の人間かもしれない。


 懸命に打ち消す私の前に、なんと当の本人が現れた。


 ハイヤーの運転手と同じ、偽りの笑みを浮かべた本庄さんが、どこからともなく、私たちのいる公園にやって来たのだ。

 それはまるで、私が新堂の家からの庇護を失っているのを、知っているかのようだった。

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