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アシュリーベル


「ちょっとあれはちょっとほんとどうかと思う………」

「………………」


 王宮。

 王の住まう宮殿。いと高き方々のおわす場所。

 その王宮のテラス席は、貴賓室に隣接するサン・ルームから続いた先にあった。天井まで続く白亜の柱、それに添わせてガラス張りにしたフランス窓のその向こう。

 フランス窓を開け放てば、庭園への道が整備されている。

 整備されたテラスの数カ所にテーブルとチェアが配されており、そこから続く道には樹々によって目立たないが、ベンチやランプが散らされていた。

 ごくごく自然に見えうる、最上級の人工設計の粋である。

 その証拠に、ここを守護する騎士から見れば、死角などほぼないと言っていい配置をしている。特にテーブルの集まったテラス席は見通しがよく、それでいて周囲に人がいないとそこに座る王侯貴族たちからすれば感じることができる場所だった。

 お付きの者たちからしても、サン・ルームの隣と庭園の向こう側に小さな部屋や四阿が目立たぬよう設置されており、主人の急な呼び出しにも対応することができた。

 そう、そのような場所で。

 カインとイザベラは向かい合っていた。


 イザベラは赤毛と言ってもいいほどに濃い赤褐色のその髪を、複雑に編み込んで結い上げている。それでいて大人っぽくなり過ぎないように、サイドでふわりと遊ばせてあった。濃緑のドレスと相まって、薔薇の精が貴婦人のふりをしているかのようだ。

 淡いオレンジ色であるはずのその瞳は、日光を受けて瞬きとともに金色にちかちかと輝いた。花も恥じらう十七歳の伯爵令嬢である。

 薄く薄くつくられたカップを、細く白い指がつまむ。

 ベルガモットの香りが、空気にも華を添えた。おりしも庭園からひとひら、薔薇の花びらがそのカップへと落ちる。

 小さく艶やかなその唇が、あたたかな紅茶のため少し濡れたままに開かれた。


「…………な、なんのことやら…………」

「イザベラ………………」


 イザベラ・ドミナ・マグダリア伯爵令嬢、渾身のすっとぼけであった。

 王太子カインはなんかもう切なくなって顔を伏せた。

 しかしすぐに、いや伏せてる場合じゃねーなとその尊顔を上げる。なぜならここが見えるはずの庭園内四阿(使用人待機席)にかのマリアも来ていたからである。それを許した己も大概だが、連れてくる侍女に正々堂々とマリアを組み込んで現れたイザベラの神経もびっくりするほど太ましい。

 ふつう、あの、連れてくるか?

 どうかあの件は御内密に、みたいな伯爵家からの前交渉もなかった。ということは、伯爵は此度の件、イザベラに一任したということである。

 こういうことになるとは思わず、カインは実のところ困惑していた。

 王太子暗殺………いや暗???殺……………ええと殺人未遂事件、しかも騎士4名を昏倒させている。幸いにして安静にしていれば問題なしとのことだったが、伯爵家としてはお家取り潰しレベルの話なのではあるまいか。

 一方でカインの婚約破棄は、王家にも伯爵家にも話が通っている。

 イザベラに対して礼を失したとして、それはカインの謝罪一つで済む話だった……その謝罪を行うか否かも、カインの胸ひとつと言っていい。

 それなのに、介入がない。

「…………ええと」

 王太子カインは、困っていた。

 罰がないことは有り得ないと思うのだが、それはイザベラに対してではなかった。ではマリアに……となると彼女一人に罪を着せ、厳罰をかぶらせる流れになる。

 それで当然だ、と思う。

 ……それをやったらイザベラは、生涯己を許さないだろう、とも思う。「だから」彼女はマリアを連れてきたのだ。そして、カインが何か言うまで何も言わないと決めているのだ。

(まいったな……)

 命を脅かされておいて何だが、カインの胸中に恨みはない。

 神業すぎていっそ意味がわからなかったからだ。

 むしろカイン個人としては…………ただイザベラから、許してもらいたかった。今すぐには無理でも、彼女から……そう、嫌われないことが無理でも、認められたいと思っていた。

 イザベラは尚も、黙っている。

 カインを詰らない。言い訳もしない。マリアを庇いすらしない。……サマンサを、サマンサ=リリィを、妬み陥れるような言葉を、仄かしたことすら一度もない。

(だから、)

 だから伯爵が許したのだ、と知っている。知っていた。

 相手が動くまで、黙っておくことができる。

 それは精神力を意味していた。盤面を俯瞰する力を、動き出した瞬間から、開始される交渉を念頭に置いていることを意味していた。

 わずか十七の黄金。

 ()()()、イザベラでなくサマンサをと望んだとき、伯爵が許したのだと知っていた!

 …………伯爵も、決して自分からは言い出さなかった。カインがサマンサを望んで、カインの望みを受け入れたという前提を崩させなかった。

 マグダリア伯に、嫡子はイザベラとサマンサしかいない。

 次代の女伯爵。

 いや、その姉ないし妹が王妃となったのなら……女「侯」爵の誕生は、もう目前となっていた。それにはどちらが適任か、という話だ。

「イザベラ」

「な、んでしょう?」

 そのイザベラが、揺らいでいる。

 正直なところ、完璧でも冷徹でもないイザベラというのを、カインは初めて知った。可愛らしいとすら思ってしまう。

 あのマリア────あの、なんて言ったらいいのか規格外のメイドが関わると、さすがのイザベラも鉄の防御が揺らぐようだった。まぁわかる。あれはないからな、わかる。

 そして、目撃者がいない。

 正確にはカインとイザベラ、サマンサしかいない。

 では、どうする。どうしたい。どうすればいい? ……カインにはわからなかった。

 イザベラに決めて欲しかった。イザベラがマリアを助けて欲しいと言ったなら、ことは簡単だったのに。その後だったら、婚約破棄について謝ることもできたのに。

「……っ」

 そう考える自分が、嫌いだった。

 だから、そう、だから。

 イザベラのことがずっと、苦手だったのだと知っている。

「先日の、ことだが────」

 イザベラが顔を上げる。

 さあっ、と風が吹いて、そしてやんだ。

 何もかもが耳をすませているような静寂。それをどこか不思議に感じながらも、王太子カインは口を開く──────


 はずだった。

 が。


 ダカッ ダカバキッ ギャーーーーー! きゃああああああ!

 ダカバキボキョッ ガガガガガガガガガガダガガガガガガガ!


「あ、暴れ馬だーーーーーーーーー!!!!!!!」



 起こっていい限度があるだろ────────



 カインは数日ぶり・二度目の走馬灯をセットアップした。

 見れば庭園の向こう側から、筋骨隆々たる青毛の暴れ馬がこちらへ向かってきている。元は白馬であろうその毛は青く染められており、その蒼ざめた様相が迫り来る様は卒倒に値した。

「! イザベラッ!!」

 そんな時にイザベラを気遣えたカインは、実に立派だと言えるだろう。

 だが何の役にも立たないとも言えた。

 イザベラは呆然と立ち尽くしており、彼女を連れて逃げるどころか、己が逃げるのにも間に合いそうになかった。

 それでも必死で、彼女に手を伸ばす。


「王太子殿下、イザベラ様!! え、ア……アシュリーベル殿下!!??」


 えっ

 召使いたちから上がる声に意外な名を聞いて、しかし周囲を振り返る余裕などカインにはない。

 とっさにイザベラを背にかばった。視界の端に、見慣れた銀の髪がちらりと映ったよな気がしたが、それだけだった。


 ダガッ


 馬が。

 大きな。

 悲鳴。

 死。

 蒼ざめた、その。



お嬢様(ドミナ)!!!!!」



 ────かの(ひと)は、天上からの使いのように見えた。

 ひっつめた黒髪が乱れており、メイドキャップはどこかへ落としてきたようだ。


 どう、と馬が倒れる。

 鼻面がカインに迫っている、その直前で。


 ばきばきと傍にあった灌木が折れ崩れる音がした。

 ギャウッと馬が瀕死のような嘶きを上げる声がした。


 顔を上げれば、夜空の星。

 紫紺に輝く星を散らした瞳が、こちらを────カインを通り抜けてその主、イザベラをと見つめている。まっすぐに、必死に、見つめている。

「ああ、お嬢様。ご無事ですか?」

「マリア……」

 ギュヒイイイイイイン、と馬が苦しむ声がした。

 マリアのメイド服に包まれた両腕は、その手綱をぎりぎりと締め上げていた。

 おそらく、駆け寄って⇨飛び乗って⇨手綱をとって⇨引き倒して⇨締め上げる、を流れるように行ったものであろう。

 シンプルにとんでもない脚力および腕力である。


「お嬢様、よくぞご無事で………」


 ほろほろと、真珠のような涙がこぼれ落ちる。

 鈴の音のようなその声とあいまって、神秘的な光景であった。合間合間にギュヒイイイイインという馬の声さえ混ざらなければ完璧だった。


 なんだこれは────────

 どうするんだ────────

 なんでこんな────────


 場の人間の心は(一部を除いて)一つになっていた。

 場面が異様すぎて、カイン様ご無事ですかと召使いや騎士たちが駆け寄ってくる意志も削がれている。

 誰もが、どうしていいかわからなかった。

 でもとりあえず、馬を締め上げるのはそろそろやめて欲しかった。


 ぱち、ぱち、ぱち


 その時。

 場違いな拍手の音が、テラスに響き渡る。


「……いや、うん、っ見事だね。マグダリア伯爵家におかれて、は………ぶは、我が弟カイン、とっ、私……私も? 助けていただいたこと、深く感謝申し上げる……っははははは、あは、ぶふ、ふーーーーーー」


 いや爆笑──────

 最後に取り繕った意味がほとんどないほどウケている。

 己とてほぼほぼ命の危機だったのだが、本当にわかっているのか否か。湖のような薄く青い瞳が向けられたとき、カインは少なからず眉根を寄せた。

「兄上」

 うっすらと青い瞳。

 銀の髪は長く、リボンが解けたのか今は風に流れている。

 色素の薄い、その姿。

 二十歳になるはずだが、十八歳くらいに見える……割と普通の圏内である。

 病弱だというのは本当なのだろう、顔色が少し悪い。

 そのため、王太子は第二王子であるカインとされている。

 王室典医によれば、無理をすれば四十までは生きられまいと言われたからだ。

 えっじゃあそこそこ生きるんだな……とは結構な人数が思った。

 そして無理をしていない現在、かなり生きるんじゃないかな、と思われた。


 アシュリーベル、という名前には、国の希望が込められている。

 女性名にも聞こえるそれは、第一王子の健康を祈ってつけられた。

 男なのか女なのか洋菓子屋なのかわからない名だ、とは実に本人の言である。

 中身はともかくとしてその見た目の儚さは、「似合うから」という理由でレースのブラウスなんぞを堂々と着ている視覚効果も相まって、二十歳となった今もド健在であった。儚さだけが健在でどうするのだろうか。

「……兄上、ご無事で何よりです」

「私は何をどう考えても大丈夫だろう」

「そうですね………」

 微妙な気持ちになるカイン。

 そう、この兄アシュリーベルは、だいたいの場合何をどう考えても大丈夫なのだ。

 唯一本人にもどうにもならなそうなのが、王位争いとそれを持ち上げる周囲である。しかしそれについては今更覆すことはない、と王も王妃も……この兄も明言している。

 しかし、本意だろうか?

 ……カインには、わからなかった。馬鹿げたブラウスを着ていても、この兄は馬鹿ではないという気がしていた。どれほど健康を盾にしても、彼こそを持ち上げようとする輩がいることを知っていた。

「マリア」

「はい」

 そのとき、小さなやりとりが耳に入る。

 振り返ればマリアは跪いており、その顔を深く伏せていた。

 もう馬はあぶくを吹いているし、そろそろ王族を前にして礼儀をただしておきなさい、というイザベラの命令によるものだろう。

 いろいろと手遅れな気はするが、それはそれとしておくに限る。

 兄はそれを見て、薄く笑ったようだった。

「ああ、すまなかったね。イザベラ嬢も気が動転したことだろう。カイン、何か話があったにせよ、この場は改めてはどうか」

「……僕もそう思っていました」

「部屋を準備させよう。気が落ち着いたら、帰られるといい」

「何か必要なものがあれば、準備させ……」

 と口にしたものの、カインはその必要がないことを知った。召使いたちはすでにアシュリーベルの言葉を受けて動きはじめており、イザベラに必要なものがあれば準備するのは当たり前のことだ。

 そんな当たり前のことを口にしてしまうところが己の凡庸さであるような気がして、カインは少し俯いた。

 そんな弟に気づいているのかいないのか、アシュリーベルは首を傾げている。

「しかし馬があれほど暴れるとは、一体何に驚いたのか……怖かったな、カイン」

「いえ…………いえ、はい」

「ああ、お前もか。私など思わず『イヤッ…』とか細い声を出してしまった……あの一瞬に限るならば、まさに私こそが真のプリンセスと言っても差し支えなかったよ」

 何言ってんだこいつ…………

 とカインは思ったが、ちょうど部屋を抜けていくときのイザベラもそう思ったようで、なんとも微妙な顔をしていた。……というか「怖かったな」というのは弟を気遣った発言でなく己の感想だったのか。それ言う必要あったか。なあ。

 そうですか、という返事もしたくなかったので黙っていたが、兄が気にした様子はなかった。

 そのまま、その兄の肩越しに、場を辞していくイザベラとマリアをなんとなしに眺める。

 命を、狙われて。

 命を、救われた。

 そのことに気がついて、でも、そんなことはもうどうでもいいような気がした。


(イザベラに、謝り損ねてしまったな)


 それだけが気にかかった。

 ふとマリアが、こちらを振り返る。

 兄に……? いや、もちろん己に向けられたものだろう。

 ぎょっとするほど冷たい一瞥が、その夜空の瞳から放たれたように思えて。

 カインはひとり、肩を落とした。

 

こんな話を読んで下さっている方がいる奇跡。

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