始まりの始まり
世の中には2つの人種が存在する。
立ち回りのうまい奴と下手な奴だ。そして俺自身は、面倒事から逃げるために常にうまく立ち回ってきた。
そう、今日までは。
「野良で行き倒れてる毛羽毛現ってわけじゃぁ……ないよなぁ」
夏の暑さにも嫌気がさしてきた頃、大したことのない仕事を終わらせて咥え煙草でさっさと帰ろうとした時だ。
ちょっとした路地裏。普段ならあまり視線をやることもないその場所で人間ぐらいの大きさがある白っぽい髪の毛の塊を見つけた。
ぎょっとして見つめてみるも、それは生きているらしく、呼吸をしているのが見て取れる。
一度目をやってしまえばかなり目立つ存在だというのに、周囲の人はその存在に気づく様子が全くない。
「見なかったことに……したいんだがな」
どう考えたってこんな見た目の存在が厄介ごとの種にならない未来は見えない。
かといってこのまま放置というのも、自分に残っている僅かな良心がそれを咎める。
とはいえ、二十うん年も無難に過ごしてきたのを、ここでぶち壊すのか。頭の中でぐるぐると思考がめぐる。
そして俺は何をとち狂ったのか、その塊を持って帰ると決めてしまった。
持ち上げるために触れると一度びくんと大きく震えたが、髪の毛の隙間から見えた目がこちらを捉えるとすぐに大人しくなる。
「……まあ、これも何かの縁か」
それが、この奇妙な同居生活の始まりと、運の尽きの始まりになるとは思ってもみなかった。
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「え、何それ。行き倒れの毛羽毛現?」
俺の家、兼事務所にもどると、ソファの上で本を広げていた少女がこちらを見て怪訝そうな声をあげた。
彼女は丸山佳奈。俺の弟子でもあり、事務所でアルバイトをしている学生で、明るい栗色の髪を肩でそろえた、今時らしい子だ。
「俺と同じ感想をありがとよ。残念ながら毛羽毛現じゃないぞ、多分」
ばさばさと床に散らばった本をどかせながら佳奈がこちらへ寄ってくる。どうやら俺の腕の中に納まっている物体に興味津々らしい。
「まったく、猫拾ってくるぐらいの感覚でどうすんのさ。ちゃんと世話できるの?」
「お前は俺の母親かなんかか!」
腰に手をあてて言い放ってくる佳奈の頭をはたき、空いたソファに毛の塊を下ろす。
毛の隙間から色白の肌をした手足が見えるあたり、悪い予想は大当たりだ。
残念ながら目のまえにあるのは人間ってことで、それがこんな見た目になっているってことはどうせ禄でもないことが背景であるに違いない。
「それで、結局これは何なの?」
「わかりゃ苦労しないんだがな……」
佳奈の問い詰めるような言葉に頭を悩ませる。
正直なところ、拾った後のことは何も考えてなかった。これでは佳奈に責められるのも致し方ない。
さて、どうしたものか。そうなやんでいると不意に髪の毛の隙間の目がぱちりと開いた。
瞬間、その瞳に見えた色は怯えだった。
「……大丈夫だから、安心しろ」
なるべく穏やかな声で語りかける。
すると髪の毛の塊は目を丸くして、それからゆっくりと警戒心を解いていった。
「佳奈、俺は今日の案件報告をしてくる。その間、こいつを頼むぞ」
「へ?結局猫と一緒で私に丸投げなの!?」
ぶつくさという佳奈にひらひらと手を振りつつ、奥の部屋に入る。やっとこさ両手が空いたことだ、ここらで一服するとしよう。
懐からいつもの煙草を取り出し、咥えて火を点ける。深く一呼吸すれば、至福の一息だ。
そのまま机上のパソコンに向かい、今日の報告書を入力していく。
しばらく真面目に業務をこなして煙草が二本目に入った頃だろうか、ドアの向こう側からぺたぺたという足音が聞こえてきた。
佳奈が様子を見に来たのかと思ったが、あいつならノックぐらいするだろう。となれば扉の向こうにいるのは決まっている。
「ここ、どこ?」
佳奈に整えて貰ったのだろう。身長より長かったであろう髪は背中の中ほどまでで切りそろえられている。全体的に薄汚れてはいるが、白い髪に白い肌、そしてどこまでも深淵を思わせる紺青の瞳の少女。一言で言い表すのであれば、どことなく幸薄そうな見た目、だろうか。
だが、そんな問題はまずおいておこう。
「よーし、話せるのは解ったからそのまま回れ右だ。わかったな?」
「?」
疲れた目を掌で覆う。こちらの言葉に首をかしげて疑問を表す彼女は、まごうことなき素っ裸であった。
「あー! 待っててって言ったのにー!」
そんな少女の背後から佳奈の慌てたような声が響く。
俺はそちらを見ずとも状況を察し、ため息とともに立ち上がった。
「あ、あのね、この人は私の師匠っていうか保護者みたいな人で!ちょ、ちょっと顔つきは悪いけど誘拐犯とかじゃないから!」
「おい、ひどい言われようだな、俺」
無表情の少女とどこかからもってきたシーツで彼女を隠そうとする佳奈。その二人の肩をひっつかむと扉の向こうへと押し返す。
「何はともあれ、体裁を整えろ。話はそれからだ」
「あ、うん。デスヨネ」
ぽりぽりと頭を掻く佳奈と相変わらず何も言わずにこちらを見る少女。なんだかどっと疲労感が溢れる。
そういえばこの部屋も最近掃除していなかったなと思いながら窓を開けると、風が部屋の空気を入れ替えていく。
あの様子じゃ身元が分かるようなものは持っていないだろう。
まずはそこから調べる必要がありそうだ。
「さて、どうしたもんかね……」
空は既にどっぷりと暮れ、月が見える。この後に待ち構えていそうな厄介ごとに思考をめぐらせると、俺は胸いっぱいに紫煙を吸い込み、大きく吐き出した。
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「私帰るけど、その子に変なことしちゃだめだからね!」
「へいへい、さっさと帰れ。残業代つけねぇからな」
ひと段落ついた後、勤務時間の終わった佳奈を追い出すと俺は再び元毛の塊に向き直った。
彼女はとりあえず緊急ということで、佳奈の学校のジャージを着させられている。
身長が近かったおかげか、その見た目に違和感はない。
その手には佳奈が淹れていったであろうホットココアの入ったコップが収まっている。
「そんで、お前はなんなんだ?なんであんなところで行き倒れてたんだ?」
とりあえず少しでも情報をと思って彼女に問いかけてみるが、彼女は今自分が置かれている状態に不安があるのかどこか上の空だ。
とはいえ、わかるのもあちこちをちらちらと見ているからで、彼女の表情には何の色も浮かんでいない。
わざと表情を消しているというより、表情の作り方をまるで理解していないかのようだ。
「……私は銀獅子の心臓計画、第九魔力炉心、被検体ナンバー003013」
「ろくでもない返事をありがとよ。厨二病みたいな答えしやがって」
この世界には、面倒くさいことに魔術や魔法が存在する。それは別に特別なことでもなんでもない。
街をいけば魑魅魍魎の類を退治する対魔事務所の広告もくさるほどみるし、学校によっては才能のある子をあつめた退魔科なんてのも存在する。要するにありふれた能力だ。走るのが早い、料理を作るのが巧い、それと大差ない。
当然そうなれば、魔術や魔法を研究する機関だって存在する。それは俺自身も魔術師の端くれだからよく知っている。
なにせ扱いの難しさを除けば、魔力はある意味クリーンなエネルギーだからだ。
実際に国のどこかの研究機関が地脈から魔力を取り出してエネルギー化する実験だってやっている。
だが、目の前の彼女の話を纏めると、どこぞの研究機関が人間を炉心に据えた魔力抽出実験をやってるってことだ。
「炉心が脱走ってヤバいんじゃねぇの?」
「私は試用年数が経過したため、廃棄処分されるところだった」
「廃棄処分ってぇと……」
「具体的には知らないけれど、外の人が言ってた。ミンチにしてまた造るって」
こういう嫌な予想ってのは大概当たるもんだ。その研究機関は糞ったれな実験をしてやがるときた。
まぁリサイクルができてる点だけは褒められるかもしれんがな。
「でも、私は処分直前に外の空を見て――生きたくなった」
自信の膝に置いた手を見つめて少女がつぶやく。
生きたくなったも糞も、生きたいってのは人間の当然の欲求だ。
それをまるで罪悪を背負ったかのような言い方をしやがる。
「あぁ、面倒臭ぇ」
「あのまま行き倒れる所を助けてもらった。恩は返したい。だけど、迷惑はかけられない。できるだけ早く出るように――」
面倒臭い、面倒臭いがこういう奴を何もせずに放っておけるほど俺も腐っちゃいない。
「いいか、まずは佳奈に服を返さなきゃならん。つまり最低でも代わりの服を手に入れるまではここにいなきゃならん。あとついでにその飲んでるココアは一杯一千万円だ。きっちりと耳揃えて返すまではうちでただ働きだな」
「……困った。法外な請求」
「お前の言ってた実験が本当なら、お前にゃ戸籍もないってことだろ。つーことは法外も糞もへったくれもねぇんだよ」
ここまで言って初めてまともに彼女の表情が動く。驚愕と困惑の中間といったところか。
「最低時給が890円で8時間拘束。休日なしで働いても4年近くかかるな」
我ながらビックリするほどのブラックな事を言っているとは思うが、ここは致し方ない。
「――わかった。働く」
「おう、頑張れよ」
「うん、がんばる」
しばしの思考の後、彼女は答えをだした。相変わらず表情は読めないが、やる気はあるだろう。そう思いたい。
「そんじゃ改めて――ようこそ、三木退魔事務所へ」