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怒るしかない

 深夜二時過ぎ。


 近所のコンビニは、いつも通り静かだった。

 冷蔵ケースの音と、電子レンジの低い唸りだけが響いている。


 レジの前で、男が声を荒げていた。


「だから言ってんだろ!」

「袋が破れてたんだよ!」


 若い店員は、何度も頭を下げている。


「申し訳ありません」

「すぐ、新しいものを——」


「謝りゃ済むと思ってんのか!」


 男の声が一段上がる。


「土下座しろよ」

「それくらいのこと、しただろ!」


 店内の空気が、ぴんと張りつめた。


 俺は、コーヒーを一つ手に取ったまま、レジから少し離れた棚の前に立っていた。

 介入する気はない。

 だが、背を向ける気もなかった。


 男は五十代くらい。

 安いスーツに、くたびれた靴。

 酒の匂いはないが、目だけが妙に乾いている。


「どうせ、あんたもだろ」


 突然、男が俺を見た。


「こういうガキ雇って」

「適当に謝らせて」

「こっちが悪者になるんだ」


 店員が、びくっと肩を震わせた。


 俺は、カウンターにコーヒーを置いた。


「関係ない」


 短く言う。


「は?」


「俺は客だ」

「あんたの判決係じゃない」


 男は鼻で笑った。


「いい身分だな」

「見て見ぬふりか?」


「違う」


 俺は、レジ横の灰皿を見た。


「怒鳴る理由が、袋一枚とは思えないだけだ」


 一瞬、男の言葉が止まった。


「……何が分かる」


「分からない」


 即答した。


「分からないから」

「決めつけない」


 沈黙が落ちる。


 男の拳が、震えているのが見えた。


「俺ばっかりだ」

「いつも、俺ばっかり」


 声が、少しだけ低くなる。


「真面目にやってきた」

「誰にも迷惑かけてない」

「なのに——」


 言葉が途切れる。


 俺は、ようやく男を見た。


「今」

「誰かに止めてほしいのか?」


 男は、ぎょっとしたようにこちらを見る。


「……何を」


「このままじゃ」

「自分が壊れるって」


 男の喉が、上下に動いた。


「……そんなこと、言ってねぇ」


「言わなくても分かることもある」


 店員が、恐る恐る口を開く。


「あの……」

「返金、しますので……」


「いらねぇ!」


 男は、叫んだあと、急に黙り込んだ。


 そして、ぽつりと言う。


「……あんた、覚えてろよ」


「ああ。ちゃんと覚えたよ、あんたの顔」


「……もういい」


 袋を乱暴につかみ、出口へ向かう。


 自動ドアの前で、足が止まった。


「……あんた」

「さっきの言葉」


「どれだ」


「壊れるってやつ」


 俺は、コーヒーを手に取る。


「壊れてない」

「止まってるだけだ」


 男は、出ていった。


 ドアが閉まる。


 店内に、元の静けさが戻る。


 店員が、震える声で言った。


「……ありがとうございました」


「礼はいらない」


「でも……」


「怒鳴られた理由は」

「袋じゃない」


 それだけ言って、コーヒーの代金を払う。


 外に出ると、夜風が冷たい。


 背後で、相棒の声がした。


「怖かったぁ……」


「本人が一番怖かっただろうな」


「そうなの?」


 俺は、夜道を歩き出す。


 壊れる前に止まれるなら、

 それは逃げじゃない。


 証拠も、

 判決も、

 土下座もいらない。


 ただ、

 止まっていい場所があればいい。


 ――もう、証拠はいらない。


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