四
あんな人外魔境へ連れて行かれるのは勘弁だ。
どうせなら新田くんと一緒に避難させてくれれば良かったのに、と思ったけれど、根で分断されてしまったのだから仕方ない。
それに、今から逃げるにしてもここからかなり離れなければ安全な場所はなさそうだ。広範囲に渡って無数の根が暴れ回っているのだから、下手な場所で一人待たされたら確実に根の一撃を食らって死ぬだろう。
それならいっそ、この人達と一緒にいる方が安全なのも分かる。化け物根っこを粉砕したり切断したりと、明らかに人間離れした力を持っているし。
まあ、正直足手纏いというか、お荷物にしかならなくて申し訳ないが、仮にここが夢の中だとしても死にたくはないから。
「そういう事だ、悪いがあんたも連れて行く。少しの間、我慢してくれ」
「お、落とさないでくださいね……!」
「無論だ。頼まれても離さねえよ」
フッと微笑んだ男性が、私を片腕に座らせるように抱え直した。
――え、ちょっと待って。子供ならまだしも、成人女性をこの持ち方できるってどれだけ力あるの?
というか今更だけど、この人もの凄く背高くない? 何センチあるんだろう? 骨太でめちゃくちゃガタイも良いし、服の上からでも筋肉の厚みが分かる。
しかも、この人も和装だ。少し着崩した長着に袴で、その上から羽織ったファー付きの長羽織がめちゃくちゃ似合ってる。
普通の人なら確実に服に着られそうなところを、この人はしっかりと着こなしている。
それもこれも完璧な容姿だから成せることであって、和装男子ってだけでもめちゃくちゃポイント高いのに――ああ何かもう色々とズルい!!
民俗学好きな女子で和装男子が嫌いな人間などいるか? ――いやいない。(個人の感想です)
私が煩悩で頭を悩ませている間に、男性は空いた手で腰に下げていた剣を抜く。白銀に輝くそれは色こそ違うものの、形は教科書で見た天叢雲剣に良く似ていた。
「行くぞ」
「御意」
次の瞬間、私達は空を飛んでいた。
本日三度目となる空中は、地上と違ってびゅうびゅうと風が吹き荒んでいて、否が応でも先程の恐怖が蘇る。
これまでは別に高いところを怖いと感じたことはなかったのだけれど、日に二度も落ちれば流石にトラウマ化するらしい。
遠慮して男性の服を軽く掴む程度に留めていたのに、恐怖が優って思わず抱き着いてしまった。
「怖けりゃずっとそうしてて良い」
「っ……!」
自ら体を寄せたせいで、低く、甘さを含んだ声が耳を擽る。反射的に顔を離せば黄金色の妖艶な流し目に捕われ、体の芯が急激に熱を帯びた。
再び、心臓が煩いくらいに高鳴って――って、ああもう。密着している以上、これは伝わってしまっているのではないだろうか。
一人だけ、バカみたいに舞い上がっている。恥ずかしいのにどうすることも出来ない。
「これは早く終わらせるしかねえな……」
混乱とか、恐怖とか、羞恥とか。色んな感情がごちゃ混ぜで、きっと私は酷い顔をしていたのだろう。軽く唇を舐めて交戦的な表情でそう呟いた男性は視線を大樹へ戻し、
「――八尺様、頼みます」
『任せて!』
私に抱かれたヤサカ様が元気よく返事をしたかと思うと、首にかけていた八尺瓊勾玉の首飾りが一人でにふわりと宙へ浮かんだ。
ええ!? と思うのも束の間。
首飾りがバツン! と弾けて無数の勾玉が宙へ舞い、私達の周りを木の葉のようにくるくると漂う。その一つが男性の足元へ潜り込んだ瞬間、パッと光の輪が広がって半透明の足場のようなものが現れた。
見れば仲間――紫野と呼ばれた男性の足元にも足場が現れている。どうやら勾玉の一つ一つが足場となる結界? のようなものを生み出しているらしい。
二人はそれを蹴ると大樹へ向かって跳んだ。
なんと。ヤサカ様――もとい、八尺瓊勾玉の使い方はこうだったのか。意外すぎる使用方法に、私は一瞬怖さも忘れて摩訶不思議な光景に魅入った。
大多数の根は地上で戦う仲間達が請け負っているため、数にしてみれば大したものではないけれど、大樹もそう簡単に敵を近寄らせるはずがない。
多数の根が私達の行手を遮り、あまつさえ殺そうと巨大なそれを振るう。
しかし、伊吹さん達はヤサカ様が阿吽の呼吸で次々と生み出す足場を利用して根の猛攻を掻い潜り、時に破壊しながら大樹の上を目指す。
すっかり高所恐怖症になった私からすれば、わざわざ上へ上へと登って行って欲しくはないのだけれど……恐らく上の方に大樹の弱点のような場所があるのだろう。
でなければ、わざわざこんな危険を犯してまで上を目指す意味はないはずだ。
そんな中、伊吹さんは肩に乗る黒亀様に問いかけた。
「八咫様、場所の特定は?」
『うむ、ちゃんとやっておるよ。しかし、まだもうちょい上じゃのう』
「チッ、面倒な……」
そう零しつつ、二人は難なく根を退けて上へ上へと上って行く。
どう見てもこの大樹、ゲームで言うところのラスボスクラスの化け物だと思うのだけれど、二人――いや、地上で戦っている人達も含めてまるで意に介していない。
大樹という化け物のような存在に慣れているように見受けられるし、何より、こんなものに太刀打ちできる力があるからこそ平然としていられるのだろう。
何度考えてもこれが現実とは思えなかった。
その一方で、私の感じる全ての感覚がここは現実だと訴えている。
巨大な根が風を切る音、一帯に広がる木屑や土埃の匂い、伊吹さんの熱いくらいの体温と時折向けられる気遣うような視線。どれもこれも確かに本物だ。
となると、この不思議な状況を表す答えは一つ。
私達はきっと、いや、確実に――
『むっ。伊吹、あそこじゃ!』
「!」
その時、一筋の光が大樹の一点を指し示した。
光の出所を探れば、黒亀様――もとい、ヤタ様? の上にふわふわと浮かぶ鏡から大樹へ向かって光が伸びている。
これまたどういう仕組みなのかなぁ……と一人現実逃避していると、ヤサカ様が光を辿るように勾玉で足場を作り出し、そこを二人が跳び上がって行く。
人間離れした身体能力で瞬く間に距離を詰め、伊吹さんは手にした白い剣を振りかぶる。
が、そうはさせまいと、多数の根が私達を取り囲んだ。
「ひっ……!?」
鉾のように鋭い先端が一斉にこちらを向く。
このまま射抜かれれば串刺しは免れない。最悪な想像が頭を過ぎって身を固くしたけれど、
「……若の邪魔はさせん」
一閃。
「!!?」
紫野さんが刀を振るった直後。四方八方から私達を取り囲んでいた根が全て細切れになって、まるで雨のごとく静かに地上へと降り注ぐ。
ただの一度、刀を振るっただけに見えたそれは、何だか凄い技だったらしい。本当にゲームみたいだと思わず見惚れた。
「此処は任せる」
「御意」
遮るもののなくなった次の瞬間には、伊吹さんが大樹の本体、光が指し示した箇所へ剣を突き立てていた。
剣は深々と突き刺さり、四方八方へ亀裂が奔る。ヒビは瞬く間に広がって硝子が砕けるように樹皮が弾け飛んだかと思うと、そこには驚きの光景が広がっていた。
「! 私達がいた屋敷!?」
そう。先程私と新田くんが命辛々? 脱出した屋敷が、そこにあったのだ。
伊吹さんは躊躇うことなく屋敷へ足を踏み入れると、中庭の見える回廊へ向かって駆ける。私達からするとそこそこ長く感じた通路も、伊吹さんの身体能力からするとほぼ一瞬で、直ぐに私と新田くんが合流した地点へと到着。
そうして、ガラス戸越しに中庭の大樹を見上げながら告げた。
「此処が怠樹の心臓部だ」
「ここが?」
「ああ、庭に聳えるあの樹が核でな。あれを浄化すれば怠樹は鎮まる」
「へぇ……」
つまり、探索中ずっと見えていたあの大樹は本物ではなかったのだ。外で見た大樹こそが本体で、あれを止めるための弱点がここだと、そういうことらしい。
しかし、何で私達はそんなところにいたのかと益々疑問は募る。
『こうしている間にも怠樹には穢れが集っているのです。さあ、伊吹。さっさと浄化を終えますよ』
伊吹さんの右腕に巻き付いた白蛇様が、鎌首をもたげて言った。
「分かってます」
伊吹さんが剣を握り直し、一歩踏み出したところで、本来の目的を思い出した私は慌てて言い募った。
「あ、待ってください! この奥に私の同級生が残っていて……!」
「? ……、ああ、八尺様の言ってた奴か」
「そうです! 厚かましいお願いなのは分かってますが、どうか助けてもらえないでしょうか」
「無論だ。あんたの望みは全て叶えると決めたからな」
「え……」
まるで愛しい者へ向けるような、意味深な視線と言葉についドキリとする。
けれど、直ぐにヤサカ様を助けた礼としてなのだろうと思い至った。
ヤサカ様の役割や、白蛇様が言っていた『神器は三つ揃ってこそ』の言葉から察するに、ヤサカ様を助けた(大樹の中から運び出した)功績はかなりのものなのだろう。
どう考えても、ヤサカ様が不在ではあの根の猛攻を掻い潜って上まで登って来られないもんね。大樹攻略に必要不可欠な存在なのだ。
だからこそ、そのヤサカ様を助けた私のお願いを聞いてくれたのだろう。
そう自分を納得させていると、
「八尺様、紅葉に――深紅の髪の女が丁度あちら側で指揮を取っている筈です。言伝を頼めますか」
『へえ〜、皇族が二人も出張るなんて珍しい。赤い髪の女の子ね、りょーかい!』
伊吹さんに何やら頼まれたヤサカ様が、勾玉を一つ外へ飛ばした。
私達が直接向かわずにどうにか出来るのかな? と、つい首を傾げたところ、伊吹さんがこちらを見上げて説明してくれる。
「流石に此処から向こう側まで行くとなると時間がかかるからな。あちら側の外で根を抑えるために動いている仲間に拾うよう頼んでもらった」
「拾う、とは?」
「俺が浄化を終えれば此処は崩壊する。さっきのあんた達みたいに、落ちて来た所を拾った方が早いだろう?」
「あ、なるほど……」
僅かに口の端を上げて、意地悪そうに伊吹さんは笑った。
そんな仕草も一々様になっていて、目が逸せなくなってしまう。
全く同じ体験をした私としては、思い出すだけで胃がひっくり返りそうな思いに駆られるのだけれど……まあ、助けてもらえるだけありがたいよね。助けると言ってくれているのに、もう少しお手柔らかになんて贅沢は言えないし。
というか、どうせあのパリピ共は部屋でグダグダしてたんだろうから、少しはこちらの苦労を味わえばいいのだ。うん、それがいい。
「そんじゃ仕上げといきますか。八咫様、頼みます」
『うむ。行くぞい』
八咫様の甲羅の上でふわふわと浮かぶ鏡が、中庭を隔てるガラス戸へ向けて光を放つ。
瞬間、ガラス戸がバリン! と砕け散って回廊と中庭が繋がった。
「わっ! ふ、普通に開けても良かったのでは……」
「此れは一見ただの硝子戸に見えるが、核を守るための結界だ。魂の清らかな者や神器を手にした者を通しはしねえさ。破壊しない限りな」
「なるほど……」
屋敷を探索している時は部屋に気を取られて中庭まで調べられなかったけれど、下手に気を回さなくて正解だったらしい。
「さあて、此処からはちっと慌ただしくなるぜ。あんたの玉肌に傷一つ負わせる気はねえが、念の為強めに抱き着いててくれると俺のやる気が上がる」
「あ、はい! 邪魔しないよう気を付け――え? やる気?」
「おう、やる気。何せここが山場だからな」
「? 山場……って……」
核まで辿り着いたからには勝利確定なのでは?
そう思いつつ、伊吹さんがクイっと顎をやった先――中庭を見ると、苔の緑が鮮やかな地面から無数の白い靄が立ち上っていた。
煙のように形もなく揺らめいている、それ。
よくよく見ていると徐々に何やら模っていって……
「ひぃやあああああ!!? 幽霊がいっぱい出てきたーーーーッ!!?」
そう、半透明の人型――つまり、幽霊と化した。
その見た目は和風ホラーゲームに出てくるおどろおどろしい幽霊そのもので、怨霊の二文字を体現したかのような禍々しい出立ちをしている。
しかもそれが、広大な中庭を埋め尽くすほど湧いて出て来ているのだからたまったものではない。
感情のままに悲鳴を上げたところ、奈落の底のように真っ黒な瞳が一斉にこちらを向いた。
自業自得だけどロックオンされた!
あまりの恐怖で、恥も外聞もかなぐり捨てて伊吹さんへ抱き着く。震えが止まらない。
「? 幽鬼なんか珍しくもないだろ。まあ、こんだけ強力な連中はそういねえが」
「珍しいですけど!? 初めて見ましたけど!? 出来れば一生見たくなかったですけど!!?」
「分かった落ち着け。さっさと片付けるから」
「あ、あわ……あわわ……!」
私のあまりの混乱っぷりにクツクツと笑いながらも、伊吹さんは刀を持つ手を伸ばして優しく背中を撫でてくれる。
その武骨な掌の温もりで私が僅かに落ち着きを取り戻すと、伊吹さんは本格的に剣を構えた。
「って、一人で戦うつもりですか!? さっきまでいた仲間の男性は!?」
「紫野――と言うか、他の連中は此処まで入れない。神器の守護無き者が入れば力を、命を奪われる」
「え? でも、私達は……」
「ああ。其処は俺らも気になってる所だが……まあ、考えるのは後だ」
「は、はい。でも、一人で戦うなんてやっぱり無茶ですよ! ただでさえ私という足手纏いがいるのに……」
成り行き上、仕方なかったとは言え、私の存在は本当にお荷物だと思う。
ここでは根っこの攻撃もないようだし、私は回廊で待ってた方がいいのでは? 幽霊、もとい幽鬼? は死ぬほど怖いけど……。トラウマ第二弾になる予感しかしないけれど。
「問題ない。これでも先祖返りで力はある方なんでな」
「? 先祖返りとは?」
どういうことですか? と聞こうとした瞬間、不敵に微笑んだ伊吹さんの足元からぶわりと風が巻き起こる。
と同時に、熱く、重苦しい何かが体の中を通り抜けるような不思議な感覚を覚えて、とっさに瞑ってしまった目を開けてみた。
すると、
「――角?」
眼下にある伊吹さんの端正な顔。
その額から、漆黒の角が生えていた。
長短五つもあるそれは、天へ向かって緩やかに伸びている。一見すると禍々しい――それこそ【鬼】のような見た目なのだけれど、何故か不思議と嫌な感じはしない。
それどころか、伊吹さんの纏う空気が変わったことで幽鬼達は何処か怯んだようにジリジリと後退る。
『へえ〜、すご〜い! 五本角なんて久し振りに見た!』
『言うたじゃろ? 先祖返りで鬼神の力が色濃く出ておるのじゃよ』
『伊吹の力ならば、前回浄化し損ねた穢れをも祓えるでしょう』
「???」
説明を求める前に次から次へと新たな単語と摩訶不思議な現象が追加されて、ただでさえパンク寸前だった私の頭がいよいよショートする。
もういいよ……。
私はいないものと思って、どうぞ勝手に話を進めてください。
その代わり、あとでめちゃくちゃ詳しく聞くからね! レポートに纏めて教授へ出せーーるかは謎だけど、民俗学が好きな人間としては纏めておきたい!
例えそれが、違う世界の民俗史だったとしても。
「祖父の分まで祓いますよ、……綺麗にね」
そう言って伊吹さんは私を強めに抱き寄せ、「掴まってろ」と囁いてから一歩を踏み出した。
「っ!?」
次の瞬間、景色が変わっていた。
見れば中庭を十メートル近くも進んでいて、しかも伊吹さんの通った後には真っ二つに斬られた十数体もの幽鬼が。当の本人達も何が起きたのか分からず呆けていた様子だったけれど、斬られた箇所から輪郭が解けるように光の粒となっていく。
それは瞬く間に全身へと広がって、斬られた幽鬼はみな光の粒となって空を昇り始めた。
その光景はまるで、籠から解き放たれた蛍が嬉しそうに舞い上がって行くかのような、幻想的な美しさで。
きっとこれが浄化なのだと、本能的に理解した。
『……どうぞ、安らかに』
光は白蛇様の呟きに応えるよう微かに揺れて、空へ溶けるように消えた。
そこから、伊吹さんはひたすら剣を振るい続けた。
庭に聳える大樹を目指して突き進みながら、群がって来る幽鬼を浄化していく。
普通の人間ならたった一人で、それも片手が封じられた状態ではとても戦えたものではないだろう。
しかし、伊吹さんは一太刀で十を超える幽鬼を浄化する上に、ヤサカ様と黒亀様のサポートもあるため、敵の猛攻もまるで意に介さない。
一撃たりとて自身に、私に掠らせない。
流れるような身のこなしと剣技に、ただただ見惚れる。
素人目に見ても伊吹さんと幽鬼とでは格が違った。
やたらと心臓が煩いのは恐怖故か、はたまた、圧倒的強者としてこの場に君臨する伊吹さんのせいだろうか。
夢なら覚めて欲しいと思うのに、この姿をいつまでも見ていたいとも思う。
『伊吹!』
「!」
警戒の滲む、白蛇様の声。
つられて顔を上げれば、前方からこれまでにない数の幽鬼が、こちらを飲み込もうと飛び掛かって来るところだった。
まるで津波のように押し寄せる悪意の塊に、思わず出かかった悲鳴を飲み込む。
『怠樹は目の前です! 一気に片をつけなさい!』
「ああ!」
その時、中庭へ降りてから初めて伊吹さんが立ち止まった。
悪夢そのもののような光景を前に、悠長にも思える動作で剣を中段に構えたかと思うと、彼の足元から再び風が巻き起こる。
先程よりも更に強いそれに、思わず目を瞑ってしまった私が再び目を開けると。
「……悪いな。手加減はなしだ」
幽鬼達が放つ眩いばかりの光に包まれる中、伊吹さんが大樹の核に深々と剣を突き立てていた。
「っ……!!」
この一瞬で何が起こったのか。
驚愕でいよいよ声も出せない。
私は距離を測るのが苦手な人間だけれど、先程の位置から大樹までは少なくとも五十メートル以上あったと思う。その間を隔てるように幽鬼の大群が犇めいていたのだ。
いくら伊吹さんが強いとは言っても、短くない時間足止めを食らうはずだった。
しかし、伊吹さんはそんな距離をも一瞬で突破し、ことごとく幽鬼達を浄化して、ついには大樹へその剣を突き立てたのだ。
月並みな感想だけれど、凄い、以外の言葉が思い浮かばなかった。
剣が突き立てられた箇所から光の筋が奔り、大樹を包み込んでいく。それはあっという間に全体へと広がって、一際強い光を放ったかと思うと、大樹――その核が砂のようにサラサラと崩れ始めた。
と同時に、大樹を守るように取り囲んでいた幽鬼達までもが、斬られたわけでもないのに光の粒となって空へ昇って行く。
「? どうして、」
「ここの幽鬼共は核が生み出した番人だからな。核を浄化すれば自ずと奴らも浄化される。終いだ」
「そう、ですか……」
砂を払って剣を鞘へ収めた伊吹さんは、感慨に耽るわけでもなく踵を返す。ちらと覗き込んだ表情は、変わらず凛々しいままだった。
ヤサカ様達の会話から察するに、きっと伊吹さんと大樹の間には結構な因縁があったのだと思う。お祖父さんの分まで……とか何とか言っていたし。
だからこそ、感慨に耽るでもなく潔く立ち去れる伊吹さんが格好いいと思った。
しかし、天へ還る幽鬼達を見送る者が一人くらいいてもいいだろう。私は伊吹さんに抱えられたまま、崩れ行く大樹の核と幽鬼達の最期を眺める。
核が白い砂となりサラサラと溢れ、幽鬼達の光と混ざり合って空を舞う様子は、とても幻想的だ。まるで雪の降る中で輝くイルミネーションのような光景に、私は暫し魅入ってしまった。
そうして少しの間、何を話すでもなく伊吹さんは歩いていたけれど、不意に中庭がぐらりと揺れて我に返った。
「! 今の揺れって、まさか……」
「ああ、前兆だ。間も無く此処も崩壊する」
『大丈夫だよ、コトハ! 今の僕の力があればどんなところも自由自在に歩けちゃうからね!』
「スカイダイビングはもう懲り懲りなので……お二方、よろしくお願いします……」
「? おう。任せとけ」
それから直ぐ。
昇る時はそれどころじゃなかったこともあってまだ平気だったけれど、降りる時はやっぱり怖すぎた。加えて疲労もあったから、降り始めて直ぐに私は意識を手放してしまって……。