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我が主

ほんの出来心で書き始めました。

少しずつでも続けていければと思っています。


「イザベラ・ドミナ・マグダリア! 今この時をもって、君との婚約は破棄する!」


 薫風吹き荒ぶ、学園の庭園での宣言だった。

 薫風はふつう吹き荒ばないが、関係者の心の中では猛烈に吹き荒んでいた。

 庭園である。

 庭園であったが、位置的には中庭であった。

 もっと言えば建物に囲まれていて、この時間帯日当たりがあまりよろしくない場所だったため、ひと気がなかった。王侯貴族の通う由緒正しきこの学園の中でも、まぁ校舎裏に該当する。

 だがもちろん、この場の尊き少年少女たちにそのような語彙はない。

 少年の名は、カインという。王太子カイン。深い茶色の髪に明るいグリーン・アイズを持つ、才気煥発たるこの国の王子様だ。冒頭の婚約破棄の宣言を行ったのもこの王子であり、堂々たるその宣言は、聴衆が少なすぎるという一点を除けば実に立派なものだった。

 その聴衆の少なさも、彼の配慮によるものだ。

 彼にとってただ一人の聴衆───幼馴染であり婚約者でもあるマグダリア伯爵家令嬢イザベラの、プライドの高さを慮ったものである。

 カインもイザベラも、まだまだ多分に子どもっぽい。

 だからその宣言はほんの少し揺れていたし、そのプライドはこの場において動揺を覆い隠すのに充分でなかった。

 カインはイザベラの瞳に……その、彼が愛してしまった少女と同じ淡い橙色の、日光のような瞳に、傷ついた色を見た。そして、その色を見せてしまったことで彼女はおそらく、生涯己を許さないであろうことを知った。

 淡い橙の瞳。日が当たると金色のようにも見える。

 濃い金の髪。豊かに渦巻くそれは、ほとんど赤褐色と言ってもよかった。

 美しい少女だ。白い肌にきりりと上がったまなじりが気の強そうに見える、このイザベラは。───だがしかし、しかし、カインは同じ色の瞳に、薄い薄い金髪、まっすぐなプラチナ・ブロンドの少女を初めて見た日のことが忘れられなかった。おっとりした風貌、柔らかなその物腰が芯の強さと深い愛情を有していることを知ってしまった。

 サマンサ・リリィ・マグダリア令嬢。

 姉から妹へ、彼の愛情は移った。

 王家と伯爵家にとって、面倒事ではあったが許されないレベルのことではなかった。政略結婚の大筋は変わらない。イザベラからサマンサへ。役者が変わるだけのことだ。

 だがイザベラ、イザベラにとっては………


「カイン様!! …………お姉様」

「! リ……サマンサ、なぜここに」


 目を見開いたサマンサ=リリィが、校舎こちらに駆け寄ってくる。彼女の清らかで無邪気な風貌から、親しい者たちはあだ名のようにして、曽祖母から継いだミドルネームのままに、リリィと呼ぶのだった。リリィ、もしくはサマンサ=リリィと。

 彼らを探して、駆け回ったのであろうか。その息は激しく波打っていた。

 プラチナ・ブロンドは風にもつれて絡まっており、侍女が見たら悲鳴を上げそうな乱れようだ。思えば彼女は最後まで、婚約破棄の宣言を厭っていた。なんとかカインに思いとどまらせようと苦心していた。

 心を尽くし、誠意を尽くしてお話しましょうと。

 ただ一つの愛を盾に、全てが赦されると考えるほど傲慢なことはない、と。

「リリィ……」

 だがしかし、陽を浴びたサマンサ=リリィは美しかった。

 本物の美しさ、そして本物の優しさ。

 花の如き乙女だった。

 ───このままでは身を引く、と言いかねない彼女をどうしても手に入れたかったのは、カインのほうだ。

 時間のかかる穏当な方法ではなく、そして卑怯な方法でもなく、堂々と片を付けたかったのだ。

 王家でも伯爵家でもなく、かつ周りに人がいない時と場所を選んだのは、最低限の配慮だった。


「…………なんで、あんたがここに」


 イザベラの赤い唇から、言葉が漏れた。

 実の妹に向かって「あんた」とは、とカインは眉を顰めたが、そこまでこの姉妹をこじれさせたのは自分だと思えば苦い思いしかない。

 カインだって驚いているのだ。この場は、万が一にでもイザベラの醜聞として広まらぬよう、己の配下たちに人払いさせてある。それでも当事者たるサマンサ=リリィが通ろうとしたのなら、配下たちも道を開くしかなかったのだろう。

 当事者でもあり……未来の主君の妃たる者の頼みならば。

「……ん?」

 そう考えてから、イザベラの視線がおかしいことに気づく。

 こっちを見ていない。なんならリリィだけでなく、カインのほうも向いていない。

「ああ………、」

 こちらに駆け寄ったリリィが、吐息のような声を漏らした。

 振り返れば、青ざめた顔。カインの袖をきゅっと握る彼女の手は、震えている。

「遅かったのね…………」

 震えながら一歩、前に出た。

 カインを護ろうとするかのようなその動きに、視線がつられる─────



(え。……メイド?)



 木立ちの向こうに、一人の女性が立っていた。

 クラシカルな伯爵家のメイド服をまとった長身の、二十代ほどに見える(ひと)

 夜空のような、濃紺の輝く瞳が大きく見開かれている。黒い艶やかな髪は額の真ん中できっちりと分けられ、首の後ろできつく結われていた。

 首元から足首まであるメイド服に、キャップを被っている。カインが何度も何度も目にしたことがある、伯爵家メイドの正装だ。彼女自身も伯爵家で見たことがあったのかもしれないが、記憶に残ってはいなかった。

 大人しそうな容貌に均整のとれた身体は、こうして真正面から見れば美しいと呼べるものと判断できたが、そもそも身分から言っても年齢から言っても、カインが気に留める存在ではないのだった。

 彼女は今、傷ついた獣のようにして夜空の瞳を見開いている。

 深い悲しみからか、その両手をふくよかな胸の前で交差していた。

 ────まるで、絵に描かれた聖女のようだ。

 場違いにも、カインはそう思う。それからようやく、強烈な違和感に襲われた。

 イザベラが、「あんた」と呼んだのはリリィでなく、彼女だ。

 では彼女はどうやって、ここに現れたのか?

「僕の配下たちは、何を……」

 人払いは厳命していたはず。リリィはともかく、メイドを通すはずもない。

 配下といっても、騎士の訓練を受けた者たちだ。女性一人がかい潜れるはずも……待て、どうしてリリィは怯えている? メイドだろう? イザベラの? ああ、でも彼女は今、婚約破棄された主人(イザベラ)のためにああも傷ついて………


「…………ああ、お嬢様」


 鈴の音のような声が、天上から降り注いだ。

 そのように聴こえたのはもちろん幻覚で、言葉を発したのはかのメイドだった。

 深い深い哀しみ。溢れるほどの慈しみ。

 ────そうか、自分は、この女性までも傷つけたのか。

 そうカインが悟ると同時に、かのメイドはひどくゆっくりと。


 片手をスカートの中に潜り込ませた。


「え?」


 悲しげな悲しげな瞳のまま。

 夜空の星々が散ったその瞳は、ひたとカインに向けられている。

 その清浄なまなざしと、目の前の光景の整合性がとれない。白いまぶしい足首が、そして更には白く肉づきのいい太ももが晒されている。そしてその太ももの途中には、革で固定された銀の短剣が結え付けられていた。

 鈴の音が、再び響き渡る。


「殺さなくては………」


 銀の短剣が抜かれたとき、リリィが己に覆い被さるのを他人事のように知覚した。

 武術を修めたカインの目にも、その軌跡は一条の光としか捉えられなかった。

 女。聖女。夜空の星。

 光……断罪の、堕ちた街を灼く、その。



「マリアーーーーー!!! やめなさい!!!!!」



 ぴたり。

 夜空の星が、目前にあった。

 銀の短剣は正確にリリィを避け、カインの頸椎間際で制止している。

 ───殺されそうになったのだ、と知覚した。

 知覚した瞬間、ドッドッドッと心臓が暴れ出す。冷や汗が全身から溢れてきた。

 女………マリアと呼ばれた女は、すっと威儀を正す。

 背筋を伸ばしたその姿は凛としており、それなのに迷子の子どものような困惑を湛えてイザベラをいっそ無垢に見詰めていた。

「お嬢様………なぜ、おとめになりました」

 嘘だろ。

 カインの脳内にはもう、そのフレーズしかない。

 学園で、王太子を、メイドが。殺そうとしておいて心からのWHYが叩き出せる相手にはまず間違いなく常識が通用しない、ということだけが痛いほどわかった。なかなか察しのいい王太子である。

 イザベラもまた、肩で息をしていた。

 赤みの強い金髪の中で、金色の瞳が必死に光っている。

 ……この少女がカインを愛していたのかどうか、カインにはわからない。けれど、少なくともここでぷちっと死んで欲しくはない、と思ってくれていることを知った。正直人間相手における最低限の好意であったが、そんなレベルでもこの時のカインはいたく感動していた。いろいろ限界である。

 イザベラが口を開く。少女らしい声、しかし、命令することに慣れた者の深みを添えた声音だった。

「マリア。彼は、王子よ」

「? 左様ですか……」


 駄目だ……………。


 王太子カインは天を仰いだ。そして胸元で震えているリリィを強く、抱きしめる。

 愛する者を腕に抱いたまま逝けるのなら、本望であるのかもしれない……。

 王太子カイン、その尊き生における初のガチな現実逃避であった。

「マリア、あのね。殺しては駄目」

「えっ……? お嬢様を、侮辱したにも関わらず……?」

 心底不思議そうな声だった。

 そんな馬鹿なことが、とでも言いたげな。

(………そうか、僕は、イザベラを侮辱したのだな)

 正々堂々と、ケリをつけたいと思っていた。それこそが侮辱だったのだ。

 己のための愛と矜持が大切で、そのために戦いたかった。ただ、そこには思いやりというものがなかった。王たる者が持たねばならない心が。

 期せずしていい王者が生まれそうになっている傍らで、イザベラも必死である。

 だって、マリアには言葉が通じない。

 表面上は通じるけれど、マリアに響く言葉は限られている。

 それはイザベラに深く関わるものか、否かで明確に分けられていた。

 百合よりも薔薇を。

 音楽よりも美術を。

 スフレよりもタルトを。

 シア・クリームよりも精油を。

 ───そして、王国よりも、王家よりも、伯爵家よりも、この学園を。

 それらをマリアは「正しい」と思っているきらいがあった。己の主人たるイザベラが好み、関わろうとする物事すべてについて、強く深く信仰した。

 イザベラはそこまではっきりマリアを理解していた訳ではない。

 だが、マリアが心を動かしそうな言葉は知っていた。それなりに長い付き合いだからだ。少なくとも彼女に「マリア」という名を与えてからずっと、一緒にいたからだ。

 殺しては駄目。なぜ?

 マリアに、わかる言葉で。

 イザベラがその、薔薇の唇を開く。


「こ、校則だからよ……!」

「まあ……!」

 

 嘘やん………………。

 王太子カインばかりか、姉主従と付き合いが長いはずのサマンサ=リリィからも、内心で貿易都市クァンツァイの訛りが飛び出してくる始末であった。世界観としてギリギリだがこの際仕方あるまい。

 見れば銀の短剣が、地に滑り落ちている。

 その研ぎ澄まされた細身の刀身は、いかにも人体にスッと通りそうだなとカインは武人の目で思った。おそらく己の頸椎など、ブラウニーの中にあるナッツくらいの軽さで貫通されるだろう。それほど理想的な形状だった。為政者として販売元を厳しく取り締まりたい。

 マリアは両手を身体の前で組み合わせていた。

 祈りのようなその姿で、伏した瞳からは深い哀しみを纏わせている。

「そのような校則が……さすがは王侯貴族の通われる学園、厳しいのですね……」

「そ、そうよマリア。あんたは私に、校則違反をさせるつもり?」

「ですがお嬢様が直接手を下さなければ、あるいは……?」

「侍女の罪は主人の罪に決まっているでしょう! 服装規定の次の項くらいに書かれていたわ、……たぶん!」

「まあ……」

 マリアは感銘を受けていた。

 己の主君の気高さにも、己に主君の通う学園の厳格さにも、ついでに言えばその校則を全てきちんと把握している己の主君の勤勉さにも、同時に感銘を受けていた。

 深く深く感じ入り、その膝をつく。

 跪いたその姿に、日光がひとすじ降り注いだ。




「─────御心のままに、我が主(ドミナ)



それはまるで、宗教画のような光景だったという(せつないひとみ)

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