五
「言葉ちゃん、今日もありがとうねえ。また明日、気を付けて来るんだよ」
「はい、お疲れ様でした!」
定時である、午後五時きっかり。
すっかり定着した和装に着替え終えた私は、笑顔で見送ってくれる女将さんに頭を下げて裏口から店を出る。
すると、目の前にすっかり見慣れた姿があった。
「お疲れさん」
「伊吹! 忙しいのに今日も迎えに来てくれてありがとう」
「好きでやってるだけさ。ほら、帰るぞ」
「うん!」
当然とばかりにそう言うと、伊吹は私の肩を抱き寄せ、ゆっくりと歩き出した。
あれから一ヶ月。
私達もやっとこの国での生活に慣れてきた。
案の定、というか。
ここは私達の暮らしていた世界――地球でも、ましてや日本でもなかった。魔法や魔物が存在し、人間以外の色んな種族が住まうファンタジーな異世界だ。
どういう訳か、あの日、私達はそんな異世界へ転移してしまっていた。原因は恐らく【災厄】――怠樹なのだろうと推測されているけれど、ハッキリとしたことは何も分かっていない。
というのも、災厄自体この世界でも謎に包まれた厄介な存在なのだそうで、分かっていることの方が少ないらしい。
世界七箇所で数百から千年に一度目覚めては、人々に仇なす存在。その一つが【翫生穢懈怠樹】、通称怠樹なのだそう。
元は国一番の御神木であったらしい大樹が、長い時の中で穢れを溜め込み【災厄】と化してしまったものと言われている。
国中に伸ばした根で少しずつ生気を食らい、時に家ごと人を取り込んでは力をつけていくのだそう。
災厄によって姿形や影響、頻度、浄化方法などまるで異なるらしい。
が、それらは災厄を抱える国家の最重要機密であるため、情報の共有などもっての外。結果、解明は進んでいないのだそう。
そんな謎多き災厄であるため、転移の仕組みを解明できず、ひいては帰る方法についても分かりそうになかった。
一応帰る方法を国で探してくれているけれど、望み薄なのだろうなと覚悟している。
そんなわけで、私達はこの世界で生きることを余儀なくされた。幸いにも伊吹達と出会えたことで路頭に迷うこともなく、私達の生活環境は瞬く間に整えられて現在に至る。
この世界には漫画やアニメで見るようなファンタジー種族がたくさん暮らしているのだけれど、中でも竜人と鬼人の二大種族がこの世界の覇権を握っているらしい。
天の竜人、地の鬼人と言われ、それぞれが強固な国家を築いている。互いの関係は可もなく不可もなく、災厄という共通の敵の存在故に世界は今のところ平和なのだそう。
その一つ、鬼人率いる【安曇国】が、現在私達の住む国だ。伊吹達の格好や国名からも分かるように、和風文化の根付く美しい国だ。
江戸時代のような街並みが広がっているものの、魔法(安曇風に言うと妖術)の力によって生活水準が現代日本と遜色ないので、人々の暮らしはとても華やか。
原住民である鬼人や妖人を始め、自国から移り住んだ竜人や獣人、海人、魔人、エルフ、ドワーフといった様々な種族の者により安曇国は栄えている。
その安曇国を纏め上げているのが、鬼神を祖に持つ鬼人だ。伊吹はその皇族で、しかも次期皇帝である皇太子。
そんな国のトップがあの場にいてくれたお陰で、私達はすんなりと安曇国で受け入れてもらうことが出来たのだ。
衣食住を保証してもらい、仕事の斡旋まで。
中でも私は、伊吹の部下である超絶美女――じゃなかった。中性的イケメンの弥白さんという人の祖父母が営む甘味屋さんで働かせてもらっている。
日本でのバイト先も飲食店だったから勝手も分かっていて、今のところ楽しく働けている。
「今日はどうだった? 何もなかったか?」
ぴったりとくっ付いた肩から伝わる、伊吹の温もり。子供のようにぽかぽかと心地良いそれに癒されていると、日課となった問いを投げかけられた。
豪気な見た目に反して心配性だなぁと、思わず笑ってしまう。
「今日も大丈夫だったよ。ヤサカ様が用心棒をしてくれるようになってからは、面倒な客も減ったって大将も女将さんも喜んでる」
「そうか。神器様々だな」
甘味屋での仕事は楽しい。
やはり日本人の細やかな気配りはどこへ行っても通用するようで、私の接客はかなり好評。コトハちゃんが来てから客が増えたと嬉しそうに笑う女将さん達を見て、私も嬉しくなったのはついこの間のことだ。
しかし、どんな仕事にも大変なことはある。
この世界の主たる種族は身体能力が高かったり、魔法が得意だったりして絡まれると非常に厄介なのだ。
私もたった一月の間に何度絡まれたことか……タチの悪い客はどんな世界にでもいるものだと痛感している。
まあ、ヤサカ様が店のマスコット兼用心棒を買って出てくれてからは、客の迷惑行為もピタリと止んだのだけれど。
ヤサカ様が気を利かせてくれなければ、危うく過保護な皇族が出てくるところだったので、とてもありがたかった。
そんなヤサカ様は今、本体である勾玉の半分を宮殿に。残り半分を身に付けていてほしいとお願いされたので、今は私の手首に数珠のごとく巻き付けている。
霊体? の方は自由そのもので、私が働いている間は一緒に店に。仕事が終わり伊吹が私を迎えに来ると、女将さんに給料代わりの甘味をいただいてから遊びに出かけている。
たぶん、長いこと閉じ込められていた反動なのだろう。すっかり遊び呆けているヤサカ様だ。
とはいえ寝る時までには帰って来るので、毎夜ヤサカ様をもふもふしながら寝るのが至福の時間だったりする。
「んで、もう一匹は? 今日も大人しくしてたのか?」
「うん、今日も凄くいい子にしてたよ。ね、アメちゃん」
『ホー』
伊吹がチラリと視線を向けた先。私の頭上には、新たなもふもふ付喪神? である、天ちゃんが陣取っている。
白いまんまるな体をしたフクロウ? と思しき姿なのだが……どうやらこの子、怠樹の付喪神みたいなのだ。
何故そんな子を私が連れているかというと。
あの日、伊吹が怠樹を浄化した後。都へ帰る前にどうにか意識を取り戻した私は、何故か降ろしてくれない伊吹に抱かれたまま彼らの会話に耳を傾けていた。
正直、大半は何の話か分からなくてほぼスルーしていたのだが、そんな時、何処からともなく『ホー』と動物の鳴き声が聞こえてきたのだ。
屋敷の中でヤサカ様が鳴いていた時のような、か細くて悲しげな声だった。
一度だけなら聞き間違いかと思ったのだけれど、二度三度と聴こえるので、何も聞こえないがと渋る伊吹を説得して発信源を探りに行ったところ、怠樹の根本にこの子を見つけたのだ。
もふもふ好きな私は必然、可愛いフクロウの発見に大歓喜。
しかし、何故かそのフクロウは私以外の人に見えもしないし、声も聞こえなかった。付喪神として多くのモノを見聞きできるヤサカ様達にでさえ、だ。
当然の結論として、私の頭がヤバい――ではなく、何か特別な力があるからなのではという話になって、私は都へ行ったら検査を受けることになった。
もちろん、この子も連れて。
怠樹の根本で見つけたフクロウなど縁起が悪いのではと渋られたけれど……私と目が合った瞬間、涙を零しながらも目を輝かせて飛びついて来たこの子を放っていけるはずもない。
この子を連れて行けないなら都へは行かないと辞退したところ、伊吹が秒で許可をくれて現在に至る。私以外には見聞き出来ないのだから、私が世話をするのは当然の流れだった。
そうじゃなくてもアメちゃんはヤサカ様に負けず劣らずのもっふもふなので、寧ろ嬉々としてもふもふ……じゃなくて、世話をしている。
そんな事情により、アメちゃんについては何も分かっていない。何千年と生きているらしいヤサカ様達にも分からないらしいので、鬼人のみなさんには白旗を揚げられている。悪いことさえしないよう見ていてくれればそれでいいと。
一方、私については意外な事実が判明した。
この世界にはゲームのように、ステータスや術技といった摩訶不思議な力がある上に、称号という付加価値までもが存在するらしい。
ラノベでよく見かける、勇者や聖女、賢者といったアレだ。
その称号の一つである【巫女】を、私は持っているらしい。
調べてもらったところ、私のステータスは一般人以下(他の種族の平均値が高すぎる)だし、技術も特に持ち合わせていなかった。
異世界ものにありがちなチートとかないんだ……と、かなり落ち込んでいたので、称号だけでもあって良かったと凄くホッとした。
この手の話じゃ無能はポイっとされがちだからね。
巫女という称号は、イメージとしては聖女に近いらしい。
が、巫女には癒しだの守護といった力はない。その代わりにあるのが、神々と言葉を交わすことが出来る力。
本来、神器の精霊(付喪神)であるヤサカ様達の姿を見聞き出来るのは、祖先である鬼神の血を継ぐ鬼人――それも、特に血の濃い皇族だけなのだそう。
ヤサカ様達は神器として力があるため、自らの意思で他の人々にも姿を見せることが出来るけれど、そうでなければ皇族である伊吹達としか意思疎通が出来ない。
しかし、巫女の称号を持つ私は血に関係なくヤサカ様達と交流が出来る。ヤサカ様達以外の精霊(付喪神)を含めた、この世界の八百万の神ともだ。
それは、アニミズム思想の強い安曇国にとって大層素晴らしい力なのだそう。
そのため、日本ではただの一般人でしかなかった私がここでは一転、皇族並に崇められる存在となってしまった。
まあ、普通に暮らしている分には巫女だとか分からないから、こうして平凡に甘味屋で働けているのだけれど。ヤサカ様のことも単なる従魔だと思われてるしね。似たような狼の魔物がいるから。
「なら良いが。でもなあ……やっぱ仕事辞めて俺の側にいねえか? どうしても働きたいってんなら俺の秘書でもやれば良い。馬鹿な客は減っただろうが、天には不安が残る」
「やだよ。いざという時のためにヤサカ様が用心棒を買って出てくれてるんだし、伊吹がバカみたいに甘やかすんだもん。あんな生活じゃ私ダメ人間になっちゃうから」
「俺が良いっつってんだから問題ねえだろ。鬼人の男の性なんだよ」
そう言うと伊吹は私を軽々と持ち上げて片腕に座らせた。
街中で、それも人で賑わう夕暮れ時の往来で平然とそんなことをするものだから、つい顔に熱が集う。
「ちょ、ちょっと! 降ろして!」
「やだね。日中会えなかった分、加減しねえ」
「っ……!」
周囲の生暖かい視線をひしひしと感じる。
正直もの凄く恥ずかしいのだけれど、見れば周りにもチラホラと似た状況――堂々とイチャついているカップルが見受けられるため、一人だけ過度に恥ずかしがると余計に目立ってより恥ずかしいという負の連鎖が生まれる。
なので、ご機嫌そうな伊吹を軽く睨みつつ私は毎回耐えるのだ。
伊吹に求婚されたのは、出会ったその日の内のこと。
見た目がめちゃくちゃ好みな上に一人で化け物を倒せるほど強くて、しかも性格まで男前。そんな人に求婚されて嬉しくないはずがない。
一生に一度あるかないかの奇跡だ。
私もその場でYESの返事をした――かったのだけれど、小心者な私は直ぐに返答できなかった。
だって、大抵の人は考えるでしょう?
特別美人でもなければ取り立てて才能があるわけでもなく、ましてや一般人でしかない自分が理想の権化のような男性に求婚されるなんて都合が良すぎる、と。
何か裏があるのではと勘繰って、巫女の称号があるからかと邪推して、夜な夜な一人で悶々と考えて……。
結局、単に見た目が好みだった(顔の系統はもちろん、この世界では女性でも割とガタイの良い種族が多いため、私が華奢で可愛らしく見えるらしい)こと。
それと、鬼神の血を継ぐ伊吹達鬼人には他者の魂の清濁が感覚的に分かるのだそう。私は巫女という称号を持っているからか、特に清らかな感じがするそうで側にいて心地が良いらしい。
まあ、それだけ理由があるならと求婚を受けるに至った。
現在は婚約中で、私がもう少しこの世界に慣れてから結婚することになっている。
しかし、婚約者になってからというもの伊吹の甘やかし攻撃が激しさを増し、困っていたりする。
これは伊吹個人の性格というより鬼人の特徴らしいのだけれど、彼らの男女比は偏りが激しい。鬼人の人口は、男性七に対して女性が三という人間ではとても考えられない数字なのだそう。
そのため、鬼人男性は種族に関係なく女性をとても大切にする。それはもう、人間の私からすると甘すぎて砂糖を吐きそうになるほどに。
働かなくていいなんて口説き文句は序の口だ。
放っておいたら着替えから始まり食事にお風呂、果てや移動まで何でもやろうとする。
鬼人に甘やかされ続けたら、マジでダメ人間になる気しかしない。だから私は、少しくらいだらけたい気持ちをぐっと堪えてちゃんと働きに出ているのだ。
「ずっと外で働き続けるつもりなのか?」
「ん〜、働ける内は働こうと思ってるけど……」
「けど?」
「子供が出来たら育児に専念したいかなって。私はバリキャリじゃないから、どっちも器用にこなす自信はない……し……」
ニヤニヤする伊吹が目に止まり、私は固まった。
瞬時に自分の発言を省みて頭を抱える。物理的に。
「へえ? そりゃあ良いこと聞いたな」
「ち、違っ……! い、いつかの話で!」
「子供が出来たら仕事辞めて家に居てくれんのか。だったら結婚したら直ぐにでも――」
言いかけて、伊吹が止まる。
何か考えているらしい、神妙な面持ちを覗き込んで私は首を傾げた。
「? 伊吹?」
「……いや、駄目だな。子供はまだ当分要らねえ。言葉を取られる」
「そ、そんなことは……」
不意打ちを食らって私の顔が再び熱を持つ。
夕焼けのお陰で誤魔化せている――と思うからいいのだが、もしダメだったら穴に入りたい。これまでの人生でこんなにもストレートな愛情表現を受けたことがないので、本当に耐性がないのだ。
「というか、私的にも子供は……その、五年は待って欲しいかな。まだ働きたいし、この世界も見て回りたいし」
「五年? 短すぎるだろ。婚姻の儀を終えたら言葉の寿命も延びるんだぜ?」
「あ、そうだった」
「だからまあ、後二百年くらいは自由に過ごせば良いさ」
「二百年……途方もない話しだね」
「そうでもねえさ。二人ならな」
「ふふ、そうだね」
私達は見詰め合って微笑む。
私はこの世界についてまだまだ無知だ。
だから、毎日伊吹に色々教えてもらっていると時間があっという間で、帰り道も全然距離を感じない。
今日もいつの間にか辿り着いていた宮殿へ入れば、宮仕えの人々に笑顔で出迎えられた。
私達は今、国の中枢であり伊吹達皇族の住まう宮殿に身を寄せている。
特に私は伊吹の婚約者であるため、永住することがほぼ確定なのだが……やはり宮殿は貴やかで、庶民である私はちょっと落ち着かなかったりする。
まあ、変にゴテゴテした煌びやかな城とかよりは余程いいんだけれど。
一度乗ったら降りられない、恐怖(羞恥?)の伊吹タクシーに乗ったまま、私達の部屋へ向かっていたところ、
「やーまーとーさーーーーーーん!!」
不意に前方から、もの凄い形相の新田くんが駆けて来た。
「あ、新田くん」
「助け――へぶッ!?」
願いも虚しく、新田くんは秒で撃沈。
ピッカピカな板張りの床へ顔面からダイブした。
その原因は、何処からともなく現れ、廊下にすっ転んだ新田くんの背中に女王様さながらの貫禄で片足を乗せている美女――紅葉さんだ。
「うふふ……! 私から逃げるなんて慎介は悪い男ね。私があぁんなに可愛がってあげてるのに、一体何が不満なのかしら?」
「ひ、ひぃッ……!!」
艶やかな真紅の髪と同色の瞳。人形のように整った顔とメリハリのある体は、同性の私から見ても色気たっぷり。
男性であれば誰でも落ちてしまいそうな絶世の美女だが、伊吹の従兄弟で同じ皇族だけにその実力は凄まじく、人間どころか島の屈強な猛者達でさえ敵わない。
そんな美女に気に入られてしまったらしい新田くんは、私とはまたちょっと違う溺愛ぶりを発揮されて困っていた。
このように……。
助けてあげたい気もしなくはない。
しかし、物理的にどうしようもないのが正直なところだ。
伊吹のそれはまだ常識的な範囲だったのだと、私は密かにホッとしている。
「ほぅら、慎介。帰って続きをしましょ? 私、貴方となら何時間だって楽しめるんだから」
「勘弁してください! もう保ちません!!」
「うふふ、大丈夫よぉ。私がちゃぁんと手取り足取り鍛えてあ・げ・る」
「いやぁぁあ!! 助けて倭さーーーーんッ!!」
紅葉さんに襟首を掴まれ、ズルズルと引き摺られて行く新田くんを合掌で見送る。
とんでもなく卑猥な言い方に聞こえるけれど、伊吹いわく、あれは普通に新田くんを鍛えているだけらしい。
私が【巫女】の称号を持っていたように、新田くんは安曇のお国柄にドンピシャな【侍】の称号を持っていたのだそう。
そんな新田くんを色んな意味で気に入った紅葉さんが、皇族の自分に相応しい男へ仕立て上げるために日々訓練を重ねているのだとか。
この世界で生きていくためにも、武器は多い方がいい。
だから私も心を鬼にして毎回見送っているのだけれど……余程訓練が厳しいのだろう。新田くんはああして度々逃げ出してくる。
私は訓練が必要ない称号で本当に良かったと、心から安堵している。
紅葉さん、普通に話す分には姉御肌のとても良い人なんだけどね……。
「そうだ。新田くんはアレだけど……あの三人ってどうしてる?」
「ああ、彼奴らな。一人は禊を終えて下働きを始めたっつー報告が有ったが、残りの二人は依然終わらないらしい。それにまた不満を募らせて堂々巡りだな」
「そっか……」
ちなみに、残りの三人がどうしているかというと。
この一月ずっと、穢れを清めるための禊をしているらしい。
男子B――三嶋くんは割と穢れが少なかったようで、下働きを始めたとのことだけれど……魂の清濁が分かる鬼人いわく、残りの二人はめちゃくちゃ穢れていて全く終わる気配がないのだとか。
そもそも、怠樹の件も含めて穢れが何なのかという話だが。人のそれは、強すぎる負の感情や過去に犯した罪などで魂が汚れている状態のことを指すらしい。
男子A――斉藤くんも日向さんも、負の感情があまりに強すぎるのだという。加えて過去の行いも良くなかったのだろうと。
そうでなければ、普通は禊の目処も立たないほど穢れを溜め込むことはないらしいので、二人は余程なのだろう。
三嶋くんは一抜けしたので、そこまでではなかったみたい。せめてもの救いだ。
しかし、世話係兼監視役によれば二人は私と新田くんが自分達を嵌めたのだろうと、それはそれは日々口汚く罵っているらしいので、最近は会いに行っていない。
危ないからと止められている。
実地調査で初めて顔を合わせた時の斉藤くんは、意外と優しかったのだ。
しかし、彼の腕に絡みつく岬さんの圧が強くて素っ気ない態度を取ってしまったことが今になって悔やまれる。
あの時もう少し言葉を交わしていれば、今も少しは話を聞いてもらえただろうか。
――いや、そうだとしても無駄だったかもしれない。
何せ友達であるはずの新田くんの言葉さえ届かないのだから。
人の話を聞かず、現実を見ようともせず、日々恨みつらみばかりを口にする彼らに、禊を終える日は来るのだろうか……と思う。
安曇国としても放り出したいくらいだが、怠樹を目覚めさせたほどの穢れを持つ二人だ。下手に手放せば他国に被害を与えかねないからと、神職のみなさんが諦めずに頑張ってくれている。
本当は同郷である私達がどうにかすべき問題だと思う。
しかし、私達には二人の穢れを払う術がない。祈る以外どうしようもなかった。
「安曇の奴らは優秀だから、そう心配すんな。……ほら、今日も疲れたろ? 先に風呂でも入ってサッパリしてくると良い」
「……うん、ありがとう」
重い気分を払拭するように伊吹が言う。
辿り着いた私室は、侍女さん方がいつも通り完璧に整えてくれていて、お風呂も直ぐにでも入れるようになっている。今日も一日歩き回って汗を流した私は、お言葉に甘えることにしてアメちゃんとお風呂へ向かった。
もちろん伊吹と一緒に入ったりはしないのだ。
◇
食事を終えて、後は寝るだけ。
そんな時間になって伊吹は、残業をしていた左紺さんに呼び出しを受けたものだから、私は彼が戻って来るまで待っていようと窓辺に腰をかけ街を眺めていた。
安曇の首都である泰安。
ドラマや映画で見る江戸のような街並みと似て非なるそこは、日付けが変わろうという時刻になっても、煌々と灯る明かりが人々を誘い続けている。
と言っても、そこを行き交う人々は人間ではなくて。
色彩と人外で溢れた美しい街並みは見ていて飽きない。こうしていると、京都の街並みを眺めていた合宿初日を彷彿とさせる。
本当に、随分と遠いところまで来てしまったなぁと思う。
安曇での暮らしは賑やかすぎるくらいで、同郷の新田くん達もいるし、伊吹は猫可愛がりするしで寂しい思いをしたことは今のところない。
しかし、家族や友達にもう会えないのかと思うとやっぱり凹む。
幸いにもスマホの一部の機能は使えるし、充電もこちらの魔力で補えるようなので、スマホが壊れるその日までは家族の写真を眺めることが出来る。
だから、私自身は遠いところへ嫁いでしまったのだと思えば大丈夫だけれど、向こうに残してきた家族は違う。ただただ申し訳ない気持ちが募る。
私達がこの世界へ来てしまったように、摩訶不思議な力でいっそ向こうのみんなが私達の存在を忘れてくれていたらいいなと思う。
心労をかけ続けるよりはその方がずっといい。
まあ、実際にどうなっているのかは分からないけれど……。
アメちゃんをもふもふしながらぼんやりとそんなことを考えていたところ、視界の隅で闇夜に一筋の白光が奔った。ハッとした次の瞬間には、
『コトハ、たっだいま〜!!』
尻尾ブンブンご機嫌マックスなヤサカ様が胸元へ飛び込んで来て、私はそのもっふもふな体を抱き締めた。ヤサカ様のご帰還である。
「お帰りなさい、ヤサカ様。今日も楽しかったですか?」
『うん! あちこち回って来たけど、すっごく楽しかったよ〜! やっぱり外はいいねぇ!』
「ふふ。それは何よりでした」
ヤサカ様は帰るなり、興奮した子供のように今日行った場所の話をして、私は耳を傾ける。ここで暮らし始めてからのささやかな日課だ。
数百年振りに解放されたため、今のところは国内を巡ってその変化を楽しんでいるヤサカ様。本気を出せば他国へも日帰りで行けるそうなので、非常に羨ましい。
そのうち私達も連れて行ってくださいと頼めば、二つ返事で引き受けてくれた。もう少しこの世界に慣れたら、伊吹やアメちゃんと共に連れて行ってもらおうと楽しみにしている。
どうせ来てしまったなら異世界を楽しまないとね。元の世界の分まで。
そうして暫く話をしていると流石のヤサカ様も疲れたのか、私の膝で丸まって寝てしまった。起こさないようにそっと体を撫でれば、お口をむにゃむにゃさせるヤサカ様が可愛くて笑ってしまう。
そんなヤサカ様に触発されたのか、アメちゃんがいそいそと私の頭から下りて丸まったヤサカ様の上に陣取ると、スピスピと寝始めた。
基本的に私の頭の上が定位置であるアメちゃんももふもふが好きなようで、就寝時はヤサカ様の体をベッドにして寝ることが多い。
アメちゃんの素性? は今のところサッパリだが、やはりもふもふはもふもふ同士でくっ付いている方が落ち着くのだろう。
犬や猫だって家族でくっ付いて寝るもんね。
そんな二匹を見て思う。
ダブルもふもふが最強な件。
毎度、可愛すぎるその絵面に安眠妨害をしたくなる気持ちを堪えて、私はもふもふを目で愛でるのだ。紳士的に。
二匹は付喪神ではあるけれど、不思議なことにちゃんと温もりがある。だから二匹を膝に乗せているとポカポカと心地良く、こちらまで眠くなってきて――
「! ……伊吹?」
二匹が寝始めてからどれだけ経っただろう。
何だか地面が揺れている気がしてハッと我に返れば、いつの間に帰って来たのか。伊吹が私を横抱きで運んでいるところだった。
目を覚ました私に気付き、伊吹はやれやれと微笑む。
「先に寝てていいっつったろ?」
「……だって、最近、伊吹にくっ付いて寝ないと物足りないんだもん……」
「っ……」
眠気に抗えず、伊吹にもたれかかりながら答える。
がっしりした頼もしい筋肉といい、心地良い体温といい、適度なホールド感といい、まるで私専用の抱き枕のようで。すっかり、伊吹がいなければ満足出来ない体になってしまったのだ。まあ、寝る時限定だけれど……。
堕落するまいと必死に気を引き締めているつもりだったのに、実のところとっくに落ちていたのかもしれない。鬼人の甘やかし攻撃は強すぎるのだ。
「あ〜……くそ、早く結婚してえ……」
「ふふ、もう直ぐだよ……」
私を優しく布団へ下ろした伊吹が、ヤサカ様達を起こさないよう膝から枕元へ移動させる。
そんな何気ない振る舞いにも彼の優しさが現れていて、好きだなぁと思わず笑ってしまう。本当に、こんな最高の旦那さま(予定)と出会えた私は幸せ者だ。
そうしていると、私好みのホールド力で抱きすくめられて、布団の中へ。
「……絶対幸せにする」
「よろしく、お願いします……」
伊吹の逞しい腕の中で微睡みながら思う。
やっぱり私達があの二人の助けにならなければ、と。
だって、あの人達のせいで人生最悪の日だと思っていたその日に、こんな素敵な人達と出会えたのだから。きっとその感謝を言葉にすると当て付けに思われてしまいそうだから、せめて行動でどうにか伝えられたら良いなと思う。
人生で最高の日をありがとう、って。