【87】 届出人松島奈美の『住民異動届』 (終)
それから数日が経過し、学校の一学期が終わって二日後のことだった。
住民課職員「昨日の異動届です」
住民課の職員が、昨日受けた『住民異動届』の書類の束を大輔に手渡した。
大輔「すみません」
大輔が書類を受け取った。
住民は引っ越すと『住民異動届』というのを出さなければならない。出さないと罰則があり、反則金も徴収される。
住民が引っ越して、住民課に提出された昨日一日分の『住民異動届』の写しが、翌日、国民健康保険課に渡される。
『住民異動届』は大きく3つに分類される。
ひとつ目が美浦市から美浦市への引っ越しで『転居』と呼ぶ。
ふたつ目が他市から美浦市へ引っ越したものを『転入』と呼ぶ。
最後みっつ目は、美浦市から他市へ引っ越す『転出』である。
大輔が書類に目を通し始めた。しばらくして大輔の手が止まった。そして、ある一枚の『住民異動届(転出)』を真剣に細かく見始めた。
大輔(『届出人松島奈美。松島博之、遡って松山市へ転出』)
その『住民異動届』にホチキス止めでもう一枚『住民異動届』が添付されていた。
大輔(備考欄に『夫、松島博之不在判明』)
大輔(『松島奈美、海斗、愛媛県松山市……へ転出』)
黙読した。
大輔(『愛媛県松山市』?)
大輔(北海道でも沖縄でもなく、四国なんだ)
大輔(ということは、最初から四国に決まっていた? 『北海道か、沖縄かどちらかに引っ越して』と、言ったのは嘘だったのか?)
大輔は『住民異動届』の事務処理が終わると、『住民異動届』の束を上司である係長小竹由夏の机上に置いた。決裁印をもらうためである。
しばらくして、由夏がその書類に手を伸ばした。珍しく、書類の束の一枚だけに黄緑色の付箋が付いていた。
由夏はそこをめくり見始めた。
由夏(『届出人松島奈美。松島博之、遡って松山市へ転出』)
由夏(四国? 北海道でも沖縄でもなく?)
由夏(どういうこと?)
由夏(気が変わったの?)
由夏(いや、松島さんは坂口さんに嘘を言ったんだわ。なぜ?)
由夏(坂口さんに居場所を知られたくなかった。それほど別離の意思が固かった?)
由夏(でも、こうやってばれてしまうのに)
由夏(いや、松島さんは四国へ行くことが、住民課には知れても、国民健康保険課にはわからない、と思っていたのよ。そうよね、普通そう考えるわよね)
由夏(でも坂口さんは知ってしまった。けれど坂口さんは職務上で知りえた秘密だから、彼女が四国へ引っ越したことは墓場まで持って行かなければならない)
由夏(私が松島さんの気持ちを疑い過ぎたのね。本当に彼女やり直すんだ)
由夏(でも良かったぁ~。松島さんはご主人と会えたし、私も坂口さんを独占できるし。いい事づくめね。ふふふ)
由夏がやらしい笑いを浮かべた。
大輔はその横顔を、誰にもばれないように横目で見てほっとした。
由夏は『住民異動届』から付箋を取り外し、何事も無かったかのようにゴミ箱に捨てた。
(終わり)
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【あとがき】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
海斗の転倒から始まり、大輔と奈美の甘美な夜。海斗の書いたメモに焦った奈美。
大輔が奈美と別れ、恋愛に無知な由夏との新しい生活。そして奈美との復縁による二股。人生はめまぐるしく変化し進んで行きます。
一方、税務職員としての重圧、とっさの逃亡、牛丼屋での後悔と涙……。罪の意識に苛まれ続けていた博之。松山の温かい人々に支えられ、ようやく家族と向き合う一歩を踏み出すことができました。
残された大輔、由夏たちもまた、行政窓口の一枚の「住民異動届」を通じて、それぞれの過去に区切りをつけ、前を向いて歩み始めます。
読者の皆様の心に、少しでも温かいものが残れば幸いです。
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