18歳、卒業パーティー。突然の婚約破棄劇
王子は18歳になり、卒業式が訪れた。
「来るのが遅くなりすぎたかしら」
卒業パーティーの会場はすでに人で一杯だった。
ネーネは王子の婚約者としてパーティー参加することになっていた。開始時間には少し遅れてしまったが、王子に言われた通り入場した途端、異様な空気に包まれてしまった。
ネーネの姿に気づいたら瞬間から、騒がしかった会場が段々と静かになっていき、ついに静まり返ってしまう。同時にネーネの前には道が出来ていき、その道の先には王子と、周りに数人の学友と思われる人々が残っていた。
ネーネは不思議がりながら、様子を眺めた。誰かに話しかけられて答えている王子の背後には、淡いピンクのドレスに身を包んだ可愛らしい女性がいる。そして数人の男子がその女性を守るように囲み、一様にネーネの方を見ているようだ。どうにもその視線は好意的ではなく、ネーネは妙な違和感を感じた。
この学園に足を踏み入れるのは卒業以来初めてだ。王子は学園で行われる学園祭などにも一切参加しなかったので、ネーネも訪れる機会がなかった。だから王子の同級生に顔見知りのものはほとんどいない。仲の良くない従弟が一人いるだけだった。
今ここで何が行われようとしているのか、全く分からないが、目の前に道ができた以上、自分も関わることなのだろう。ネーネは戸惑い、誰かに尋ねようとしたが振り返っても綺麗に遠巻きにされていて、誰も教えてくれないようだった。そして王子は気づいてないはずないのだが、今すぐ何かをしてくれる様子はなかった。
ネーネは仕方なくこちらから歩み寄ろうと足を動かすと、男の声で遮られた。
「アスファーン公爵令嬢、貴女はなぜこの場に来たのです。今日くらい王子を自由にさせる配慮もないのだな」
男の声が止まると、ネーネは眉間に皺を寄せた。アスファーンとはネーネの家名だ。そして今の声には聞き覚えがあった。
「誰? 従弟のサレー・クレイドンなの?」
王子の側の一団から男が抜け出し「そうだ」と頷いた。彼は母の実家であるクレイドン侯爵家の次男だ。
ネーネは流石に嫌な顔をした。彼は知り合ってからずっと、ネーネに意地悪ばかりしてきたのだ。しかも王子と婚約したあたりからもっとひどくなり、年増やババアは王子に似合わないなどと親の見てないところでちくちくやられていた。そんな彼がこんな公の場でいつものようにネーネをやり込めようとしているのかと気づいたら、勇気が挫かれ、足が震えた。
「返事はないのか、従姉よ」
「でもわたくし……なぜ来たかと言われても……」
「王子には君から離れられる自由はないのか?」
「意味がちょっと……でもわたくしは……」
ネーネの弱々しい声が震えると、それを遮ってクレイドンが口を挟む。
「あなたはいつもそうだな。グジグジと……私が何度王子との婚約を解消しろと言っても『でもでも、だって』と逃げてばかりだった。だが残念ながらそれも今日までだがな」
自信たっぷりの言葉にネーネが青くなると、クレイドンの次男は勝ち誇って声を一層張り上げ告げた。
「王子より四つも年上であるにも関わらず、父親の権力で婚約者という地位につき、学園時代も王子の時間を独占して他の女を近づけないよう努力したようだが、お前の策略は終わりだ。王子はお前と婚約破棄し、ここにいるリリーラドン男爵令嬢と新しく婚約される!」
クレイドンが高らかに宣言すると、会場はざわめきたった。ほとんどの者が「信じられない」とつぶやいている。
ネーネは震えてフラついた。「そんな……」と呟く。そのまま倒れてしまうんじゃないかと思ったが、足早にそこに辿り着いた王子がネーネの腰を抱いて支えた。
「ネーネ、大丈夫かい?」
「あ、王子……?」
ネーネの注意は王子に戻され、突然現れた王子の顔を見つめた。
寄り添う距離はあまりに近く、ネーネは目を瞬く。
王子はネーネの腰を抱き寄せ、キスができるくらいの距離から顔を覗き込んでいる。
周りは呆気に取られてしんと静まり返った。
王子はネーネの視線を独り占めして、彼女の気を良くする満面の笑みを浮かべて見せた。
「結構早く準備ができたんだね」と囁くと、ネーネがパッと血行を良くし、真っ赤になって囁き返す。
「気を、つけてもらえましたから」
「よかった。早く会いたかったんだ」
王子は笑顔のままネーネの頬にキスして一歩分離れた。そしてネーネの装いを上から下まで観察し、「うん、完璧だ」と囁いて、また元の位置に戻って腰を抱き寄せる。
「王子も」
ネーネは恥ずかしそうに微笑み、王子は「十四歳の時とは比べ物にならないだろう?」と何かを自慢した。
「確かにそうです」
ネーネの気分は落ち着いたが、会場の景色は変わらない。あまりに劇的に始まった悲劇に唐突にメロドラマが投げ込まれ、会場全体は混乱した。
「……あの、王子……」
誰かが声をかける。王子は顔を上げもせず問うた。
「何かな」
クレイドンは目の前の光景に戸惑っていた。その取り巻きと、彼らが守っている女性も驚いた様子で王子と婚約者を凝視している。王子は視線を気にする事もなく婚約者とイチャついていた。
クレイドンは口をワナワナとさせてから思い切って発言した。
「この状況は一体……まさか、まさか王子はリリーラドンを捨てて、ネーネとそのまま結婚するつもりでいらっしゃるんですか?」
「全く何の話かわからない」王子はほとんど間髪入れず答える。それはネーネに向けるのとは違う、低く威厳のある声だ。クレイドンは怯えたが、思い込んで発言を続ける。
「そんな、一人の貴族令嬢の心を弄び、学園を卒業した途端捨てるなんて、恥ずかしくないのですか!」
流石に会場はざわざわした。「王子に対してあの発言は……」「大丈夫なのか?」などと聞こえる。
クレイドンはどんどん青ざめていき、息がはあはあと荒くなっていた。
王子は少し間を置き、ネーネを抱きしめたまま体ごとクレイドンの方を向いた。これでネーネの視界にはクレイドンは映らなくなった。
「クレイドン、誰から聞いた話なんだ? 私が令嬢を弄んだなどと」
「噂になっています! 休憩中にリリーラドンと恋を育んでいらっしゃったと!」
「授業合間の十分休憩でか? 君は私と同じクラスでなかったから知らないのかも知れないが、私はトイレ以外で教室を離れたことがないんだ」
「しかし、実際に会ったと聞きました、キスもしたと、婚約の約束も……」
「誰からなんだ?」
王子の声が低く響いた。腕の中のネーネも震える。室内がしんと静まる。
「もちろんご本人です! リリーラドン男爵令嬢です。彼女はこの4年間の学園生活で、密かに王子との関係を深められ、気持ちを伝え合っておられたと。そして王子もその気持ちに応えるべく、愛のない冷えた政略結婚のネーネを捨て、彼女を次期王妃に据えられることを選んだのだと」
「面白い話だが、話の出どころが私でないことは認めたなクレイドン。婚約破棄を口にしたのは私ではないし、淡いラブストーリーを描いたのも私ではない」王子は会場を見回した。「ところで、君は一体何の権利があってこのパーティーでそんなことを宣言したんだ? そして、リリーラドンとは誰なんだ?」
最後の言葉に、怒りで顔を真っ赤にしたクレイドンが反応しようとしたが、王子は遮った。
「ああ、もちろん紹介しないでいい。ただ、どの女性が言い出したのか、一生関わる必要のない人間の顔を覚えておきたいだけだ」