第二話:毒には毒を、キモさには筋トレを
結論から言えば、私は三日間寝込んだ。
悲しみで胸が塞がったからではない。
初夜の「義務」とやらが物理的に激しすぎたせいで、腰と足が悲鳴を上げていただけだ。
(……あの顔面国宝、加減というものを知らないのかしら)
四日目。ようやく這い出すようにしてベッドを脱出した私は、メイドに命じて、朝食とは思えない量の肉料理を用意させた。
「奥様、そんなに召し上がって大丈夫ですか……?」
「全然足りないわ。もっと、こう……血の滴るような赤身肉を。あと、プロテイン代わりにゆで卵を十個持ってきて」
驚愕に目を見開くメイドたちを無視し、私はひたすら食べた。
食べて、食べて、胃を重くする。
そうでもしないと、あの朝の屈辱的な言葉が脳内を反芻して、怒りで理性が焼け切れてしまいそうだったからだ。
食事が終わると、私は修道院から持ってきた私物の中から、使い古した稽古着を引っ張り出した。 「……旦那様は?」
「視察で二週間ほど家を空けると、一昨日出発されました」
「そう。好都合ね」
あいつがいない間に、この屋敷を私の「修練場」に改造してやる。
私は邸の裏手にある林に向かった。
ドレスではなく、動きやすいチュニックとパンツ姿。
公爵夫人としては失格だろうが、知ったことか。
どうせあいつは「安静にしていろ」としか言わなかったのだ。
「ふんっ! はぁっ!」
私は手近な大木を相手に、拳を叩きつけ、回し蹴りを放った。
ドォン、ドォン、と重苦しい音が林に響く。
騎士団長である父・アベルトは、私を「男に負けない騎士」として育てたかったらしい。
五歳で修道院へ送られたのも、そこが「鉄の規律」で知られる武闘派修道院だったからだ。
私はそこで、神への祈りと共に、岩を砕き、滝に打たれる日々を送ってきた。
三十分も動けば、額に汗が浮かぶ。
その時だ。
(……っ! またこれだわ!)
心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。
あの日、ユースに抱かれた時から、時折こうして胸が苦しくなる。
(あいつ……。去り際に、何か呪いでもかけていったのかしら)
あるいは、あいつのあの「あまりに整いすぎた美貌」は、人間にとって有害な毒素を放っているのかもしれない。
美しすぎる猛毒。
それに当てられた私の心臓が、生存本能として「アイツには近づくな」と警告を出しているのだ。 「キモいわ……。顔がいいだけの猛毒男なんて、キモすぎる……!」
私はその動悸を打ち消すように、さらに激しく木刀を振り抜いた。
――それから一週間。
私は毎日、朝から晩まで体を動かした。
おかげでメイドたちの間では「奥様が林で魔獣のような咆哮を上げている」という不穏な噂が広まっていた。
そんな折、国王陛下から私宛に書簡が届いた。
封を解けば、そこにはたった一言。
『――よくやった。』
「………………。」
不快な汗が背中を流れる。
やった? 何をだ。初夜をこなしたことか? それとも、一晩で夫に捨てられたことか?
小心者の私は、メイドに見えないところで枕を全力で殴りつけた。
どいつもこいつも、私を何だと思っている。
もういい。お別れしましょう。
離縁できない王命だというのなら、せめて彼を投げ飛ばし、謝罪を勝ち取ってから、この屋敷の隅で「最強の居候」として君臨してやるわ。
そう決意した翌日。
邸のゲートから、ユースの帰還を告げる鐘の音が響いた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
エントランスで、私は極めて低い声で彼を迎えた。
馬車から降りてきたユースは、私の姿を見るなり目を見開いた。
そりゃそうだろう。
顔に泥をつけ、稽古着姿で仁王立ちしている妻など、計算外に違いない。
「……エヴァ? 何故、君がここに。安静にと言ったはずだが」
「旦那様、ちょっとお顔をお貸しになって!」
私は逃がさないとばかりに、彼の腕を掴んだ。
ユースは一瞬、戸惑ったような顔をしたが、次の瞬間、私は彼の体を担ぎ上げ、寝室へと放り投げた。 ドサリ、とベッドに沈んだ公爵様を見下ろし、私は告げた。
「お別れしましょう、ユース様。私を抱かないなら、夫婦関係は破綻していると同義ですわ!」
「……何?」
ユースが、寝乱れた髪の間から私を見上げる。
驚いたことに、彼は怒っていなかった。
それどころか、彼は自分の肩を掴んだ私の手を見て――頬を、微かに赤らめたのだ。
「エヴァ……。君、そんなに、私に抱かれたかったのか?」
「…………はぃ?」
何、その斜め上の解釈。
目の前の男から放たれる「キモいオーラ」が、過去最大級に心臓を直撃した。
筋トレは裏切らない(たぶん)。
そして帰ってくる合理主義夫、斜め上の解釈でさらに火に油です。
次話、事態が“計算通り”に最悪へ転がります。お楽しみに!




