5章 1話
___やっと僕を見つけてくれたね。
◆◇◆◇◆
助けが来るまで、あと1日。
ドンドンドン、という暴力的な音で、私は覚醒する。
寝ぼけ眼で枕元の腕時計を見ると、午前7時。
こんな朝から私に何の用だろう。
ぼんやりと霞がかった頭で考えるも、答えは出ない。
ベッドで身を起こしてしばしぼうっとしているうちに、徐々に意識がはっきりしてくる。
そうだ、昨日は確か、夕が危険で…。
私は、はっとした。
まさか、いや、でも…。
いやな予感がする。
ドンドンドン。
音はまだ鳴り続けている。
私はひとまず起きていることを伝え、寝癖もそのままに急いで寝巻きの上から上着をひっかけると、ドアへと走った。
扉を引き開ける。
そこには蒼白な顔の逸樹が立っていた。
「なんで女子寮にいるのか、つっこみたいけど…。
そんな場合じゃないみたいだね。
何かあったの?」
私はことさら強がって、おどけたようにそう言い、逸樹の顔を見る。
少し声が震えてしまったかもしれない。
本当は、何が起きたかなんて薄々予想がついている。
でも、それを口にしたら現実になってしまいそうな気がして、問えなかった。
愚かだよね。
私が言おうが言うまいが、現実は変わらないのに。
それでも、そうとはわかっていても。私の気のせいで、異常など無いのだと言って欲しかった。
いやな予感を、笑い飛ばして払拭してほしかった。
お願いだから、否定して。
心から、そう願う。
「相田 夕が殺された。
寮の表にある木で、首吊り状態だったらしい。
部屋の窓が外から割られていて、そこから侵入されたんじゃないかって言われている。
とは言っても、女子寮の窓の方には体育館の壁か、その下に続く崖しかないから、どうやってもそんなところに登れるはずがないらしいが。」
苦渋を孕んだ、逸樹の声。
いわないで。
その願いは、儚くも散っていった。
いつか雨に打たれていた桜のように。
私はその場に崩れ落ちた。
床の冷たさが、絶望と共に私の体を蝕んでいくようだった。
「逸樹、お願い…。
夕に会わせて。」
弱々しく懇願する。
今は何も考えられないのに、無意識のうちに私の口は勝手に動いて、そう言葉を紡いでいた。
逸樹はしばらく躊躇っていた。
ショックを受けている私に、これ以上の負荷がかからないか心配しているのだろう。
しかしそれでも、私は夕に会いたい。
でなければ、夕はまだ死んでなどいないと、無駄な希望を捨てきれなくなってしまう。
重ねて逸樹に頼み込むと、彼は、自分が同行することを条件に承諾した。
このままで外を歩かせるわけにはいかないからと言われたので、着替えだけしてから、無言のままに逸樹の後をついて行く。
どこに行くのか、なんてことは訊かなかった。
夕のいる場所に向かっている。
それだけわかっていれば、充分だった。
逸樹に先導されて連れてこられたのは、キャンパスの中央に位置する事務棟の一室。
事務棟はその名の通り事務関連の施設が集中しており、全ての手続きがここで済ませられるようになっている。
1階には保健室があるのだが、そのままその奥に誘導される。
一番奥の空き部屋で、夕はブルーシートの上に横たわっていた。
表情は目が閉ざされているため、窺いにくい。
そして、その首には醜い黒紫色に染まった細い線が刻まれていた。
もうこの世には戻って来られないのだと主張する、決定的な境目が。
周囲に血が出ているほどに深い引っ掻き傷があることから、苦しんで死んだのだろう。
綺麗に塗られている爪の赤だけが場違いにいつも通りで、鮮烈なその色が網膜に焼きつくようだ。
ああ…。
私は涙を流した。
せめてもと、歯を食いしばって嗚咽を殺す。
私には泣く資格などない。
夕を助けられなかった私には…。
なぜあそこで帰ってしまったのだろう。
結局私は、誰一人助けることなんてできなかったのだ。
__起きてみたらのお楽しみっ。
あの人影の言った言葉の意味がようやく分かった。
でももう遅い。
…遅すぎた。
「逸樹、もういい。気が済んだ。
私はこれから夕の部屋に行く。」
「おい、環。なんか今日のお前は、いくらなんでもおかしいぞ。
やっぱり部屋に戻って休んだ方が…。」
逸樹が心配そうに言った。
しかし、私が夕のためにしてあげられることは、犯人を捕まえることくらいしかもう残っていないのだ。
私はせめて、夕の仇をこの手で捕らえたい。
無言で部屋から出て行こうとすると、肩を掴まれた。
「環…。俺はお前が心配なんだよ!
___そんな泣きそうな顔で、無理すんなよ…。」
くしゃりと顔を歪めて、彼は訴える。
私はそんな彼の腕を振り払って、外に向かった。
もう逸樹の言葉では、私は止まれない。
私は部屋の出口まで来てようやく、一度だけ歩みを止めて、振り返った。
逸樹は先ほどの姿勢のまま、顔を歪めている。
彼の右目からは、一筋の涙が流れていた。
果たしてそれは、何に対して捧げられた涙だったのか。
私はそのまま部屋を後にし、寮へと戻って行った。
しばらくはシリアス全開です。
自分で書いておいてなんですが、暗い…。




