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 薄々勘付いてはいたのだ。

 今日は私、倭言葉やまとことはの人生最大の厄日らしい、と。


 何故かって?


 楽しみにしていた民俗学研究会の夏休みの合宿で、仲の良い友人達と組む予定だったのに、人数の関係から仕方なく嫌われ者の女子とその取り巻き男子(パリピ)と組まされたことから始まり。いざ当日、山道を歩くと言っておいたにも関わらずオフショルダーの服とハイヒールのサンダルで来られた挙句、虫が嫌とかヒールが土に埋まるとか文句をタラタラでちっとも目的地に辿り着かなくて。真夏にも関わらずほぼ手ぶらで来やがった野郎どもに私の予備の飲み物を譲る羽目になり、あまつさえその能天気なヤツらが人の後ろをのろのろと歩きながらイチャついていることを考えれば、誰でも納得すると思う。


 厄日以外の何でもない!

 陽キャパリピギャルギャル男まじ疫病神!!


 しかし、そんなことですらもう正直どうでもいいのだ。

 今一番の問題、それは――



「早く引っ張り上げて!!」

「ちょっ……意外と、重いんだって……!」

「ひ、ひどい! わたしそんな重くないもんっ!」

「くそっ……! こんな、小柄なのにっ……人間って重いんだな……!」



 同じ班のメンバーである岬日向さん(オフショルハイヒール女)が、うっかり谷底へ落ちかかっていることだ。


 ぬかるんだ土で足を滑らせたものの、奇跡的に近くの枝を掴んで九死に一生を得た岬さんを、側に侍っていた男子陣が慌てて引っ張り上げようとしている。

 幸いにもうちの班は私と岬さんの女子二人に男子が三人の計五名であるため、私が加勢せずとも何とか救出できそうだと私は側で見守っている。


 何故こんな事態に陥っているのか。


 これが単に山道で足を踏み外しただけなら許せた。

 いや、そもそも山登りにこんな装備で来た時点で私の青筋は三本程度イっているのだが、まあ、それでも不慮の事故として許せただろう。


 しかし、この女――何をとち狂ったのか、崖際に咲いていた珍しい花を取ろうと手を伸ばした結果このような状況に陥ったらしい。


 見たことのない花だったから気になったの! と。


 バカか? バカなのか? バカなんだな?

 こんな危険なことをして許されるのは、病気の母親の薬になる植物がここにしか生えていなかったからと勇気を振り絞って取りに来た子供だけだ。


 つまり童話の中だけである。

 二十歳を迎えた現実リアルの女がやっていいことではない。


 ほんの一瞬、あのまま一人でヌルっと落ちれば良かったのにと思った私は悪くないと思う。全く、だからゼミサークル先輩同級生後輩関係なく嫌われてるんだよ!?

 そう現実逃避をしつつもハラハラしながら側で見守っていると。



「よっしゃ、もうちょ――うわあああっ!?」

「キャッ!?」

「!」



 あと少しで岬さんが上がれる、というところで、踏ん張っていた男子の一人が足を滑らせて転倒。そのまま流れるように谷底へ吸い込まれていき、一転、岬さんの細い片腕が彼の命綱になってしまった。



「バッカ! お前!! 何やってんだよ!」

「やばっ、二人はムリ! 持ってかれる……!」

「いやあああ! 痛いいたいっ!! 早く上がってえええぇ!」



 場は益々混乱して、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 呆気に取られていた私も慌てて加勢した。



「男子が三人いて何やってんの!?」



 とっさに、岬さんの手を引っ張る男子A――を、更に引っ張っていたCのベルトを掴んで全体重を後ろにかける。


 四捨五入したら百七十センチの私と違い、岬さんは推定百四十五センチ程度の超小柄な女子だ。

 女子の中でも取り分け小柄な子を三人がかりで引っ張り上げられないとか、ABCはもはや男を名乗る資格はないと思う。


 よくよく見たらこいつら全員細いし!

 一人くらい細マッチョいろよ! パリピだったら!


 今日の諸々の鬱憤もあって、こんな状況にも関わらず思わず本音が漏れてしまった。



「分かってる……っつーの……!!」

「それ、俺ら自身めっちゃ思ってるから!」

「なら根性でさっさと引っ張り上げて……っ!!」



 怒りを力に変えて、私は男子Cのベルトをジーンズごとグイグイと引っ張る。


 もともと勉強より運動の方が得意な私だ。近所で綱引きの強豪チームに入っているおばちゃんに教えてもらった要領で後ろへ後ろへと体重をかけていると、徐々にではあるものの二人の体が上がってくる。


 ああ、もう! こんなことなら最初から私も加勢するんだった! 山道を歩くのに先の尖った革靴なんて履いてるから踏ん張りが効かないんだ、バカヤローーー!!

 そのタイプの靴が好きな女子はほぼ皆無だからな! (個人の感想です)


 あと少しでBが近くの枝に掴まることができる――と、いうところだった。



「痛い痛いいたいぃぃぃ!! 千切れちゃう! もうムリッ! わたしの手ぇ放してっ!!」

「なっ!?」



 岬さんが暴れ出した。

 引き上げるためにずっと腕を引っ張られていたのだ。細い腕を上に引っ張られ、今度は下にも引っ張られ――体が限界を越えたのだろう。文字通り体が千切れそうな痛みに襲われているに違いない。


 ご存知だろうか。


 私達が幼い頃から学ぶ【日本史】が、日本を動かしてきた偉人達の歴史だとすれば、民俗学とは庶民の歴史である。

 そんな民俗学の範囲は、それはもう多岐に渡る。


 刑罰の種類や変遷なんてものも含まれ、戦国時代から江戸時代にかけては【牛裂き】なる残酷無慈悲な処刑方法があったそうな。

 牛裂きとは文字通り、罪人の手足を縄でくくり、その縄を牛に繋いでわざと暴れさせ、罪人の体を引き裂くという恐ろしすぎる処刑だ。


 何故今そんなことを思い出したのかといえば、岬さんの体がまさに今、擬似牛裂き状態にあるからである。

 だから死ぬほど痛いであろうことは分かる。分かるのだが……



「バッ……!」

「暴れんなって! マジで全員落ち――っぬあ!?」

「ちょっ!?」



 男子Bを振り落とそうと岬さんが足をバタつかせて蹴飛ばしたことで、引き上げようとしていたAまでもが足を滑らせて谷底へ吸い込まれる。

 連鎖的に私と男子Cまで引っ張られ――



「うわぁああああッ!!」

「きゃあああああっ!!?」



 私達は呆気なく谷底へと落ちていく。

 命綱もなく落下していく恐怖に耐えられるはずもなく、私は途中で意識を手放した。




 ◆




「……う、……んん……」



 ふと、何かの物音で意識が覚醒した。


 目覚めた途端、まるで硬い場所で寝てしまった時のような体の痛みを覚えて、周囲の状況を確認するよりも先に上体を起こす。


 うん、あちこち痛い。

 地味に痛い。


 と言っても、どこかを切ったとか、折った時のような鮮烈な痛みではない。事実、全身をざっと目視したけれどこれといったケガはないようだし、見えない部分――頭や顔を触ってみたものの、こちらも血が出ているようなこともなかった。


 私達が歩いていた山道から谷底まではかなりの高さがあったと思うのだけれど、ケガ一つ負わなかったらしい。

 厄日にも関わらず奇跡だと感動を覚えつつ、ふと視線を落としたところ、体の痛みの原因が判明した。



「……何で畳?」



 そう。てっきり山中の腐葉土だと思っていた地面が、綺麗な畳だったのだ。しかも室内は結構な広さがある和室で、古めかしい家具が設えられていた。

 ああ見えて畳は結構硬い。痛みの原因が判明してホッとしたものの、何で畳――いや、室内で寝ていたのだろうと疑問を覚える。


 だって、私達は全員仲良く谷底へ落ちたのだ。下手をすれば死んでいたはずで――というか、本気で死んだと思った。だって私達がすったもんだしていた崖は、かなりの高さだったから。

 腐葉土のお陰で助かった、と考えるのはちょっと無理がある。落下中に木の枝にでも引っかかった……のだろうか。そして、通りすがりの人が助けてくれた?


 ……うーん、かなり無理がある推測だと思う。実は死んでいて、ここが天国だと考えた方がまだ納得できる気がする。和室風の天国とか聞いたことはないけれど。



「うっ……」

「!」



 ふと呻き声が聞こえて周囲に視線を巡らせたところ、班の面子――岬さんと男子ABCの三名もこの場で倒れていた。

 自分の安否に気を取られていた私は慌てて駆け寄ると、軽く肩を揺らす。



「岬さん。岬さん、起きて!」

「……んんぅ……」



 とりあえず同性である岬さんに声をかけてみたものの、反応は芳しくない。あまり揺らしても頭を打っていたりしたら困るしと、次いで岬さんの近くに横たわっていた男子Cへ声をかけた。



「男子C――じゃなかった。えっと……新田くん? も起きて!」

「う、ッぐ……。や、まと……さん……?」

「! そう、私、倭言葉! 同じ班の!」

「おー……はよ……」



 新田くんは眩しそうに目を細めながら、軽く手を上げて応えてくれた。


 良かった、どうやら新田くんも無事のようだ。

 覚醒したばかりで焦点の定まらない新田くんは一先ず置いておいて、続けて男子AB――斉藤くんと三嶋くんにも声をかける。


 すると三嶋くんも無事に目覚め、ついでに私達の話し声で岬さんも起きた。



「わたし達、無事だったんだね。良かったぁ……」

「だな……。でも、ここ何処なんだ?」



 それはわたしも一番気になるところ。

 順当に考えれば助けてくれた人の家、ということになるのだろうが……普通、靴も脱がさずに放置するだろうか。



「その辺に家の人いないかな。ちょっと見てくる」

「お願い」



 私達が室内を観察していると新田くんが立ち上がり、障子戸へ向かった。仮に近くに家人がいなくても、廊下で呼び掛ければ気付いてくれるだろう。

 と、思ったのだけれど。



「うわっ!? な、なんだここ。めちゃくちゃ広いぞ……!?」



 新田くんの声につられ、私も立ち上がって廊下へ顔を出してみる。すると、目の前に広がる光景を見て思わずポカンとしてしまった。



「な、何これ……」

「な、なに? どうなってるの?」



 私達がいた部屋は中庭に面していたらしい。障子戸を開けると廊下を挟んで直ぐ目の前が一面のガラス戸になっていて、中庭の景色が一望できた。

 と言っても、そこは普通の中庭ではなかった。


 苔の生えた庭の中央に木が植えられた光景自体は、至って普通の和風庭園だと思う。

 しかし、その規模が異常だった。


 ここから中庭を挟んだ反対側にある部屋が、途中の景色が霞むほど遠くに見えるのだ。

 しかも、庭の中央にそびえる木がこれまた途方もない高さで、ガラス戸に張り付き見上げてみてもまるで天辺が見えなかった。


 そして、極め付けは屋敷の広さだ。


 部屋を出ると板張りの廊下が左右へと続いている、のだが……その長さが半端じゃない。右を見ても左を見ても突き当たりが見当たらず、どこまでも真っ直ぐ続いているように見えた。

 中庭を挟んだ向かいの部屋がアレだけ遠くに見えるのだから、当然と言えば当然の広さかもしれないが。


 ちなみに、人気ひとけは一切なかった。



「「…………」」



 どう見ても普通の家ではない。

 絶句する私と新田くんに痺れを切らしたのか、岬さんと三嶋くんもやって来て、その光景を目の当たりにする。



「「…………」」



 もちろん無言でした。



「……とりあえず、さ。家の人を探すしかない……よな」

「だ、だよね。助けてもらってお礼も言わずに出て行けないし……」



 四人揃ってすごすごと部屋の中へ戻ると、未だに目覚めない斉藤くんを囲みつつポツリポツリと言葉を交わす。


 事故を起こしたことと言い、何だか現実味のない現状と言い、とんだ厄日に思わず頭を抱えたくなる。けれど、このままここで途方に暮れていても仕方ないことは確かだ。こちらから動かなければ。


 ――いや、寧ろ動きたい。

 だってここ、明らかにおかしいし。


 こんなに広い屋敷だというのに、人気もなければ他の部屋から物音の一つもしない。これだけ広ければ宿という可能性もあるが、だからこそ物音一つしないのは異常だ。

 誰かが来てくれるまでここでじっと待っていろと言う方が無理な話だろう。



「じゃあ、みんなお願いね」

「はっ? 何で俺ら!?」



 誰が行くか話し合おうとしたところで、岬さんがさも当然とばかりにサラリと言い放ち、男子B――三嶋翔くんがギョッとした。

 もちろん私もギョッとした。さり気なく自分はここに残る気であることに。



「なんでって……普通、こういう時に率先して動くのは男子でしょ? わたしに行けっていうの?」

「い、いや、日向に行けとは言わないけどさ……」

「わたしは健太くんの看病しなきゃだし、正直体力もないから調査には向いてないよ」



 確かに、癪だがその意見はもっともだ。


 未だに男子A――斉藤健太くんが目を覚さないので、誰かが付き添っていないと心配だし、岬さんの体力がないことも山登りで確認済みである。

 まあ、アレはヒールによるところが大きい気もするけれど、実際体力はないだろう。


 ちなみに、脈を診たので斉藤くんが生きていることは確かだ。出血している様子もないので、たぶん気を失っているだけなのだろう。そう思いたい。


 しかし、このまま目覚めなければ見えない部分にケガを負っている可能性が出てきて非常に不味い。いざという時に斉藤くんを病院へ連れて行くためにも、早く家人と接触を試みないと。


 この半日で岬さんがA狙いであることは判明している。だからこそ余計に残りたいのだろうと思うと、あまり文句も言えなかった。



「あ、そうじゃん! 健太の面倒見なきゃだし、俺は見張りとして残るわ! ほら、目ぇ覚さない健と日向だけじゃ家のヤツがやべぇヤツだった時とかに対処できねーだろ? 何かこの屋敷普通じゃないっぽいし! なっ、日向!」

「ん〜……それもそっか。その方がわたしも安心だし。じゃあ、慎介くんと倭さん、家の人探しお願いね」



 ニッコリ微笑んで岬さんが言った。全く悪びれもせずに。

 そもそも、こんな事態に陥ったのは貴女のせいなのですが?

 男子Bがうまく――はないものの丸め込んだせいで、こちらに飛び火してしまった。



「…………分かった。新田くん、行こっか」

「う、うん」



 ここで反論したところで不毛な言い争いになることは目に見えている。口論で無駄な体力を使うぐらいなら、探索に当てた方がまだマシだ。

 思わず溜息が漏れそうになるが、ぐっと我慢して部屋を出る。まあ、私はじっとしているより自ら動く方が性に合っているのでいいんだけれど。


 中庭の景色を見る限り、屋敷は大樹の周りをぐるりと一周するように建てられているらしい。ならばどちらに行っても問題ないだろうと、新田くんと軽く相談をして廊下の左へ曲がろうとした時だった。



「おいおい! 二人で同じ方に行ったら時間かかるじゃん! 二手に別れるべきっしょ!」



 残ることになってホッとしたせいか、やけに態度の大きくなった男子Bが声高にそう言った。

 その言葉に思わず青筋が浮かんだ自覚を覚えつつ、私は今日イチの微笑みを浮かべながら振り返る。



「……やべえ奴がいるかもしれない屋敷の中を、(おんな)一人で歩けと?」

「あ、いや、それは……」



 流石に私の怒りが伝わったのか、男子Bが目を泳がせる。

 空気を読めない残念パリピでも危機感くらいは覚えるらしい。

 口を閉じなければ手足が出るところだったよ? まじで。



「もう〜、やだなぁ倭さんったら! 危ないかもって話はあくまでも仮定の話だし、大丈夫だよ。危ない人がわざわざお家にケガ人を運んだりするはずないもん」

「そ、そうそう、例え話だし! それに倭さんってめちゃくちゃしっかりしてるじゃん? 仮にやべえヤツと遭遇しても逃げ切れそうっつーか、そもそも遭遇しないように動けそうっつーか!」



 大丈夫だと思うならお前らも来いよ! 見張りとか正直要らないから!

 それと私に対して厚すぎるその信頼はどこから来た!? 今回の合宿が初対面ですけど!?


 ……と、色々突っ込みたいところを我慢する。


 確かに、小柄女子一人引っ張り上げられないモヤシなこいつらよりは上手く立ち回る自信があるし、運動神経が良い方である自信もあるけれど、怖いものは怖いのだ。

 人気のないだだっ広い屋敷を一人で探索するとか、ほぼホラーゲームだからね? 脱出ゲームだとしても何かに追っかけられるタイプのやつだからね?



「で、でも、一人はやっぱり危ないし……」

「新田くん……」



 気を遣ってか、新田くんが私をチラチラと見ながら呟いた。

 一人でもまともな感性の人がいてくれたことに、思わず感動する。


 君は男子Cじゃない。新田くんだ!


 しかし、これまた非常に癪だが、この広い屋敷を一通いっつうで調べるのは効率が悪いのも事実である。左右から一人一人行った方がどう考えても手っ取り早い。

 一人で探索する恐怖と、効率――。


 どちらを取るべきかと言われれば、当然後者だろう。

 何せ人命がかかっている(かもしれない)のだから。


 やっぱり今日は人生最大の厄日だ!


 屋敷の廊下を一人で歩き出した私は、改めてそう思った。


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