18歳、後半
ネーネは王子の腕の中で、彼に守られて全てを聞いていた。どうやら全ては濡れ衣で、全て王子が自力で振り払えそうでホッとする。もちろん王子を疑ったわけではなかった。疑えるはずもないくらい、ネーネは王子に溺れさせられている。こうやって沈むのを恐れる人のようにしがみついてしまうくらい。
可哀想なのはクレイドンだ。どうやら彼はネーネに対する悪意を利用されて嘘を吹き込まれて踊らされているらしい。こんな公の場でやらかして、一体この先どんな未来が待っているのかと思うと哀れだった。
「お、王子。その……何をおっしゃるのです。私は……その役を仰せつかったと……」
「それも女に言われたのか? とんでもない女狐だな、君も大変だろうが、次は気をつけたほうがいいよ」
王子はクレイドンを慰めた。
「それにしても不思議だな私の恋愛事情については、皆知っている事だと思っていたのだが」
それが箝口令の敷かれた王子の悪行の事だとわかる者達はくすくすと笑った。クレイドンにはわからなかった。
「しかし、ネーネは王子より四つも年増で……王子にはもっと若い女の方が……」
「君がネーネと呼ぶのか? 私の前で。馴れ馴れしいし、失礼だな。いい加減諦めたらどうだ」
「し……失礼しました、アスファーン公爵令嬢です」
クレイドンは口籠った。
「それに私と美しいネーネの年齢が離れているから何なんだ? 君に私の婚約者の年齢に口を出す権利があるとどうして思ったんだ? 君は私の何なんだ?」
「しかし、アスファーン公爵令嬢は……王子を軽んじています! このような祝事に遅刻している。王子の卒業式だというのに、最初から最後まで王子に尽くすべきで、彼女はその役目を放棄して……」
「慌てているにしても、来るなと言ったり来いと言ったり。私の婚約者に難しい要求ばかりするな君は。真面目に聞く気がうせるよ」
王子はクレイドンから完全に正面を外した。言葉の通り、もう聞く気がないという気持ちの表れだ。
「遅刻したのは私も一緒だ」
「しかし彼女は王子より遅く会場に……」
「もちろん女性の方が装いを整えるのに時間がかかるから仕方ない。それに私はズボンボタンを閉めてタイを締め直すだけだった。申し訳ないくらいだ」
「それは……は?」
またクスクスと笑い声が上がった。王子に覗き込まれるネーネの顔は一瞬で真っ赤になっている。その意味がわからないものはあまりに初心と言わざるを得ないだろう。
クレイドンは冷や汗で襟足から汗が滴った。
気の毒になった何処かの令息が声をかけた。
「君は近親だし、気性が荒いから知らされなかったのかもしれないな。王子の初体験は十二歳で、相手はその婚約者様だそうだ。しかも何が何だかわかっていないところを騙して貫いたらしい。それ以降ずっと城中の全員に監視されていたんだよ。結婚前だってのに婚約者を孕ませようといつでも狙っていたからな」
王子の伝説の暴露に動揺したものは僅かだった。忍び笑いをするものの方が多い。クレイドンの周りにいた者達だけはかなり騒ついた。
クレイドンは顔を真っ赤にして言い淀んだ。
「あの……私はリリーラドン嬢から話を聞いて……」
「クレイドン、貴方の父上と兄上に迷惑がかかるから、これ以上の事はしない方がいい」
「……はい」
視線を向けられることもなく、クレイドンは敗北した。王子の言葉に従って頭を下げるとフラフラとその場を辞する。
いつの間にか他の者達もいなくなっていた。
そのままそのショーは終わりを告げ、ぎこちない空気のまま何となくパーティーは再開していった。
王子はネーネを抱きしめたまま、少し隅に移動し、彼女を鑑賞する楽しみをつづけた。
「ネーネ、何だかおかしなことになってしまって、悪かったね。やっぱり一緒に会場に入るべきだった」
「……でも、恥ずかしくて」
ネーネがはにかむと、王子はキスしようと顔を近づけた。
唇が触れ合う寸前にゴホンと咳払いが聞こえたが、王子は無視してネーネの唇を味わった。
しばらく楽しんでから、柔らかくしっとりとした唇を解放する。ネーネのうっとりと溶けきった顔を眺め、満足の笑顔になる。それから彼女の顔を自分の胸に押し付けて、咳払いしたままそこにいた女性に目を向けた。
「王子、私リリーラドン男爵令嬢です」
令嬢がお辞儀をする。王子はネーネの髪の毛をゆっくりと撫でながら「まだ諦めないか」と呟いた。
「何か用かな、ご令嬢」
「私、王子のことを慕っています……」女性は胸に手をやり、苦しそうな情感たっぷりに言った。
「もちろん貴方様に婚約者がいることはわかっています。でも……好きになってしまったんです」
王子はネーネの髪の毛を見下ろし、キスした時に乱れてしまった部分を直してやりながら「そうか」と呟く。目はネーネの後頭部を見つめたままだ。「まあそういう不相応な夢を抱く令嬢は君が初めてではない。王子という地位はやはり女性から見て魅力的なようだからね」
「……貴方をお支えしたいんです。私の事、少しでもいいので……」
女性は手を触れようと王子に伸ばした。
「申し訳ないね、それはない。ノベルゲームのヒロインさん」
女性はピシリと固まった。目を見開いて王子を凝視している。それから顔を歪めて王子からさっと離れた。
「……はぁ? …………まさか、知ってるの……?」
さっきまでとは違うヒステリーな声に、王子の胸に押し付けられていたネーネがびくりと震えたが、王子は彼女を押さえたまま離さなかった。王子はやっと彼女の顔を見た。
「やはり君が占い師の言っていた女性か。ふうん、まあ確かに可愛いが……それだけだな」
王子の呟きに反応して、リリーランドは眉間に深い皺を刻んで言った。王子はニヤニヤして得意そうだった。
「どういう意味なの? “占い師”?」
「君は知ったら怒るだろう。だからこれでさようならだ、ノベルゲームのヒロインさん」
王子は勝ち誇った顔でリリーランドに別れを告げた。
この後はまた王子が小さい時からの話に戻ります。