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第10話 蛍の光

「……御影君?」


 結月は、思わず声を漏らしていた。


 ありえない。


 まず、その一言が脳裏を占める。


(なんで……ここにいるの……?)


 今日、この場所を覆っている結界は、

 結月自身のものではない。


 ――神楽坂灰音の結界だ。


 結界術を最も得意とし、

 認識疎外、侵入遮断、気配遮断を幾重にも重ねた、完成度の高い結界。


 術理士として未熟な自分とは比べものにならない。

 結月がどれだけ全力を尽くしても、同じものは張れない。


 その結界を――

 すり抜けて、ここまで来る?


 理屈が、まったく合わない。

 偶然? 事故? ありえない。


(……わからない)


 どうして、彼がここにいるのか。

 どうやって、ここへ辿り着いたのか。


 考えても、答えは出ない。


 だが。


(……見られた)


 その事実だけが、はっきりと突き刺さる。


 術理士の存在。


 ――一般人に、見られてはいけない。


 それは、掟だ。

 絶対で、揺るがない。


 理由など関係ない。

 事情も、感情も、言い訳にもならない。


 破った時点で、アウト。


(……致命的)


 これは、見逃せない。

 見逃してはいけない。


 たとえ――

 彼が、ただの無知な少年だったとしても。


 たとえ――

 今日一日、町を案内した相手だったとしても。


 結月は、ゆっくりと息を吸い、

 その感情を押し殺す。


 迷いを切り捨てるために。


 これは、術理士としての問題だ。

 個人的な感情を挟む余地はない。


 ――絶対なのだ。


 結月は、覚悟を決める。


「……どうして、ここにいるの? 御影くん」


 声は、驚くほど落ち着いていた。

 自分でも意外に思うほど、感情は表に出ていない。


(……見られた以上、殺すしかない)


 それは、術理士の決まりだ。

 例外はない。

 情状酌量も、同情も、理由にはならない。


 ――だが。


 結月は、何も理解していない人間を、何も告げずに殺すことを、是とはしていなかった。


 相手が、なぜ殺されるのか。

 何を見てしまったのか。

 それが、どれほど取り返しのつかないことなのか。


 すべてを理解したうえで――

 怒り、 恐怖し、 自分を恨む。


 その感情を向けられる覚悟がなければ、

 刃を振るう資格はない。


(……それを、受け止める義務がある)


 それが、結月なりの矜持だった。

 術理士としてではなく、

 一人の人間として、背負うべきもの。


 だからこそ。


 結月は、問いを投げかけた。


 御影朔也が、何も知らないまま死ぬことだけは、

 ――それだけは、許せなかった。


「……夜を出歩くなと、私は言わなかったかしら」


 それは、叱責というよりも、

 後悔を含んだ言い方だった。


(……もっと、強く言っておくべきだった)


 曖昧な忠告で済ませた自分の判断を、結月は今さらのように悔いる。


「……」


 朔也は、すぐには答えなかった。

 その場に転がるものを一度見てから、ゆっくりと考え込む。


 そして、ぽつりと口を開いた。


「たしか……相羽は、“けいさつに、ほどうされる”って言ってた」


 結月の胸が、ひくりと跳ねる。


「……じゃあ」


 朔也は、床に転がる死体へと視線を向ける。


「この、転がっている人たちも……

 “ほどうされた”ってことか?」


 一拍。


「……ということは」


 朔也は、真剣な顔で結月を見る。


「相羽は……けいさつなのか?」


 ――違う。


 あまりにも、違いすぎる。


 結月は、目を伏せた。


(……やっぱり、分かっていなかった)


 恐怖も、疑念もない。

 あるのは、常識の枠内で必死に辻褄を合わせようとする思考だけ。


(……もっと、ちゃんと説明するべきだった)


 後悔が、胸の奥で静かに膨らむ。


 だが。 もう、遅い。


(……こうなってしまった以上)


 結月は、ゆっくりと息を吸い、

 その感情を押し殺した。


「……私は、警察じゃない」


 結月は、はっきりと言った。


「それに、そこに転がっている人たちは……補導されたわけでもない」


 一拍、間を置く。


「吸血鬼化した人間よ。もう、手遅れだった」


 視線を逸らさず、続ける。


「……私が、殺したの」


 ごまかしはなかった。

 遠回しな表現も、言い換えもない。


 吸血鬼を殺した。

 人だったものを、自分の手で終わらせた。


 それを、そのまま口にした。


 普通の人間なら、ここで反応が出る。

 混乱し、否定し、理解できないと声を荒げるか――

 あるいは、恐怖に押し潰され、言葉を失う。


 どちらにせよ、平静ではいられない。


 だが。


(……こいつは、普通じゃない)


 それを、結月はもう分かっていた。


 この少年――御影朔也が、

 この言葉をどう受け取るのか。


 怒るのか。

 怯えるのか。

 それとも、まったく別の反応を見せるのか。


 結月には、予想がつかなかった。


 だからこそ。


 彼女は、一言も付け足さず、

 ただ、黙って返答を待った。


「……」


 朔也は、すぐには答えなかった。


 昼間、街を案内していたときと同じ仕草。

 視線を少し落とし、じっと考え込む。

 言葉を選ぶというよりも、状況そのものを理解し、飲み込もうとする時間。


 結月は、口を挟まなかった。

 邪魔をしてはいけないと、本能的に分かっていた。


 数十秒。

 やけに長く感じられる沈黙。


 やがて、朔也はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。


「……そうか」


 一拍。


「そうなんだ」


 それだけ言って、静かに頷く。


「わかったよ。……邪魔をしたみたいだな」


 声音に、恐怖はない。

 怒りも、疑念もない。


「俺、帰るよ」


 そう言って、朔也は踵を返した。


 逃げようとしているわけではなかった。

 慌てる様子も、身構える様子もない。


 ただ――

 知り合いに偶然会って、

 少し話して、

 用事が済んだから帰る。


 それだけの、ごく自然な振る舞い。


 床に転がる、首だけの死体も。

 それを「自分が殺した」と告げた結月の言葉も。


 朔也の中では、

 同じ重さの“事実”として処理されただけだった。


 動揺は、ない。

 拒絶も、ない。


 結月は、その背中を見つめながら、

 言いようのない寒気を覚えていた。


(……この子は)


 ――本当に、何者なのだろう。


 今、結月の胸を占めているのは、

 理解できないものを前にした、不安だった。


 朔也の足音が、静かに遠ざかっていく。


「……ちょっと、待ちなさい。まだ話は終わりじゃないわ」


 結月は、そう言って朔也を呼び止めた。


 ――大事な話が、残っている。

 絶対に、言わなければならないことが。


 朔也は足を止め、ゆっくりと振り向いた。

 逃げるでも、警戒するでもない。


 ただ、

 相手の話を聞こうとする姿勢。


 その素直な動作に、結月の胸が強く締めつけられる。


(……なんて顔をするの)


 まるで、世界に生まれたばかりの赤ん坊のようだ。

 疑うことも、構えることも知らない。


(……こんなやつを、今から殺すの)


 その事実が、重くのしかかる。


 きっと、自分はまともな死に方はできない。

 そう思うほどの罪悪感が、結月の中で膨らんでいく。


 それでも。


 結月は、目を逸らさなかった。


「……私は」


 一拍。


「あなたを、殺さなければいけないの」


 回りくどい言い方はしなかった。

 この少年でも、確実に理解できる言葉を選んだ。


 端的に。

 はっきりと。


「……なんで?」


 朔也は、そう尋ねた。


 声に、動揺はない。

 恐怖も、怒りもない。


 ただ、

 純粋な疑問。


 分からないから、聞いているだけ。

 それだけだった。


「……見られたからよ」


 結月は答える。


「私が、術理士であること。

 そして、その吸血鬼の死体を」


 一瞬、喉が詰まる。


「……あなたに見られた、その瞬間に」


 言葉を区切り、続けた。


「私は、あなたを殺さなければならなくなったの」


「……」


 朔也は、黙り込んだ。


 言葉を失ったようにも見える。

 ショックを受けているようにも、見えなくはない。


 だが、結月は気づいていた。


 ――違う。


 彼は、考えている。


 恐怖に固まっているのではない。

 現実を拒絶しているのでもない。


 ただ、

 自分に向けられた「死」という結論を、

 どう理解すればいいのかを、必死に整理している。


(……やっぱり、こいつは)


 普通じゃない。


「……それは、困るなあ」


 朔也は、独り言のようにつぶやいた。


 それは、あまりにも自然な反応だった。

 誰だって、死にたいなどとは思わない。

 この少年の感想は、極めてもっともな意見だ。


「……そうね」


 結月は、小さく頷く。


「だから――抵抗して」


 一拍。


「抵抗して、抵抗して……

 なんなら、私を殺すつもりで反撃してきなさい」


 それは、慈悲でも挑発でもない。

 結月なりの、最後に与えられる選択肢だった。


 だが。


 朔也は、顔色一つ変えなかった。


「……それが、都会のルールなの?」


 恐怖も、怒りもない。

 ただ、確認するような声音。


「そうよ」


 結月は、即答した。


 迷いは、もう口にしない。

 それが最後の問答だと、自分の中で線を引く。


 これ以上、言葉を交わせば、

 きっと、刃が鈍る。


 結月は、一歩、間合いを取った。


 ――構える。


「……起動、セット、アクティベート……」


 結月が低く唱えた、その瞬間。


 彼女の前方、宙空に――

 魔法陣のような紋様が、ひとつ浮かび上がる。


 術式陣。


 幾何学的な線と光で構成されたそれは、

 結月の意思を待つかのように、静止していた。


 ――きぃぃん。


 微かな共鳴音とともに、結月の胸元が光を放つ。


 優しい光。

 暗い公園を、ほのかに照らす淡い輝き。

 まるで、蛍の光のようだった。


(……きれいだ)


 朔也は、そう思っていた。


 恐怖はない。 緊張もない。


 今、目の前で起きている現象も、

 先ほどまで眺めていたネオンに満ちた街並みと、

 彼の中では大差がなかった。


 ――少し、派手な不思議現象。

 それくらいの認識だ。


「……シングル・ブレイク・ファイヤーボール」


 結月の声に呼応し、

 術式陣が強く輝く。


 中心から、火の玉が生まれた。


 圧縮された炎。

 揺らぎのない、殺意の形。


「……デプロイ」


 その一言とともに。


 火の玉は、空気を裂き、

 対象を燃やし尽くさんと――朔也へ向かって放たれた。


 迫り来る炎を見ながら、

 朔也は、妙に冷静に思う。


(……あれ、当たったら)


(……丸焦げで、死ぬな)


 一拍。


(……そうか)


 ゆっくりと、理解が追いつく。


(これは……殺し合い、なのか)


 納得したように、頷く。


(村でも、たまにあったな。

 ……成人の儀、みたいなものか)


 生き残るか、死ぬか。

 覚悟を示すための、通過儀礼。


(……じゃあ)


 朔也の中で、

 かちりと、何かが切り替わった。


 音がしたわけではない。

 だが、確かに分かった。


(……やるか)


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