16.失言
いろいろな家事を体験して、様々な失敗をした。
ただ、掃除は益子さんに褒められた。
そう言えば、両親が家事らしきものをした姿を見たことが無かったが、茶室を掃き清める、とか、壺を磨く、といった、掃除に類するものはしていたし、手伝っていた。
新堂家には掃除をしてくれるロボットもいて、その子の操作は、本当にスィッチ一つで済むので助かる。
もっとも、「式部の家は部屋数ばかりあって、全部を掃除したら一日がかりですが、新堂のお家はコンパクトでいいですね。けど、階段があるから、そこは大変です」は失言だったと思う。
反省している。
久保田さんに教えてもらったけど、一般家庭よりも部屋数は多い方らしい。かなり。
とにかく、それらの部屋に花を上手に飾ることが出来ることも分かった。
益子さんはアレンジメントで、私は華道だったけど、花の色の組み合わせやバランス感覚などは大いに役に立って、しきりに感心されることになった。
やれば出来るじゃないの、私も。
だけど、家中に私の花を飾らせ、姑が意気揚々とフラダンス教室のお友達を家に呼んだのは想定外だった。
この家に、益子さんの来客が来るのは五年ぶりらしい。
源一郎さんの喜びようはひとしおだ。
おばさま軍団は、同じような主婦だと思っていた益子さんの家が立派な豪邸なので、度肝を抜かれたようだけど、すぐにハワイアンのインテリアに夢中になって、誉めそやし始めた。
私は、と言うと、益子さんの友達だという、人の良さそうだけど、不躾……大らかな性格の人達の質問攻めに大層、困った。
息子の嫁、と紹介されていたので、「どこが気に入ったの?」「出会いは?」などと、偽装嫁では答えられないものばかりだったからだ。
益子さんに頂いたプルメリア柄のサンドレスを着たまま、見世物になってしまった。
何これ、雨宮のお茶会よりひどい。
苦し紛れに、顔が……、声が……とゴモゴモと返事をしていったら、ついに疑われた。
「そんなにお若いのに、親に言われてお見合いするなんて珍しい子ね」
偽装結婚だってバレた?
心なしか、益子さんが悲しそうな顔をした。
用事があるのに……と渋ったものの、同席することになった幸太郎さんの顔も曇った。
偽装と言うのは、偽りを装っているから偽装であって、真相が明るみになったら糾弾されるものである。
ただでさえ、家事に関しては無能なのに、偽装もバレるなんて、幸太郎さんに本気で無能と思われてしまう!
弁明しないといけないと思った。
「母は……父もですが、見る目があるんです!!!」
「はぁ?」という空気が流れた。
私はこの間会った、高名な染織家や日本画家の名前を挙げたが首をかしげられた。
しかし、雨宮家の料理人の名前には反応があった。
彼は最近、レシピ本を出したり、料理番組に出演したりして、主婦たちの中で人気があるそうだ。
「両親がこれは! と思った人は、絶対に大成するんです! 素晴らしい人なんです!
私は両親が信じた幸太郎さんを……だから、私も……」
全員に見つめられ、顔が真っ赤になった。
次の瞬間、新堂母子を覗いた女性達が一斉に大笑いを始めた。
なんで? なんで笑うの?
幸太郎さんに会ってから、笑われてばっかり。
女性陣は口々に、「若いっていいわねぇ」とか、「初々しいわね〜、羨ましいこと」とか、「ごちそうさま」とか言われた。
話題の男の母親は、涙ぐんでいた。
言い過ぎた。これまた失言だ。
完全に誤解されている。
さらなる質問攻撃にさらされてしまった。
そういう時、幸太郎さんは卑怯で、ニコニコと笑って、私の反応を楽しんで助け舟を出してはくれない。
矛先が自分に向いても、何の羞恥も気負いもなく、「彼女とはお琴の発表会で出会ったんですよ。とても愛らしい様子に心惹かれました」と、平然と嘘を吐いた。
嘘吐き。
嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き。
金で買ったくせに!
私はあなたとなんか出会った記憶はありません!
人前で嘘を吐くなんて、こんなに嫌なことはないのに、どうして、幸太郎さんは出来るのだろう?
ずっとこのまま嘘の関係でいいと思っているのだろうか?
―――はぁ、止めよう。
これじゃあ、幸太郎さんに何かを期待しているみたいじゃないの。
「雪花お嬢さま、お疲れさま」
おばさま軍団が帰ったので、部屋に戻り、ひと息つこうと廊下を歩いていると声を掛けられた。
「知らなかったよ。俺の顔と声がタイプなんだね」
「しつこく聞かれて仕方が無かったんです」
「そう? でも、少なくともその二つは合格点ってことだよね?
君のご両親の評価だけでなく、君自身の評価も聞きたいところだけど」
「どいて下さい。疲れたんです。休みたいの」
切実に訴えたのに、どいてくれなかった。
「俺の声が好きなら、もっと聞きたいだろう?」
「だから、仕方が無く言ったんです。
あと、何度も言いますけど、雪花お嬢さまって呼ぶの、止めて下さい」
脇をすりぬけて駆けだそうとした背中に幸太郎さんが呼んだ名前は「雪花」だった。
足元から頭まで、言い知れぬ衝撃が走った。悪寒ではない。甘美な衝動だ。
親にも呼び捨てなんかされたことないのに。
「じゃあ、雪花でいい?」
い……やだ。
そこまで踏み込まれたら、もう抜け出せなくなるに違いない。
「それもやめて」
泣きたくなりそうになりながら振り返った。
「お嬢さまは我儘だね」
「……!
だったら、私、幸太郎さんのことを、幸ちゃんって呼びますよ!
それでもいいんですか!」?」
決死の反撃も敢え無く散った。
「へぇ……いいね、それも」
二十七歳にもなって、『幸ちゃん』呼びの何がいいのよ!
ヘラヘラ笑う男に、怒りが湧いてくる。
「幸太郎さん!」
「幸ちゃんじゃないの?」
「何か勘違いしているようだから、言っておきますけど、私、あなたのこと、嫌いですから!!!
いつも人のこと見て笑って!
お金で買ったくせに! 心まで自分のものにしようなんて……そんなの、絶対に、認めない!!!」
言ってから、昇っていた血が、一気に下がった。
これは、失言だ。
言ってはいけなかった言葉だ。
借金取りを前にした時よりもずっと、冷たい顔をされた。
「ご……」
ごめんなさい。
そうじゃないの。
そうじゃない????
自分がどうしたいのか分からない内に、幸太郎さんは立ち去ってしまった。
「嫌いよ! 嫌い!! 大っ嫌い!!!」
自室に戻ると、ベッドの上の羽毛のいっぱい入った枕を叩いた。
固いものに当たるのはもう懲りた。
あの右手はしばらくは痛かった。
あの人は毎日、湿布を張り替えてくれた。
火傷の時もそうだ。
割った皿を拾って、指を切った時も。
それから、私がトイレを詰まらせて困ったいた時なんて、躊躇せずに素手を突っ込んでくれた。
あんなこと、なかなか出来ない。
「だからなんだって言うのよ!
いっつも人のこと見ては世間知らずのお嬢さまって、笑っていたのよ!」
あの人の笑顔は楽しそうだった。
新しい服を着れば微笑んで褒めてくれるし、卵を綺麗に割って見せただけでも笑って拍手してくれた。
失敗した卵焼きにもお礼の手紙をつけてくれる。
アイロンを失敗して茶色の窓を作った時も、大笑いされたけど、怒られなかった。
ネクタイを結んであげると、毎朝、嬉しそうに「ありがとう」と言ってくれた。
洋蘭に水を与える時、慈しむような笑みを浮かべていた。
私はその表情に……見とれていた。
「で、でも、結局はお金で買った嫁なのよ。
うちの家のものを盗んでいるんだわ!」
―――本当に?
どうしてそう思ったのかしら?
私にあるのは状況証拠だけで、真実じゃない。
幸太郎さんは勿論、源一郎さんだって、初対面の印象とは全然違った人だった。
新堂家で過ごして来て、この家族が悪い人とは思えないのだ。
借金がある上に、こんな無能な女、幸太郎さん側から願い下げのはずなのに、親切にしてくれた。
なのに、彼を怒らせてしまった。
幸太郎さんはその日、どこかに出掛けて帰ってこなかった。
次の日も。
その次の日は帰ってきたけど、夜遅かった。
お弁当の手紙もなくなったし、朝の日課のネクタイ結びも断られた。
落ち込んで食欲が無くなったら、益子さんに「ごめんなさいね。お味噌汁の味噌は変えられないの。源一郎さんの故郷は赤みそなのよ」と謝られた。
「いえ、大丈夫です。
慣れますから―――」
幸太郎さんの態度にも。
時々、怖い時もあったけど、大半はとても親切にしてくれたのに。
それにすっかり慣れてしまった今、とても慣れそうにないし、なりたくないけど。
「そうぉ? おかずはお口に合う?
雪花ちゃん、不満を我慢しているんじゃないのかと心配だわ」
「いいえ、ちょっと味が濃いですけど、慣れますから―――」
「――――――」
しまった!
失言だ!
私の馬鹿……もう嫌。新堂家に居たくない……。




