1章 3話
私は部屋を出ると、寮の玄関へ急ぐ。
自室のある2階から、1段飛ばしで臙脂色のカーペットが敷きこまれた階段を駆け下りる。
それから男子寮と女子寮を繋ぐエントランスを抜け、重厚なチョコレート色の、木製の扉の玄関に。
扉を押し開けると飛び込んできた、曇りでも充分強い日差しに、目を細める。
あたりに植樹されている木々の葉が、雨の水滴を表面に浮かせていた。
そして、そこを出ると今度は校門まで続く、上り坂。寮は校舎より一段低い所にあるため、毎日登校するときは、この坂を登らなければならないのだ。
傘をさして歩く。軽く汗が滲んでくるが、ペースを落としている暇などない。
ここから目的地であるクラブ棟までは、15分はかかる。待ち合わせまではもう時間がない。気持ちばかりが焦っていく。
やっと校門をくぐった。まだここから10分。
私は、サークルに遅れないように、キャンパスをいそいそと歩く。
私こと小塚 環は、ここ九重大学の文学部に通っている。
九重大学は地方の山奥に位置し、格としてはあまり高くない歴史の浅い学校だが、資格試験を意識した講義と、校舎に隣接する充実した学生寮が売りだ。
しかし、その交通の便の悪さから、あまり人気があるわけではない。
比較的新しいこのキャンパスに通い始めて2年目になるが、高校とは違い、人間関係の希薄な大学生活には、なかなか慣れることができない。
集合時間は刻々と迫っている。呑気に昼近くまで寝坊していた私の自業自得だが、泣く泣く食事は諦め、購買で適当に買って部室に急ぐ。
それにしても、今日は人が多い。何かあったのだろうか。
満開の桜並木の下を、早歩きしながら思考する。まだ春休みは1週間は続くはずだが。
まさか何かの行事をすっぽかしてしまったりなんてことはないと思いたい。
不思議に思いつつも、そのままのスピードを維持し続ける。
すると、背後から気配を感じた。
「あれー、環じゃん。おっはよー。なんでそんな必死になって歩いてるのぉ?」
誰かに話しかけられる。と、同時に、その誰かは私に突撃して抱きついてきた。
避けようと思えば避けられたのだが、その声の主のことを考えると、かわしたら後が面倒だ。
もう諦めた方が良いということを、私は経験で知っている。
時間はあんまりないんだけどなぁ。まあ仕方ない。私は振り返る。
そこにいたのは予想した通り、同じ学部、同じサークルに所属する私の友人、相田 夕だった。
私より長身の夕に抱きつかれるたび、私はテディベアになった気分にさせられる。
夕は口調と同じくのんびりとした速度で、私からようやく離れた。趣味の良い、黒いロングスカートが揺れる。
一見、ショートの茶髪で、メイクばっちり。頭から爪先まで、いつも外見に気をつかっているので派手に見えるが、文芸サークルで絵本を書いて他の部員と一緒に近場の幼稚園で読み聞かせなどもするという、意外な一面も持っている。
「夕、おはよう。なにって、だって集合時間は12時半でしょ?もうお昼だから、急がないと。」
夕は怪訝な顔をする。
「えぇ?今はまだ11時でしょー?」
私は言われてある可能性に思い至った。すぐさま自分の腕時計に目を落とす。
私の入学祝いに買ってもらった時計は、止まっていた。
「あ。」
最近天気が悪かったし、ソーラー電池の充電が切れてしまったのかもしれない。
夕はため息をつくと、呆れたように、真っ赤に塗られた爪を額に当てた。
「相変わらずおっちょこちょいなんだからー。」
「夕に言われたくありません。ところで、さっきから気になってたんだけど。今日はなんか人多いよね。何かあったっけ?」
夕は少し思案するようにした後、答える。
「あー、今日、人が多いのはアレだよぉ、新入生説明会。1時くらいに終わるらしいけどー。
部長が、『わらわらと1時頃になると新入生がわいてきますので、皆さん、しっかりビラを撒いて2、3匹、いえ人、捕獲してきて下さい。』とかなんとか。」
部長の言葉のところになると、夕は急に真面目な表情を作り、眼鏡をクイッとあげる仕草をしながら、ものまねをした。
軽い外見の夕がすると、妙にシュールだ。
「夕、やめなよ。相当似合わないから。」
「えぇー、環がひどいー。まあいいや、それじゃあまだ早いけどぉ、行こっかー。」
私たちは部室に向かった。
8月17日 軽い外見の夕方すると→軽い外見の夕がすると
に誤字修正しました。
ご指摘ありがとうございます。




