ようこそ
「そんじゃ改めて――ようこそ、三木退魔事務所へ」
俺がそう告げると、目のまえの少女はこくんと頷いた。
相変わらずその顔にはあまり表情がみえない。
が、視線が手に持っているコップに向いているのが分かる。よほどココアが気になっているのだろう。
「別に気にせず飲めばいいぞ。一杯一千万だがな」
促してやると、おそるおそるといった感じで口へコップを運ぶ。
「んで、名前は?」
「ない。9号炉心だったから、9号としか呼ばれてない」
だろうな。そんな予感はしていた。誰が好き好んで人体実験の対象にきっちり名前をつけるだろうか。
「9……9か。なら今後お前はニオとでも名乗っておけ」
夢中といった感じでココアを飲んでいた少女の視線がこちらへ向く。
「ニオ……わかった。私はニオ」
「そうだ。そんで俺はここの所長の三木宗介だ。所長っつってもメンバーは俺とお前と、さっきまでいたガキだけだけどな」
どうやら付けた名前に不満はないようだ。考えているようで、実はフィンランド語の9って意味で何も考えていない。
本人が気にしなければいいだけの話だ。
「……」
「なんだ?何か言いたいことでもあるのか?」
じっと見つめてくるニオに対して尋ねると、小さく首を振った。
「私は、何をすればいい?」
「さっきも言ったが、ここは退魔事務所だ。世の中の面倒な魑魅魍魎をあるべき場所に追い返すってのがメイン業務な」
そう偉そうに言ってはいるが、ここは零細もいいところの事務所だ。食うには困るほどではないが、差し当たって目のまえの新たな所員の生活費ぐらいは出せるようにしておかんとな。
「魔力炉心が呼び水的な扱いなのかどうなのかしらんが、それに使われるってことは魔術の適性ぐらいはあるだろ」
「そうなのだろうか。私には――よくわからない」
ニオの視線が再び手元のコップへと落ちる。表情は変わらないが、不安げなのはなんとなくわかった。
「なに、適性がなけりゃないで書類仕事だってあるしな。うちはいつでも金欠人手不足だ」
お道化ていうこの言葉に嘘はない。俺自身は確かにれっきとした魔術師ではあるが、世の中で目立っていらっしゃる色付きじゃないし、才能があるほうでもない。
実際魔術師になると決めて師事したときも師匠からかなり酷評されたものだ。
「とりあえず明日からビシバシ働いてもらうから覚悟しておけよ」
「……うん」
こくんと素直に首肯するニオ。彼女のイメージは良くも悪くも自分というのが薄いように感じられる。
まぁ実験体として扱われていたらそうなるのかもしれない。うちに逃げ込んできたからには、佳奈のように自分というものを前に出していけるようになればいいのだが。
とりあえず明日はニオの状態をみて、育成計画を考えていかなければ。あとはいい年したおっさんの所にニオのような子が同居してる言い訳も用意しないと……
考えれば考えるほど、面倒くさい。面倒くさいが、自分で抱え込んだ種だからな。きっちりとケツは拭くしかない。
「よし、そんじゃ今日はゆっくり寝とけ。上の階の一番奥以外の部屋はどこ使ってもいいぞ」
飲み終えたコップをテーブルにおくと、ニオはまたも静かにうなずいて立ち上がった。
そして、ここにきて始めて彼女と目があった。吸い込まれるような深い紺青の瞳。
「ソースケ」
どうやら彼女の中で俺の呼び名はそう決まったらしい。外国人が名前を呼ぶようなぎこちない発音だ。
「ありがとう」
「俺はただ拾ってきただけだ。あとは自分で頑張んな」
ぺこりとまるで人形のように頭を下げるニオ。そんな彼女の肩を掴んで上の階につながる廊下へと押し出してやる。
「ほれ行った行った。俺はまだ仕事があるから、また明日な」
「わかった」
「あとそこら辺に猫がいるが、追いかけまわしたりするなよ」
「わかった」
背中をぽんと叩いてやると、ニオはゆっくりと扉を開けて廊下へと消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さてと、俺は俺でやれることやらないとな」
懐をまさぐって煙草を取り出す。ぱちりと指を鳴らせば、その先に火が灯った。
紫煙をくゆらせながら、ポケットのスマートフォンから良く知った相手に電話をかける。
「よう、儲かってっか?」
『その軽口は相変わらずね。それで、何の用?』
電話口の向こうから澄み切った女の声が響く。同時にわざとらしい溜息も聞こえた。
「ちょっと調べ事があってな――」
ふぅと天井に向けて吐き出された白い吐息が空気に溶けて消えた。俺は通話相手、商売敵ではあるが同輩の女に今日あったことをゆっくりと伝える。
『――へぇ、無難に生きるって見栄切って大手事務所の就職を断ったあんたが自分から首つっこむなんてね』
「俺自身も我ながら驚きだよ。んで、なんか情報持ってないか?」
『残念だけど、銀獅子の心臓計画なんてかけらも聞いたことないわ。けど、あんたの話からするにかなり大規模みたいだけど……』
「少なくとも9号ってことは9機は魔力炉があるはずだからな」
『それだけの代物をうちに隠しとおせるってことは、絡んでるのはよほど大きくてやばいとこよ。それこそ黄金系の可能性だってあるわ』
電話の向こうの女の言葉に俺はゆっくりとため息をついた。どうして世の中ってのは予想の最悪の斜め上を錐揉み飛行していくのだろうか。
事を大きくしたくはない。かといってニオの存在を常に隠し通すなんてのは無理だ。
いや、事務所に軟禁でもすれば可能かもしれないが、それじゃあ彼女が炉心として扱われていた時とそう大差なくなってしまう。
面倒事覚悟で俺が拾ってきたのだから、それこそ彼女には大手を振って外を歩けるようになってほしいし、そうなるべきなのだ。
「とりあえず、そっちでなにかわかったことがあったら教えてくれ」
そう告げてから通話を切る。そのままどっかりとソファに腰掛けて、煙草を灰皿に押し付けて消すと、新しい一本を取り出した。
「まったく、面倒くさいにも程があらぁ……」
どこから手を付けたものか、天井を見上げる。それと同時に足元からにゃおんという鳴き声が響いた。
「なぁ、シロ。お前も一緒に考えてくれや」
何か言いたげに足に手を伸ばしてくる黒猫を抱き上げて膝にのせる。
そうすればシロは満足げにごろごろと喉を鳴らしながら香箱を組む。
こうして煙草を吸いながら猫を構うのが、俺にとって至福のひと時だ。特にこいつは空気をよく読んでくれる。俺が困ってる時にふらっとやってきて癒しを提供してくれる。
「にゃーお」
撫でろと言わんばかりに頭をぐりぐりと押し当ててきたので、顎の下を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めた。
「……がんばるか」
気合を入れなおして再び思考の海に飛び込む。
仮にニオの存在が相手側に発覚した場合だ。当然向こうが取るである対処は彼女の確保か抹消の二択だろう。
ニオの言葉から予測すれば、抹消の方である可能性が高い。となると、俺が矢面に立つにも限界がある。
俺は飽くまでも平凡以下の魔術師でしかない。彼女にも身を守る術を学んでもらう必要があるな。
思考に没頭して手が止まると、シロが催促するように頭をこすりつけてくる。再び手を動かしつつ、今後の事を考える。
やるべき事は三つだ。ニオの存在を公的に実在させること。彼女に最低限の魔術を学ばせる。最後に彼女を普通の人間としての生活に送り込んでやる事だ。
正直、一番難しいのは最後になるだろう。おそらく彼女はずっと研究所なりの中で過ごしてきたであろう。そんな人間をいきなり一人で放り出すわけにはいかない。
「問題は誰が教えるかなんだが……まぁそこは佳奈に押し付けるか」
きっとそれを伝えると佳奈はまたぷりぷりと怒り出すであろう。言う台詞は”また私に押し付けるんだから!”あたりか。
そこらへんはこれも修行の内とかいってなんとか収めよう。最悪仕事帰りにどこかのケーキでも買ってくれば機嫌を直すはずだ。
「あとは仕事を増やして――あぁ、面倒くせぇな」
今の俺の状況を師匠が知ったらどう思うだろうか。腹を抱えて大爆笑した挙句”だから君はそういう星の元に生まれてるんだって”とか言うのが脳裏に浮かぶ。
「はぁ……」
結局のところ、俺はどうしようもない一魔術師でしかないのだ。
できることといえば、自分の手の届く範囲のものを助けるだけ。
それがどれだけちっぽけで、無力なものであっても、できる事はやりとげたい。
そう考えるようになったのは、魔術師を目指してあの師匠に弟子入りした頃ぐらいか。
あれから十年。俺はどこまで変われたのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると、扉の向こうからがちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえた。
シロはぴょんと床に降り立つと、まるで来訪者を歓迎するかのように尻尾を立てながら扉へと向かっていった。
扉が開くと同時に視線を上げると、先ほどまで考えていた少女の姿があった。
ニオは俺の顔を見ると、ぺこりと頭を下げた。
その顔は一見無表情だが、僅かに困惑の色が見て取れた。
「どうした眠れないか?」
「この生き物が、布団に入ってくる。奇妙な鳴き声をしていて、怖い」
そうつぶやくニオの両手には猫が一匹づつ抱えられていた。
白いクロと虎柄のブチだ。事務所には先ほどのシロと合わせて三匹の猫がいる。どれも見た目と名前が一致しないが、それを名付けたのは佳奈だ。あいつは妙なところで捻くれてるからな。
「お前がお子様体温であったかいから、甘えてるんだろ。そのゴロゴロって声はうれしい時の声だ」
二匹ともニオの腕の中でぶらんとぶら下げられたまま大人しくしている。
動物は人の感情を読むとよくいう。おそらくあの二匹もニオの不安を感じ取って寄り添っているつもりなのだろう。そういえば俺が拾った時もシロが真っ先に寄ってきたっけ。
「そうなの?」
ニオは恐る恐るといった感じで、二匹に問いかける。言葉が通じるわけではないが、二匹とも落ち着いた様子で喉を鳴らしている。ニオは少し安心したのか、ほうと息を吐くとそのまま部屋へと戻っていった。
「ありがとう」
去り際にぽつりと呟かれた言葉を拾いながら、俺は静かに笑みを浮かべた。
ニオが眠りについた後、俺は一人机に向かい書類仕事を片付けていた。
適当に煙草を吹かせながら、コーヒー片手にキーボードを叩く。
カタカタという小気味よい音だけが室内に響く。
時計を見れば、既に時刻は午前一時を回っていた。
ふぅと紫煙と共にため息を吐き出す。
そろそろ寝るとするか。そう思って椅子から立ち上がる。
すると、足元に何かが纏わりついてきた。
視線を下に向ければ、そこにはシロがいた。
「なんだ?お前も一緒にねるか」
「にゃーん」
シロは返事をするようにひと鳴きした後、俺の足に頭をこすりつけてくる。
そして俺はシロを抱きかかえると自分の部屋へ戻り、ベッドへ横になるとゆっくりと目を閉じた。