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エイプリル・フール  作者: いちい
緑青に錆びゆく縁
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4章 3話

 




 食堂で、逸樹と夕と昼食をとる。

 昼飯時なのでいささか混みあってはいたものの、幸いにして、そう待たずに席を確保できた。


 夕が箸を一旦置き、言う。


「にしてもさあ、千秋さんってチャレンジャーだよねー。

 あの白石先生の本談義につきあうなんてぇ。」


 逸樹が不思議そうに訊き返す。


「そんなにひどいのか?

 穏やかそうな人なのに。」


 とんでもないよぅ、と、夕はテーブルに身を乗り出した。

 声が上ずっているのはきっと、自分が被害にあった時のことを思い出していたからだろう。


 文芸サークルのメンバーは、大概一度はあれに強制参加させられるのだ。白石先生に捕まえられて。

 私もつい遠い目になる。

 逃げ出そうとするも、背後から文字通り襟首を掴まれて、笑顔の白石先生に部室の中へと引きずり戻されたあの日…。


「あれはないってー。

 ものすごいマニアックでぇ、本の感想を話し合うだけならともかく、その本の作者・来歴、類似テーマの他作品、最近の傾向、特色からなにから、もうどうしようってかんじで細かくってぇ、聞いてなんからんないんだからー。

 しかも、こっちが虚ろな目しててもお構いなしなんだよー。

 気が済むまで話し続けるのー。」


 逸樹の顔が引き攣った。


「それは確かに…ひどいな。

 それにまともに付き合えるってことは…千秋さんも相当マニアックってことか。

 彼女は外見からして文学少女っぽいしな。」


 …そういう可能性もなくはないけど。

 私は白石先生といたときの千秋さんの様子を思い浮かべる。

 あれはむしろ…。


「むしろ、千秋さんは白石先生に気があるんだったりしてね。」


 私がそう言うと、逸樹と夕は微妙な空気を醸し出し始めた。


「えっとー。

 まだ残ってるし、食べよー。」


 夕が仕切り直すように言った。


 おかしいな…。コイバナは古今東西盛り上がると、相場が決まっているのに。

 何か外してしまったのだろうか。


 そのまま、食堂での昼食は気まずく終わったのだった。


 食べ終わると、エントランスで逸樹と別れ、女子寮の2階に向かうため、臙脂色のカーペットの階段を上る。








 しばし歩いて扉を開くと、再びの夕の部屋。


 朝と同じように、私たちはテーブルについた。


「結局、特に動きはなかったねー。」


 夕が気怠そうに言う。


「うん。」


 私はべったりと机に突っ伏し、同意する。


 静寂が部屋を包んでいる。

 ざーざーと、まだ止まない雨の音だけが、部屋に響く。

 窓の外では、相変わらず雨が猛威を奮っているのだろう。


 閉め切られた窓を、私は何の気なしに視界に入れた。


 夕の部屋は窓の外が崖になっているうえ、1,5メートルほど上の位置には体育館の女子更衣室の窓があって気まずいため、窓はいつも閉めているのだと以前言っていた。

 前に、女子同士の赤裸々な話が漏れ聞こえてきたことがあったらしい。


 ふと思い立ち、今朝から気になっていたことを尋ねてみる。

 そのままのだらしない姿勢で、顔だけ夕に向けた。


「ねえ、夕。

 なんでそんなに、いつも通りに振る舞えるの?

 もしかしたら殺されちゃうかもしれないんだよ?」


 それくらい今日の夕は自然で、悲壮感など欠片も匂わせていない。

 それが私には不思議でならなかった。


 夕は微笑む。


「あのねー、環。

 アタシは諦めてるってワケとかじゃないんだけど、がんばってがんばって、それでも殺されちゃったら仕方ないと思ってる。

 別に死にたいとかでもなくてね。

 あがいてもどうしようもないことって、あるでしょう?

 それに、アタシは死ぬのは怖いよ。

 でも、環、アナタが一生懸命アタシのために動いてくれてるじゃん。だから安心できるの。

 もし環が警告してくれてなかったら、今日とっくに、あっさり死んでると思う。

 なのに、親友がアタシを必死に守ろうとしてくれてる。

 それはね、アタシにとっては、とても大きいコトなんだよ。」




 …夕は何を言っているんだろう。

 言葉自体は理解できても、その意味は、思考は、私の心を花弁(はなびら)のように、ひらり、ひらりとすり抜ける。


「どういうこと?

 私にはよく分からないよ。」


 夕は、ふふっ、と、なおも笑う。


「環は分からなくて良いんだよ。」




 今日ほど夕を遠く感じたことはなかった。

 きっと今の私では、夕の、この思いを共有することはできないのだろう。

 直感的にそう思う。


 いつか子供の頃、舞い落ちる桜の花弁を捕まえたくて、何度も何度も腕を伸ばしては逃げられた。

 この感覚は、そういう(たぐい)のものだ。


 夕の表情を、気付かれないように窺う。

 その影を感じさせる笑顔はどこか不安定で、さながら雨の向こうに隠れた月のようだった。






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