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Nの復讐  作者: 野馬知明
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土岐明調査報告書

 それから五分程、沈黙のそぞろ歩きが続いた。気候のせいもあるが暑いとか寒いとかいう外気の感覚はうせていた。この1ヶ月間に溜まり続けていた肉体的、精神的疲労もどこかへ吹き飛んでいた。明は奈津子の黒ダイヤのように妖しく光る瞳を思い出していた。奈津子は救いを求めていたのかも知れない。しかし彼女の置かれた状況はどうしようもなく救いようがなかった、救いを求めたところでどうにもならないことは彼女自身も分かっていたはずだ。それでも救いを求める以外にできることはなかったのだろう。当然明は彼女の救いにはならなかった。本当に救いを求めるのであれば全てを打ち明けるべきではなかったか。でもそれもできなかった。尊広をほんの僅かでも愛していたのか?明を巻き込むことに躊躇したのか?それとももう全てを殆ど諦めかけていたのか?自暴自棄になっていたのか?どちらでもあったかも知れないし、どちらでもなかったのかも知れない。どっちつかずのまま自殺するように殺されてしまった。そうなることも彼女の選択肢のひとつであったのかも知れない。万人を惹きつけるような美貌が奈津子になかったら平凡だが幸福な人生を送っていたかも知れないと思いながら南條の意見を求めるように明は言った。「奈津子は自分自身の美しさに逆に不幸な人生を歩んだということなんでしょうか」「さあ、どうかな。自分の美貌を武器に、しあわせな人生を送っている女性も多いだろう。やはり、最大の不幸の原因は、ゆえのない差別だろう。差別する側は差別することによって幸せになろうとする。幸不幸は、相対的な問題だから、自分よりも不幸な人間がいれば、何もなくても、その分、幸福になれる。自ら幸福の種を蒔き、それを育てる能力のない人間やその努力を惜しむ人間は、手っ取り早くしあわせになろうとして、人を差別する。ゆえがあろうとなかろうと、そんなことは差別する側にとって関係ない。差別することそのものが目的ではないんだ。それによって、相対的にしあわせになることが目的なんだ」

「そう言えば、ひとの不幸は蜜の味って言いますよね。誰が、言い出したんですかね」

「それは、やな言葉だな。人を差別しなければ幸福感を味わえないような不幸な人間が、この社会にはたくさんいるということだ。不幸は不幸を際限なく作り出す。自分だけ幸せになろうとすることが、逆にめぐりめぐって自分を不幸のどん底に陥れるということだ」「天から与えられたたぐいまれな美貌という幸運が、逆に、とてつもない不運に陥れる。奈津子のような運不運、幸不幸のことを人間万事塞翁が馬って言うんでしょうかね」

「違うな。そのことわざの出典では、まず老人が馬を持っていたことから始まる。その馬が逃げたとき、老人は、これが幸いの元になるかも知れないと言う。すると逃げた馬が良馬を連れて戻ってきた。すると老人は、これがわざわいの元になるかも知れないと言う。すると、老人の息子がその馬から落馬して足を骨折する。そこで老人は、これが幸いの元になるかも知れないと言う。その後、戦争が勃発して、若者は徴兵されて死んだが、骨折した息子は、それをまぬがれた、という話だから、奈津子の場合はあたらないだろう」

「そのことわざの意味は、なにが原因で良くなって、なにが原因で悪くなるか分からないから、くよくよしてもしょうがないじゃないか、こだわるな、ということなんですかね」

「話しそれ自体は中立的なんだ。幸運な人にはその幸福はいつまでも続かないかも知れねえといういましめの意味を持つ。不運な人にはその不幸はいつまでも続かないかも知れねえという励ましの意味を持つ。しかしひとは励し、励まされることの方が好きだから、あとの方の意味で使われることが圧倒的に多い。実際元の話もハッピーエンドで終わってる」

「中立的ということであれば、禍福はあざなえる縄のごとし、と同じ意味なんですかね」

「その通りだ。さすが、博士さまの卵だ。お前は馬鹿じゃねえ。しかし、このことわざも、わざわいばかりじゃない、わざわいがあれば、かならず福もある、という意味で使われることが多い。つまり、福を強調して使われることが多い。てえことは、希望だ。人間、希望がなければ、生きて行けない。いまは不幸でも、いつか幸福になれるという希望だ」

「そうか、だからレギーネ・オルセンにこっぴどくふられたキルケゴールの死に至る病が、アルベール・カミュのシーシュポスの神話の岩なんだ。奈津子には、希望がなかったんだ」「なんだ、そりゃ。わけのわからないことを、とつぜん、言い出すんじゃねえ。正気か?」

「いやあ、キルケゴールという実存主義哲学者がいて、そいつが現世でレギーネ・オルセンというかわいい子に、てひどくふられたんですよ。それで『死に至る病』という本を書いた。死に至る病とは絶望というのがキーワードで。その後継者みたいなアルベール・カミュという文学者で哲学者が『シーシュポスの神話』という本の中で、絶望の例を紹介しているんです。一度死んだシーシュポスが冥界の女神ペルセポネーをだまして、この世に生き返っって、居座った。そこで、だまされた神は復讐として、シーシュポスに刑罰を与えた。シーシュポスは神から与えられた罰として、巨大な岩を山頂まで押し上げなければならない。だけど、その岩は、あとひと押しというところで、常にふもとに転がり落ちてゆく。僕、カミュが大好きなんです。かれはフランスの植民地だったころのアルジェリア人でフランス人から差別されたんです。アルジェリアで生まれたということは、どうしょもないことなのに、そのことで差別される。そのどうしょもないという思いが、神からシーシュポスに科された岩を持ち上げるというどうしょもない罰に結びつくんですよ」

「さずが博士の卵だな。俺の知らねえことをくっちゃべる。だがその絶望が逆ギレすると復讐になるんだ。復讐は絶望の裏返しで、最後の悪あがきだ。ゆえのない差別は絶望を演出し、復讐の舞台を整えるというわけだ」

千束通りに出た。町の明かりがぽつん、ぽつんと点灯され始めていた。暗くなっていた。千束通りの商店街の歩道をママチャリが行き交っている。買い物籠にできたての惣菜が入っている。メンチカツの匂いが鼻先をかすめた。塾帰りの低学年の小学生を連れて歩く母親の行く手に亜衣子の無邪気な笑顔があった。安禄山の店の前に通じる狭い路地の角にピンクのハイネックのセーターにフリルパーカーを羽織った亜衣子がインディゴのスキニージーンズの足で立っていた。亜衣子が嬉しそうに手を振っている。明は南條がいつ亜衣子を呼び出したのか全く気づかなかった。情光寺の前でひろったタクシーの中か?あそこで南條刑事が打っていたメールは亜衣子あてだったのか?ということはあの時点で既に、南條刑事は事件がほぼ解決するだろうと、確信していたのかと明は思い出していた。

南條が亜衣子に右手を上げて合図しながら、明に聞こえるようにな声でつぶやいた。

「コマネチねえちゃんを呼んだのはおれだが、あそこでねえちゃんが手を振っているのは、お前の方にだ。これは明らかな差別だ。年齢だけで差別している。それはそれでいいとしても、お前は気をつけねえとコマネチねえちゃんに復讐されるぞ。お前は鈍感だからあの子がどれほどお前を好いているか、ちっとも分かっちゃいねえ」

にやけて亜衣子に手を振り返している明の横腹を南條が肘でやさしく小突いた。

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