表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

第4話 後悔

 その少年は――御影朔也。

 先ほど山原から聞いた名前が、頭の片隅で反芻される。


 御影は窓際に立っていた。

 だが、外を見ているのか、雨を見ているのか、それとも何も見ていないのか判然としない。焦点の合わないその表情は、まるで初めてこの世界に放り出された赤ん坊のようで、意思も感情も読み取れなかった。


 ――その顔が、無性に癪に障る。


 理由は分からない。

 自分でも驚くほど、胸の奥がささくれ立っている。普段なら、こんな感情を覚えることはないはずだ。それなのに、なぜか苛立ちだけが先に立つ。


 雨の中、呼び出されただけでも十分なのに。

 よりにもよって、この土砂降りの中を、街中案内しろ、だなんて。


 ――仕方ない。これは不可抗力だ。


 そうやって頭の中で言い訳を並べ、無理やり自分を納得させる。

 これは自分が短気なわけじゃない。状況が悪いだけだ。

 そう思わなければ、この胸のざらつきを持て余してしまいそうだった。


「御影くん、お待たせして申し訳ないね。こちらが相羽結月さん。君と同じ二年生だ。君に町の案内を申し出てくれた、心優しい女の子だ。よろしくしてほしい」


 ――は?


 結月は、思わず眉をひそめた。

 誰が手を挙げた。そんな覚えはない。誰もやらないから、仕方なく押し付けられただけだというのに。


 相変わらずだ。

 都合のいいときだけ、こうして美談めいた言葉を並べる。教師という生き物は、本当に性質が悪い。


 しかし、時間を無駄にする気はなかった。

 結月は御影に視線を向け、感情を隠す気もなく、きっぱりと言い放つ。


「時間が惜しいから、すぐ行くわ。――御影くん、だったかしら」


 一拍置き、わざと距離を詰める。


「私は相羽結月。呼ぶなら相羽でいいわ。間違っても、下の名前で呼んだり、“さん”付けしたりしないで」


 それは自己紹介というより、最初に引いた一線だった。


 御影は、少し考え込むように視線を落とし、それから本当になんでもないことのように口を開いた。


「相羽は、なにをそんなに怒ってるんだ?」


 ――危ない。


 結月の内側で、何かが弾けかけた。

 噴火寸前だ。この教師だけでも十分に神経を逆なでされているというのに、その苛立ちを“指摘される”こと自体が、さらに苛立ちを煽る。


 この少年、危険だ。


 悪意がないぶん、なおさらたちが悪い。

 自覚のない刃を、平然と振り回してくるタイプだ。


 結月の中で、御影朔也という存在は、初対面にして最悪の評価を叩き出した。


「……怒ってないわ」


 声は平坦だった。

 感情を抑え込むときの、あの冷たい調子。


「それより。今から何をするのか、あなた分かっているの?」


 詰めるように言った、その瞬間。


 朔也は慌てた様子もなく、むしろ先手を打つように、すっと手を挙げた。


「いや、まったく」


 あっさりと、事実だけを並べる。


「だって、何の説明もなかったんだ。ただ呼び出されて、ここで待機してろって言われただけで」


 言い訳でも、挑発でもない。

 ただの報告。


 ――だからこそ、余計に腹が立つ。


 結月は、思わず山原を睨みつけた。

 本当に――何も説明していないのか。この男。職務怠慢にもほどがある。


 その視線に気づいたのか、山原はまったく悪びれる様子もなく、軽く手を挙げる。


「いやはや、こういうのはサプライズが大切だからさ。それより相羽さん、あとはよろしくね。一通り回ったら、そのまま直帰してくれて大丈夫」


 さらりと追撃が来る。


「でも明日、報告書は出してもらうから。よろしく」


 言いたいことだけ言って、山原は廊下の奥へと消えていった。


 ――最悪。


 結月は、こめかみを押さえる。頭痛がじわじわと込み上げてくる感覚。

 だが、目の前の少年に罪はない。それだけは、はっきりしている。


 依頼を受けた以上、やり切る。

 それが相羽結月という人間だ。


「……それじゃあ、行くわよ」


 深く息を吸い、感情を押し殺す。


「とりあえず、バス停の場所を案内するわ」


 そう言って歩き出しかけたとき、背後で足音が止まった気配がした。

 振り返ると、朔也が不思議そうな顔でこちらを見ている。


「なにかしら?」


 一拍。

 朔也は、遠慮がちに手をすっと上げた。


「……ばすていって、なんだ?」


 ――帰りたい。


 結月は、心の底からそう思った。

 今日という一日を、すでに後悔し始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ