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8 神様へのお願い

「100年程前、ワタクシはここで飼われていました」

 

 小雲おばあちゃんの言葉に、私は周囲を見回した。この家は100年前から建っているのだろうか。それにしては、造りが私の家とそう変わらないように見える。


「ああ、違いますよ。今建っているこの家のことではありません」


 私の誤解に気づいたのか、おばあちゃんは苦笑していた。


「ワタクシが住んでいたのはこの家よりも前の家です。確か、当時は木造の家だったかしら」


 おばあちゃんは遠くを見つめるように呟いた。


「ワタクシを飼っていたのはある家族でした。確か、父と母、娘の3人家族でしたね。ワタクシはその家族にとても可愛がられ、幸せに暮らしていました」


 そう言った途端、笑顔だった彼女の顔が曇った。


「莉渚さん、貴女もご存知の通り、ワタクシたちの寿命は人間のそれよりも短いです。ワタクシも当然寿命が近づいていました。日に日に体が衰えていき、遂には寝たきりになってしまいました」


 聞いているだけで辛そうな思い出だ。しかし、それでもおばあちゃんは語りを続けた。


「ワタクシは思いました。ああ、死に近づいていると。これでこの家族の元から離れてしまうのだと。そんなワタクシに娘がこう言いました。『死なないで』と」


 一緒に暮らしている家族がいなくなるかもしれない。それを想像するだけで胸が痛くなる。私もその娘さんの気持ちがよく分かる。


「あの子は必死でした。1人っ子だったあの子にとって、ワタクシは兄弟のような関係だったのでしょう。そんなワタクシを失いたくないからか、彼女は神様に願いました。『神様、お願いします。どうか元気になりますように。長生きしますように』とね」

「それで貴女は元気になったのですか? その娘さんが願ったように」


 ジョンの言葉に小雲おばあちゃんは頷いた。


「ええ、そうです。娘が願った次の日、ワタクシはすっかり元気になりました。まるで若い頃に戻ったようにみるみると体に力が溢れました。ワタクシは家族と喜び合いました。その日からまた幸せな日々が始まったのです」


 おばあちゃんは昔を懐かしむような顔をしていた。その顔は本当に幸せそうに見えた。


「ある時、ワタクシは気づいたのです。自分が全く老いていないことを。何年経っても一向に衰える気配がないのです」

「その娘さんが貴女が長生きするように願ったからですね?」


 ジョンの問いかけに彼女は頷いた。


「きっとそうなのでしょう。確かにあの子は神様に願いました。『長生きしますように』と。それが叶ったのです」

 

 家族に長く生きて欲しい。そんな女の子の素朴な願いによってこのおばあちゃんは常識を超えて長く生きることになった。それが良いことなのか私には分からなかった。


「いつまでも生きるワタクシのことを不気味に思うようになったのか、母と父はワタクシのことをあまり構わないようになりました。しかし、娘だけは相変わらずワタクシのことを可愛がってくれました」


 おばあちゃんは寂しそうな笑顔を浮かべていた。


「やがて、娘が大きくなりました。あの子は大人になり、家を出て行ったのです」

「え? どうしてですか?」

「結婚したからです。ワタクシも一緒に行きたかったのですが、連れていってもらえませんでした」


 彼女はどこか辛そうにしていた。ずっと一緒に暮らしていた家族がいなくなったのだ。そう考えた途端、私の胸が痛んだ。


「けれど、あの子は時折家に帰ってきてくれました。年に数回という頻度ですが、それでも、ワタクシとあの子は会うと昔のように話をしました。と言っても、あの子の話をワタクシが聞くだけでしたけど」


 彼女はその時を思い出してからか柔らかく笑った。しかし、次の瞬間、彼女の顔は曇った。


「数年後、父と母は病のため、亡くなりました。そして、娘も年々家に帰る頻度が減っていき、とうとう家に帰ってきませんでした。そして、ワタクシは独りになってしまったのです」

 

 彼女は俯いていた。その顔は見えなかったが、体が震えていた。


「ワタクシは家を出て、野良猫になりました。野良になったことで、猫や人の様々な話を耳にするようになったのです。その中で神様にお願いするとそれが叶うという話を聞きました。それを聞いた時、ワタクシは思ったのです。自分がこんなに長く生きているのは娘が神様に願ったからだと」


 小雲おばあちゃんは真剣な顔つきをしていた。


「やがて長い時間が経ちました。ある日、ワタクシがかつて暮らしていた家を訪ねました。訪ねてみると、昔の家は無くなり、別の新しい家が建っていました。どうやらワタクシが去った後、昔あった家を取り壊し、新しい家を建てたようです」


 周りを見渡す彼女につられて、私は浴室の中を見渡した。どうやら私たちが今いる家が新しく建てられた家らしい。


「ある時、いつものようにここに行くと、年老いたあの子は帰っていたのです。彼女はワタクシを見た途端、昔のように嬉しそうな表情を浮かべていました。しかし、この家はもう別の家族が住んでいました。だから、娘はこの街で新しく家を借りました。そして、ワタクシたちはまた同じ家で暮らすようになったのです」


 小雲おばあちゃんは明るい表情でそう言った。


「ワタクシたちは朝から晩まで一緒にいました。娘がどうして戻ってきたのか分かりません。それでも、まるで昔に戻ったような気持ちになりました。けれど、あの子はある朝に突然逝ってしまいました」


 おばあちゃんは悲しそうな表情を浮かべていた。目には涙が浮かんでいるように見えた。私は居ても立っても居られず、彼女の頭を撫でた。


「おばあちゃん、大丈夫?」


 スミちゃんも気遣わしそうにおばあちゃんを見ていた。


「ええ、大丈夫よ。ありがとう、スミちゃん」


 おばあちゃんはスミちゃんに向かって微笑みかけた。そして、私とジョンの方を向いた。


「あの子が亡くなった後、ワタクシは住んでいた家を出ました。再び野良猫として暮らし始めました。数年前に、ここの家が取り壊されたと聞きました。それで、ワタクシはここで暮らすようになったのです」


 そう締めくくり、小雲おばあちゃんは話を終えた。 

 彼女の話を聞いて、私は何と言っていいか分からなかった。確かに、おばあちゃんが長生きしたことで、家族と長く暮らせたことは良いことだったと思う。娘さんとだってまた会うことができた。

 けれど、長生きしたせいで、家族から不気味に思われたり、大切な人との別れを経験することになった。 

 それを思うと、長生きできて良かったねと簡単に言えることではなかった。


「莉渚さんに、ジョンさんも年寄りが長々と話をしてごめんなさいね。聞いてくれてどうもありがとう」

「いえ! こちらこそ話をしてくれてありがとうございます」


 小雲おばあちゃんから頭を下げられた私は慌てて手を振った。誰にだって辛くて人に話せないようなことはあるものだ。そんなことを目の前にいるおばあちゃんは私たちに話をしてくれたのだ。


「ワタシからも感謝を。大変貴重な話を聞くことができました」


 ジョンと私はおばあちゃんに向かって頭を下げた。


「いいのよ。2人とも顔を上げてちょうだい」


 おばあちゃんの言葉に私は顔を上げた。彼女は優しそうに微笑んでいた。


「えっと、小雲おばあちゃん。1つ聞いていいですか?」

「ええ、どうぞ」

「おばあちゃんは今、幸せですか?」


 私は自分よりもずっと長生きをしている老猫に問いかけた。きっと彼女はそれを望んでいなかったはずだ。でも、今の彼女からは悲しいとか辛いとか負の感情が感じられなかった。


「はい、幸せですよ」

「どうしてですか?」


 私が再度問いかけると、小雲おばあちゃんはそばにいるスミちゃんの方を見た。


「だって、こうしてこの子みたいにワタクシの元を訪ねてくる子がいます。けれど、今のワタクシは独りではありません」

「うん! ボクはおばあちゃんのことが大好きだよ!」


 元気良く返事をするスミちゃんに、おばあちゃんは優しい笑顔を向けた。


「ありがとう、スミちゃん。ワタクシも大好きですよ」

「じゃあ、おばあちゃんが昔一緒に暮らしていた家族のことはどう思っているんですか?」


 私の質問に小雲おばあちゃんは少し考え込んでいた。やがて彼女は顔を上げて、私を真っ直ぐに見つめた。


「ワタクシは愛おしく思っています」

「どうして? だって、その女の子が願ったからおばあちゃんはこうなったんでしょ? 嫌いにならなかったんですか?」

「嫌いになりません。いえ、ワタクシが独りになったばかりの時はそう思っていたかもしれません。けれど、時間が経つにつれて、こう考えました」


 その時、彼女は晴れやかな顔になっていた。


「あの子の願いの通り、長く生きようと。その時が来るまで精一杯生きようと思ったのです」

「別れるのが寂しくないんですか? どんなに仲良くなった猫や人もいなくなってしまうでしょう?」


 小雲おばあちゃんは猫にとってはあり得ないほど長く生きている。当然、他の猫は先にいってしまう。そんな別れを私が考えるのも烏滸がましいほど経験しているはずだ。


「寂しくありません。だって、ワタクシが生きている限り、思い出はずっと残るのですから」

「思い出……」

「そうです。あの子との思い出だって今でも覚えています。これまで出会ってきた者たちとのかけがえのない時間はワタクシの中で生き続けています」


 小雲おばあちゃんは胸に前足を当てた。そこには大切なものが入っているというように。


「ありがとうございます。色々質問に答えてもらって」

「構いませんよ。ワタクシもこうして人間のお嬢さんとお話ができてとても楽しかったです」

「ご婦人、最後に1ついいだろうか?」


 話が終わりかけていたところ、突然ジョンが声を上げた。


「何でしょうか?」

「もし、ご存知ならば教えて欲しいのですが、神様の願いというものは取り消すことが可能でしょうか?」


 ジョンの言葉に私はあっと声を上げた。私のこの異変が神様への願いの仕業だとしたら、取り消す方法を知る必要があるからだ。

 ジョンに問われたおばあちゃんは少し考えて、やがて申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい。ワタクシも長く生きていますが、そのような方法に心当たりはありません」


 おばあちゃんの返答に私の心は再び闇に覆われたような気がした。


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